いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

カテゴリ:飲食百景( 507 )

指示代名詞で進めれば

どこからどう見ても、あの果實に似てゐない。

そのくせたれも、文句を云はない。

どこからどう食べても、その味はひがしない。

そのくせたれも、おいしいと云ふ。
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 名前と姿と味が一致しない食べものは色々とある筈だけれど、さういふ食べもの群で勝抜き戰をしたら、どんなに番狂はせがあつても、これが決勝戰に進出するのは疑ひの余地がない。さう云へばこれには様々のヴァリエイションがあるから、それだけでも撰手権が開けるかも知れないなあ。チョコレイトのチップが散りばめられてゐたり、カスタード・クリームが入つてゐたり、私は見たことはないが、餡入りのもあるさうだ。どれもこれも、名づけの元とまつたく繋つてゐないのが、何となくをかしい。こんな食べものが他にあるのか知ら。

 さう滅多に私は食べない。あまいものを積極的に求める習慣がないからだが、偶に何の弾みか慾しくなることがある。体が慾しがつてゐるのだから、逆らはうとは思はない。酒精と同じで体が慾しがる分まで我慢するのは寧ろ不健全な態度ではなからうか。尤もこれと酒精が同時に慾しくなるわけでなく、この場合は罐珈琲がよい。普段なら砂糖もミルクも要らないのだが、またしてもこの場合だと少々甘めの方が似合ふ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には異論もあるだらうが、かういふ話に、自分の好み以外の基準を設けるのは六づかしい。その度私は、あの果實に似てゐないなあと思ひ、またその味はしないけれど、中々うまいものだとも思ふ。

 さう、メロンパンの話。
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by vaxpops | 2017-05-27 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(1)

簡便で旨いアレ

 気温が高くなつてくると食慾が失せるのは例年のとほりで、そろそろ素麺や冷し中華の類が主食になる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に
「丸太だつたら麦酒もだらう」
と訊かれるかも知れないが、そつちは年中欠かさないし、麦酒をもつて食事にするのは流石に私でも六づかしい。

 ここで余談。尊敬する内田百閒曰く、麦酒は冬に呑む方が味が締つてうまいらしい。本当かどうか確かめたいと思ふ瞬間は年に何度かあつて、どうやれば比較出來るのか。丸太程度の舌なら、そこそこ丁寧に注がれてゐれば、夏も冬もなく旨く感じるから、気にしなくてもかまひやしないだらう。余談ここまで。

 併し冷たい麺を啜りたければ、その前に茹でねばならない。面倒である。水で締めもせねばならず、矢張り面倒である。そんなくらゐ、面倒でも何でもないと感じるの方が寧ろ当然で、詰り不精者なのです、私は。水と独り身は低きに流れる。それで最近はもつぱら、豆腐に登場を願ふ機会が増えてきてゐる。かういふ書き方は豆腐に不本意だらうと推察する。申し訳ない。

 申し訳なくは思ふけれど、あんなに簡便な(それで旨い)食べものも中々見当らない。青葱の小口切りと生姜と醤油で基本は大完成する。生姜の代りに茗荷もいい。削り節もいい。醤油でなくぽん酢や辣油でもまた宜しい。天かすをたつぷり乗せ、山葵を隠しためんつゆでやつつけるのも旨い(たぬき奴と呼ぶさうだね。最近知つた)し、大根おろしを奢るのもよい。この場合、他にも色みがないと些か寂しいか。或はセロリや大葉や胡瓜やキヤベツと一緒にサラド仕立て…ぽんで酢で十分うまいと思ふけれど、贅沢が許されるなら梅酢を使ひたい…にすれば、ちよつとしたおかずにもなる。火を使はずにこれだけ出來るんだから、こんなに嬉しい話はないやね。

