いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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 地元に戻ると、地元ことばになつて、地元のふるい友人と麦酒を呑む。

 地元に戻つてゐるので、感覚のどこかもまた、子供に戻つてゐて、そのくせ麦酒を呑むんだから、どことはなく奇妙とまあ、云へなくもない。

 尤も、大した話をするわけでもないんですね、かういふ時は。

 麦酒を呑む。
 焼きソーセイジやザワークラウトや生ハムやマリネを肴に、間にシュタインヘイガーとかいふ独逸焼酎を挟み込んだりして。
 話題はどんどん逸れ、あちこちに飛び廻る。
 お代はり毎に。
 肴が代はる毎に。
 わたくしはそれを気にしないし、友人も気にすることはない。
 真面目な話題があり不真面目な話題もあり、ぼけとつつこみは云ふまでも無く。

 要は他愛ない莫迦話。

 酔ひが廻ると夜も更ける。
 我われは再会を約して別れた。
 帰り路わたくしは、かれとの付合ひが殆ど三分の一世紀に及んでゐる事に気が付いた。
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by vaxpops | 2010-12-31 17:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

10009-0009 きつねうどん

 狐饂飩と漢字にすると、何だか別の食べもののやうに思はれる。キツネウドン、狐ウドン、なんて云ふのもいけなくつて、矢張り平仮名のきつねうどんが一ばんいい。これはもう好みなのですと云ふしかない。

 東都に棲むわたくしが西都に戻つて最初に喰ふ…いやいや、食べるのがきつねうどんで、さういふ習慣なのだから仕方がない。お店の撰好みはしない。たとへば新幹線を使つたら、新大阪駅の在来線側にある立喰ひに潜り込むし、他の交通を使つても事情は変はらない。要するに手近なお店に入つて

 「小母ちやん、きつね」

 と云ふわけです…大坂式ではきつねそばが存在しないので、わざわざ"うどん"を付け足す必要がない…お出汁をひと口ふた口。うどんを啜りこみ、お揚げサン(お揚げには"サン"を付けるのが礼儀と云ふものだ)にかぢりつく。

 これが、美味しい。

 沁みてゐた熱いお出汁が、お揚げサンじたいのほのあまさと混ざり、口の中に溢れる。

 かういふ時にお行儀をあれこれ考へるのは野暮と云ふもので、はふほふあちあち、寧ろぞろツぺえ、或は品下れる態度で臨むべきだ。
 お葱の鮮やかな香りとうどんの歯応へが相俟つて、口福といふ言葉の意味を舌で理解する事が出来るに相違ない。

 たかだか数百円で口福とは大袈裟ですか。

 いえいえ、これが馴れ親しんだ味の特権といふものなんです。
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by vaxpops | 2010-12-30 14:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

10008-0008 蕎麦と冷酒

 東京は神田に美味しいお蕎麦の店がある。
 幾つもある。
 美味しいお蕎麦やが神田にしかない、と云ふわけではないけれど、東京でお蕎麦から連想出来ると云へば、矢張り神田になると思ふ。お蕎麦と云へば神田、神田と云へばお蕎麦、と云ふ連想は良い惡いの話ではなく、これがブランド・イメージといふものなんです。やむ事を得ない。

 蕎麦やでの過し方にわたくしは漠然としたあくがれを持つてゐた、ゐる。

 いたわさなんぞを肴に冷酒をちびちびと呑る。
 それからぞろりと、もり蕎麦を啜りこむ。

 これである。
 灰いろの背広にループ・タイ。ハンチング帽を被り、草臥れてゐるけれど、きちんと磨かれた革靴で。
 平日の午おそい時間帯がいいですね。昼食の煩雑が終つて、閑散としたころにひつそりと入つて、隅に坐るのが望ましい。
 それでぼそぼそ、いたわさにお酒を一本、下さい。後からもりを一まい、もらへますか、と註文するのだ。
 あくまでも地味に。
 これである。

