いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

カテゴリ:飲食百景( 541 )

長話

 立ち喰ひ蕎麦の話は何べんもしてゐる。何べんも話をするのは立ち喰ひ蕎麦が好きだからで、併し何故好きなのか、考へたことがなかつた気がする。私は大坂で育つたが、立ち喰ひ蕎麦にも饂飩にもとんと縁がなかつた。ああいふのは家で啜るものと思つてゐたのですね。大坂に戻るのは年に一ぺんくらゐだが、今でも立ち喰ひ蕎麦乃至饂飩を啜ることは殆どない。急いで云ひ添へると、ここでいふ立ち喰ひには、カウンターだけのごく狭苦しい場所も含めてゐる。語感としては場末に近しいとお考へください。
 そちらではないが、蕎麦の事始メと呼んでいいのは三十年ほど前の神田、[藪]だと思ふ。云ふまでもないほどの老舗だが、当時の私はよく解らなかつた。池波正太郎の随筆で名前を知つたのが切つ掛け。その頃の勤め先が近かつたので、足を運んでみたのです。旨かつたけれど、量が少なくて物足りなく感じたなあ。玉子焼きや鴨焼きで一ぱい呑つて、もりを一枚か二枚、平らげるなんて方法も知らなかつたのが失敗だつたか。併し仮に知つてゐても、二十歳そこそこの若造ぢやあ、何が何やら解らないままだつたらうね。それでも蕎麦が旨いと感じられたのは、老舗の底力か、江戸の洗練か。

 一体に大坂は蕎麦がまづいんです。食べる習慣がないのだらう。私の周囲で蕎麦の話題はまつたく出なかつたし、實家で蕎麦が出されたのは大晦日くらゐ。喜んで啜つた記憶はないから、大してうまくなかつた筈で、母親の料理下手を差引きしても、その程度だつたと考へて差支へなからう。京都では鰊蕎麦が有名だけれど、食べたことがないから、論評は控へませう。

 神田で事始メとなつた蕎麦の、次の機会は数年が過ぎてからだつたと思ふ。お店の名前はすつかり忘れたが、神田とか新橋とかその辺りの、ガード下かガード近くの立ち喰ひ蕎麦。七味唐辛子を振つたきつねそばを喰つたのは記憶してゐる。山下洋輔の"ピアニスト"(笑え?翔んだ?二度笑え?どうも判然としない)で、ヨーロッパ・ツアー中の山下トリオが、日本の食べものを恋しがつて、キツネソバ(表記はカタカナだつた)が慾しいとか、薬罐一杯の蕎麦つゆを寄越せとか、列車内で或は呻き、或は喚く場面があつて、これは一ぺん、試してみなくちやあと思つてゐたのだ。もうひとつ確實な記憶は、時節が冬だつたことで、暖簾の下を潜る寒風と、熱いきつねそばの組合せが宜しいものだと感ぜられた。旨かつたかどうか、曖昧ではあるけれど、振り返れば立ち喰ひ蕎麦に好感を持つたのは、この時からだと云へると思ふ。

 尤もそれで蕎麦を貪るようになつたわけではなく、立ち喰ひ蕎麦を見掛けたら入らずにゐられなくなつたわけでもない。月に二へんかそこらの頻度だから、立ち喰ひ蕎麦愛好家からすると、食べてゐないのと同じでせうね。聞いた話だと、山手線の外廻り内廻り全驛の立ち喰ひ蕎麦を啜り込んだひとがゐるらしい。流石にすべてのメニュではないだらうね。何周もしながら、今回はきつねそば、次回は掻き揚げ蕎麦、その次はたぬき蕎麦なんてやつてゐたら、何年掛かるか判つたものぢやあない。たれか實行に移すなら、止めやしませんよ。ラーメン程度の食べ歩きより、余つ程いいと思ふのだが、他のたれかに叱られるか知ら。さう云へば十何年か前、呑んでからわざわざラーメンを食べに行く(呑み屋の近くではあつた)習慣があつたな。肝臓も胃袋も、今より余程、頑丈だつたらしい。尤もうまかつたかどうかは、さつぱり覚えてゐない。御徒町上野周辺のラーメン屋には申し訳ない。