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 火を我慢出來るくらゐの余裕があればささ身をうがいたのを加へるのも旨い。この場合、ささ身には棒々鶏のやうな濃いめの味噌を使ふのがよささうに思ふ。それだけだとしつこいと思はれる方は、柑橘の皮をひとへぎ、添へれば、口当りがさはやかになるのではないか知ら。
 温奴といふのもある。温奴は豆腐をゆるく温め、同じく温かいたれと紅葉おろしと刻み葱に針生姜を添へてやつつける。湯豆腐のやうに熱くしないのがどうもこつらしく、温かいのからひんやりしたところまで、微妙に変化するのがよい。冷たいもの計りでお腹が冷えさうな時に恰好の食べ方だと思はれる。豆腐を熱く仕立てるなら、紅葉おろしでなく、大根おろしをたつぷり用意するのが好もしからうな。
 も少し手間を掛けてよければ、種なしの味噌汁を用意して、冷しておかう。心もちうすめにしておけば、宿酔ひの朝にまつたく嬉しいお椀になるが、やや濃いめに仕立てて、豆腐に青葱と茗荷と胡麻をあしらへば今度は肴になる。凝れるひとは宮崎や宇和島に倣つて冷や汁風にしてもいいでせう。あんなに夏向きの汁ものはなくつて、暑い季節には暑い地域の食べものを、といふのは世界に散在する数少ない眞實のひとつなんです。

 ところで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。それぞれのご家庭に旨い豆腐の食べ方がきつとあつて、貴女がきつとそれをにこにこしながら食べてゐるだらうと既に予測は出來てゐる。そこで私が何を申し上げたいかはご想像のとほりなので、ええ、その辺りをひとつ、宜しくお願ひしますよ。

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by vaxpops | 2017-05-22 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

久しぶり

 暫く機会に恵まれなかつたけれど、久しぶりに外で呑んだ。嬉しかつたので、今回はその話。

 呑んだのは麦酒を二はい。それからなだらかに冷や酒移行するといふ基本に忠實な流れ。焼酎や葡萄酒やハイボールが基本に忠實でないのかと云ふと、決してさうではないのだけれど、何をつまむかを考へれば、麦酒で喉を潤してからお酒を味はふのが最も安定する。
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 先づ食べたのは玉子焼き。
 見てのとほりしらすが乗せられ、大根おろしが添へられてゐて、中々宜しかつた。厚焼き玉子に大根おろしの組合せをたれが思ひついたのか。天才的な發想ではありませんか。
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 それから鯵の天麩羅。
 ぽん酢と大根おろし。ひつこいのかさつぱりなのか、はつきりしないのがいい。些か少なさうに思へさうだが、何しろたつた百八十円だもの。文句を云ふ筋ぢやあない。
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 更に合鴨のロース。
 山葵醤油でやつつける。これを後半に持つてきたのは正解だつた。獸肉にしては割りと淡泊で、併し食べてゐる感はしつかりある。ささ身の梅肉和へと並んでお酒に適ふ肉かと思へる。

 鱈腹喰つて、勿論呑みもして、酒席は矢張りかうでなくちやあいけない。まつたくのところ、満足をしたのだが、その分だけきつちり宿酔ひになつた。何と云ふか、一種の不条理ではないかとも思はれるのだが、たれかお酒と宿酔ひについて、哲學的な考察をしてゐないものだらうか。
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by vaxpops | 2017-05-20 20:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

睨んだ

 ハムやソーセイジ、ベーコンの類は好物で、口にするたびに實に欧風的の食べものだなあと感心させられる。どこがどう欧風的なのか、自分でもよく判つてはゐないのだが、そこはここだけの秘密。併し我が邦のご先祖が獸肉を食べてゐたらうことは確かとして、遂にかういふ工夫に到らなかつたのもまた事實で、畜産に関はる技術の問題だつたのか知ら。
 考へてみると獸肉を育て食べるとして、広闊な土地と大量の牧草が必要で、そのくせ養へる人間の数はたかが知れてゐる。さういふ意味で牧畜は可也り贅沢な産業と云へるでせう。時間は掛かるし手間もあるけれど、同じ面積の土地で効率を云へば米に軍配が上るのは念を押すまでもない。獸に然程の興味が湧かなかつたとしても、責める理由にはならないだらう。尤も牛乳…正確には乳製品は別扱ひだつたらしい。醍醐の下賜があつたといふから、貴重な美味だつたのだらうな。

 ここで余談。醍醐味に名を残す醍醐はチーズとバタとクリームの中間的な食べものだといふ。どうもうまく頭に浮ばないが、私の所為ではない。元の文章がえらく曖昧だつたからだが、元の文章が惡いわけでもない。旧い記録から想像するしかなければ、曖昧になつたところで文句を云ふ筋でもないでせうさ。余談終り。

