いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

動機の供述

猫の寫眞なら、なんでもうけるだらうと思つた。

かつとなつて、2009年の画像から探し出した。

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今は反省してゐる。

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# by vaxpops | 2017-07-27 06:45 | ニューナンブ | Trackback | Comments(1)

どんな顔つきで

 山形のだしといふ、さてこれをどう分類すればよいか、胡瓜だの生姜だのを細かく刻んで、粘りを持たせた食べものがある。振りかけのお漬物版と呼ぶのが近いか知ら。
 ごはんに乗せてうまい。素麺のつゆに入れてうまいし、冷たく〆た饂飩に混ぜるのもうまい。蕎麦や中華麺はどうだらう。面倒ならそのまま肴乃至つまみにしても勿論うまい。この場合、匙でちよつとづつ、掬ふのが宜しからう。塩がはつきり感じられる分、食べすぎに留意は必要だけれど。
 画像をご覧頂けばお判りのとほり、中でも私が最も好むのは、冷や奴に乗せる食べ方で、味つけぽん酢を加へる。この時はちつと加減をまちがへたから刻み葱を足した。かういふ誤魔化しも愉快のひとつでせう。

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 ところで山形人に知合ひがゐないから、大変に不思議なのだが、實際あの土地では、かういふ漬物の変種を作つてゐるのだらうか。保存食を使ふ上での応用なのか知ら。

 山形には鰰があり、初孫といふうまい銘柄があり、何より尊敬する丸谷才一先生を生んだ土地だから一ぺん訪れて、存分に呑み喰ひを愉しみたいのだが、どんな顔をして註文すればいいのか、見当がつかない。
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# by vaxpops | 2017-07-26 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

複雑な構造の驛

『新版 ローマ共和政』
フランソワ・イナール(訳・石川勝二) 白水社 文庫クセジュ

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 立花隆だつたかと思ふが、翻訳もので讀み辛いと感じたら、先づ訳し方を疑へと書いてあつた。序でに詰らないと感じたなら、投げ出して仕舞へとも書いてあつた。確かにさういふ…讀み辛くて詰らない本があるのは事實の一面なのだが、痛烈だなあ。

 但し讀み辛くても興味をそそられる本も中にはあつて、この本はその一冊に加へられる。
 共和政時代のローマは七代續いた王を追ひ出してから成り立ち、スッラを経て、カエサルとオクタウィウス(後のアウグストゥス)に潰されるまでの五百年くらゐを指す。ハンニバルの戰争もスパルタクスの叛乱も『ガリア戰記』もこの時代の話で、古代の地中海史に多少の興味があれば、實に面白い時代だと思へるだらう。そこにはギリシアだけでなく、エジプトだけでもなく、シリアやペルシア、イベリヤからフランスにも跨がる広範な地域が含まれてゐて、世界史上これほどダイナミックな時代は、現代に到るまで、ないのではないか知ら。

 さういふ五世紀を描かうと云ふのだから、詰らなくなる道理はない。ない筈なのだが、率直なところ、何度も本を投げ捨てさうになつた、と白状しておかう。何故かと云ふのは簡単で

 「けれども周知のように、すでに前の時代から、原初の徴兵‐原始的な三つのトリブス(おそらくは人種に起源を持ち、各トリブスは一〇のクリアに再分割されていた)に基づいた‐に取って代わられたのは、市民を組織的に掌握するのに都合がよいようにと思い描かれた財産調査用の階級分け(二四頁の表参照)に基づく、当時はやったやり方であった」

一讀して、すつと理解出來るでせうか。念の為にハイフンと括弧書きを除くと

「けれども周知のように、すでに前の時代から、原初の徴兵に取って代わられたのは、市民を組織的に掌握するのに都合がよいようにと思い描かれた財産調査用の階級分けに基づく、当時はやったやり方であった」

となるのだが、これだつて意味を取るのは六づかしい。訳者による後書きを見ると、原語には非常に長いひとつの文が多用されてゐて、かういふ文章を、"文脈を損なわずに日本語に直すのはなかなか骨の折れる仕事"だつたので、括弧書きやハイフンを用ゐて対応したさうだが、かういふ本に文學的な配慮は不要である。一文が日本の讀者にとつて長過ぎるなら、短い文に分割すればこの場合は好もしい対応なので、判断を誤つたのだなあと溜め息をつかざるを得ない。

 但し著者の目配りは大したものだと思ふ。扱ふ時間も地域も人種も制度も戰争も、余りに広くて変化に富んでゐるから、踏み込みは些か浅めに感じられたけれど。
 ことにマリウスに始まる軍事の変革からスッラの手による復古的な改革の流れは、その後のカエサルとアウグストゥスに到る(詰り共和政ローマの変質と崩壊に直結する)きはめて重要な期間…と私は考へてゐる…なのだが、その辺りも他の箇所と同様に淡泊な筆致だつたのは残念と云はざるを得ず-おや、訳者の惡癖が移つたか。
 尤も筆者にしたら、難癖をつけられた気分になるかも知れない。目的は五世紀に跨がる時代の俯瞰で、個々の事象を詳らかにすることではないのだよ。さう云はれたら、確かにその通りか。この時代には幾つかの、或は幾つもの分岐点と変化があつて、おほむねそれらは焙り出されてもゐる。そこで"if"を考へてみるもよし(たとへばスッラの大粛清に際してカエサルの助命が赦されなかつたら?)、ある点を突つ込んで更に調べてみるもまたよし。さういふ意味でこの本は、ローマ或は地中海史の様々な方面へ進み乗り換へられる巨大な驛と見立ててもよい。尤も肝腎の案内板がひどく讀み辛くて、随分の苦労は求められるけれども。
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# by vaxpops | 2017-07-25 09:00 | 読書一冊 | Trackback | Comments(0)

酒の時間 肴の空間

 肴…サカナと讀むのだが、これはサカとナに分けられる。
 酒菜とも書くのがその證拠。 
 但し菜とはあるけれど野菜に限る必要はなく、酒席に供せられる食べもの全般の意と理解すればいい。

鶏の唐揚げ。

餃子。

臓物の煮込み。

焼鳥。

お漬物の盛合せ。

鮪や鰤のおさしみ。

〆鯖。

烏賊の塩辛。

ハモン・セラーノ。

ポテト・サラド。

焼ソーセイジにザワー・クラウト。

 その他諸々、幾らでも挙げるのは出來て、但しここで大事なのは酒菜の酒が示すのは所謂日本酒なんです。詰り肴は日本酒と相性が好くなくてはならない。或は日本酒との相性をば優先させなくてはならない。

