いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

13275-0523 ニューナンブとフヂハラノコウカ

 日本の大部分の十月は神無月で、出雲だけが神有月なのはよく知られた話で、八百万の神さまがあすこで大宴会を開いてゐるのだらうなと想像するのはこの時期の愉しみではないでせうか。神さまの酒宴と云へば希臘が本場のやうに思はれて、焙つた肉だの葡萄酒だのをやつつけたにちがひない。倭國だつて然し黒酒白酒に雉肉や猪を食べてゐた筈で、これも中々豪華である。どちらも羨ましい。
 ところで奥多摩の十月は神無月だから神さまはをられない。その無神の三週目の土曜日が例年、小澤酒造の藏開きの日で、そこに行かないのはひととして如何なものだらうか。ひととしては百歩譲つて赦されるとして、ニューナンブとしては行かない撰択肢は考へられない、と云ふか、そもそもその撰択肢は用意されてゐない。
「行かずしてどうして十月を越せるだらうか」
反語的な口調になるくらゐ、気合ひがちがふのでありますね。気合ひの入れ場所が間違つてゐるかも知れないけれど、ええい、今は気にしないでおきませう。
 台風は大丈夫だらうか。
 直前の天気図にはふたつの台風があつて、かう云ふ場合はその経路がややこしくなるさうで、これを藤原効果と呼ぶのだと云ふ。讀みはフヂハラ ノ コウカ。藤原高家の字を宛てると平安貴族のやうで、藤原咲平(名附け親になつた気象台の台長)がそんな事を考へてゐたのかなと思ふと、何となく愉快を感じる。因みに藤原咲平は明治十七年生れ。藤原効果を提唱したのは大正十年頃らしく、三十台後半の年齢。官吏のかれは無邪気な立身出世の夢が生きてゐた時代の青年だつたにちがひなく、それで"ノ"の字を入れたのではないか知ら。この年は中國で共産党が出来、原敬が東京駅で殺され、高橋是清内閣が成立。是清は十五年後に二月二十六日に非業の死を遂げるわけで、きな臭いなあ。きな臭くない方向ではバンドネオンのピアソラ(あのリベルタンゴのピアソラです)やソラリスのスタニスワフ・レムが生れ、アインシュタインがノーベル物理學賞を受けてゐる。

 話が逸れましたね。
 序でに台風も逸れてくれた。雨の朝ではあつたし、足元には些か不安を感じなくもなかつたけれど、移動が不可能な荒天ではなく、中央線も青梅線も奥多摩線もちやんと動いてゐる。中野から立川を経由して青梅。青梅で素早く乗り替へて沢井驛へ。よんどころなき事情でS鰰氏とクロスロード・G君は残念であつたが、かれらの意思も背負ふ形で電車に揺られた私は八時五十一分立川發青梅行電車の中で頴娃君と合流した。實のところこれは予想外で、いや、かう云ふ機会を頴娃君が逃す道理はなく、ただかれは八高線からの移動になると思つてゐたので、ちよいと驚かされたんです。
 「貴君は拝島経由だと思つてゐたよ」
 お早うの挨拶をしてからさう云ふと事も無げに
 「立川経由のが、乗り継ぎがよくつてねえ」
 頴娃君の事前の調べは行き届いてゐるなあ。すつかり感心してゐるうちに電車は恙無く沢井驛に着到した。普段は降りるひとも少ないだらう狭いホームは混雑してゐて、ただ昨年よりは人手が少なさうにも思へる。驛からの急な坂道を用心しながら、然し上半身はつんのめりさうにもなりながら降りると、青梅街道に面した駐車場―西東京バスの停留所??―があつてそこで入場券を買ふ。満喫チケットの名まへで千圓。小ぶりの利き猪口附きで、他にも特典がある。廉と云つていいですね。そこから街道沿ひに五分も歩かないうちに古めかしい藏の姿が見えてくる。古めかしいとは正確ではないな。實際にふるいのである。何しろ創業は元禄十五年だと云ふから、西暦に置き換へると千七百二年。旧暦で云へばこの年の師走半ば、播州赤穂の連中が高家のえらいひとを討ち取つたわけで、将軍の徳川綱吉は有名ですが、東山天皇が在位してゐたのは知りませんでした。このひとの子孫が西園寺公望公爵ださうで、明治以降のお公家さんの政治家に私はよい印象を持つ事が少ないのだが(きつと近衛文麿がきらひだからだらう)、西園寺公はその中で例外に属してゐる。何かの本で色々愉快な逸話を讀んだのが大きいね、これは。愉しいゴシップの持ち主は得なんです。花柳界で名を馳せた粋人だつたさうだから、ご先祖の在位中に創業した澤乃井で一献、汲み交はす夜があつたかも知れないぞ。

