いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

カテゴリ:飲食百景( 527 )

どんな顔つきで

 山形のだしといふ、さてこれをどう分類すればよいか、胡瓜だの生姜だのを細かく刻んで、粘りを持たせた食べものがある。振りかけのお漬物版と呼ぶのが近いか知ら。
 ごはんに乗せてうまい。素麺のつゆに入れてうまいし、冷たく〆た饂飩に混ぜるのもうまい。蕎麦や中華麺はどうだらう。面倒ならそのまま肴乃至つまみにしても勿論うまい。この場合、匙でちよつとづつ、掬ふのが宜しからう。塩がはつきり感じられる分、食べすぎに留意は必要だけれど。
 画像をご覧頂けばお判りのとほり、中でも私が最も好むのは、冷や奴に乗せる食べ方で、味つけぽん酢を加へる。この時はちつと加減をまちがへたから刻み葱を足した。かういふ誤魔化しも愉快のひとつでせう。

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 ところで山形人に知合ひがゐないから、大変に不思議なのだが、實際あの土地では、かういふ漬物の変種を作つてゐるのだらうか。保存食を使ふ上での応用なのか知ら。

 山形には鰰があり、初孫といふうまい銘柄があり、何より尊敬する丸谷才一先生を生んだ土地だから一ぺん訪れて、存分に呑み喰ひを愉しみたいのだが、どんな顔をして註文すればいいのか、見当がつかない。
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by vaxpops | 2017-07-26 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

それでこの後

夏の渇きに。

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 …いや宣伝文句を考へる積りではなかつたんだが、オリオンを目の前にすると、どうしたつて、さうなつて仕舞ふ。
 島辣韮をば、ひと粒。
 オリオンを、ぐつと。
 晩酌はこれで綺麗に完成するわけで、かういふ麦酒は案外になささうな気がされて、ローカルな銘柄の特権か知ら。

 それで?

 この後?

 すりやあ貴女、決つてゐるではありませんか。

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by vaxpops | 2017-07-19 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

夏の罠

 馴染みだと云つていいだらうと思へる呑み屋の樂しみは、つき出しである。行く度にちがふものが出てきて、値段は確か三百円とかそのくらゐだつたか。
 うまい。
 なので廉いと断言出來る。

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 この夜は撰べるといふことで、グリーン・カレーもあつたが、鴨の方にした。こいつをつまみながら、黒糖焼酎を舐めると、うつかり、夏も惡くはないかと勘違ひして仕舞ふ。こんなに巧妙な罠も、中々見当らない。
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by vaxpops | 2017-07-18 14:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

仕舞つた?

 メニュには"ゴーヤ・カレー"とあつた。苦瓜とカレーなら、どちらも大好物だし、この組合せなら間違ひはなからうから、註文しない手はない。實際、丁寧に煮た豚肉(ちよいと角煮つぽい)と苦瓜は、カレーによく似合つて、うまかつた。

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 尤もカレーライスで出されたのは、想定の外だつたから、少しあはてさせられたけれど。
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by vaxpops | 2017-07-17 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

サバカン!

 葱と生姜を切らしてゐたのは、2017年下半期最初の痛恨事であつた。

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 まあそれは兎も角、鯖の味噌煮罐はうまい。以前から何度も触れてゐるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は飽きてゐるだらうが、私は鯖の味噌煮罐に飽きてゐない。諦めてくれ玉へ。

 だつて旨いんだもの。

 と書けば、私が云ふのは

 鯖の味噌煮罐は旨いから飽きない。
 何故飽きないと云へばうまいから。

 であつて、これは循環論法ではないかと、直ぐに疑問が浮ぶ筈で、その疑問乃至指摘はまつたく正しい。本來は鯖の旨さを示し、鯖の味噌煮の旨さを示し、ゆゑに鯖の味噌煮罐が旨いのだと話を進めなくてはならない。それが筋なのだが、どうも私は鯖と聞くと昂奮するたちらしい。

 實際のところ、どう料つても鯖はうまい。味噌煮でなくても、お刺身(これ計りはごくごく新鮮なものに出会へた場合に限られる)、酢〆、塩焼き、干物。鍋に入れても嬉しい。鯖を使つた料理だけで多分、三日は献立に困らないと思はれて、こんなに応用力の高い魚が他にあるとすると、鮭くらゐだらうか。

 自分で書いてゐて、腹が減つてきた。

 さういふ諸々の鯖料理の中で、一ばん私を悦ばすのは矢張り味噌煮で、いや塩焼きも捨て難いのだが、えいやと味噌煮を撰ばう。旨いのは勿論、舌に馴染んでゐるし、罐で大きな恩もある。