 尤もこいつを完全に実行するには、まだまだわたくしは小僧に過ぎず、だいたい地味で品のいいループ・タイなんて、あるものかね。灰いろの背広だつて、仕立てがよくないとお話にならないし、さういふのを身に着けて似合ふのは矢張り、人生の半ば以上を過ぎてからでせう。
 先々に希望があるのはいい事だ。

 然し先般、その"予行演習"は実行に移すことが出来た。
 ジーンズにスニーカーだつたけれど、まあ、気にする事はない。
 神田の高名なお店で、酔払ひ仲間とふたり。
 残念ながらお店は混雑してゐて、閑雅には程遠かつたけれど、我われが先づ閑雅から離れてゐたので、その辺も気にせずによからう。
 互ひに冷酒を一本。
 肴にわたくしは鴨のローストを撰び、かれは牡蠣の天麩羅。鴨は辛子と白髪葱が添へられ、天麩羅は塩で。
 周りのお客は掻揚げにせいろとか、鴨南蛮とかをやつつけてゐて、お酒と肴だけが乗つかつてゐる我われの卓子はちよつと、場違ひの感が無くもなかつたけれど、なーに、気にするのは損と云ふものだ(お酒の所為でだんだん気が大きくなつてゐる)
 蕎麦やの時間はどうも独特なもので、昼間ツからちびちび呑るダメさ(ここはカタカナで書きたい)気分が実に心地好い。この心地好さを分析するのは困難だし、困難以上に野暮な態度なので、理由を考へるところまでは踏込まない。考察好きの方は、ごじしんで試してみられるがよからう。

 昼の冷酒を堪能した我われは、もり蕎麦をゆつたりと啜りこみ、蕎麦湯まで恙無く愉しんだ。
 どうもかういふ快は、神田のお蕎麦やでないといけない気がするのは、矢張りブランド・イメージの賜物で、やむ事を得ない。
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by vaxpops | 2010-12-29 10:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

10007-0007 アーカイヴ

 元々わたくしは、au-oneで 『月のすみつこと太陽のはしつこ』 といふウェブログを持つてゐた。
 ここエキサイトで、この 『いんちきばさらとマクガフィン』 を立ち上げたのは、au-oneがウェブログ・サーヴィスを終了さしたからで、それ以上の理由は何も無い。

 au-oneも無責任…ぢやないな、不親切ではないので、seasaa か livedoor へ移行出来る用意をしたのであるが、折角の移転なのだから、ゼロ・リ・スタートでもよからうと思つたのも、派生的な事情と云つてもいい。

 尤もわたくしは貧乏性でもあるから

 「それぢやあ、au-oneは"無かつた事"にすればいい」

 とまでは思ひ切れなかつた。たかが千数百の記事が惜しいのかと云はれれば、粒よりの駄文揃ひといふ事実が反論を許さないとしても、書き手の思ひ入れと云ふか、未練くらゐは認めて頂いても、罰は当らないのではないか。

 さういふ事情…気分で、seasaa に、『月のすみつこと太陽のはしつこ・アーカイヴ』を用意する事にした。

http://zampablack.seesaa.net/

 わたくしがどんな文章を書き、考へ方にどんな傾向があるかを手早く知りたければ、こちらを眺めるのが宜しからうと思はれる。

 まあ実のところ、今ひとつの事情もあるのだが、それは未だ、ここで書くには早過ぎる。
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by vaxpops | 2010-12-25 21:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

10006-0006 鯖

 漢字は"魚ヘンにブルー"なんださうだ。
 長嶋茂雄伝説でさうなつてゐるんだから、間ちがひない。

 わたくしが酷愛する魚は、一に鯛、二に鮭の白身魚コンビが不動の双璧だつたのだが、この何年かで急激にランキングを上げてきたのが、魚ヘンにブルー…ぢやない、鯖なんである。
 旨い。
 どうやつて喰つても、旨い。
 ごく新鮮な鯖なら、お刺身で旨く、お酢で〆たのも旨い。
 塩焼にして旨いし、お醤油と生姜で煮いても旨いし、竜田揚げも旨いし、味噌煮が旨いのは最早、わざわざ云ふのも面倒に思へるくらゐだ。
 パーツをくまなく味はへる点で、鮭に勝る魚は無いが、調理方法で魚肉の異なる旨さを堪能出来る点では、寧ろ鯖の方が勝つてゐるのではないか。さう近年のわたくしは考へてゐて、どうもそのきつかけ…といふか事情は、自分の胃袋と舌にあるらしい。