 そこで我われは"直会"なる古い言葉を頭に浮べる必要がある。讀みはナホラヒ(發音は nao-rai) 大雑把に、神さまに贄を捧げた後の宴の意だから、簡単に云へば宴会、もしくは打ち上げですね。

 神さまに捧げた贄だから、それが貧相なのは有り得ない。また殺生を厭がる小賢しい宗教が入る前からの風習なのを思ふと、その年に収穫された米や麦や種々の野菜、木の實だけでなく、鮭に猪に雉なぞの山鳥も捧げられただらう。きつと(贅沢にも)大きな火を点け、割いて烹て焼いて捧げ喰つたのは疑念の余地がなく、更にその年に醸された酒が並べられたと想像するのは、寧ろ自然ではあるまいか。

 勿論それは今の収穫に感謝し、次の収穫を祈る神事の性格が前面にある。むかしの神さまは何かあると、直ぐに祟つてくるからね。併し当人の意識とは別に、"初ものの宴会"の気分が紛れてゐたとしても、奇とするには当らない。自分や家族や郎党が亡びずに済む目処がついたんだもの。少々破目を外したところで、その態度…気分を責めるのは気の毒ぢやあないか。それに初もので浮き足立つのは、ご先祖から我われに受け継がれた性向でもある。

まさか?

 疑念を抱くそこの貴女、どこでもいいから、酒藏の藏開きに足を運んでごらんなさい。疑念がたちどころに氷解するのを感じ、きつと鶏を焼いて一ぱい呑りたくなるに相違ないから。

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實はこの一文。
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# by vaxpops | 2017-07-24 10:00 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

[ひとり珈琲を飲む時間。気の置けない仲間と飲みにいく時間。穏やかな時間、楽しい時間、悲しい時間、寂しい時間、いろんなシチュエーションがあると思います。でもそれは全て大事な時間。そんな珈琲の時間、お酒の時間をテーマにした写真展を開催します。]

ニューナンブから、"液温24℃"の頴娃君が参加いたしました展、無事に閉幕を迎へました。

我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の皆々様には、この場を持ちまして、厚く御礼を申し上げます。

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ご縁を頂いた皆さまには、いづれ、どこかで、新たなご縁に繋がれば、これに過ぎる喜びは無いといふものです。

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# by vaxpops | 2017-07-23 17:00 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

相似形

人の世の如き

転轍機
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# by vaxpops | 2017-07-22 08:15 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

弓手には、麦酒

いづくにありても

さて嬉しきもの

網に焼かるる鶏の串

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# by vaxpops | 2017-07-21 07:15 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

えいやあ、さあさ

撮りながら、思つた。

踊る方が、面白いさ。


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# by vaxpops | 2017-07-20 08:00 | ニューナンブ | Trackback | Comments(2)

それでこの後

夏の渇きに。

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 …いや宣伝文句を考へる積りではなかつたんだが、オリオンを目の前にすると、どうしたつて、さうなつて仕舞ふ。
 島辣韮をば、ひと粒。
 オリオンを、ぐつと。
 晩酌はこれで綺麗に完成するわけで、かういふ麦酒は案外になささうな気がされて、ローカルな銘柄の特権か知ら。

 それで?

 この後?

 すりやあ貴女、決つてゐるではありませんか。

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# by vaxpops | 2017-07-19 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

夏の罠

 馴染みだと云つていいだらうと思へる呑み屋の樂しみは、つき出しである。行く度にちがふものが出てきて、値段は確か三百円とかそのくらゐだつたか。
 うまい。
 なので廉いと断言出來る。

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 この夜は撰べるといふことで、グリーン・カレーもあつたが、鴨の方にした。こいつをつまみながら、黒糖焼酎を舐めると、うつかり、夏も惡くはないかと勘違ひして仕舞ふ。こんなに巧妙な罠も、中々見当らない。
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# by vaxpops | 2017-07-18 14:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

仕舞つた?

 メニュには"ゴーヤ・カレー"とあつた。苦瓜とカレーなら、どちらも大好物だし、この組合せなら間違ひはなからうから、註文しない手はない。實際、丁寧に煮た豚肉(ちよいと角煮つぽい)と苦瓜は、カレーによく似合つて、うまかつた。

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 尤もカレーライスで出されたのは、想定の外だつたから、少しあはてさせられたけれど。
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# by vaxpops | 2017-07-17 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

ダブルポテト問題

曰く、"上の"なら上つぽく、"下の"なら下つぽい味に仕立てますよ、と。

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残念ながら、食べ較べるだけの勇気は、持合せてゐなかつた。

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# by vaxpops | 2017-07-16 08:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

製氷皿

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陽を固め

頭上より

降り注げ

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# by vaxpops | 2017-07-15 07:30 | ニューナンブ | Trackback | Comments(2)

しづむ商店街

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陽は暮れて

なほ道遠し

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# by vaxpops | 2017-07-14 07:00 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

102の怪

ドアノブを、まはさう

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ドアノブが、なかつた

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# by vaxpops | 2017-07-13 07:00 | ニューナンブ | Trackback | Comments(4)

閑雅にはあらず

 夏を題に取つた和歌で、暑いのが我慢ならないとか、水が温くて不愉快とか、さういふのは見当らないさうですね。絶無ではないにしても、風に揺れる水面が涼しさうとか、夜の虫の音が秋みたいだとか、そんなのが大半だといふ。これは

『暑いとかむしむしするとか、文句を云つたところで、暑くなくなつたり、からりとしたりする筈もないんだから、涼しさうな歌で、さういふ気分にならうぢやあないの』

詰り文學的冷房なのだ。といふ説は勿論私の頭に浮んなのでなく、確か丸谷才一の随筆に書かれてゐた。巧妙な見立てだなあ。せせこましいと云へばその通りだけど、閑雅に転じさせたのも、大した工夫である。

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 それで涼やかと云つたら、矢張り観月だらうと思つて、月見蕎麦を啜つた。さうしたら大汗をかいただけで、閑雅も何も、ただこまつた。

 冷しにするべきだつたか知ら。
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# by vaxpops | 2017-07-12 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