 下賜といふのは御門が臣に下シ賜ルものだから乳製品…即ち醍醐が珍な味とは公卿連にあつた認識とみては間違ひないでせう。そこで乳牛が死んだ後、それをどうしたのかといふ疑問が浮ぶ。簡単に棄てたと考へるのは正しいと思へない。乳牛の飼育は朝廷に専門の部署を設けるほどだつたことがあり、死を穢レとする感覚が余程に強かつたらうことを併せて思ふと、何かかにかの儀式的な行為はあつただらうと想像する方が理に叶つてゐると思はれる。
 尤もそれが表向きだつたのではないかと想像を重ねることも出來て、上代古代の穢レは死だけでなく血にも及んでゐた(神話の中で女性への軽侮またある種の畏れがあるのは、経血に対する穢レの感覚である)から、貴族或はもつと大雑把に支配者階級が乳牛の死骸を直接どうかうしたとは考へられない。卑賤の人びとが實事を請け負つたに相違なく、かれらが儀式に則つて次第を済ませ、果してそれだけだつたらうか。疑はしい。

 私が賎民だつたら喰ふね。
 間違ひない。
 但し喰ふとしても烹るか焼くが手一杯で、蒸したり揚げたり煮込んだりは無理だらうな。まして塩漬けにして保存するなんて、想像の埒外に相違ない。それに佛さまが來日する前は直会(讀みはチヨクカイではなくナホラヒ)で贄を捧げも…希臘の叙事詩で羊を割いてアテーナーやアポローンに捧げるでせう。あれに近いと思ふ…した筈だから、賎民の口には入らなかつたか。牧場官僚は案外、焼肉の味に親しんでゐたのかも知れないぞ。
 といふ想像をするに、ごく一部の例外は認めるとして、おほむね我が邦の食肉、ことに肉の加工の技術はまつたく貧弱だつたと推定して誤りではなからうと思はれる。ご先祖の食卓が肉料理に彩られなかつたのは残念。尤も考への方向を変へれば、獸肉に頼らなくても食事が成り立つ風土に恵まれたとも云へるのだが、そつちに重きを置くとハムにソーセイジ、それからベーコンの立場がなくなつて仕舞ふ。

 そろそろハム、ソーセイジ、ベーコンに話を移さう。これらには塩漬け、燻し、茹であげといつた作業がある。これらを一見すると、作つて直ぐに食べるものではないと判る。ソーセイジなぞは膓の容器まで準備する周到さの保存食である。
 まづかつたらうな。最初の頃は。
 きつと無闇にからかつたにちがひない。
 それで思ひ出すのはイベリアの山間部やドイツで、贔屓目に見ても農業だけで食事が成り立つ土地ではなささうである。細々しいことを考へる前に、餓ゑるよりましな目の前にゐるもの…牛や豚や羊…を工夫して保存しなくてはならない事情があつたのだなと想像したつて無理はなからう。
 すごいのはその餓ゑるよりましな程度から始つた食べものを、たいへんな美味にまで昇華させた人間の喰ひ意地である。塩や香草、燻す樹木の種類や量、ひとが掛けるべき手間、自然に任せるべき手間、さういつた事どもを一体に洗練させた執念深さは讃嘆(それとも驚愕)してもいい。ひとが棲み續ける土地には必ずその土地の旨いものがあると喝破した小説家はまつたく正しかつた。

 ここで中國風の類似した食べもの…叉焼や煮豚はどうなのだと、疑問が浮ばなくもない。
 たとへば(曖昧な記憶だが)金瓶梅の西門慶が鱈腹食べる珍味佳肴にさういふ一品があつて、それが殺風景な保存食ではなかつたのは当然として、そもも中國人に保存食の概念があつたかどうか。
 凶作と飢饉が貧民の大移動を生み、貧民が泥棒と強盗の集団となり、その親玉が起す革命に到るのが古代中國の政治史の骨格なのは改めるまでもなく、詰り最初に農業があつた。農業の場合、収穫物の保管が保存食に相当することを思ふと、獸肉を塩漬けや燻製にして飢饉に備へる考へ方は薄かつたんではないか知ら。