 ラーメンはまあ措くとして、呑んだ後に麺を啜るのは惡くないものだ。さういふことを私は學んだ。併しラーメンは熱いししつつこい。饂飩やきしめんは夜中に食べるのが六づかしい。素麺は家で喰ふものだ。かういつた流れから、立ち喰ひ蕎麦に目が向いた。[冨士そば]とか[梅もと]とか[茹で太郎]ですね。そこでざるを一枚。あればつゆに温泉卵を入れてもらふ。酔つた喉には中々、具合がよい。七味唐辛子を振ることもあつて、これは食べる分だけの蕎麦に、ちよいと。どちらも歴としたお店ぢやあ出來ないが、茹で置きの廉な蕎麦だと妙に適ふ(やうに思はれる)から、私の味覚なんて、いい加減なものです。
 ところでここまでの進み具合だと、丸太が立ち喰ひ蕎麦で啜るのが多いのは、ざる蕎麦と思はれるかも知れないが、そんなことはない。統計は取つてゐないから、そこは割引いてもらふとして、大半はたぬき蕎麦の筈である。後はかけ。偶に掻き揚げときつねくらゐ。変り種は好まない。精々が春菊天だらうか。我ながら保守的な態度だと思ふ。[冨士そば]だと一部のお店で紅生姜の天麩羅を用意してゐて、確かに好物なのだけれど、刻んだそれの掻き揚げなのが気に入らない。あれはぺらんとしたやつを揚げるのが旨いし、大坂式の饂飩に似合ふ。

 話がそれさうですね。
 たれです、いつも通りと苦笑するのは。

 蕎麦愛好家から見ると、立ち喰ひはどんな風に映つてゐるのだらう。何となく軽んじられてゐるんではないかと思はれる。曰く二八は当然、十割でなくちやあとか、つゆが練られてないのはいけないとか、天種は時節地物とか、考へてゐるのか知ら。それとも美味い蕎麦は先づ、いい水で香りと喉ごしを味はふものだとか、云ふのか知ら。いやまあ、さういふ愛好家の要望を満たす蕎麦屋があつたつて、かまはないと思ふけれど、そんな求道的なお店には入りたくないなあ。店主が長渕剛みたいぢやあないか。
 日常の動く範囲の中に[長寿庵]といふ、名前は立派だけれど立ち喰ひに準じる程度の蕎麦屋があつて、時々たぬき蕎麦を啜る。蕎麦は茹で置き。つゆは業務用を基にしてゐさうな感じ。独りで切り盛りしてゐる店だから、そのくらゐは何と云ふこともないさ。それに葱は自分で刻んでゐるし、天麩羅(勿論掻き揚げである)も店で揚げてゐる。見た目は長渕剛ほど恰好よくはないし、店内でラヂオの競馬中継を流しつぱなしにする親爺さんは愛想が中々よく、肝腎の蕎麦も廉で、そこそこにうまい(冷しは感心しない)一ばん高いのが三百円の掻き揚げ蕎麦、かけ蕎麦に到つてはたつたの二百二十円だから、おやつ代りにひよいと啜れるのが嬉しいよ。

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 ぬる燗を一合、だらりと含みながら、鴨や板わさなんぞをつまみ、悠々と蕎麦に取り掛かる。さういふ蕎麦屋があるのは勿論、宜しい。時代遅れの愉しみと云はれさうな気もするが、"最近の若エ連中"には解らん愉しみなのだよと居直つておきませうか。
 ただそれだけでは困る。
 時に老舗の古格が、どうにも鬱陶しくて我慢ならないと感ぜられる…なんだ気取りやがつて、下らねえ。あんなに割高な肴をつまめるかものと云ひたくなる…瞬間があるのです。何故だらうかと考へるに、蕎麦はどれだけ洗練されても、食事ではない。所詮は贅沢なおやつなんですね。そして食事ではないところが値うちである。そんならもちつと気樂でも、いいんぢやあないか。それなりの値段をつけてゐて明らかに茹で置きだつたり、蕎麦が引ついてゐたり(まさかと思ひますか。どちらも實際にあつたのですよ。店の名前は伏せるけれど)すると、がつかりして仕舞ふ。
 これが立ち喰ひ蕎麦なら少々まづくたつて、笑ひ飛ばせる。山葵でも七味唐辛子でも、誤魔化す工夫もある。それで話の種にもなる。尤も立ち喰ひは特段、うまいわけではないが、がつかりさせられない程度に味は安定してゐるから、笑へるくらゐのまづさに出会ふことは期待しにくい。仮にあつたとして、話の種には出來るけれど、蕎麦の種にはならないだらう。

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by vaxpops | 2017-08-28 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

特筆すべきこともなし

安呑み屋の。
ただの冷奴。
それだけで。
馴れた店の。
ただ安心感。
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by vaxpops | 2017-08-26 08:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

夏の野菜の、ひりりとした感じ。

齧りついた後、舌で爆ぜる感じ。

麦酒で口を洗ひ、苦笑する感じ。

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当つても外れても、籤は美味いものなのだ。

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by vaxpops | 2017-08-25 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

more

生ハムの美味いところつて

塊からナイフで削り出す姿

もつと削れ!おれの為に

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by vaxpops | 2017-08-23 07:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

