いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

譬喩として

 バイブルをbibleと綴つた場合、その意味は本。確かラテン語だつたか。綴りの頭を大文字にしたBibleだと、基督教の聖書を指す。転じて宗教的な意味の有無を問はず、極めて重要な本の譬喩にもなつてゐますね。かういつた喩へ、基督教猶太教イスラム教圏内でも成り立つのか知ら。
 思ふにバイブルが"きはめて重要な本"のたとへになるのは、一冊だからではなからうか。厳密に云へば、Bibleにも正典とそれ以外があるし、突き詰めてゆくと色々ややこしくなるのだが、印象としては同意してもらへさうな気がする。生眞面目な信徒に呆れられる不安は残るとして。

 その辺はいいか。Bibleの研究と話題は眞面目な學者にお任せして(それはそれで讀んでみたい)、この稿で話題にしたいのは、教典…詰り大文字のBibleではなく、そこから派生した譬喩の方。簡単に云へば好きな、より正確に云ふと飛びきり好きな本で、これを私は
 ≪残りの人生を託すに足る5冊の本≫
と呼んでゐる。恰好いいなあ。但し私の独創ではない。『神の火』(髙村薫/新潮文庫)に、主人公が≪5冊の本≫を撰ばくてはならない時期にきたのを悟るくだりがあつて、非常に印象深かつたんである。さういへば髙村の小説にはどこかに基督教とホモ・セクシュアルの匂ひがあるなあ。

 余談は兎も角。

『文章讀本』
 (丸谷才一/中公文庫)

『阿房列車』
 (内田百閒/旺文社文庫)

『檀流クッキング』
 (檀一雄/中公文庫ビブリオ)

『私の食物誌』
 (吉田健一/中公文庫ビブリオ)

『ヨーロッパ退屈日記』
 (伊丹十三/文春文庫)

 私の残り少ない≪人生を託すに足る5冊≫はこれである。他にも好きな本があるのは勿論で、小説なら『私本 源氏物語』(田辺聖子/文春文庫)『女ざかり』(丸谷才一/文春文庫)、『ドバラダ門』(山下洋輔/新潮文庫)、『幻の女』(ウイリアム・アイリッシュ/稲葉明雄 訳/ハヤカワ文庫)、『初秋』(ロバート・B・パーカー/菊池光 訳/ハヤカワ文庫)、他にも『断腸亭日乗』(永井荷風/岩波文庫)、『御馳走帖』(内田百閒/中公文庫)…要は色々と好きな本がある中で、上の5冊が譬喩としてのBibleの格を得てゐると受けとつて頂きたい。
 何度も讀み返してゐる。当り前の話か。再讀三讀に耐へない本に残りの人生を託せる筈がない。面白く飽きず、その積りはないのに、考へさせられ、気づかされる。[いんちきばさら]にこの5冊の筆者の名前が度々登場するのは、さういふ事情であつて、 我ながら影響が判り易い。

 文章それ自体。
 呑み喰ひ。
 旅…移動。
 役に立ちさうもない蘊蓄。

 5冊に共通する興味はこの辺りか。それらが私の嗜好と一致するのは念を押すまでもなく、いやもしかしてこの5冊が私の嗜好を決めてゐるのかも知れない。何しろ(譬喩としての)Bibleだもの。それくらゐの力があつても不思議ではないさ。
 併し見直して妙だなと思ふのは小説が含まれてゐない点で、『阿房列車』には随筆と短篇小説を兼ねてゐる風味はあるが、我らが百閒先生にさういふ狙ひがあつたかどうか。あのひとの藝風は複雑だから何とも云ひ難いとして、小説らしい小説がない("小説らしい小説"とは何ぞやといふ疑問はさておく)のは何故だらう。

 小説がきらひなのではない。
 撰外の例に挙げた本の中にもあるくらゐだからそれは確實である。
 それに私の讀書の事始め(自分から讀み出したといふ程度の意味である)は小説だつた。
 ロフティングの"ドリトル先生"だつたか、ミルンの"プーさん"だつたか、スウィフトの"ガリヴァー"だつたか(作者はいづれも英國に関りがあるひとだね。英文學との縁はこれつきりだけれど)(序でに云へば私が讀んだのはすべて岩波書店版。翻訳は順に井伏鱒二と石井桃子と中野好夫が健筆をふるつてゐと思ふ)はつきりしないが、物語が最初にあつたのは明らかだし、今だつて事情は変らない。私は文學の分野に格づけをしない方なので、単純に惹かれる力のちがひなのか知ら。