 若い胃袋と舌は、獣肉を好む。焼肉萬歳ですな、要するに。"食べ放題"の看板にうつかり引つ掛かつて仕舞ふ世代と云つてもいい。わたくしも、さういふ世代であつた時期があつた、と遠い目で付け加へておかう。

 その時期を過ぎると、胃袋と舌はお刺身に目覚める。獣肉とは異なる脂の味に気付くわけですな、要するに。この時期に達したひとは、日本酒を冷で呑る愉しさにも目覚める事が多いと思はれる。

 さらに次の時期になると、胃袋と舌は煮炊きものを歓ぶやうになる。とろより赤身ですな、要するに。量に興味がなくなつて、ちよつぴりでいいから、美味しいものを食べる方に重きを置けるのは、この時期やうやくではないか知ら。

 この最後の…といふのは、以降の嗜好がどう変はるのか、わたくしは未だ知らないからなのだが…煮炊きもの期に到つてやつと気付くのが、鯖の旨さなんである。
 なんではなからうか。
 なんだらうと思はれる。
 焼肉期から刺身期(かう書くと何だか古代史みたいだね)に掛けてのひとが好みまた歓ぶのは、ごく粗雑に云へば脂身の味ではないか。鯖の脂も旨いのは大いに認めなくてはならないが、それ以上に特筆すべきは肉そのものの旨さではないか。
 肥つた鯖の肉をぐつと噛みしめる。その肉は崩れるやうでゐて、脆くはなく、然し獣肉とは異なる歯応へが実に心地好い。それはお刺身と〆鯖と塩焼と煮付けと竜田揚げと味噌煮に共通しながら、それぞれの味付けを美事に受け止めて、口福を感じさせて呉れる。

 鯖を肴に一ぱい呑る。
 こんな廉上がりな幸せは、探さうと思つても、中々見付かるものではない。
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by vaxpops | 2010-12-23 22:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

10005-0005 ペンの話

 一ばん最近に購入したカメラが、ペンなんです。
 オリムパス製。。
 正しくはオリンパスなのは知つてゐるが、オリ"ム"パスと書く方が好みなのだ。真摯で生真面目なファンの皆さま方には、ご容赦願ふ。
 オリムパスのペンと云へばおそらく、多くの読者諸嬢諸子はマイクロフォーサーズ規格の、ミラーレス・デジタル一眼カメラを連想するんではないかと思はれるが、わたくしが買つたのはそれではない。
 ペンFといふ極めて独創的な、知る限りではオリムパス以外は手を染めなかつた、ハーフ・サイズでレンズ交換も出来るフヰルム一眼レフを連想する方もをられるかも知れないが、それもまた違ふ。

 ペンS。

 ペンと名付けられたカメラの二番目の機種であり、わたくしはこれが、完成形だと思つてゐる。
 わたくしの手元にあるのは、シリアル番号が334562の個体で、Dズイコー3㎝F2.8を搭載し、目測ながら70㎝まで近寄る事が出来、バルブと1/8~1/250秒のシャッターを備へ、6枚の絞り羽根…ものの本では絞り羽根が5枚と記されてゐるが…を有する。
 このDズイコーが素晴しくよく写る。
 Dズイコーに採用された3群4枚のレンズ構成は俗にテッサー・タイプとも呼ばれる、ごく簡単な構造であつて、偉大なパウル・ルドルフの…いや、昔日の光学大国独逸の栄光を…いや、レンズ史の話はこの際どちらでもよろしい。