リクエスト

 惣菜パンといふのを私は好む。

 ハムカツ。
 コロッケ。
 タマゴ(ここはカタカナにしないと、しつくりこない)
 ソーセイジ。

 小腹は空いてゐるのに食事までは慾しくない。さういふ中途半端な時、實に具合がいい。

 併しどうも焼そばパンとは、相性が宜しくないのですね、私の場合。宜しくないと思へる理由ははつきりしてゐて、焼そばはコロッケやハムカツに比べて、パンにあひにくいんではないかと思はれる所為である。
 では何故あひにくいのかと考へるに、パンの甘みが要因ではないか。我が國のパンは輸入以來、独自の変化を遂げてきたが、云はば西洋の流れを保持してゐる。コロッケやハムカツも同様で、さういふ視点に立つと、相性の問題は(少)ないだらう。対する焼そばは日本独特の食べものだから、東西のずれが際立つて感ぜられるのではないだらうか、と私はすすどく睨んでゐる。
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 裏を返すと、日本式の甘さを少々控へめにしたパンを用意すれば、焼そばパンの地位は劇的に向上するだらうといふ期待が持てる。我らが惣菜パンのメーカーには、その辺りの研究を抜かりなく行つて頂きたい。
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by vaxpops | 2017-08-21 08:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

黄身

 ご覧のとほり、苦瓜と厚揚げ豚肉にもやしの炒めもの。味つけは塩と胡椒。まあ、ありきたりと云へばありきたりなんだが、寧ろそのありきたりが旨い。かういふのは凝ればいい、とは限らないんですよ。

 そのまま塩胡椒で食べるのがいいのは勿論、途中でほんのり醤油を垂らして、気分を変へるのも惡くない。ただこの場合、ひと口のごはんが慾しくなるけれども。
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 さうさう。

 このひと皿の厚揚げには、ちよいと感心した。豚肉の脂や苦瓜の風味をうまく受けとめる、意外な(と云ふと、厚揚げに失礼か知ら)有能ぶりを発揮してゐた。

 これをつまみながら(勿論麦酒を呑んでゐる)家でご馳走風に仕立てるなら、大蒜醤油で濃いめに味をつけ、半熟の目玉焼きか温泉卵を乗せ、分葱をたつぷり散らすのがよからうな、と考へた。苦瓜をも少し分厚めに切れば、濃い味つけにも負けはしないだらう。それに黄身で汚れたお皿を、ごはんで綺麗にする樂しみだつて出來る。
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by vaxpops | 2017-08-20 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

meet meat

牛肉とおくらの串焼き。
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豚肉と夏野菜のカレー風味炒め。
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 鶏肉がないのは 画竜点睛ヲ欠ク だねと云はれるか知ら。

 どちらも、旨かつた。
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by vaxpops | 2017-08-19 13:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

円弧

罐詰から切り出され

弧をゑがく塩漬豚の

焦げとマヨネィーズ

麦酒と泡盛のよき友

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by vaxpops | 2017-08-15 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

円環

 先づ引用から始めませう。

『一日の発端である朝食のおかずと、一日の末尾である酒の肴は、おごそかに円環を作るのだと考へてもいいし、どつちも味覚の純粋形態だから一致するのだと言つてもいい。つまりこの両者を兼ねることが絶対できないからこそ、たとへばライス・カレーなんてものは品格の低い食べものなのである。』

 丸谷才一の『好きな背広』(文春文庫)に収められた[小説作法]の一節であります。今なら同じ文庫の『腹を抱へる』で簡単に讀めるから、目を通してごらんなさい。小説に限らず、文章を書かうとする時の、ちよつとしたこつが判る。

 併しその"ちよつとしたこつ"は兎も角、ライス・カレーが朝食のおかずと酒の肴を兼ねることが"絶対できない"といふ指摘には疑問が残る。説得力はあるけれど、本当か知ら。絶対と強調するのは、幾らなんでも云ひ過ぎな気がするなあ。

 何故こんな話を始めたのかといへば、私はライス・カレーが大好物なのです。毎日三食は流石に遠慮するとしても、毎日の中の一食だつたらかまはない程度には好もしく思つてゐる。子供めいた嗜好と笑はれるかも知れないね、反省はしないけれども。