連想

 最近めつきり、紙燐寸を見掛けなくなりましたね。煙草を喫むひとが減つてゐるのだから、嘆くにはあたらない。それに電子タバコと云ふのか知ら、ああいふのが受け容れられて、"煙草の先に火を点す"なんて、もう時代遅れの行為になつてゐるのかも知れない。併し喫煙者の愉しみには喫煙具も含まれてゐるもので、煙草入れや灰皿、ライターを挙げれば、煙草を喫まないひとにも漠然と想像してもらへるだらうか。ジッポーの収集家がゐるでせう。私にその趣味はないけれど、気分は解る。ライカ収集に似てゐるんぢやあないか。

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 燐寸も喫煙具の一種なのは云ふまでもない。詳しいことは判らないが、撰び始めると中々に奥が深いさうで、あるシガーバーで教はつたのは、葉巻を嗜む際には、葉巻向けの燐寸を使ふ。頭が大きくて、軸も太く、また長い。葉巻には、紙巻煙草より強い火を長く点けなくてはならず、それ用の燐寸がちやんとあるのだ。序でに云ふと、灰皿もまた、長方形で葉巻をしつかり置ける形状になつてゐる。一本点けると、太さにもよるが半時間近く、くゆらすことになるから、それに適した形が必要なのだな。
 さう云へばそのバーにはもう長いこと、足を運んでゐない。場所が妙なところで、切つ掛けをなくして仕舞つたのだ。勿体無い。お客の中には葉巻だけでなく、パイプを嗜むひともゐたな。葉の撰び方や保存方法の知識を交換してゐて、嗜好品の正しい意味がそのままカウンターにあつた記憶がある。そこでは三杯呑んで、葉巻を一本もらつて五千円かそのくらゐだつた。知らない話を教はる値段も含めたら、まあ妥当なところだと思ふ。呑ませるものが旨かつたのは、云ふまでもなく、でなければ一時期であつても通ひはしない。
 面白かつたのは、件のバーでは賣りがハイボールだつたことで、あんなのソーダで割ればいいんだよと思つてゐると、背負投げをくらふ。氷とソーダとヰスキィを案配宜しく一ぱいのグラスに纏めるのは、非常に高等な技術が要求される…らしい。ヰスキィに何の銘柄を使ふかで、ソーダの口当りが丸で異なる。尖つた感触の時があれば、まろやかな舌触りの時もあり、バーテンダーの動きを見ても、どこでちがひが出るのか、さつぱり判らなかつた。素人目に判らない技術があるから、カウンターの中にゐるのだらうけれど。
 それにこれは他のバーで経験したことがないのだが、そのバーテンダーが"フロート"と呼んでゐる作り方があつた。どちらかと云へばかる目のヰスキィをハイボールに仕立てた最後、表面に薫りの濃いヰスキィを匙一杯、乗せるのだ。銘柄の組合せが巧妙だつたのだらう。涼やかと濃厚が同時に味はへて、大きく飲み干したくもあり、変化をゆつくり樂しみたくもある、悩ましい一ぱいであつた。

 画像の紙燐寸のお店でも、ハイボールを呑んでゐる。但し残念ながら、"フロート"藝は味はへない。
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# by vaxpops | 2017-07-11 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

サバカン!

 葱と生姜を切らしてゐたのは、2017年下半期最初の痛恨事であつた。

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 まあそれは兎も角、鯖の味噌煮罐はうまい。以前から何度も触れてゐるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は飽きてゐるだらうが、私は鯖の味噌煮罐に飽きてゐない。諦めてくれ玉へ。

 だつて旨いんだもの。

 と書けば、私が云ふのは

 鯖の味噌煮罐は旨いから飽きない。
 何故飽きないと云へばうまいから。

 であつて、これは循環論法ではないかと、直ぐに疑問が浮ぶ筈で、その疑問乃至指摘はまつたく正しい。本來は鯖の旨さを示し、鯖の味噌煮の旨さを示し、ゆゑに鯖の味噌煮罐が旨いのだと話を進めなくてはならない。それが筋なのだが、どうも私は鯖と聞くと昂奮するたちらしい。

 實際のところ、どう料つても鯖はうまい。味噌煮でなくても、お刺身(これ計りはごくごく新鮮なものに出会へた場合に限られる)、酢〆、塩焼き、干物。鍋に入れても嬉しい。鯖を使つた料理だけで多分、三日は献立に困らないと思はれて、こんなに応用力の高い魚が他にあるとすると、鮭くらゐだらうか。

 自分で書いてゐて、腹が減つてきた。

 さういふ諸々の鯖料理の中で、一ばん私を悦ばすのは矢張り味噌煮で、いや塩焼きも捨て難いのだが、えいやと味噌煮を撰ばう。旨いのは勿論、舌に馴染んでゐるし、罐で大きな恩もある。

 その鯖の味噌煮罐は各社で意外なほど、味がちがふ。甘みに寄せたもの、味噌の辛さを立たせたもの、或は煮汁がどろりとしてゐたり、さらさらだつたり。"味噌煮"の範疇でこれだけ異なつてゐるのは寧ろ、感心に値する。
 味がちがふと云つても、それだけで食べられないわけではないのは当然だから、最も簡単な食べ方は、罐の蓋を開け、匙で掬ふことになる。ただこの方式だと、折角の煮汁が勿体無い。なので一度お皿にあける方が宜しいでせう。

 身の大きな部分はそのままで。
 欠片乃至端の部分は匙で崩す。
 崩した端つこは煮汁に混ぜる。

 それだけでもいいが、生姜と刻み葱をたつぷり使ふのを私は好む。
 大きな身は肴につまむ。何の不満があらうか。
 煮汁には温泉卵を加へ、ごはんに打ち掛ける。
 温泉卵が無ければ、少量のマヨネィーズか何かで調へて、ドレッシングのやうに使つてもいい。味が濃くなるから、野菜類はたつぷり必要になるけれど、茹で野菜に似合ひさうだ。

 とここまで書いて、ひとつ思ひ出した。
 中東のどこだつたかには、焼き鯖のサンドウィッチがあるさうですね。あれは一ぺん、食べてみたいものだと願つてゐるのだが、鯖の味噌煮罐で変種…オルタナティヴ・サバ・サンドを試せないものか知ら。味噌は焼いても旨いし、塊のやうなパンなら、煮汁が染み込みすぎる心配もない。
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# by vaxpops | 2017-07-10 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

安直豚

 私が"肉"と書く時、それは概ね牛肉を指す。
 "お酒"と書いた時、日本酒を指すのと同じ。
 併し最近、その牛肉には無沙汰をしてゐる。好物なのに。
 そのくせ、豚肉は縁がある。旨いから好もしいけれども。