 その鯖の味噌煮罐は各社で意外なほど、味がちがふ。甘みに寄せたもの、味噌の辛さを立たせたもの、或は煮汁がどろりとしてゐたり、さらさらだつたり。"味噌煮"の範疇でこれだけ異なつてゐるのは寧ろ、感心に値する。
 味がちがふと云つても、それだけで食べられないわけではないのは当然だから、最も簡単な食べ方は、罐の蓋を開け、匙で掬ふことになる。ただこの方式だと、折角の煮汁が勿体無い。なので一度お皿にあける方が宜しいでせう。

 身の大きな部分はそのままで。
 欠片乃至端の部分は匙で崩す。
 崩した端つこは煮汁に混ぜる。

 それだけでもいいが、生姜と刻み葱をたつぷり使ふのを私は好む。
 大きな身は肴につまむ。何の不満があらうか。
 煮汁には温泉卵を加へ、ごはんに打ち掛ける。
 温泉卵が無ければ、少量のマヨネィーズか何かで調へて、ドレッシングのやうに使つてもいい。味が濃くなるから、野菜類はたつぷり必要になるけれど、茹で野菜に似合ひさうだ。

 とここまで書いて、ひとつ思ひ出した。
 中東のどこだつたかには、焼き鯖のサンドウィッチがあるさうですね。あれは一ぺん、食べてみたいものだと願つてゐるのだが、鯖の味噌煮罐で変種…オルタナティヴ・サバ・サンドを試せないものか知ら。味噌は焼いても旨いし、塊のやうなパンなら、煮汁が染み込みすぎる心配もない。
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by vaxpops | 2017-07-10 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

安直豚

 私が"肉"と書く時、それは概ね牛肉を指す。
 "お酒"と書いた時、日本酒を指すのと同じ。
 併し最近、その牛肉には無沙汰をしてゐる。好物なのに。
 そのくせ、豚肉は縁がある。旨いから好もしいけれども。

 さて。このちがひは何だらう。
 単純に考へると、値段の差か。同じ100グラムを買ふとして、値段は(部位や産地にもよるだらうが)えらく異なる。明らかに豚肉が廉価だから、手に取るのはそちらになる。少なくともその可能性は高くなる。
 食肉の習慣の相違はどうだらうか。関西…近畿圏では、牛肉が割りと威張る傾向がある。松阪牛だけでなく三田、伊賀、近江と名産地にも事欠かないし、近江の牛は遡ると、御門に酪を奉り、江戸将軍家に味噌漬けを届けた(食肉を禁じてゐた幕府の、ほぼ唯一といつていい例外)伝統を持つてゐるくらゐだから、背景がちがふ。尤もひとが東西南北自在に動ける現代に、かういふ考へ方を当て嵌めていいのかどうか。
 それに東京となつた江戸でおそらく最初期に受け容れられたのは牛肉の筈である。四迷だつたか逍遙だつたか、はつきり覚えてゐないが、書生連中が喜んで喰つたのは牛鍋だし、カツレツもごく初期はビーフ・カットレットだつた。その後、岡山の造り酒屋のひとり息子が、滋養の為として食べさせられたのも牛肉だつた。内田百閒本人が書いてゐるから、間違ひはないでせう。

 詰り四ツ足…獸肉と云へば牛肉。文明開化直後の何年かは、そんな時代だつたのではないか。ではいつ頃から豚肉の台頭が始まつたのだらう、といふ疑問が浮んでくるが、正直なところさつぱり判らない。畜産と食肉の研究家はどう考へてゐるのか知ら。
 その辺の考察は専門家の手に委ねればよいとして、明治から大正にかけてのある時期から、急速かどうか、豚肉がぐつと勢力を拡げたわけで、それはとんかつの完成前夜だつたと思ふ。さうでなければ、とんかつは完成しなかつただらう。いやさういふ話をしたいのではなかつた。
 併し我われのご先祖は豚肉料理の伝統を丸きり持つてゐなかつたのか、といふと決してそんなことはなく、非常に狭い範囲だつたとしても、豚肉は旨いのだと知るひとは確實にゐたと考へたい。でなければ、生姜焼きにしてもポークソテーにしても煮豚茹で豚蒸し豚にしても、或は種々の臓物焼きにしても、我われが大きに愛好するまでの發展は見せなかつたらう、きつと。

