いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

イヤダカライヤダ

 この数年、高橋書店の手帖を常用してゐる。
 今使つてゐるのはリシェル4(月曜始まりの見開き1週間)…商品番号はNo.214…で、大きさは文庫本と同じくらゐ。使ひ勝手はそんなに惡くない。お仕着せの手帖だから、どこかここかに不満はあるもので、馴れとあはせて許容範囲に収まるといふ意味である。

 手帖なんてまた時代遅れだなあ、と呟かれる方もゐさうだが、性にあふのだから仕方がない。一応はGoogleのカレンダー機能も併用してはゐるのだと云ひ訳はしておかうか。

 そのリシェルをどう使ふかといへば、先づは予定を記すこと。遊びの予定に決つてゐる。それに伴ふメモ…予算やダイヤグラム…も記す。併し大事なのは記録の方で、日記的な用途と云へばいいだらうか。買物に幾ら払つたかとか、天候とか、讀んだ本の題名とか、たれから連絡があつたとか、まあそんなところで、書き出しながら思つたが實に殺風景だねえ。

 後は何を食べたかも記す。これは池波正太郎の眞似。あの小説家は飲食を細々と日記につけ、細君が献立に困つた時は、たちどころに昨年のこの日はかういふのを喰つたと示したといふ。台所を預かるひとにとつて、有り難いのか迷惑なのか、よく判らない。それに私は記録をしてゐるだけなので、何の役に立つのやら。何年か経つて見返した時、記憶を呼び起す切つ掛けになるのが精々といふところか。

 役に立つかどうかは兎も角、手帖に色々の予定や記録を書くのは併し習慣になつてゐて、そこはまあいい。時代遅れでもこちらのことだから、苦情を云はれる筋でもないでせう。ただここで問題になるのは手帖に書くのだから手書きが基本で、手書きだからそれは自分の字といふことだ。
 これが、こまる。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には何を云ひたいのか判らないと考へる方もをられるだらうから種を割ると、私は自分の字がきらひなのです。どこがどうと訊かれても説明は六づかしく、内田百閒に倣つてイヤダカライヤダと応じざるを得ず、さういふ気分の證として画像をご覧頂かうか。

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 ね。こまるでせう。
 かうやつて同意を求めると親切な讀者諸嬢諸氏はきつと、古拙な笑みで誤魔化すしかないだらうから強要はしない。しないがこの字を書いたのが自分だと思ふと、背骨の中を掻き毟りたくなつてくる。讀み易い字だと云つてもらつた記憶はあるけれど、あれは精一杯の慰めだつたにちがひない。だつてとても年齢を重ねた大人の書く字には見えないもの。
 かと云つて手帖を使ふ以上、自らの手指で字を書くのは避けてとほれないのも事實。少しはましにしたいと思ふのもまた事實で、我流では六づかしからう。名前があやふやだが、何とかいふペン習字でも始めるべきなのか知ら。さう考へるくらゐなら、デジタル方式に移行するのも方法なのだらうが、どうもあれはねえ。さう思つて仕舞ふ辺りが、私の時代遅れを如實に示してゐる。
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by vaxpops | 2017-04-29 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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