 目測で露出計も持たぬカメラで、素晴しくよく写るも何も無いだらう、と思ふのは間ちがひだ。
 ペンSが現行機種だつた当時に比べ、フヰルムの性能が飛躍的に向上してゐるのが、理由のひとつ。
 ハーフ・サイズといふフォーマットもまた、この場合レンズに対して、被写界震度の点で有利に働いてゐるのが、理由のひとつ。
 最も大きな理由は、ペンSで撮るのが、実に痛快である事だらう。
 ざつくりと露光を合はせ、同じくざつくり焦点位置を決める。なーに、ISO100のフヰルムを好天の野外で使ふなら、F5.6かF8の1/250秒か1/125秒の組合せで大体問題は無いし、これくらゐの露光条件なら3m辺りに焦点を決めておけば、大体外す事も無い。後は気分でちまちま弄りながら、シャッタ釦を押せばよい。

 この"大体"が痛快なんである。

 どうやつても厳密に露光や焦点を決められないのは、逆さに考へると、それらから切り離されてゐる事を殆ど明示してゐる。その点に気が付くと、写真を撮る行為そのもの…必須の前段階と思つてゐた、露光と焦点の調整を飛ばして…に集中出来る。わたくしの思ふ"大体の痛快"を多少詳しく云ふと、こんな感じになるだらうか。
 シヴィアに単体の露光計を用意し、リバーサル・フヰルムを用ゐる方がよく、距離もきちんと測る方が、Dズイコーと云ふ優れたレンズの性能を存分に発揮させられるだらう事は勿論である。勿論ではあるが、それは、愉しい行為かね。間ちがひの無い写真を確実に撮りたければ、その辺の量販店の棚に並ぶデジタル・カメラ(デジタル・カメラに記録された画像を写真と呼んでいいのか、疑問はあるのだが、ここでは踏込んで考へない)を買ふ方が余程に確実だし、いやたとへば携帯電話に内蔵されたカメラだつて、近年のは恐ろしい性能なんだから。
 ペンSを使つて撮つた写真が必ずしも、よく撮れた写真になるとは限らない。が、高揚した気分でばしばしシャッタを切つた後、さて全体、どんな写真になつてゐるんだらう、とわくわく(乃至びくびく)出来るのは、ペンSユーザに与へられた特権ではないかと、わたくしは静かに主張したい。

 シリアル番号334562は、わたくしにとつて三度目のペンSである。
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by vaxpops | 2010-12-23 12:00 | 画像一葉 | Trackback | Comments(0)
 丸太花道…"文學部書物研究科"といふ素敵な二ツ名のプレゼントを実は、頂いてゐるんだが…が、わたくしの正式なハンドル・ネイムである。

 読みは"マルタ・ハナミチ"で、多分、五年くらゐ使つてゐると思ふ。

 ある程度の期間、同じハンドル・ネイムを使ひ続けるとそれは、一種の皮膚的な感覚をもたらすもので、ペン・ネイムや俳号雅号は当人にとつて、親に与へて貰つた名まへにきはめて近い場所を占めるのではないかと思はれる。

 尤もわたくし…といふか、丸太花道の場合、ほんのちよつと、妙な来歴がある。

 元々それは、わたくし自身のハンドル・ネイムではなかつた。
 ある事情で、わたくしが自分の事を、それを他人の事として書く事になつたわけです。
 今回は自分じしんの話なので、一人称を多用してゐるけれど、本来それは好みに合はない。
 ゆゑに別人のノン・ノンフィクションとして書かうと思つたのが、丸太花道の登場するきつかけだつた。
 "他人"の話題と云ふ体を取つてゐた事情があつたから、その際は呼び捨て表記ではなかつた。
 皮肉と自嘲の意味を混ぜ込んだ当時の表記は"丸太花道先生"であつて、かれは物慾に非常に弱い人物として描かれた。