 さて。このちがひは何だらう。
 単純に考へると、値段の差か。同じ100グラムを買ふとして、値段は(部位や産地にもよるだらうが)えらく異なる。明らかに豚肉が廉価だから、手に取るのはそちらになる。少なくともその可能性は高くなる。
 食肉の習慣の相違はどうだらうか。関西…近畿圏では、牛肉が割りと威張る傾向がある。松阪牛だけでなく三田、伊賀、近江と名産地にも事欠かないし、近江の牛は遡ると、御門に酪を奉り、江戸将軍家に味噌漬けを届けた(食肉を禁じてゐた幕府の、ほぼ唯一といつていい例外)伝統を持つてゐるくらゐだから、背景がちがふ。尤もひとが東西南北自在に動ける現代に、かういふ考へ方を当て嵌めていいのかどうか。
 それに東京となつた江戸でおそらく最初期に受け容れられたのは牛肉の筈である。四迷だつたか逍遙だつたか、はつきり覚えてゐないが、書生連中が喜んで喰つたのは牛鍋だし、カツレツもごく初期はビーフ・カットレットだつた。その後、岡山の造り酒屋のひとり息子が、滋養の為として食べさせられたのも牛肉だつた。内田百閒本人が書いてゐるから、間違ひはないでせう。

 詰り四ツ足…獸肉と云へば牛肉。文明開化直後の何年かは、そんな時代だつたのではないか。ではいつ頃から豚肉の台頭が始まつたのだらう、といふ疑問が浮んでくるが、正直なところさつぱり判らない。畜産と食肉の研究家はどう考へてゐるのか知ら。
 その辺の考察は専門家の手に委ねればよいとして、明治から大正にかけてのある時期から、急速かどうか、豚肉がぐつと勢力を拡げたわけで、それはとんかつの完成前夜だつたと思ふ。さうでなければ、とんかつは完成しなかつただらう。いやさういふ話をしたいのではなかつた。
 併し我われのご先祖は豚肉料理の伝統を丸きり持つてゐなかつたのか、といふと決してそんなことはなく、非常に狭い範囲だつたとしても、豚肉は旨いのだと知るひとは確實にゐたと考へたい。でなければ、生姜焼きにしてもポークソテーにしても煮豚茹で豚蒸し豚にしても、或は種々の臓物焼きにしても、我われが大きに愛好するまでの發展は見せなかつたらう、きつと。

 豚を料るのは安直でいい。いや何事にも本格はあるから、一概に云ふのは誤りだけれど、気分としてはさういふ安直がある。塩と胡椒で炒めるだけで、十分にうまい。牛肉だつてさうだらうと訊かれるたら、確かにと応じたい。ただあちらを用ゐる時には、何となく気合ひが必要な気分になるのもまた事實なんである。豚にはそれがない。
 凝つた本式の豚肉料理は専門のひとに任せるとして、ごく簡単にもやしと一緒に蒸してもいい。冷ましてから、胡瓜やトマトやセロリや茗荷と盛合せ、うで卵でも添へたら暑い季節向きのおかずになりさうだ。醤油でも味つけぽん酢でも、ご自慢のお手製ドレッシングでも旨からうな。寒くなつてからだと、菠薐草と豆腐で鍋に仕立てるのがうまい。常夜鍋と呼ばれるやつ。名前に違はず、確かに飽きない。

 併し本式風を気取るなら、煮込むのが一ばんではないかと思ふ。ほら、東坡肉とか角煮。きちんと作るなら、手間暇を惜しむわけにはゆかなくなるが、気取る程度で済ますなら、私に出來くらゐだもの、何と云ふこともない。
 豚肉を塊で買つてきて、表面だけざつと焼き、鍋にきつちり入れ、隙間に長葱玉葱を詰め、後はひたひた程度の水か煮切りかでゆつくり炊き込むだけの話。時節によつて椎茸でも大根でも馬鈴薯でも、入れればいいが、豚肉が主役になる程度に分量は調へたい。味つけ…はお好みで。煮切りを焼酎にして色濃く煮上げたり、味噌仕立てにしても旨い。かういふのは、どつしりした食感が嬉しいものだから、ざぶざぶより、些かどろりとしたくらゐの方がいいと思ふ。
 盛るなら大鉢か深皿だらうね。練り辛子、焼いた獅子唐、白髪葱、木ノ芽やひと剝ぎの柚子なぞがあればしめたものだが、なーに、なくたつて丼めしにそのまま打ち掛けてもうまいから、気に病むことはありません。

 ざつと書いたなあと思はれさうだが、實際に料る上で、こつらしいこつがあるわけでもない。無理やり挙げるなら、炊く際は肉が揺れない程度の火で、ゆるゆると時間をかけることくらゐ。半日を潰す積りで臨めば、ごくごく気樂に出來る筈である。これが牛肉だと、さあどうなるか。もつと細やかに世話を焼かなければならぬ、と気負ひが先立つて仕舞ひさうな予感がする。實際それで旨くなるのだから、この辺りも豚肉とのちがひと云へるかも知れない。
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# by vaxpops | 2017-07-09 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

洋食屋で"呑まう"

 レストランではなく洋食屋なので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には先づ、この点をご理解頂く必要がある。

 ハンバーグ。
 クリームコロッケ。
 海老や牡蛎のフライ。
 オムレツにオムライス。
 マカロニグラタン。
 ポークソテー。
 ビーフシチュー。
 ナポリタンスパゲッティ。

 デミグラスソース、タルタルソース、マヨネィーズ、タバスコに粉チーズ。何故だかそこに、醤油とお漬物、ごはんにお味噌汁が同居する(然も不自然ではない)不思議な空間を、我われは俗に洋食屋と呼んでゐる。

 實にいい場所ではありませんか。
 食事は勿論として、呑めもする。

 外ツ國からの來訪者に、日本の色々な混ざり具合を解つてもらふとしたら、洋食屋ほど適したところもないにちがひない。半ば以上本気で、私は云ふんですよ。卓子に並べられたお皿を、佛蘭西人や伊太利人が見たら、不思議がるのか歓ぶか、それとも碧眼を剥くのか、じつくり眺めてみたい気がされる。まあ惡趣味は兎も角。

 改めて云ふが、洋食屋はまつたく素敵な場所である。30年近く前、住んでゐた場所の近くに旨い洋食屋があつて(今もあるのか知ら)、月給が出た後の最初の週末に、そこでビーフシチューとバーボンだつたかのソーダ割りをやつつけるのが樂しみだつた。
 今となれば自分でも妙だなあと思ふけれど、あはせて2,000円くらゐの組合せは、仕事を始めた計りの若ものにとつて、中々の贅沢…気分だけだつたかも知れないが…であつた。さういふこと(もしくは勘違ひ)も許されるのが、洋食屋といふ場所ではないだらうか。