 普段は藏の見学になつてゐるルートがそのまま試飲場になつてゐる。いちいちの銘柄をあげるのは省略するが、"しぼりたて"で始まつて"蒼天"、"梵"と續き、"藏守"を経て"一番汲み"で終らせる流れは、新酒が醸された嬉しさに満たされてゐて、我われもすつかり嬉しくなつた。一旦表に出たところで時計を見ると、まだ午前九時を少し過ぎたくらゐである。本来はその午前九時が開場時刻だつた筈だが、思ひ切つたのではないだらうか。
 「さてこそ」
 「如何するかね」
 早くも上機嫌になつたふたりは顔を見合はせ、兎に角作戦会議を開かうと意見の一致を見た。議題はふたつ。
 ①この後の行動について。
 ②今夜の"漢の一本"に何を撰ぶか。
 ニューナンブは作戦を事の外、重要視するのである。
 それで青梅街道をくぐるやうにつくられたごく短い隧道を抜け、澤乃井園に行かうとしたら、そこに澤乃井の社長がゐたからびつくりした。實は私、この社長のファンなんですね。特別な繋がりなんて無いけれど、藏開きの日のかれが見せるしあはせさうな顔を見ると、笑顔とはかう云ふのを指すんだらうなと思ふ。将来、電子出版で画像をふんだんに用ゐる国語辞典が出来るなら"笑顔"の項には"藏開きの日の社長の笑顔"をつよく推薦したい。
 「驚いたねえ」
 「まつたくだよ」
 と云ひ交はしながら頴娃君と私は熱いお茶を飲んでゐる。少々肌寒さが感じられる躰に素敵な呑みものであるし、"スマートとエレガント"をモットーとしてゐるニューナンブのクッションに相応しい。お茶を啜りながら(序でに私は煙草を吹かして)満喫チケットを確かめると、午前十一時からの鏡開きは中止。但し振舞ひ酒は有るのが解つて、ふーむと我われは顔を見合はせた。時計は未だ午前十時に程遠い。
 「どうだらう貴君」と云つたのは私の方で「藏を覗いてだね、入れさうなら試飲二周目に取り掛かると云ふのは」
 「よからうとも。それから振舞ひ酒を愉しんで、昼めしといきませう」
 「ところで貴君」
 「何かね」
 「"漢の一本"は何を撰ばうか」
 と云ふ私の問ひかけは頴娃君にとつて愚問であつたらしい。大きく笑ひながら、出来の惡い生徒を教へ諭すやうな口調で
 「"蒼天"(純米且つ吟醸。香りと味はひが素晴しい釣り合ひで、然もそれを思ふと廉価でもある)と"一番汲み"(新酒"しぼりたて"の濾過まへ。但し厳密な無濾過ではない。"しぼりたて"が新入の優等生ならやんちや坊主)に決つてゐるぢやあないか」
 文句の附けやうのない撰択とはかう云ふのを呼ぶのだらうね。議題の完璧な解決に満足した我われは立ち上がつて、藏を覗いてみると、何と云ふ事か!(ここは是非、ビツクリマークを使ひたい)行列は殆ど無いに等しいではありませんか。
 「これア、また」
 「フヂハラノコウカだねえ」
 云ひ騒ぎながら私と頴娃君は、三年連続三回目の藏開きにして初めて、試飲の二周目に臨んだのである。
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by vaxpops | 2013-10-27 23:30 | 宿酔紀行 | Trackback(1) | Comments(0)
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Tracked from 恥丘曲線 at 2013-11-01 01:07
タイトル : 編集部Tの報告
もうこの季節になるのか と毎年思う。 毎年、10月下旬のお楽しみ。 蔵元で飲む酒には、暗冷静の三要素が備わると聞く。美味い要素しか見当たらない。 更に今年一番のしぼりたて。逃す手はないわけなのよ。 というわけで、久々の泊まり込み企画。 13275-0523 ニューナンブとフヂハラノコウカ ... more
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