いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

11004-0014 ヒトとモノのハザマ

『写真とボク』植田正治写真展
 於:埼玉県立近代美術館

 写真を文字で語る事ほど愚かしい真似は無い。
 わたくしは愚か者であるが、そのくらゐは理解してゐる。

 然し観て、昂奮して、その昂奮を書きたくなつたのだから、やむ事を得ない。

 植田正治と云ふ写真家の事を知りたければ、ご自身でお調べになるのがよい。幾らでも資料が見付る筈だから。然したとへ万巻の研究書に目を通したところで、植田正治の写真は解らない…とわたくしは断言出来る。
 いやこれは植田に限らず、木村伊兵衛でも土門拳でもアンリ=カルティエ・ブレッソンでもロバート・キャパでも沢田教一でも事情は同じで、ある写真家の事を知りたければ、百万行に渡る文字の羅列では役に立たず、かれ(乃至彼女)の写真を一枚、目にしなければならない、と云ふ事だ。

 ヴァン・ゴッホの伝記を百万冊読んだところで、かれの絵について解るものだらうか??

 埼玉県立近代美術館は北浦和駅に程近い公園の中にあつて、中々気分が宜しい。
 美術館はのんびりした場所にあらねばならず、鳥取の砂丘を主な舞台とした植田にそれは似つかはしく思はれる。
 展示は非常に大掛りで、ごく初期…文字通りのアマチュアだつた頃…から晩年まで、おほむね年代順に並べられてゐた。
 一覧して驚かされたのは、所謂"スナップ写真"が絶無に等しかつた点であつた。欧羅巴で撮られた何枚かを除けば、かれの写真は一貫…いや徹底して演出に彩られ、その徹底振りは"絶対非演出の絶対スナップ"や"決定的瞬間"と云つたシリアスや生真面目を蹴散らす痛快さを感ぜられた。尤も、植田じしんはそんな事を考へもしなかつたにちがひないけれど。

 その植田演出は実に独特ではないかと思ふ。
 どう独特に思はれるのかは実際に植田の写真を見るのが最も確実な方法なのだが、それで済ますのは藝が無さ過ぎる。そこでかれの人物像と静物像を対比させてみませう。
 人物像は有名な『少女四態』左から白いワン・ピース、水玉のワン・ピース、セーラー服、白いワン・ピースの少女が"配置された"パノラミックな写真。
 静物像は『砂丘モード』シリーズから、砂丘に"集まつた"五つのハンガー。
 わたくしは『少女四態』に"配置"を、『砂丘モード』に"集まる"と云ふ言葉を用ゐた。これは意識的に使つたので、おそらくここが、植田演出の独特なのではないか。ヒトを無機質に配置し、モノを生きてゐるやうに集める。それはヒトとモノの境界線がとろけ混ざりあふ演出で、我われはその中に何か意味なり象徴性だつたり…さう、ある種のメッセイジ…を捜さうとして仕舞ふ。
 然しおそらく、その行為は徒労に終るだらう。
 植田は自分の写真にさう云つた何事かを潜ませてはゐないから、と云ふのではない。どうもその行為は、植田写真の純度を下げかねないのではないか。またそれは、植田の仕掛けた迷宮…それはヒトとモノのハザマに在る…におのづから迷ひ込む事ではないか。わたくしにはさう感ぜられてならない。

 既に言葉が過剰になつた。
 わたくしは埼玉県立近代美術館を後にするまへ、この写真展の図録を購入した。
 写真と云ふものを複雑に考へやうとする時には、この図録を眺めて、気持ちを鎮める積りでゐる。
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by vaxpops | 2011-01-24 12:30 | 本映聴観 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 頴娃 at 2011-01-26 22:57 x
アマチュア万歳という展でした。好きさ加減がないったらありゃしない。フイルムとデジの狭間で、写真の在り方を、酔った頭の隅っこで考えた一日でした('∀')
Commented by vaxpops at 2011-01-26 23:15
頴娃君。

 まつたくその通り。
 写真を撮りながら、次の写真を考へながら、きつとにやにやしてゐたに違ひありません、あの爺さんは。

 フヰルムだのデジタルだのの分別を付けたがつて仕舞ふ我われは、まだまだ修業が足りないのでせうね。
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