 10年ほど以前、住んでゐた場所と最寄り驛の間にも小さな洋食屋があつた。カウンターだけで10人も入れないくらゐ。ご近所がふらつと飯を喰ひに來るお店で、併しうまかつた。註文を受けてから調理にかかるので、海老に衣をつけて揚げる様とか、音を立てながら捏ねた挽き肉をハンバーグに仕立てる姿とか、さういふのを眺めながら待つのは、まつたく愉快だつたなあ。
 勿論ただ待つだけではなく、呑む。レストランなら葡萄酒かシェリーになるのだらうが、ここは洋食屋である。カウンターだけの、ご近所が足を運ぶお店である。なーに気取るこたあない。壜麦酒を呑まうさ。と思へる辺りも有り難いところ。小皿の柴漬けをつまみながら待ち、その間に、揚げたて焼きたてのフライやソテーをつまみ代りにもう1本奢らうか、考へるのも愉しみだつた。

 丸太は洋食屋を居酒屋と間違へてゐないか。

 我が親愛なる讀者諸嬢の中にはさう呆れるひとがゐるだらうか。ゐるだらうな。
 後になつて知つたのだが、昔…大正とか昭和の前期…は、"洋食屋に呑みに行く"といふ云ひ廻しがあつたさうだ。女給がお客の相手をする。これは(同時期の)カッフェーとはちがつて、怪しからぬ意味ではない。卓子についてお客と話をしながら、カツレツやビフテキを小さく切つたり、麦酒をお酌したりしたらしい。今風に"可愛らしいメイドさんが、ご主人さまのお食事を甲斐甲斐しくお手伝ひします"と云ひ替へが出來るだらうか。どちらも経験がないから、正しい比較かどうか、自信は持てない。

 話が逸れさうな気配がする。
 今のうちに元へ戻しませう。

 えーと。さう。洋食屋で"呑む"のは、我が邦近代の風俗史を俯瞰すれば、必ずしも誤りとは断じにくいと云ひたかつたのだ。一体に世の中の呑み助は、酒精を前にして、食べない傾向がある。あれはまつたく感心しないね。先廻りすると

「先にしつかり食べるから、問題はないよ」

との反論は成り立たない。酒精は食べものと共にあつて十全の魅力を発揮する飲みものだし、またそんな風に醸られるのが基本でもある。ゆゑに"事前に食べておく"のは、つまみ抜きで呑む理由にはならない。つまみ抜きで呑みたい向きは止めないけれども。

 併し洋食屋で"呑む"として、牡蠣フライやタンシチューを平らげてからにしますかね。非礼と云へばこれほどの非礼もありませんぜ。麦酒でも葡萄酒でもお酒(塩仕立てのオムレツに適ふさうだ)でも、食べ且つ呑むのが望ましく、また正しい態度でもある。
 町中の洋食屋なら、相当に豪勢な註文をしない限り、満腹になつて、ほどよく酔へて精々が3,000円とかそんな程度でせう。そこらの居酒屋で同じお金を払ふより余つ程、好もしい撰択ではなからうか。さうにちがひない。大きな問題は、さういふ目的に適した小さな洋食屋が、ふらつと行けるくらゐの距離にあるかどうかで、恵まれた私にその心配はないの。尤もその近くに旨い居酒屋があつて、難関は寧ろそちらにある。
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# by vaxpops | 2017-07-08 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

冷し中華について

 好物…いやちがつた、大好物なんである。だつて、旨いぢやあありませんか。暑い季節に貪り喰つてもいいが、寒くなつてから部屋を暖めて、啜りこむのだつてまた、うまい。

 昂奮してはいけませんね。
 クールにいかう。
 冷し中華だけに。

 ああいふ麺料理、大陸では見掛けないさうですね。何かの本で讀んだ記憶があるのだが、かれらは我が邦に來て、食べものに多大な興味を示し、また實際に食べもして、併し驛弁の冷たいごはんが喉をとほらないのだといふ。大陸人にとつて、食べものは(原則として)温かいまたは熱いものらしい。
 元は衛生の観念なのだらうな。温かな食べものは火を通した證だから。それに火をたつぷり使ふのは、豪奢…詰り燃料代を気にしない態度…でもあつた筈で、さういふ習慣に舌が馴染みきつたひとにとつて、驛弁の冷たいごはんは、困惑させられて仕舞ふでせう。

 さう考へると、我われのご先祖はいつ頃から、冷たいごはん…食べものを平気で口に出來るようになつたのだらう、と不思議になる。たれの本で讀んだか記憶にないのだが、ある殿上人が
 「豪勢な宴席は、もう飽いた。何か粋に食べられるものはないか」
と無理を云ひ出した時に、下人のひとりが、(炊いた)米を水で洗ひ、笹の葉に乗せて差し出した話を思ひ出した。確か源氏に因んだ洒落で、その貴族は大きに褒めあげ、小袖を賜つたといふ。本当かどうかは別として、冷した食べものが(少なくとも)(それなりに)地位を得てゐなければ、かういふ話は成り立たない。

 思ふに我われのご先祖は、汁ものを除いて、熱くした食べものに然程の拘泥を見せてゐなかつた気配がある。現在の我われに一ばん近しい日本料理は懐石か精進の筈だが、どちらにも熱さそのものを味はひに入れた料理が浮ばない。夜の和室の行灯のやうな、ほの温かさは連想されても、舌を焼く昂奮は縁が遠いでせう。不思議である。
 ごく単純に、火(薪や油も含めて)がおそろしく貴重だつたと考へればいいのか。干して漬けて、或は醗酵させて食べるのは、嗜好ではなく、必要だつたからで、その必要が嗜好の基になつたと見るのは間違ひだらうか。…といふ考察は、この閑文字の目的ではない。不思議は不思議のままで、我われは何かの事情で、冷たい食べものにそれ程の厭惡を感じないとだけ、理解しておかう。

 そこで冷し中華なのだが、どうも發祥が判然としない。といふより發祥以前に、冷し中華つてどんな食べものなのか。私の中では
 『うでた中華麺を冷たく〆めて深めのお皿に盛る。そこに胡瓜、錦糸卵、ハムまたは叉焼を麺と同じくらゐの細さに切つたのを乗せる。そこに酸味のきいたたれをたつぷりかけ、出來ればトマトや紅生姜を添へ、余裕があれば海月も加へ、少々辛子をきかせた』
 我が邦独特の麺料理だといふことになるのだけれど、親愛なる讀者諸嬢諸氏から猛烈な反論が出る可能性がある。