 豚を料るのは安直でいい。いや何事にも本格はあるから、一概に云ふのは誤りだけれど、気分としてはさういふ安直がある。塩と胡椒で炒めるだけで、十分にうまい。牛肉だつてさうだらうと訊かれるたら、確かにと応じたい。ただあちらを用ゐる時には、何となく気合ひが必要な気分になるのもまた事實なんである。豚にはそれがない。
 凝つた本式の豚肉料理は専門のひとに任せるとして、ごく簡単にもやしと一緒に蒸してもいい。冷ましてから、胡瓜やトマトやセロリや茗荷と盛合せ、うで卵でも添へたら暑い季節向きのおかずになりさうだ。醤油でも味つけぽん酢でも、ご自慢のお手製ドレッシングでも旨からうな。寒くなつてからだと、菠薐草と豆腐で鍋に仕立てるのがうまい。常夜鍋と呼ばれるやつ。名前に違はず、確かに飽きない。

 併し本式風を気取るなら、煮込むのが一ばんではないかと思ふ。ほら、東坡肉とか角煮。きちんと作るなら、手間暇を惜しむわけにはゆかなくなるが、気取る程度で済ますなら、私に出來くらゐだもの、何と云ふこともない。
 豚肉を塊で買つてきて、表面だけざつと焼き、鍋にきつちり入れ、隙間に長葱玉葱を詰め、後はひたひた程度の水か煮切りかでゆつくり炊き込むだけの話。時節によつて椎茸でも大根でも馬鈴薯でも、入れればいいが、豚肉が主役になる程度に分量は調へたい。味つけ…はお好みで。煮切りを焼酎にして色濃く煮上げたり、味噌仕立てにしても旨い。かういふのは、どつしりした食感が嬉しいものだから、ざぶざぶより、些かどろりとしたくらゐの方がいいと思ふ。
 盛るなら大鉢か深皿だらうね。練り辛子、焼いた獅子唐、白髪葱、木ノ芽やひと剝ぎの柚子なぞがあればしめたものだが、なーに、なくたつて丼めしにそのまま打ち掛けてもうまいから、気に病むことはありません。

 ざつと書いたなあと思はれさうだが、實際に料る上で、こつらしいこつがあるわけでもない。無理やり挙げるなら、炊く際は肉が揺れない程度の火で、ゆるゆると時間をかけることくらゐ。半日を潰す積りで臨めば、ごくごく気樂に出來る筈である。これが牛肉だと、さあどうなるか。もつと細やかに世話を焼かなければならぬ、と気負ひが先立つて仕舞ひさうな予感がする。實際それで旨くなるのだから、この辺りも豚肉とのちがひと云へるかも知れない。
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by vaxpops | 2017-07-09 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

洋食屋で"呑まう"

 レストランではなく洋食屋なので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には先づ、この点をご理解頂く必要がある。

 ハンバーグ。
 クリームコロッケ。
 海老や牡蛎のフライ。
 オムレツにオムライス。
 マカロニグラタン。
 ポークソテー。
 ビーフシチュー。
 ナポリタンスパゲッティ。

 デミグラスソース、タルタルソース、マヨネィーズ、タバスコに粉チーズ。何故だかそこに、醤油とお漬物、ごはんにお味噌汁が同居する(然も不自然ではない)不思議な空間を、我われは俗に洋食屋と呼んでゐる。

 實にいい場所ではありませんか。
 食事は勿論として、呑めもする。

 外ツ國からの來訪者に、日本の色々な混ざり具合を解つてもらふとしたら、洋食屋ほど適したところもないにちがひない。半ば以上本気で、私は云ふんですよ。卓子に並べられたお皿を、佛蘭西人や伊太利人が見たら、不思議がるのか歓ぶか、それとも碧眼を剥くのか、じつくり眺めてみたい気がされる。まあ惡趣味は兎も角。

 改めて云ふが、洋食屋はまつたく素敵な場所である。30年近く前、住んでゐた場所の近くに旨い洋食屋があつて(今もあるのか知ら)、月給が出た後の最初の週末に、そこでビーフシチューとバーボンだつたかのソーダ割りをやつつけるのが樂しみだつた。
 今となれば自分でも妙だなあと思ふけれど、あはせて2,000円くらゐの組合せは、仕事を始めた計りの若ものにとつて、中々の贅沢…気分だけだつたかも知れないが…であつた。さういふこと(もしくは勘違ひ)も許されるのが、洋食屋といふ場所ではないだらうか。