 ただここで考へると、ライス・カレーで一ぱいやつつけた記憶が殆どない。氷水かカフェ・オレくらゐ。分が惡さうな気配になつてきたぞ。
 と書いて、田原町にあつた[松楽]といふ店を思ひ出した。むやみに巨大なもつ焼きが印象的だつたが、その[松楽]に"カレーのル"といふメニュがあつた。小鉢に入つた甘くちのカレーのルウ。これを匙で掬ひながら、電氣ブランを生で啜るのはハイカラなんだか、ひたすら駄目な醉つ払ひなんだか、自分でもよく解らないが、愉快であつたのはまちがひない。
 さういへば、中野の[navel]といふ店で、バーテンダーだつたKIさんが、"KI家のカレー"と称したライス・カレーを出したのも思ひ出した。当時の[navel]は葡萄酒を主体にしたバーだつたから、この夜はかるめの赤を呑んだのではなかつたか。バーテンダー曰く、實家の作り方で煮込んだのですよ、といふ話。中々に品のよい味はひだつたな。
 記憶が連なつてきた。東中野にある[まいど]では時に"沼カレー"といふのを出す。ウーロンハイだつたかを横に置いて、匙を操つたと思ふ。小体な呑み屋で、珍なメニュと云つていい。[まいど]は妙に凝つたつまみを用意する癖があつて、さういふのを探すのも、客の愉しみである。
 かう辿ると、決して分が惡いとは云へないといふ気分になる。裏を返せば、ささやかな記憶しか浮ばないのだから、ライス・カレーに適ふ酒精が少ないといふ事實の間接的な證明と云へなくもない。ここまで挙げた酒精は、電氣ブランに赤葡萄酒にウーロンハイ。いづれも惡くはなかつた。なかつたけれど、ではかういふ酒精をもつて、ライス・カレーを"一日の末尾である酒の肴"と位置づけられるだらうか。残念ながら、ウーロンハイはまあいいとして、葡萄酒や電氣ブランを日常の晩酌に使ふのは、六づかしさうに思へる。

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 それで英國を気にしなくてはなるまい。我が邦のカレーが、あの大植民地帝國からもたらされたのは今さら強調する必要もない話だが、では英國紳士がカレーをどう食べてゐたか、ゐるか、我われは知らないのではないか。
 正直なところ私が知つてゐるのは、上流のロースト・ビーフとスモークト・サモン(サーモンと書いたら、途端に廻転寿司めいて仕舞ふ)、労働者階級だつたらフィッシュ・アンド・チップスにジェリード・イールくらゐ。この認識がどの程度に正しいかは在英の讀者諸嬢諸氏に判定してもらふしかないとして、かういふ食べものに、果して英國人はカレーを用ゐるものか知ら。風変り好みはどこにでもゐる例外だから、その層を除くと、どうも用ゐないだらうなといふ気がしてくる。
 英國と聞いて私の頭に浮ぶのは、保守的といふごく類型的な印象と、これは本当かどうか
『ロンドンでうまい食事をしたければ、中華料理屋に行け』
といふ格言。簡単に説明すると、外國の料理屋はその國の料理人が厨房に入つてゐるから安心だ、といふ意味です。この辺りは植民地帝國の面目躍如だなあと手を拍きたくなる。自國の料理人への皮肉が、いい具合のスパイスにもなつてゐるのもよろしい。
 この理窟で云へば、英國の印度料理屋には印度の料理人がゐるのだなと想像出來て、もしかすると、我が邦に伝はつたカレーは、英國で印度料理屋に卸されたのかとも思つたが、それぢやあ商賣にならない。きつと胡椒のやうな扱ひだつたのだらうな。たとへばキヤベツや馬鈴薯と牛肉を煮込んで、カレー・パウダーでほのかな香りをつけ、異国風を気取つたにちがひない。これならライスには目を瞑れるし、呑みながらつまめもする。それを招いたお客にヰスキィと一緒に勧めながら、印度での奇妙な冒険譚を語つたのだらう。英國人は冒険好きで感傷的で法螺が巧いもの。それくらゐは平然とやらかせたさ。
 さういへば丸谷才一は英文學のひとだつた。ライス・カレーに批判的だつたのは、ロンドンで振る舞はれた、カレー風味の煮込み料理とギネス・ビールに義理を立ててゐたのかも知れない。
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by vaxpops | 2017-08-13 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

手抜きたぬき

まづ冷や奴におろし生姜。

そこに刻み葱をたつぷり。

さらに天かすをわさりと。

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 麺つゆを打ち掛けて、少しの味つけぽん酢を垂らせば、称して曰く、たぬき奴の出來上り。本格に準備する積りなら幾らでも手をかけられるが、まあ眞夏の手抜きのひと皿だよね。

 余裕があるなら、胡瓜や茗荷やセロリーを細く刻んで添へればいい。冷房で体が冷えるなあと思ふひとは、麺つゆや味つけぽん酢ではなく、熱いあんを用意すればよからう。この場合なら、生姜より、もみぢおろしの方が似合ふ。
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by vaxpops | 2017-08-10 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)