いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

<   2011年 01月 ( 6 )   > この月の画像一覧

11006-0016 おびいこ

 おびいこと云ふのが一般的な呼び方なのかどうか、わたくしは知らない。

 単語としては、"びいこ"に接頭語の"お"がついたもので、"びいこ"は伊予ことば…正確にはその一派の燧弁(ヒウチベンと読むのださうな)で、魚を意味する(幼児)言葉らしい。燧弁は伊予の新居浜周辺で用ゐられると云ふから、何となく納得がゆく。わたくしの親族一同は勿論、親も新居浜人であるから。

 "びいこ=魚"が正しいとすれば、おびいこは単に"お魚"であつて、幼児言葉なら"おちやかな"くらゐになるのだらう…と考へる時、わたくしは微笑を禁じ得ない。
 わたくしにとつての"おびいこ"は、一般的に云ふ縮緬山椒の事であるから。

 これが、旨い。

 なに、特別な作り方をするわけではない。
 山椒と縮緬雑魚を醤油でくつつり、炊き込んだだけのものだ。
 ポイント的な部分を挙げるとすれば、醤油だけで、だらうか。どうしても味のきつさが気になるのなら、日本酒で調節する。
 六づかしくも何ともないが、これが素敵に旨い。
 そのままお酒の肴になるし、野沢菜漬の塩の薄いやつにまぶすのもいいし、ご飯に乗せて湯漬けにしたり、混ぜ込んでおにぎりにしてもよく、梅干(果肉の柔らかいやつ)と一緒に細かく叩いてもいい。
 一ばん然し美味しいのは、炊き立ての熱いやつを、お鍋からちよいと摘み喰ひする事で、咽喉から胃の腑まで熱い山椒の香りで満たされる。

 詰り、辛い。
 特に祖母が炊いたおびいこの辛さは飛び切りであつた。何せ山椒の灰汁抜きをせず、そのまま炊いたのだから、わたくしは"口に響く辛さ"の意味を、それで体得したと云つてもよい。尤も、子どもの頃からその味に馴れてゐると、スーパーマーケットや百貨店で売られてゐる縮緬山椒が逆に口に適はない。甘過ぎる物足りなく感じて仕舞ふからで、これが人生の損か得かは、一考の余地がある。

 話はちがふが、わたくしは死ぬと云ふ事に然程、あれな感覚を持つてゐない。どうもそこには、向かふ身罷つた祖母の、飛び切り辛いおびいこをまた、味はへる愉しみがあるからではないかと思はれる。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-28 22:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

11005-0015 ズーム・レンズ

 ズーム・レンズと云ひ、ヴァリフォーカル・レンズとも云ふ。本来は異なる意味で使ふらしいが…たとへばライツのヴァリオ・ヱルマーやツァイスのヴァリオ・ゾナー…この稿では同じに扱ふ。どう違ふのかを気にする厳密家の方がたはご自身でお調べなさい。暇潰しくらゐにはなるだらう。

 シリアスに写真を撮るひとに、ズーム・レンズはいたく評判が惡い。
 大きいし重いし、開放値は暗いし、画角に対して無精且つ無神経になつて仕舞ふ…と云ふのが反ズーム・レンズ派の挙げる理由で、勿論それらは間違つてゐない。わたくしも気合ひを入れて撮影に臨む時は、単焦点を使ふ。

 然し非ズーム派が声を荒げるほど、ズーム・レンズは駄目なものだらうか??