 "酸味のきいたたれ"と書いてあるが、たれと呼んでいいのか。つゆまたはソップではないのか。
 何故トマトなのか、うで卵にするべきである。
 マヨネィーズを忘れるなんてお話にならない。
 いや盛るのはお皿ではなく丼ではあるまいか。

 「まつたく丸太は、冷し中華のことを丸で解つてゐない」

 ここだけが大合唱になりさうだね。
 冷し中華への理解の深さは兎も角、侃々諤々になるだらうことは容易に予測出來て、かうあつてもらひたい、かうあるべきである、と論ずる余地があるのは、冷し中華が未だ完成されてゐない證であらう。併し前述の"〆めた中華麺、細切りの胡瓜とハム(または叉焼)、錦糸卵に酸つぱいたれ(仮称)"は受け入れられると思はれる。詰りそれが原型なのではないか。

 ではその原冷し中華はどこから導かれたのかと疑問が續くのは、人情として当然のことで、そこにラーメンがあるのもまた、当然でせう。眞夏にラーメンは熱すぎる。何とかならないか。切つ掛けはそんなところだつたらう。たれが云ひ出したのか…きつと我が儘な常連客にちがひない。
 ラーメン屋の親仁は何を考へたらう。身近で参考になりさうな"冷たい麺"と云へばざる蕎麦と考へられる。ここから推察するに、プレ冷し中華はざる蕎麦を眞似た、今でいふつけ麺に似た姿だつたか、もしくは平皿に冷たくした中華麺と、同じく冷たいソップを打ち掛けた程度。旨くはなかつたらうね。常連客もがつかりした筈だ、気の毒だなあ。

 それで思ふのは、あの酸味のきいたたれ(とここでは呼びますよ)を使つたのが、冷し中華のエポックではなかつたか、といふこと。天才的な發想だよね。どこからあの組合せに到つたのか知ら。
 最初に連想されるのは酸辣湯でせう。文字通り酸つぱくて辛い一種のソップ。大陸人はかういつた極端な味のあしらひ方が實に巧妙で、ラーメン屋の親仁がその技術を知らなかつたとは考へにくく、試行錯誤のプレ冷し中華の中で、酸辣湯も試されたとする方が自然な想像だらう。ただ酸つぱさは兎も角、辛みは眞夏に似合はない。常連客の舌にも適ひにくかつたのではないか。

 酸味を何とか活かさねばならぬ。
 お客の舌にも適はさねばならぬ。

 鯵の南蛮漬けが登場したのはこの辺り、といふのは根拠も何もない空想だが、ありさうな気がしませんか。私はそんな気がする。だつて、旨いもの。涼やかな硝子の器に、玉葱や鷹の爪、ピーマンにパプリカの彩りが相まつて、いかにも夏に似つかはしい。
 これだ!
 びつくりマークつきで、ラーメン屋の親仁が掌をうつたかどうか、そもそもが根拠のない想像だから、そこは解らないとして

①ざる蕎麦のつゆ
②酸辣湯
③鯵の南蛮漬け

が渾然一体となつて、冷し中華のエポックであるところの、"あの酸味のきいたたれ"に昇華されたと考へるのは、無理のある流れではなささうに思ふのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらうか。

 ここまで書いたことが、事實かどうかは別として、冷し中華といふ奇妙な麺料理が、様々の國の様々な調理法を取り混ぜた上に成り立つてゐるのは、誤りのない理解の筈である。ゆゑに我われは尊敬をもつて、冷し中華に臨まねばならない。そこで問題になるのは、どのように食べるかといふ点になるのだが、これは私の手に余る。
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# by vaxpops | 2017-07-07 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

密かな樂しみ

 前後は覚えてゐない。昔の日本人は随分と歌を詠んだ、といふ話。名も残らない、和歌を習つてゐる少女が、嬉しいことがあつたと詠み、哀しいことがあつたと詠み、先生に褒められたといつてまた詠んだ、そんな話。

 かういふ風潮がいつ頃まで残つてゐたか、私は知らない。永井荷風は断腸亭に揮毫を求められたと記してあるし、内田百閒もその著書に幾つかの句を載せてゐる。また丸谷才一にもユーモラスなものがあるが、いづれも發句であつて和歌(乃至短歌)ではない。それでもこの世代の人びとに、何かと云へば詠む習慣は(薄つすらでも)あつたのは事實と思はれる。ここから考へるに、明治から大正にかけて産まれたひとには、多少なりとも歌ふ感覚はあつたのだらう。

 今ではゐないでせうね、かういふひと。辛うじて川柳が余命を保つてゐる程度ではないか知ら。それに川柳詠みといつても、何かにかこつけ、一句を捻つてゐるとは思へないから、五七五(七七)の短詩は、滅んだのに等しいと見立てても誤りにはならないと思へる。

 不思議ではある。
 短い文章(の一種)だから、現代向きの形式だと思ふんだが、ちがふのだらうか。

 かう書くと、古くささうとか、季語だの枕詞だの何だのと、規則が解らないとか、反論または文句が出てきさうで、古くささは兎も角、諸々の規則の方は、私もさう思ふ。併し知らなければ詠めない理由があるわけでなく、序でに知らうとすればよいので、支障があるとは云ひにくい。
 發句の形式でも短歌の形式でも、取敢ず、字を並べてみればよささうな気がされる。勿論それは字数だけがあつた、最初は変形の散文だらうが、別にかまはないでせう。偶には言葉が上手く嵌まりこむ瞬間だつてあるだらうし、 定型詩の方が、さういふ機会に恵まれる筈である。

 ここまで云へば、勘のすすどい我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のことだから、ははあ丸太は自由律の散文詩に苦手を感じてゐるのだな、と推察されるだらう。
 正しい。
 僅かな例外を覗けば、自由律の散文詩は解らない。多くの場合、一讀して、これは果して詩なのか知らと不思議になつて仕舞ふ。尤もらしい改行と、意味の重ならない抽象的な言葉と、貧弱な譬喩。そんな風に感じるのが殆どで、迷惑だよね、ああいふのを讀まされるのは。いや失礼。