 ああ、そこの貴女、検索を掛けてもその頃の文章を見つけることは出来ませんよ。
 すべて削除されてゐますからね。

 "別人と云ふ設定の"キャラクタ、だつたわけだ、要するに。
 勿論かいうふ設定はわたくしの独創ではなく、たとへば百閒内田栄造が随筆に登場させた藤田百鬼園先生が思ひ浮ぶとほり、文學的な背景がある。
 ぱくりではなく、文學的背景と呼ぶと、中々恰好いいでせう。
 然し百閒先生は、百鬼園先生と最後まで"別人"のままであつたが、わたくしの場合、さうはいかなかつたわけで、この辺りはまつたくのところ文學的な態度ではないけれど。

 いつの間にか、お鍋の中の肉が煮崩れて仕舞ふやうに、とろとろと、わたくしと"別人であるところの(筈の)丸太花道"は一体となつて仕舞つた。
 尤も、生れのちがひは小さな痕跡を残してゐて、丸太花道への正式な呼びかけは未だ、丸太先生のままである。
 わたくしがえらいわけではないので、その点は誤解してはならない。
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by vaxpops | 2010-12-22 09:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

10003-0003 vaxpopsと丸太花道

 わたくしのエキサイトIDはvaxpopsである。

 見れば解る通り。

 意味は無い。

 有体に云へば、何となく、響きで決めたに過ぎない。

 何故、vaxpopsの響きが気に入つたのかも、既に記憶から抜け落ちてゐる。

 いい加減なものですね、我ながら。

 長年、常用してゐるハンドル・ネイムは丸太花道であつて、本来ならばこの名まへを、きちんと表に出しておきたい。

 どうもエキサイトの仕様上、それが出来なささうに思はれるのが、どうにも釈然としないのだけれど。

 だつて、さうでせう。

 IDなんて飾りです、えらいひとにはそれが解らんのです。

 (咳払ひ)

 IDは裏で何かしらの管理を担当してくれればそれでよいのであつて、こんなのを表に出したところで、どうと云ふ事にも、ならないでせう…おそらくは。

 ハンドル・ネイムといふのは、わたくしを指し示す記号の一種だから、その辺がひとつ、アレだとちと、困惑させられて仕舞ふんである、
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by vaxpops | 2010-12-21 09:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

10002-0002 分類学

 Wikipediaによると

 「分類学(ぶんるいがく、英: Taxonomy)とは生物を分類することを目的とした生物学の一分野。生物を種々の特徴によって分類し、体系的にまとめ、生物多様性を理解する。 なお、広義の分類学では無生物も含めた事物(観念も含めて)を対象とする。」

 と定義されてゐる。Wikipediaを全面的に信用するほど、わたくしは無邪気でも愚かでもない積りだが、"分類学"に限れば、まあ大体、こんなものだらうと思へる程度の記述ではないかと思ふ。

 で。

 この記述で気になるのが、後半の部分ですね。

 「広義の分類学では無生物も含めた事物(観念も含めて)を対象」

 と云ふ事は(拡大解釈を重ねると)ウェブログのカテゴリもまた、分類学の一種に含まれるのではないか。
 本来、ウェブログに書かれた文章群のカテゴライズは、ある程度の数に達して(或はそのウェブログを終了さすに当たつて)(理想を云へば優れた読み手に依つて)行はれるべきことで、話を大きくすると、ある藝術家の研究に用ゐられる手法の仲間とも云つていい。さうですね、パブロ・ピカソ辺りが分かり易い例ではないだらうか。青の時代からゲルニカ、それ以降までかれの作風は細やかに分類されてゐて(その妥当性はこの際、問はない)勿論その分類にピカソじしんは関はりが無い。晩年のピカソがアトリエでこつそり、過去の自分の作風を年表式に分類してゐる姿を空想するのは、愉快ではあるけれど。