 翻つて我が邦の特に南方が中國式の食べものから強く影響されてゐるのは、豚の角煮ひとつを取つても容易に想像出來る。あれはまつたく素敵な食べものですな。大鉢に盛られた角煮と焼酎の組合せは広い意味の和食で、殆ど唯一、獸肉が主役なのではなからうか。そして豚の角煮はひどく時間の掛かる料理ではあつても、長期の保存を前提にしてゐないのは明かで、この伝播が日本式のハムやソーセイジ、或はベーコンに繋がらなかつた裏の事情。ではなからうかと私は睨んだ。睨めた切つ掛けは一ぱい呑んでゐた時のおつまみ…即ち焼豚の薄切りで、偶にかういふことがあるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、お酒も惡徳計りではないのです。
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by vaxpops | 2017-05-11 09:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

お八つ

 普段はあまいものを食べない。
 好ききらひではなく習慣の話。
 何故食べない習慣なのかと訊かれても、習慣だからで御坐るよとしか応へられなくて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にだつて、さういふ習慣のひとつやふたつ、あるでせう、さうにちがひないよ。
 だから断乎として食べないのだといふ堅い決意を持つてゐるわけでなく、何の切つ掛けか判らないが不意にちよつと食べたくなることがあるもので、あれは一体どんな事情なのだらうね。

 口さみしいくらゐの時ならチョコレイト。
 本格である必要は丸でなく、その辺のマーケットで投げ賣りされてゐる廉価なミルク・チョコレイト(明治や森永)でいい。少し贅沢してアーモンド入り(でん六)のやつもいい。今時の若い讀者諸嬢諸氏には想像が六づかしからうが、私が少年だつた頃のアーモンド入りチョコレイトは中々贅沢なお八つだつたのだよ。
 シュークリームも贅沢だつたなあ。
 シュー・ア・ラ・クレームなどいふ気取つたのではなくシュークリーム。少年の私にとつてシュークリームといへばヒロタだつた。カスタード・クリームのごくありふれたやつ。エクレアとシューアイス(バニラのアイスクリーム入り)はもう一段格が上、生クリーム入りなんて想像が出來なかつたものです。

 成る程。そもそも甘いものを食べる機会が少なかつたのだな、私には。
 年寄りがゐた所為なのだらうか。
 そんなら和菓子…羊羮や蜜豆やお汁粉や大福餅が登場しなかつたのが不思議である。単に祖父母が好まなかつたのか、奢侈品と思ひ込んでゐたのか、今となつては明らかでない。

 併し何事につけ例外はあるもので、私の場合は三笠がそれだつた。東京で云ふ銅鑼焼。
 チョコレイトよりシュークリームより遥かに身近だつた甘いものはこれで、カステラ(これはおそろしく贅沢なおやつ)を連想させる生地がつぶ餡の甘みをうまく抑へてゐたのが美味しく思はれた。かう書くと少年丸太はしぶい趣味だつたと誤解されさうだが、なに實際はお菓子の甘さに馴れそびれてゐただけの話さ。
 その馴れそびれの例外が三笠乃至銅鑼焼であつて、その例外が偶さか甘いものを慾する時に表に出る。尤もこれまでの積み重ねが非常に貧弱だから、どこの小豆とどんな砂糖で、どんな風に作つてゐるのかはまつたく無頓着。その辺を塩梅宜しく作つた三笠または銅鑼焼は旨いだらうなと想像は出來る。
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 だとするとお茶もしやんとした葉を用意し、丁寧に淹れるのが望ましからうと連想が働いて、何となく面倒になる。なので近所のマーケットでの特賣品(2個98円)を買つて、粉末珈琲で誤魔化すところに落ち着いて仕舞ふ。かういふ無精は感心しないなあとは思ふが、これはこれでお八つには惡くない。舌の出來がその程度なのを喜ばしく考へていいかどうか、疑問はまあ残るけれども。

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by vaxpops | 2017-05-08 12:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(3)

手羽胡麻

 元とか先とか、さういふ部位はさておいて(先の先なんていふのもあるさうですが)、手羽はうまいですな。焼いても揚げても間違ひがない。最近、黒胡椒をまぶしてある手羽を即席豚汁の味噌で炊いてみたのだが、思ひのほか惡いものではなかつた。手羽そのものより、濃い味噌汁を食べる感じにはなつたけれど。ただ手羽を炊くなら矢張り、甘辛く煮詰めるのが常道でありませう。一体に私は甘辛煮きといふのが好物なんです。ごはんのお供に宜しく、麦酒のつまみにもよく似合ふ。それで手羽の甘辛煮にはどうしたつて白胡麻が慾しくなる。この場合に限つては刻んだ青葱だとほんの少し不満が残る。肉のやはらかさに胡麻のはぜる感じが混ざるが好もしいのか知ら。
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 手羽は骨まで丹念にしやぶるのが望ましい態度なのを忘れてはならない。
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by vaxpops | 2017-03-16 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