 とは云へ、仮にも詩を書かうかとするなら、言葉の撰び方は慎重丹念が求められるでせう。そんな場合、好き勝手な形式より、定まつた型で工夫を凝らす方が好もしいと思へるんだが、をかしな見立てだらうか。
 そこまで云ふなら丸太はどうなのか。詠んでゐるのか、と疑問を持たれるのは当然。結論をそこで申し上げると、詠んでゐる。但し他人さまに見せられるかどうかは、まつたく別の話。これは丸太の密やかな娯樂なんである。
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# by vaxpops | 2017-07-06 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

炒飯を待ちながら

 外食と呑むのがほぼ一直線に結びつく私にとつて、食事が目的でお店に入るのは珍しい。立ち喰ひ蕎麦には入るが、あれは食事ではないしなあ。
 それで食べるとなつたら、定食もあるとして、炒飯辺りに落ち着く。これを専門に商ふお店があるのか、私は知らないが、その辺の中華料理屋なら五百円から七百円辺りが相場かと思へる。廉ではないにしても高いとは云ひにくく、これくらゐの値段ならまあ、と思はれる。
 相場くらゐの炒飯だと、まづくはない。まづくはないが、人生観を激変させるほど旨いわけでもなく、ぞろつと食べる分には丁度よい。毎日は勘弁してもらひたいけれど、食事が目的でお店に入ること自体、さうある機会ではないから、気に病むこともなからう。

 ここで問題がひとつ。地域にもよるだらうが、所謂下町とか、古い町中の中華料理屋だと、近所の小父さんが隅つこの卓子で、晝間つから麦酒や焼酎を引つ掛けてゐることがある。こちらが仕事の日に、ああいふ光景を見ると、頭にくるね。

(ぶつ飛ばしてやらうか知ら)

なぞと物騒な考へが何秒か、浮んだりもする。私は平和的な男だから、浮べただけで終るが、どうも釈然としない気分は残る。なのでさういふ場所は休みの日にしか入らないことにしてゐる。

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 勿論この日も、炒飯を待ちながら、麦酒を呑んだ。
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# by vaxpops | 2017-07-05 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

身近な金属

 身近な金属と云へば、罐麦酒に罐詰である。私はさう、思つてゐる。かう書いて、常用の灰皿も金属製だと思ひあたつた。どれもこれも、近すぎて金属といふ意識が持ちにくいね。

 罐麦酒も罐詰も灰皿も、軽いからだらうか。

 印象の話ではあるが、"金属製と重さ(う)"は直かに結びつく。たとへば30年ほど前のカメラを思ひ出すと、まつたく重い物体だつたでせう。レンズをつけて1キログラムくらゐ、あつたんではなからうか。掌がああいふ重さを記憶してゐると、かるい金属物体を持つても、それを金属製だと理解しにくくなつて仕舞ふ。

 ただ罐麦酒やら罐詰やらには、手元にあると安心感がある。この"心理的な重さ"は中々大したもので、今日の晩酌とつまみは大丈夫だ、と思へるのは有り難い。かういふ感覚はカメラだと余り感じた記憶がないのは何故だらうな。

 随分と前、ニコンのF4にトキナーの24-40ミリをつけて使つたことがある。可也り重たい組合せで、だがそこに安心を感じたかと云へばそんなことはなかつた。持ち運びながらひたすら、この野郎重たいよと、自分の持ち物なのにぶつくさ云つてゐた。但し構へた時は、その重さが必要な場所に分散されて、實に素晴らしい安定感だつたのには驚いた。その驚きは他にライカM3と90ミリ・ズミクロンの組合せで感じたきりである。

 とは云へこの場合、私が感心したのは重さの配分の妙の方で、罐麦酒乃至罐詰の(心理的な)重さとは異なつてゐる。軽いと云つたり重いと云つたり、我ながらいい加減なものだなあ。

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 画像の身近な金属物体には、からく調へられた鶏肉が入つてゐた。
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# by vaxpops | 2017-07-04 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

逆境鐵骨

…。

…。

…。

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間ちがひ。

逆光鐵骨。

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# by vaxpops | 2017-07-03 08:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

不逞の輩

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には"不逞の輩"と云へば直ぐ、ニューナンブと結びつくでせう。怪しからん連想だが、誤りとも云ひにくい。そのニューナンブはこの年度から、月に一ぺん、集まる機会を持つことになつた。定例クリルタイである。

 参集は(勿論)義務ではない。時間のあつた面々が賑やかに呑み、喋り、笑ふ。さういふ集り。ここで慌てて念を押すと、我われはただ、呑んで喋つて笑つてゐるだけではありませんよ。前年度は"マスケティアズ"を名乗つて、冩眞の活動をした實績だつてあることだし。えへん。

 へーえ、では今年度はどうなの。
 さう訊くのですか、そこの貴女。
 さう訊くのですね、そこの貴女。

 ありますよ、ちやあんと。

 称して、"液温24℃"といふ。

 現在、冩眞から距離を取つてゐる私だが、かういふ面白くなりさうな…いや面白くするのでもある…不逞の企てから距離を置く手はない。その"液温24℃"の一番手は頴娃君である。詳しいことは近々、かれのウェブログで明らかにされる筈なので、期待して頂きませう。

 さういふ話とさうでない話で呑みながら、うまいものを(例の呑み屋で)喰つた。

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 先づ、鰹。大蒜が効果的で旨かつた。品書きには土佐造りとあつたが、どこがどう土佐の造りなのだらう。何せ土佐人に知合ひがゐないから、本筋なのなどうか、見当もつかない。

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 續いてしらすを乗せた玉子焼き。下手にしらすを混ぜ込むと、妙な磯臭さが鼻につきかねず、こちらの方が好もしい。大根おろしが少ないのが些か残念だけれど、それは贅沢か知ら。

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 更には合鴨のロースト。こいつは山葵醤油でやつつける。脂つ気は感じられるが、口当りがすつきりするのが宜しい。お酒には刺身よりかういつた肴の方が似合ひさうに思はれる。

 三人で空にしたお酒は冷やで八合くらゐ。不逞の輩たちにしてはやや控へ目な量だつたと思ふ。どうも普段より酔ひの廻りが早く感じたが、さてこれは久しぶりゆゑか、ただ弱くなつたからか。詮もないことを考へた。
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# by vaxpops | 2017-07-02 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

夢魔

ナニかに引き摺られて
入つた場所は

ナニかの誘惑があつて
確かにそれは

ナニかの愉快もあつて
確かに感じた

ナニかに弄られた筈で
併し解らない

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夢魔に玩ばれた夜の欠片

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# by vaxpops | 2017-07-01 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