 10年ほど以前、住んでゐた場所と最寄り驛の間にも小さな洋食屋があつた。カウンターだけで10人も入れないくらゐ。ご近所がふらつと飯を喰ひに來るお店で、併しうまかつた。註文を受けてから調理にかかるので、海老に衣をつけて揚げる様とか、音を立てながら捏ねた挽き肉をハンバーグに仕立てる姿とか、さういふのを眺めながら待つのは、まつたく愉快だつたなあ。
 勿論ただ待つだけではなく、呑む。レストランなら葡萄酒かシェリーになるのだらうが、ここは洋食屋である。カウンターだけの、ご近所が足を運ぶお店である。なーに気取るこたあない。壜麦酒を呑まうさ。と思へる辺りも有り難いところ。小皿の柴漬けをつまみながら待ち、その間に、揚げたて焼きたてのフライやソテーをつまみ代りにもう1本奢らうか、考へるのも愉しみだつた。

 丸太は洋食屋を居酒屋と間違へてゐないか。

 我が親愛なる讀者諸嬢の中にはさう呆れるひとがゐるだらうか。ゐるだらうな。
 後になつて知つたのだが、昔…大正とか昭和の前期…は、"洋食屋に呑みに行く"といふ云ひ廻しがあつたさうだ。女給がお客の相手をする。これは(同時期の)カッフェーとはちがつて、怪しからぬ意味ではない。卓子についてお客と話をしながら、カツレツやビフテキを小さく切つたり、麦酒をお酌したりしたらしい。今風に"可愛らしいメイドさんが、ご主人さまのお食事を甲斐甲斐しくお手伝ひします"と云ひ替へが出來るだらうか。どちらも経験がないから、正しい比較かどうか、自信は持てない。

 話が逸れさうな気配がする。
 今のうちに元へ戻しませう。

 えーと。さう。洋食屋で"呑む"のは、我が邦近代の風俗史を俯瞰すれば、必ずしも誤りとは断じにくいと云ひたかつたのだ。一体に世の中の呑み助は、酒精を前にして、食べない傾向がある。あれはまつたく感心しないね。先廻りすると

「先にしつかり食べるから、問題はないよ」

との反論は成り立たない。酒精は食べものと共にあつて十全の魅力を発揮する飲みものだし、またそんな風に醸られるのが基本でもある。ゆゑに"事前に食べておく"のは、つまみ抜きで呑む理由にはならない。つまみ抜きで呑みたい向きは止めないけれども。

 併し洋食屋で"呑む"として、牡蠣フライやタンシチューを平らげてからにしますかね。非礼と云へばこれほどの非礼もありませんぜ。麦酒でも葡萄酒でもお酒(塩仕立てのオムレツに適ふさうだ)でも、食べ且つ呑むのが望ましく、また正しい態度でもある。
 町中の洋食屋なら、相当に豪勢な註文をしない限り、満腹になつて、ほどよく酔へて精々が3,000円とかそんな程度でせう。そこらの居酒屋で同じお金を払ふより余つ程、好もしい撰択ではなからうか。さうにちがひない。大きな問題は、さういふ目的に適した小さな洋食屋が、ふらつと行けるくらゐの距離にあるかどうかで、恵まれた私にその心配はないの。尤もその近くに旨い居酒屋があつて、難関は寧ろそちらにある。
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by vaxpops | 2017-07-08 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

炒飯を待ちながら

 外食と呑むのがほぼ一直線に結びつく私にとつて、食事が目的でお店に入るのは珍しい。立ち喰ひ蕎麦には入るが、あれは食事ではないしなあ。
 それで食べるとなつたら、定食もあるとして、炒飯辺りに落ち着く。これを専門に商ふお店があるのか、私は知らないが、その辺の中華料理屋なら五百円から七百円辺りが相場かと思へる。廉ではないにしても高いとは云ひにくく、これくらゐの値段ならまあ、と思はれる。
 相場くらゐの炒飯だと、まづくはない。まづくはないが、人生観を激変させるほど旨いわけでもなく、ぞろつと食べる分には丁度よい。毎日は勘弁してもらひたいけれど、食事が目的でお店に入ること自体、さうある機会ではないから、気に病むこともなからう。

 ここで問題がひとつ。地域にもよるだらうが、所謂下町とか、古い町中の中華料理屋だと、近所の小父さんが隅つこの卓子で、晝間つから麦酒や焼酎を引つ掛けてゐることがある。こちらが仕事の日に、ああいふ光景を見ると、頭にくるね。