 最近わたくしはズーム・レンズを購入した。
 トキナーのSZ-X 28-105㎜/F3.5-4.8(Kマウント仕様)と云ふ、今の目で見ればごく地味なスペックのレンズ。リコーの隠れ名機XR-7MIIにこのレンズを付け(念の為にSMCペンタックス50㎜F1.7も用意したが)川越を撮りに行つたんである。
 フヰルム式の一眼レフでズーム・レンズを使ふのは実に久しぶりの事で、色々驚かされた。
 最初の驚きはファインダ内の画角変化ですね。28㎜から105㎜と云ふのは昨今のズーム倍率としては寧ろ小さい方に属するのだが、実に迫力があつた。さう思へた理由はよく解らない。もしかすると(デジタル・カメラと較べて)非常に小さなファインダが錯覚させたのだらうか。
 もうひとつ驚いたのは、その使ひ勝手の良さである。ほぼ常用域をカヴァした焦点距離で、然も全域で50㎝まで寄れるのだから、余程特別な目的の撮影…たとへばストロボが使へない仄暗い庫…でなければ、ISO400のフヰルムを使ふ事で、不便に悩まされる事も無いだらう。
 川越は旧いまちで、少なからぬ数の観光客が訪れるから、さう云つた人びとを外したい時には、ちよいと望遠側に画角を変へ、ごちやごちやした感じを鷲掴みにしたければ、ひよいと広角側に画角を変へればよいのだから、これもまた軽快のひとつと云つてよい。

 トキナーで撮つた写真は、素人目にもはつきり判るほどかりりとした描写で、真夏の陰影をモノ・クロームで写したら、面白いだらうきつとと思はれた。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-24 14:00 | 画像一葉 | Trackback | Comments(0)
『写真とボク』植田正治写真展
 於:埼玉県立近代美術館

 写真を文字で語る事ほど愚かしい真似は無い。
 わたくしは愚か者であるが、そのくらゐは理解してゐる。

 然し観て、昂奮して、その昂奮を書きたくなつたのだから、やむ事を得ない。

 植田正治と云ふ写真家の事を知りたければ、ご自身でお調べになるのがよい。幾らでも資料が見付る筈だから。然したとへ万巻の研究書に目を通したところで、植田正治の写真は解らない…とわたくしは断言出来る。
 いやこれは植田に限らず、木村伊兵衛でも土門拳でもアンリ=カルティエ・ブレッソンでもロバート・キャパでも沢田教一でも事情は同じで、ある写真家の事を知りたければ、百万行に渡る文字の羅列では役に立たず、かれ(乃至彼女)の写真を一枚、目にしなければならない、と云ふ事だ。

 ヴァン・ゴッホの伝記を百万冊読んだところで、かれの絵について解るものだらうか??

 埼玉県立近代美術館は北浦和駅に程近い公園の中にあつて、中々気分が宜しい。
 美術館はのんびりした場所にあらねばならず、鳥取の砂丘を主な舞台とした植田にそれは似つかはしく思はれる。
 展示は非常に大掛りで、ごく初期…文字通りのアマチュアだつた頃…から晩年まで、おほむね年代順に並べられてゐた。
 一覧して驚かされたのは、所謂"スナップ写真"が絶無に等しかつた点であつた。欧羅巴で撮られた何枚かを除けば、かれの写真は一貫…いや徹底して演出に彩られ、その徹底振りは"絶対非演出の絶対スナップ"や"決定的瞬間"と云つたシリアスや生真面目を蹴散らす痛快さを感ぜられた。尤も、植田じしんはそんな事を考へもしなかつたにちがひないけれど。

 その植田演出は実に独特ではないかと思ふ。
 どう独特に思はれるのかは実際に植田の写真を見るのが最も確実な方法なのだが、それで済ますのは藝が無さ過ぎる。そこでかれの人物像と静物像を対比させてみませう。
 人物像は有名な『少女四態』左から白いワン・ピース、水玉のワン・ピース、セーラー服、白いワン・ピースの少女が"配置された"パノラミックな写真。
 静物像は『砂丘モード』シリーズから、砂丘に"集まつた"五つのハンガー。
 わたくしは『少女四態』に"配置"を、『砂丘モード』に"集まる"と云ふ言葉を用ゐた。これは意識的に使つたので、おそらくここが、植田演出の独特なのではないか。ヒトを無機質に配置し、モノを生きてゐるやうに集める。それはヒトとモノの境界線がとろけ混ざりあふ演出で、我われはその中に何か意味なり象徴性だつたり…さう、ある種のメッセイジ…を捜さうとして仕舞ふ。
 然しおそらく、その行為は徒労に終るだらう。
 植田は自分の写真にさう云つた何事かを潜ませてはゐないから、と云ふのではない。どうもその行為は、植田写真の純度を下げかねないのではないか。またそれは、植田の仕掛けた迷宮…それはヒトとモノのハザマに在る…におのづから迷ひ込む事ではないか。わたくしにはさう感ぜられてならない。

