いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

睨んだ

 ハムやソーセイジ、ベーコンの類は好物で、口にするたびに實に欧風的の食べものだなあと感心させられる。どこがどう欧風的なのか、自分でもよく判つてはゐないのだが、そこはここだけの秘密。併し我が邦のご先祖が獸肉を食べてゐたらうことは確かとして、遂にかういふ工夫に到らなかつたのもまた事實で、畜産に関はる技術の問題だつたのか知ら。
 考へてみると獸肉を育て食べるとして、広闊な土地と大量の牧草が必要で、そのくせ養へる人間の数はたかが知れてゐる。さういふ意味で牧畜は可也り贅沢な産業と云へるでせう。時間は掛かるし手間もあるけれど、同じ面積の土地で効率を云へば米に軍配が上るのは念を押すまでもない。獸に然程の興味が湧かなかつたとしても、責める理由にはならないだらう。尤も牛乳…正確には乳製品は別扱ひだつたらしい。醍醐の下賜があつたといふから、貴重な美味だつたのだらうな。

 ここで余談。醍醐味に名を残す醍醐はチーズとバタとクリームの中間的な食べものだといふ。どうもうまく頭に浮ばないが、私の所為ではない。元の文章がえらく曖昧だつたからだが、元の文章が惡いわけでもない。旧い記録から想像するしかなければ、曖昧になつたところで文句を云ふ筋でもないでせうさ。余談終り。

 下賜といふのは御門が臣に下シ賜ルものだから乳製品…即ち醍醐が珍な味とは公卿連にあつた認識とみては間違ひないでせう。そこで乳牛が死んだ後、それをどうしたのかといふ疑問が浮ぶ。簡単に棄てたと考へるのは正しいと思へない。乳牛の飼育は朝廷に専門の部署を設けるほどだつたことがあり、死を穢レとする感覚が余程に強かつたらうことを併せて思ふと、何かかにかの儀式的な行為はあつただらうと想像する方が理に叶つてゐると思はれる。
 尤もそれが表向きだつたのではないかと想像を重ねることも出來て、上代古代の穢レは死だけでなく血にも及んでゐた(神話の中で女性への軽侮またある種の畏れがあるのは、経血に対する穢レの感覚である)から、貴族或はもつと大雑把に支配者階級が乳牛の死骸を直接どうかうしたとは考へられない。卑賤の人びとが實事を請け負つたに相違なく、かれらが儀式に則つて次第を済ませ、果してそれだけだつたらうか。疑はしい。

 私が賎民だつたら喰ふね。
 間違ひない。
 但し喰ふとしても烹るか焼くが手一杯で、蒸したり揚げたり煮込んだりは無理だらうな。まして塩漬けにして保存するなんて、想像の埒外に相違ない。それに佛さまが來日する前は直会(讀みはチヨクカイではなくナホラヒ)で贄を捧げも…希臘の叙事詩で羊を割いてアテーナーやアポローンに捧げるでせう。あれに近いと思ふ…した筈だから、賎民の口には入らなかつたか。牧場官僚は案外、焼肉の味に親しんでゐたのかも知れないぞ。
 といふ想像をするに、ごく一部の例外は認めるとして、おほむね我が邦の食肉、ことに肉の加工の技術はまつたく貧弱だつたと推定して誤りではなからうと思はれる。ご先祖の食卓が肉料理に彩られなかつたのは残念。尤も考への方向を変へれば、獸肉に頼らなくても食事が成り立つ風土に恵まれたとも云へるのだが、そつちに重きを置くとハムにソーセイジ、それからベーコンの立場がなくなつて仕舞ふ。

 そろそろハム、ソーセイジ、ベーコンに話を移さう。これらには塩漬け、燻し、茹であげといつた作業がある。これらを一見すると、作つて直ぐに食べるものではないと判る。ソーセイジなぞは膓の容器まで準備する周到さの保存食である。
 まづかつたらうな。最初の頃は。
 きつと無闇にからかつたにちがひない。
 それで思ひ出すのはイベリアの山間部やドイツで、贔屓目に見ても農業だけで食事が成り立つ土地ではなささうである。細々しいことを考へる前に、餓ゑるよりましな目の前にゐるもの…牛や豚や羊…を工夫して保存しなくてはならない事情があつたのだなと想像したつて無理はなからう。
 すごいのはその餓ゑるよりましな程度から始つた食べものを、たいへんな美味にまで昇華させた人間の喰ひ意地である。塩や香草、燻す樹木の種類や量、ひとが掛けるべき手間、自然に任せるべき手間、さういつた事どもを一体に洗練させた執念深さは讃嘆(それとも驚愕)してもいい。ひとが棲み續ける土地には必ずその土地の旨いものがあると喝破した小説家はまつたく正しかつた。

 ここで中國風の類似した食べもの…叉焼や煮豚はどうなのだと、疑問が浮ばなくもない。
 たとへば(曖昧な記憶だが)金瓶梅の西門慶が鱈腹食べる珍味佳肴にさういふ一品があつて、それが殺風景な保存食ではなかつたのは当然として、そもも中國人に保存食の概念があつたかどうか。
 凶作と飢饉が貧民の大移動を生み、貧民が泥棒と強盗の集団となり、その親玉が起す革命に到るのが古代中國の政治史の骨格なのは改めるまでもなく、詰り最初に農業があつた。農業の場合、収穫物の保管が保存食に相当することを思ふと、獸肉を塩漬けや燻製にして飢饉に備へる考へ方は薄かつたんではないか知ら。

 翻つて我が邦の特に南方が中國式の食べものから強く影響されてゐるのは、豚の角煮ひとつを取つても容易に想像出來る。あれはまつたく素敵な食べものですな。大鉢に盛られた角煮と焼酎の組合せは広い意味の和食で、殆ど唯一、獸肉が主役なのではなからうか。そして豚の角煮はひどく時間の掛かる料理ではあつても、長期の保存を前提にしてゐないのは明かで、この伝播が日本式のハムやソーセイジ、或はベーコンに繋がらなかつた裏の事情。ではなからうかと私は睨んだ。睨めた切つ掛けは一ぱい呑んでゐた時のおつまみ…即ち焼豚の薄切りで、偶にかういふことがあるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、お酒も惡徳計りではないのです。
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by vaxpops | 2017-05-11 09:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
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