 そこで小説に限つた5冊が撰べるのかといふ疑問が浮ぶ。なに、ご存知のとほり、私の讀書量なんて大したものではないから、それほどの困難でもなからう。
 先づ司馬遼太郎の『国盗り物語』を挙げませうか。それから上にも挙げたが『ドバラダ門』も避け難い。池波正太郎は『雲霧仁左衛門』を。
 探偵小説からはクィーンの『Yの悲劇』か、クリスティ女史の『アクロイド殺害事件』(出版社によつて、"アクロイド殺人事件"だつたり"アクロイド殺し"だつたりするのだが、ここは"殺害事件"でなくてはならない)、或は基本中の基本とでも呼んでいいドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』も見過ごせない。
 ライアルの『深夜プラスワン』、ヒギンズの『鷲は舞い降りた』はどちらも菊池光の訳が素晴らしくひと晩を費やして悔ひのない良作である。
 小説と呼べるかどうかは、大きに疑義を認めるとして、『イーリアス』と『オデュッセイア』といふ大叙事詩だつて、再讀三讀どころか、生涯讀み返して飽きる心配はないだらう。
 これで10冊。ホーメロス以外は予想通り、ひどい偏りを示してゐるね。異論はあらうが、それは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ご自身の5冊を撰んでもらひたい。上の10冊から『国盗り物語』、『雲霧仁左衛門』、『アクロイド殺害事件』、『深夜プラスワン』、『イーリアス』に絞り込むとしませう。

 さて。この小説版の5冊…暫定的なものですよ、念の為…を、私の≪人生の残りを託すに足る5冊≫と入れ替へられるか、どうか。

 暫く自問してみたが、自答は否だつた。

 5冊の小説が詰らない筈はない。嘘だと思ふなら、どれでもいいから1冊を讀んでみ玉へ。丸太だつてたまには誤りのない話をするものだと納得してもらへるだらう。
 併し入れ替へには到らない。敢て云へば『イーリアス』が非常に悩ましいのだが、譬喩としてのBibleには何か、或はどこかが及ばないのだな。ひどく抽象的になるのはご容赦頂くとして、どうもその何かまたはどこかは、私の骨や血への溶け具合のやうに感じられる。讀みこんだかどうかも要因のひとつにはちがひない。ちがひないがもつと大きな事情として、血肉へのなり易さがあるのではないか。根拠や確証があつて云ふのではないけれど、そんな気がされる。詰り≪残りの人生を託せる5冊≫には、託さうと決めたひとの何事かが透けるのではないかと思はれて、さうなると私の5冊から何が透けてくるものか。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のすすどい分析をこれは待たなくてはなるまい。
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by vaxpops | 2017-05-02 16:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)
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Commented by lagoonchii at 2017-05-03 17:58
読後、非常に感慨深いものがございました。
「バイブル」、「5冊の本を選ばなくてはならない時期」、という、とても深い概念に思いを馳せます。必ずしも身体的な寿命ということでなくても、そんな時期がくるように思います。だとすると、逆算して読み始めなくてもなりませんね。いつなんだろう。
5冊に絞る潔さが私にはないので、だけど、時間をかけてて2つの全集を揃えました。一度には買う勇気がなかったので少しづつ。そして、いつか読もうと。だけど眺めるだけで満足しているし、いつ読み始めればいいかわからない。けど、逆算していつか読み始めたい。でも、きっと読み切れないようにも。

ご選定の5冊から透けてくるもの。
分析などということをできる能力はないのですが、恐れずに。
機知に富んだ名文を味わう喜びに話題の種類はあまり関係ない、飲み屋で差し向かいの場での話のように、ということが頭に浮かんだので、恐れず書かせていただきます。
見当はずれ及び失礼の段はどうかご容赦ください。
Commented by vaxpops at 2017-05-05 08:11
lagoonchiiさん。

 ≪残りの人生を託すに足る5冊の本≫といふ考へ方は本文に書いたとほり、私の独創ではありませんから念の為。
 あの5冊は要するに、もし自分が棲み処を失つて野垂れ死にする破目になつても、手元にあつてもらひたい…デイパックだかトートバッグだかずた袋だか判りませんが、詰め込んでおきたい本といふことになるでせう。全集をゆつくり揃へ、眺め、讀む"未來に到るたのしみ"の健全さ(本の愉快はかうあるべきです)からは程遠い態度ですね。

 お見立て、考へてゐなかつた方向のご指摘で、恥かしいやら嬉しいやら。

 別の機会にlagoonchiiさんの愛…酷愛?偏愛?それとも熱愛?…する本の話を伺ひたいものです。
Commented by lagoonchii at 2017-05-08 21:17
棲み処を失って野垂れ死にの予感とともに背中のデイパックにいれておく5冊
ということを理解したつもりで、
そういう本を私は一冊でも意識的に所有しているだろうか、と自分を疑い嘲笑しながらコメントをさせていただきました。
この歳になると、「何か」がある、存在する、と考えることに、いくらおめでたい自分でも疲れてくるよね、という個人的な最近の立ち位置からコメントををさせていただいたという点、蛇足ながらの再コメであります。
Commented by vaxpops at 2017-05-11 10:11
lagoonchiiさん。

 云はずもがなでせうが、意図的に5冊を集めたのでなく、結果的にさうなつたわけで、5冊もある自慢でなければ、5冊しかない自嘲でもなく…これ以上を文字にすると、自分の弁護に到りさうで六づかしいですね。

> 「何か」がある、存在する、と考えること

 といふ抽象的な、それでゐて實感のあるパラグラフには唸らされました。
 今も唸つてゐます。
 先に書いたコメントと矛盾するなあと思ひながら書くと、遠くない将來である自分の死を多少なりとも意識する年齢になつた今、行く末に"「何か」がある、または存在すると考え"るのは、些かの憂鬱を伴ふと白状せざるを得ないのです。
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