 話が逸れた。

 えーと。

 さうさう。

 ウェブログのカテゴリの話でした。
 百本、千本と記事が重なると、その質は問はないとして…文章は決して、数が質に転化しないものですからね…書き手の癖や好む話題の傾向が浮んでくる。
 望む望まないの話では勿論ない。
 使ひ古された"文ハ人ナリ"といふ云ひ廻しは、使ひ古されてゐるだけあつて、侮れない程度に事実を含んでゐるものなのだ。ナントカ占ひや心理学テストとか云ふお遊びより余程、それは精確なんだから、怖いですね、ええ、本当の話。
 ただ怖いと云ふのは、カテゴライズされた側の心理であつて、傍から眺める分には痛くも痒くも無い。
 どこかのたれかが苦心惨憺の挙句、書き上げたものを、他のどこかのたれかが、尤もらしく鹿爪らしい顔つきで切り分けたものには、他のどこかのたれかが何を考へてゐたのかも透けてゐるのであつて、さういふのに目を通すのは、密かな…いや寧ろ陰湿なと云ふべきか…愉しみであらう。

 だとすれば。
 だとすれば、なのだが。

 ウェブログの書き手であるところのわたくしが、予めカテゴリを設定するのは、読み手の密かで陰湿な愉しみを邪魔する行動になりはしないだらうか。
 まあ、わたくし如きの駄文を相手に、そんなことをするほど酔狂なひとはをられないに違ひないし、百万が一その(無駄な)労苦を厭はぬひとがゐたとしても、その結果が(広義の)分類学の中に収められるとは、とても思へないのだけれど。
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by vaxpops | 2010-12-20 23:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
 ばさらには婆娑羅などの漢字表記もあるさうだ。
 ばさら者とか婆娑羅大名とか、さう云つた言葉がご記憶にある方も、をられるのではないか。
 わたくしは"ばさら"と聞く度に、佐々木道誉を連想するのが常なのだが…随分以前の歴史もので、陣内某が演じてゐたと思ふ…どちらかと云へば、好き者にしか知られてゐない名まへかも知れない。
 言葉の使はれ方としては、後代の"傾奇者(カブキモノ)"に近い。
 反権力、華美、粋と教養。
 尤も、傾奇大名といふ呼び方はなく、その辺りにばさらとかぶきの違ひ…時代だつたり身分意識だつたり権力の在り方だつたり…が潜んでゐるのではないか、とも思はれるのだが、これは根拠の無い空想。
 まあ、ばさらだらうがかぶきだらうが、頭にいんちきを付けると、元の言葉に貼り付く印象が、一ぺんに逆転して仕舞ふ事には変はりが無い。

 マクガフィンには漢字の表記はないけれど、その代はりMcGuffinの綴りがある。
 ものの本によるとそれは
 「蘇格蘭で獅子を捕まへる為の」
 道具なんださうな。
 蘇格蘭は"スコットランド"なので、ちよつと字面が判り辛いと思はなくもないが、愛蘭が"アイルランド"で芬蘭が"フィンランド"なのを思ふと、何となく文字の構成に一貫性が見えてくるから不思議なものだ。
 それは兎も角、蘇格蘭人にさういふ需要があるのか、わたくしは知らない。
 そもそも蘇格蘭に獅子がゐるのかといふ疑問もあるが、それもわたくしは知らない。
 確かなのは蘇格蘭に獅子がゐるとしても、それを捕まへる道具を必要とする蘇格蘭人は、ごくごく少数派であることで、マクガフィンは、非常にニッチな需要を満たす道具なのであらうと云ふ事だ。
 世の中はまことに複雑に出来てゐる…と云ふのは大うそで、本来的なマクガフィンがどういつた意味合ひ、位置付けで使はれてゐるかは、ご自身でお調べなさい、なーに、時間のかかる調べものではない。
 アルフレッド・ヒッチコックを鍵にすれば、ちよつとした暇潰しくらゐにはなるだらう。

 何を云はんとしてゐるのか、よく解らない??

 さう、そこが狙ひ目なんである。
 曖昧で模糊で尤もらしくて、然も空虚。
 皆々様方よ、呉々もわたくしに騙されてはならない。
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by vaxpops | 2010-12-17 00:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)