順序

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は馬鈴薯をお好みだらうか。ポテトと呼んでもじやが芋と呼んでもいいけれど。私は好もしく思つてゐる。眞面目に自炊をしてゐた頃、こまつた時は馬鈴薯を賽の目に切つて湯がき、冷ましてから、三個分の溶き卵と牛乳に混ぜ、焼いて喰つた。イスパニヤ風がこんな感じだと話に聞いて、眞似をしてみたのだ。皮向きと賽の目切りが面倒なくらゐで、焼いて仕舞へば、ケチャップでもウスター・ソースでもマヨネィーズでも醤油でも喰へる。尤も本もののスパニッシュ・オムレツは見たことがなかつた。いやもしかすると今もスパニッシュ・オムレツに縁はないかも知れないか。

 初めて馬鈴薯を食べたのは何でだつたらう。母親の作つたカレー・ライスか肉じやがだつたにちがひない。續くのはカルビーのポテト・チップスで、父親が一時期ひどく熱中してゐたから。晩酌のキリンビール(ラガーの中瓶)にあはせてゐた。残つた分は細かく砕いてふりかけのやうにごはんに乗せた。あれは倅ながら不思議な光景だつたなあ。程なく熱中の対象は大蒜の蜂蜜漬けに移つたから、眞似をするには到らなかつたけれど。その後がマクドナルドのフライド・ポテトだつた気がする。うら若い讀者諸嬢諸氏は知らないだらうが、四十年近く前の当時のマクドナルドは非常に豪華な食べものだつたのだよ。

 思ひ出すと私の家では馬鈴薯をさうさう使はなかつた気がされる。記憶にあるのは上に挙げたくらゐで、次に登場するのは二十歳前後、ステイク屋で喰つたつけあはせ…皮つきを丸ごと蒸かしたやつまで待たなくてはならなかつたもの。あんまり旨いとは思はなかつたな。馬鈴薯が惡かつたのか、料り方が雑だつたのか。両方だらう。安いステイク屋だつたしね、今さら文句は云はない。なのに偽のイスパニヤ・オムレツに挑んだのは、廉価で簡単さうに思へたからだ。その頃の私は生れて初めて、自分で食事の支度をしなくてはならなかつた。追ひ詰められたら馴染まない食べものでも使はうといふものさ。

 併し馴染まない食べものは食べないから馴染まないだけの話で、それもまつたく無縁ではなかつた。要は私が知る馬鈴薯の食べ方はごく狭い範囲だつただけのことで、ある知人に云はせると

「獨逸人は馬鈴薯を喰ふ。何故か。あの國では我が邦のやうに米(即ち一種の完全食品)を栽培出來ない。かれらは國土に適つた作物であるところの馬鈴薯を作り、食べざるを得ない」

のださうで、本当か知ら。知人はゲルマン人を揶揄ふことに無上の歓びを感じる人物だから、どこまで信じていいか、議論の余地はある。但し獨逸風の料理でザワークラウトと馬鈴薯を欠かされるのは、ごはんとお漬物のない日本の食事のやうではありますまいか。

 詰り馬鈴薯は獨逸人を歓ばせるくらゐ旨いと見立てることも可能で、旨く喰ふ為の工夫だつて怠らなかつた筈で、さういふ努力は英國人も米國人も怠らないだらう。ひとが住み着いた地域には必ず旨いものがある。さうでなくては生きてゆけないからと喝破したのは檀一雄で、あの流浪家兼小説家は言葉が正しく示す雑食家だつたから、その言は信頼に値する。だとすれば馬鈴薯がそして馬鈴薯の料理が我われの舌を歓ばせして、何の不思議もないでせう。揚げて焼いて蒸かして煮て、食事につまみにおやつに、塩からく醤油の香りで時にほの甘く。栄養分が仮にお米には劣るとして、大した問題ではなささうに思はれてくる。
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 さういふことを考へながら、画像の馬鈴薯料理("新じやが芋のチーズ焼"だつたと記憶する)を喰つた…ならば恰好がつくのだが、後から見て思ひついたのが實際である。世の中はうまくゆかないものだなあ。

