いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

ソース焼そば探偵

 焼そばと聞くと小腹が減つたと思ふ。減つてゐなくても思ふことがあるから、一種の條件反射なのかも知れない。どこにその條件があるのか、判らないけれど、浮んでくるのは大体、鼻孔をくすぐるウスターソースの香り、豚肉の欠片か赤いウインナー、キヤベツ、毒々しいくらゐの紅生姜、それから親愛なる讀者嬢に会ふ前には困らされるにちがひない青海苔。或は鐵板の隅で焦げついた麺を含めてもいいか。あれはあられみたいで旨いんだよ。…と書いて思つたのだが、どうやら"私の焼そば"の印象は、屋台で賣られる安つぽいソース焼そば"にほぼ等しいみたいだ。塩味や醤油味仕立て、あん掛け、堅焼そばの立場はどうなるのだと叱られさうで、併し私の印象…即ち思ひ込みだからどうにもならない。

 正確さは保證の限りではないとして、原形は中國の炒麺(チャーメン?チャオミェン?)であるらしい。炒めるか揚げるか焼くかした中華麺に具を加へるか、あんにして掛けるかする調理法ださうで、前述の塩または醤油またはあん掛け乃至堅焼そばが近縁にあると考へていいでせう。さうなると我が邦と中國の焼そばを隔てたのは、ウスターソースと見立てて間違ひにはなるまい。ざつとしたところ

・19世紀初頭 英國で偶然發生
・19世紀前半 素早く英國で商品化
・19世紀末期 明治中頃の日本で量産開始
 (試作はもつと早かつたらしい)

といふ流れらしく、どう長く見ても100年経たず日本に入つたと考へていい。案外と早いね。尤も醤油と味噌が左大臣右大臣を張つてゐた時代だから、ウスターソースの割り込む余地は当初、ごく狭苦しいものだつたにちがひない。
 ではいつ頃から受け容れられてきたのかといふと、はつきりしない。明治人にとつてのウスターソースは"西洋醤油"だつたらしいが、西洋人は日本人のやうにざぶざぶ用ゐはしなかつたから、そのままでは使ひ辛かつたと想像出來る。おそらく西洋料理から洋食への変遷と發展と受容に併せ(当時のハイカラな若ものがひと役買つたのは疑ふ余地がない)ウスターソースも醤油的に変化したとすれば、本格的な受容は明治末から大正年間辺りだつたと推測して誤りにはならないだらう。

 では日本の焼そばが誕生したのはどうなのだと疑問が浮ぶのは当然で、さうなると中華麺が入つてきたのはいつ頃だといふ話になる。すりやあずいぶんと古いにちがひない。だつて水戸人が
『我が邦で最初にラーメンを食したのは我らが光圀公にあらせられる』
と自慢するくらゐだもの。これが大体17世紀中頃の話。確かに古い。
 但し水戸人には申し訳ないが、ご老公が召し上つたのは明國風の汁麺だつた。記憶で書くと再現したそれは、具のない汁そばに小皿で幾種類かの薬味を添へたやうなものだつたから、原形の元くらゐが精々と云つてもいい。それに朱舜水(日本に亡命して水戸に在つた明國の遺臣。光圀公に例のそばを振る舞つたのはこのひと)は中華麺を自分で用意したといふから、これをもつて中華麺の受容とするのは無理がある。開國によつて清人が入つてきた辺り…詰り慶應から明治初年前後にかけてと見る方が正しからう。

 天麩羅を持ち出すと余談めくが余談にはならない。江戸の頃の天麩羅は現代風にいふファストフードのやうな食べものだつた。種を串に刺し、小麦粉の衣でのんびり揚げたのを屋台で(火と油を扱ふので、店を立てるのは禁じられてゐた。火事への対策または恐怖の顕れである)賣つたらしい。ひと串何文だかで小腹を満たす下々の樂しみだつたのだらうな。
 ちよいと羨ましく思はなくもないが、ここで注視したいのはのんびり揚げた点である。たつぷりの油を高温にして、素早く揚げられなかつたからとは直ぐに解ることで、詰り火力の問題。この問題の解消と天麩羅の技術の融合がとんかつやコロッケや海老フライ、即ち洋食に直結するのだが、それはこの稿の話題ではない。

 さてここで思ふのは、炒麺乃至焼そばを作るのだつて、大きな火力が必要だらうといふこと。炒麺焼そばに限らず中國式の調理と巨大な焔はほぼ一直線に繋がる印象なのだが、そちらはまあ、措きませう。
 そこで清國の料理人が入りこんできたのが19世紀半ば頃、ウスターソースの受け容れが半世紀足らず後の話とする。とんかつが誕生したのは明治の末くらゐで、詰りそれ以前に大火力の問題は目処がついたと推測出來る。江戸人が食べたであらう和食は文明開化と大正モダンで変質乃至滅亡したと考へてよからうから、ソース焼そばが登場する條件は整つてゐたと見ても間違ひではない。さう私は睨む。割りといい線を引けたと思ふが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、如何だらうか。

 併しその先になると判らない。中國風の炒麺と西洋式の調味料の組合せが、どの程度の格で受けとめられたのか。それがどう向上し或は下落したのか。またそれらはいつ頃のことなのか。推測したくても手掛かりが見当らないのだもの。それでもまつたく判らない、とまでは云へないか。おそらく最初からそんなに高い地位を得はしなかつただらう。明治大正の我が邦でモダーンな食事が西洋基点の洋食だつたことを思ふと、がんらいの日本の食事に関りのうすい、清人が英國のコートを羽織つたやうなソース焼そばは、些か分が惡かつたんではないかと想像出來る。

 洋食気取り。
 洋食もどき。

 この辺りの評価が精々だつたらうが、決してまづくない。豪勢な具の用意を諦めれば、鐵板ひとつで廉価に作れもする。但しこれを不幸不運と呼ぶのは誤りで、私は落語を思ひ出す。けちん坊な男が鰻屋の隣で匂ひをおかずに飯を喰ふ。屋台の親爺に匂ひ賃を払へとねぢ込まれた男は銭の音を聞かせて、匂ひ賃だから音でいいだらうとやり返すとかいふ噺で、鰻の匂ひが如何に食慾をそそるかがよく判る。焼鳥のたれやカレーも同様で、かういふ"匂ひをも喰はせる食べもの"は、金華玉楼で出されても、どこかしら味気ない。我らがソース焼そばが例外にならう道理もなく、屋台や夜店や扉を開け放つて営業する潰れさうな店の軒先から、ウスターソースの焦げる匂ひが漂ふから、條件反射的に空腹でもないのにさう勘違ひするにちがひない。うん、やうやく推理が纏まつた。これからお八つにソース焼そばを食べるとしませう。
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by vaxpops | 2017-05-14 16:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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