いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

円環

 先づ引用から始めませう。

『一日の発端である朝食のおかずと、一日の末尾である酒の肴は、おごそかに円環を作るのだと考へてもいいし、どつちも味覚の純粋形態だから一致するのだと言つてもいい。つまりこの両者を兼ねることが絶対できないからこそ、たとへばライス・カレーなんてものは品格の低い食べものなのである。』

 丸谷才一の『好きな背広』(文春文庫)に収められた[小説作法]の一節であります。今なら同じ文庫の『腹を抱へる』で簡単に讀めるから、目を通してごらんなさい。小説に限らず、文章を書かうとする時の、ちよつとしたこつが判る。

 併しその"ちよつとしたこつ"は兎も角、ライス・カレーが朝食のおかずと酒の肴を兼ねることが"絶対できない"といふ指摘には疑問が残る。説得力はあるけれど、本当か知ら。絶対と強調するのは、幾らなんでも云ひ過ぎな気がするなあ。

 何故こんな話を始めたのかといへば、私はライス・カレーが大好物なのです。毎日三食は流石に遠慮するとしても、毎日の中の一食だつたらかまはない程度には好もしく思つてゐる。子供めいた嗜好と笑はれるかも知れないね、反省はしないけれども。

 ただここで考へると、ライス・カレーで一ぱいやつつけた記憶が殆どない。氷水かカフェ・オレくらゐ。分が惡さうな気配になつてきたぞ。
 と書いて、田原町にあつた[松楽]といふ店を思ひ出した。むやみに巨大なもつ焼きが印象的だつたが、その[松楽]に"カレーのル"といふメニュがあつた。小鉢に入つた甘くちのカレーのルウ。これを匙で掬ひながら、電氣ブランを生で啜るのはハイカラなんだか、ひたすら駄目な醉つ払ひなんだか、自分でもよく解らないが、愉快であつたのはまちがひない。
 さういへば、中野の[navel]といふ店で、バーテンダーだつたKIさんが、"KI家のカレー"と称したライス・カレーを出したのも思ひ出した。当時の[navel]は葡萄酒を主体にしたバーだつたから、この夜はかるめの赤を呑んだのではなかつたか。バーテンダー曰く、實家の作り方で煮込んだのですよ、といふ話。中々に品のよい味はひだつたな。
 記憶が連なつてきた。東中野にある[まいど]では時に"沼カレー"といふのを出す。ウーロンハイだつたかを横に置いて、匙を操つたと思ふ。小体な呑み屋で、珍なメニュと云つていい。[まいど]は妙に凝つたつまみを用意する癖があつて、さういふのを探すのも、客の愉しみである。
 かう辿ると、決して分が惡いとは云へないといふ気分になる。裏を返せば、ささやかな記憶しか浮ばないのだから、ライス・カレーに適ふ酒精が少ないといふ事實の間接的な證明と云へなくもない。ここまで挙げた酒精は、電氣ブランに赤葡萄酒にウーロンハイ。いづれも惡くはなかつた。なかつたけれど、ではかういふ酒精をもつて、ライス・カレーを"一日の末尾である酒の肴"と位置づけられるだらうか。残念ながら、ウーロンハイはまあいいとして、葡萄酒や電氣ブランを日常の晩酌に使ふのは、六づかしさうに思へる。

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 それで英國を気にしなくてはなるまい。我が邦のカレーが、あの大植民地帝國からもたらされたのは今さら強調する必要もない話だが、では英國紳士がカレーをどう食べてゐたか、ゐるか、我われは知らないのではないか。
 正直なところ私が知つてゐるのは、上流のロースト・ビーフとスモークト・サモン(サーモンと書いたら、途端に廻転寿司めいて仕舞ふ)、労働者階級だつたらフィッシュ・アンド・チップスにジェリード・イールくらゐ。この認識がどの程度に正しいかは在英の讀者諸嬢諸氏に判定してもらふしかないとして、かういふ食べものに、果して英國人はカレーを用ゐるものか知ら。風変り好みはどこにでもゐる例外だから、その層を除くと、どうも用ゐないだらうなといふ気がしてくる。
 英國と聞いて私の頭に浮ぶのは、保守的といふごく類型的な印象と、これは本当かどうか
『ロンドンでうまい食事をしたければ、中華料理屋に行け』
といふ格言。簡単に説明すると、外國の料理屋はその國の料理人が厨房に入つてゐるから安心だ、といふ意味です。この辺りは植民地帝國の面目躍如だなあと手を拍きたくなる。自國の料理人への皮肉が、いい具合のスパイスにもなつてゐるのもよろしい。
 この理窟で云へば、英國の印度料理屋には印度の料理人がゐるのだなと想像出來て、もしかすると、我が邦に伝はつたカレーは、英國で印度料理屋に卸されたのかとも思つたが、それぢやあ商賣にならない。きつと胡椒のやうな扱ひだつたのだらうな。たとへばキヤベツや馬鈴薯と牛肉を煮込んで、カレー・パウダーでほのかな香りをつけ、異国風を気取つたにちがひない。これならライスには目を瞑れるし、呑みながらつまめもする。それを招いたお客にヰスキィと一緒に勧めながら、印度での奇妙な冒険譚を語つたのだらう。英國人は冒険好きで感傷的で法螺が巧いもの。それくらゐは平然とやらかせたさ。
 さういへば丸谷才一は英文學のひとだつた。ライス・カレーに批判的だつたのは、ロンドンで振る舞はれた、カレー風味の煮込み料理とギネス・ビールに義理を立ててゐたのかも知れない。
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by vaxpops | 2017-08-13 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
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