(ぶつ飛ばしてやらうか知ら)

なぞと物騒な考へが何秒か、浮んだりもする。私は平和的な男だから、浮べただけで終るが、どうも釈然としない気分は残る。なのでさういふ場所は休みの日にしか入らないことにしてゐる。

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 勿論この日も、炒飯を待ちながら、麦酒を呑んだ。
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by vaxpops | 2017-07-05 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

前言撤回

 毎日毎晩食べたいわけぢやあないけれど、食べれば舌を悦ばせる一品の筆頭に、揚げ出し豆腐を挙げて、大きな反論は出ないにちがひない。
 深い器から湯気を立てる揚げ出し豆腐を見ると、何とはなしに幸せを感じるから、私もえらく単純である。但し池波正太郎に云はせると、一日の仕事を終へて食べる味噌汁に、幸せを感じるのが健全ださうだから、単純も惡い計りではない。

 出來たてが特にうまい。
 木匙で食べるのが旨い。

 揚げ出し豆腐はお箸を使ふと、途端に味はひが落ちる。大根おろし(或はもみぢおろし)、葱、それからたつぷりのつゆを一緒にしたのが、揚げ出し豆腐の味だからで、熱い皮と豆腐、冷たいおろし、油のしつつこさと葱のさつぱりとつゆのとろりが匙の上で纏り、口の中でぶつかるところが宜しいのだ。

 さうすると冷たい麦酒を求めたくなるところだが、それは感心しない撰択である。揚げ出し豆腐だと麦酒の苦みが却つて邪魔になるもので、この場合、香りの立たないお酒が好もしい。冷酒よりもぬるめのお燗が似合ふ。あの有名な唄には申し訳ないが、焙つた烏賊より適ふと思ふ。

 ぬるめにつけたお燗酒を一合誂へ、これをゆつくり含み、揚げ出し豆腐をひと匙。これを爺むさいと思ふのは若いものの浅はかさで、夜を愉しむのにこんな素敵な組合せはまたとない。同じ豆腐仲間で近しいのは何だらうと思ふと、温奴くらゐではあるまいか。ただ温奴は冷たいぽん酢に削り節、青葱、生姜(またはもみぢおろし)でやつつけるから、揚げ出し豆腐の適度な油つこさに欠ける難点がある。天かすを加へればいいのか知ら。

 併し手軽さは温奴に分を認めるとして、より旨いのは矢張り揚げ出し豆腐である。一体感が違ふものな、何しろ。気のきいた呑み屋だと、註文を受けてから作りにかかる。ちよいと待たなくてはならないが、そんならぬる燗を二合奢つて、お漬物や酒盗でも肴にして待ちませう。

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 そんな眞似をしなくたつて、揚げ出し豆腐くらゐ、自分で作ればいいぢやあないの。

 さう、呆れ顔で云はれるかも知れないけれど、こちらはどうにも不器用だし、ことにたつぷり使つた油を後でどうするのかも判らない。揚げものは全体、玄人に任すのが安心だし、にカウンターの中のひとが、手早く仕立ててゆく様を見るのは、柳葉魚や畳鰯と並ぶいい肴ではないか。
 尤もかういふ愉しみには、待つ時間も含まれるもので、空腹に身を蝕まれ、鶏の唐揚げを貪りたくなるやうな若い胃袋では、我慢がならないやも知れない。ある程度は枯れて縮んだ胃袋が求められることを考へると、前言を撤回すべきではなからうかとも思はなくもない。
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by vaxpops | 2017-06-30 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

六月は野菜の季節

 根拠があるわけではないが、六月…初夏の聲を聞くと、野菜の季節だと連想が働く。尤も根拠とまでは云へないとして、影響を受けたなあと思ふところはある。辰巳浜子女史の『料理歳時記』にある"煮サラダ"と、檀一雄の『檀流クッキング』がそれで、實際の文章はご自身でお讀みあれ。

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トマト。

セロリ。

アスパラガス。

胡瓜。

梅に茗荷。

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 悉くがこの季節に旨く、悉くが好物でもある。梅雨と蒸し暑さは大の苦手としてゐるのに、かういふのを目にし、口にすると、嬉しくてたまらなくなるから、自分でもいい加減なものだなあと呆れて仕舞ふ。そしてこの季節、野菜をつまみながら呑むなら、麦酒よりお酒より葡萄酒より、焼酎が望ましい。暑い季節の野菜には、暑い地域の酒精がよく似合ふ。
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by vaxpops | 2017-06-29 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)