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by vaxpops | 2017-03-14 07:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

讃歌

こまつた時は鯖味噌罐に頼る。

素早く更に云ふと安直に頼る。

安直で旨いのだから仕方ない。

廉な購入が出來るのも有難い。

湯煎すればもつとうまくなる。

湯煎しなくてもうまいけれど。

鯖はごはんのお供、麦酒の友になるし、味噌にはマヨネィーズを混ぜるだけで、和風のドレッシング擬きになる。

精々が百円位だから贅沢ではないとして、直ぐに飽きる味でなく、メーカーで微妙或は大きく異なるのも宜しい。

些か下品に直箸で、またはお皿にあけて形だけは調へて、どちらも鯖味噌罐を味はふには望ましい態度であるか。

鯖と味噌と罐の麗しい合一よ。

豪奢でなく華麗でなく美味の。

心急く空腹にひと罐のあらば。

甘辛く堅くやはらかな肉と骨。

箸を持ち麦酒を開けるその時。

貧寒の夜は居酒屋へ姿を変ゆ。
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by vaxpops | 2017-03-13 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

無念の韮玉

 韮玉はお店…といふか、作り手によつて、出來上りのちがひが少なくない、中々不思議な食べものではないでせうか。一ばん意外だつたのは、韮を刻み込んだ溶き卵を厚めに焼き、千切りキヤベツに乗せてケチャップをあしらつた仕立てで、お好み焼のやうな感じだつた。

 多くの場合は併し、溶き卵を甘辛いお出汁でやはらかく…玉子丼よりやや堅めくらゐか…煮て、仕上げに韮を混ぜ込んだものだと思ふ。見た目で判断すれば、ごく単純なひと皿なわけですが、他の単純な(いや単純に見える)料理と同様、作り手の癖や好みがはつきり顕れるものです。

 第一にお出汁の味つけ。甘みが強調されてゐるのと、醤油辛さが立つてゐるのとに分けていいでせう。前者は七味唐辛子との相性が宜しく、後者はそのままで食べたい。

 第二には玉子のやはらかさ。玉子丼よりやや堅めと前述したが、玉子焼きのやうな堅さに近いのと、玉子丼のやうな柔かがあつて、良し惡しではないとして、私は後者を好む。

 第三に韮の使ひ方もあるね。玉子に混ぜた風なのと、別にあしらつた感じのと。刻み方で変るのだらうか。私は食べる一方だから事情は全然ちがふかも知れないけれど。

 玉子と香味野菜が好物なら、韮玉は欠かせない一品なのは疑ひの余地はない。それに色々と書きはしたけれど、どんな風な仕立てでも韮玉はうまいではありませんか。麦酒や焼酎(酎ハイもこの際含めませう)によく、ホッピーにも似合ふ。
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 尤も韮玉に一ばん適ふのはごはんですね、矢張り。残つたお出汁にひと口はふり込み、お匙でかき混ぜて、綺麗に平らげれば、後のかけ蕎麦もラーメンも不要である。断然うまいにちがひないのだが、私の知る限り、さういふ眞似が出來る呑み屋が見当らない。まつたく残念だなあ。

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by vaxpops | 2017-03-10 06:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

ありふれた

 竹輪。
 人参。
 それと赤ウインナ。
 ごくありふれた煮物…つき出しなのだが、ちよいと渋い好みだねえと思ひたくもなる。
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 尤もありふれてゐるのは我が邦の話だけかも知れない。ロンドンやパリやアムステルダムで一ぱいひつかけるとして、かういふ渋好みな小鉢乃至小皿は出てくるものなのか。鰻の肝やら身の欠片を甘辛く色濃く煮つけたのをつまみつつ、ギネスやバスのパイントを呑むのはきつと愉快にちがひないのだが。それともマドリッドに行かねばならないか。あすこなら烏賊や貝をオリーヴ油で炒めあげたつき出しに期待出來さうな気がする。さういふのをつつきながら、葡萄酒をがぶがぶ呑るのもまた、惡くない愉しみの筈である。
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by vaxpops | 2017-03-07 08:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)