前言撤回

 毎日毎晩食べたいわけぢやあないけれど、食べれば舌を悦ばせる一品の筆頭に、揚げ出し豆腐を挙げて、大きな反論は出ないにちがひない。
 深い器から湯気を立てる揚げ出し豆腐を見ると、何とはなしに幸せを感じるから、私もえらく単純である。但し池波正太郎に云はせると、一日の仕事を終へて食べる味噌汁に、幸せを感じるのが健全ださうだから、単純も惡い計りではない。

 出來たてが特にうまい。
 木匙で食べるのが旨い。

 揚げ出し豆腐はお箸を使ふと、途端に味はひが落ちる。大根おろし(或はもみぢおろし)、葱、それからたつぷりのつゆを一緒にしたのが、揚げ出し豆腐の味だからで、熱い皮と豆腐、冷たいおろし、油のしつつこさと葱のさつぱりとつゆのとろりが匙の上で纏り、口の中でぶつかるところが宜しいのだ。

 さうすると冷たい麦酒を求めたくなるところだが、それは感心しない撰択である。揚げ出し豆腐だと麦酒の苦みが却つて邪魔になるもので、この場合、香りの立たないお酒が好もしい。冷酒よりもぬるめのお燗が似合ふ。あの有名な唄には申し訳ないが、焙つた烏賊より適ふと思ふ。

 ぬるめにつけたお燗酒を一合誂へ、これをゆつくり含み、揚げ出し豆腐をひと匙。これを爺むさいと思ふのは若いものの浅はかさで、夜を愉しむのにこんな素敵な組合せはまたとない。同じ豆腐仲間で近しいのは何だらうと思ふと、温奴くらゐではあるまいか。ただ温奴は冷たいぽん酢に削り節、青葱、生姜(またはもみぢおろし)でやつつけるから、揚げ出し豆腐の適度な油つこさに欠ける難点がある。天かすを加へればいいのか知ら。

 併し手軽さは温奴に分を認めるとして、より旨いのは矢張り揚げ出し豆腐である。一体感が違ふものな、何しろ。気のきいた呑み屋だと、註文を受けてから作りにかかる。ちよいと待たなくてはならないが、そんならぬる燗を二合奢つて、お漬物や酒盗でも肴にして待ちませう。

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 そんな眞似をしなくたつて、揚げ出し豆腐くらゐ、自分で作ればいいぢやあないの。

 さう、呆れ顔で云はれるかも知れないけれど、こちらはどうにも不器用だし、ことにたつぷり使つた油を後でどうするのかも判らない。揚げものは全体、玄人に任すのが安心だし、にカウンターの中のひとが、手早く仕立ててゆく様を見るのは、柳葉魚や畳鰯と並ぶいい肴ではないか。
 尤もかういふ愉しみには、待つ時間も含まれるもので、空腹に身を蝕まれ、鶏の唐揚げを貪りたくなるやうな若い胃袋では、我慢がならないやも知れない。ある程度は枯れて縮んだ胃袋が求められることを考へると、前言を撤回すべきではなからうかとも思はなくもない。
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# by vaxpops | 2017-06-30 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

六月は野菜の季節

 根拠があるわけではないが、六月…初夏の聲を聞くと、野菜の季節だと連想が働く。尤も根拠とまでは云へないとして、影響を受けたなあと思ふところはある。辰巳浜子女史の『料理歳時記』にある"煮サラダ"と、檀一雄の『檀流クッキング』がそれで、實際の文章はご自身でお讀みあれ。

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トマト。

セロリ。

アスパラガス。

胡瓜。

梅に茗荷。

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 悉くがこの季節に旨く、悉くが好物でもある。梅雨と蒸し暑さは大の苦手としてゐるのに、かういふのを目にし、口にすると、嬉しくてたまらなくなるから、自分でもいい加減なものだなあと呆れて仕舞ふ。そしてこの季節、野菜をつまみながら呑むなら、麦酒よりお酒より葡萄酒より、焼酎が望ましい。暑い季節の野菜には、暑い地域の酒精がよく似合ふ。
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# by vaxpops | 2017-06-29 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

我發見セリ

 マーケットで刻んだ葱が賣られてゐるのを知つたのはごく最近で、不精者なのにこんな便利なものを見落してゐたのは我ながら恥づかしい。自分で刻みなさいよと云ふひとは、前行の不精者を見逃してゐる筈だから、反省してもらひたい。

 繰り返す。
 實に便利。

 チューブ入り大根おろしの發見以來ではなからうか、こんなに私を喜ばせたのは。あれもべんりなものだが、こちらは1パックで100円くらゐだから、どんどん買つてきて、何でもかでも、ばさばさ使つてゐる。

 冷や奴や素麺の藥味。
 鯵フライやコロッケ。
 刻んだキヤベツだのに混ぜもする。

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 ひよつとするとここで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から、鯵フライにコロッケを撰んだところに疑義が呈されるかも知れない。
 少し説明を加へると、無論揚げたてに用ゐるのではなく、お惣菜賣場で買ひ入れたやつ(温め直しはせず)に使ふんである。チューブ入りの生姜と大蒜があればしめたもの。生姜3に大蒜1くらゐで混ぜたのを先に乗せ、葱は全体を覆ふやうに。そこに味つけぽん酢をたつぷりかけ廻す。
 これが旨い。
 妙にうまい。
 潤びた衣に崩れた中身が葱と生姜と大蒜、それにぽん酢と一緒くたになるのは、首を傾げたくなる様に冩るのは確かだが、そこが妙なうまさに繋がつてもゐる。なのでまあ仕方がないんだよと居直る他になく、独りの晩酌で、こつそり愉しめればよしと致しませう。

 もう少しましな使ひ方はないものか。

 さう呆れられても困るので、もう少しましな使ひ方を書きつけておきませうね。
 庖丁の背か腹で葱を粗く叩いて、ひたひたに足りないくらゐの(出汁)醤油に浸す。
 梅干しを好きなだけ、こつちは丁寧に叩く。面倒だつたら練り梅を買へばいい。
 両方を混ぜる。ぺたつとした感じになれば使ひ勝手がいいのではないだらうか。
 ごはんに乗せ、そのまま掻き込めばいい。焼き海苔があればもつと嬉しくなる。

 いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、大きな溜め息はやめてもらへないだらうか。私は"もう少しまし"と云つてゐる。後はそれぞれに色々試して頂きたい。それで旨い食べ方があれば、是非にもご教示賜りたい。
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# by vaxpops | 2017-06-28 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(6)