 既に言葉が過剰になつた。
 わたくしは埼玉県立近代美術館を後にするまへ、この写真展の図録を購入した。
 写真と云ふものを複雑に考へやうとする時には、この図録を眺めて、気持ちを鎮める積りでゐる。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-24 12:30 | 音映聴観 | Trackback | Comments(2)

11003-0013 7来りなば

 冬来りなば、春遠からじ、と云ふ。
 いい言葉ですね。
 人生の愉しみが、ここに集約されてゐる感じがする。

 春には色々の愉しみがあるのだけれど、その惡さの計画については、今のところ、触れない。

 然し惡さ―ではないな、遊びです、遊びには玩具が欠かせない。
 主な玩具は(デジタル)カメラで、そつちには不便がない。当り前の話で、カメラを百台持つてゐても、一度に撮れる写真は一枚きりなんだから、無闇に増やすのは寧ろ考へものだと云つていい。
 もうひとつの玩具はP.C.周りで、問題はこちらである、あつた。
 わたくしがこれまで常用してゐたのはEeePC900といふネットブックで、多分二年余り、使つたと思ふ。廉価な機種ではあつたが、そこそこに軽量だつたので持ち出すのにも然程抵抗がなく、厳しい使用は無理にしても、さつくり遊ぶ分には不便も問題もなかつた。

 が、壊れた。

 キー・ボードの一部が駄目になつたので、文字の入力には支障が出たわけではなかつたが、早晩、いけなくなるだらう事は容易に想像がついた。
 これは、まづい。
 そのくらゐまでは如何なわたくしでも頭が働く。遊べないのは困るし、この"いんちきマクガフィン"の更新が滞つて仕舞ふのは、感心出来た事ではない。
 なので買ひましたよ、新しいP.C.―lenovoの廉価なやつをば。
 Windows7の64ビット版で、わたくしはやうやく最新のOS環境を手にしたわけで、然しこれが実に使ひ辛い。Windowsは3.1の頃から公私共に使つてゐて、Vista以外は触つた事があるのだが、OSの機能は別として、これ程解り辛いインタフェイスを採用した理由がさつぱり理解出来ない。3.1からXPまでは大体のところが見当を付けられるやうになつてゐて、その一貫性(と云ふか旧ヴァージョンとの視覚的な互換性)をわたくしは好もしいものと思つてゐる。
 「いやいや、Windows7の方が便利ですよ」
 とマイクロソフトの社員は胸を張るに違ひないが、その便利さは、視覚で先づ感ぜられる要素なのだから、かれらの云ふ事はをかしい。第一印象は莫迦に出来ないんである。

 尤も。

 「新しい玩具」と云ふ物は、その新しさゆゑに愉しくまた嬉しいのも、また偽らざる事実でもある。
 大きな画面は眺めてゐて気分がよいし、キー・ボードを叩く感触もまた(当然ではあるが)ネットブックとはまつたく異なる心地好さなのも嬉しくなつて仕舞ふ。嬉しがつてゐるんです、要するに、わたくしは…と倒置法を濫用したくなる程に。
 7来りなば、然し"いんちきマクガフィン"の更新が頻繁になるかと云へば、それはまた別の話として、さてこの名付けて lenovo壱号で如何に遊ばうか。どうにも馴れるまでに時間が掛りさうなインタフェイスを眺めながら、わたくしは色々と頭を悩ましてゐる。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-10 19:00 | 画像一葉 | Trackback | Comments(0)

11002-0012 棒鱈

 堅く乾し固めた塩漬けの鱈を時間をかけて戻し、やや辛めにくつつりと炊き上げたひと皿を、わたくしの家では棒鱈と呼んでゐて、呼び方としては余り精確とは云へないが、そんな事はどうでもいい。わたくしの祖母…いやここでは砕けてばアちやんと書くけれど、ばアちやんはその棒鱈を炊き上げる名人であつて、この名人位が余所で通用するかどうかは知らない。たとへ通用しなかつたとしても、それだつてどうでもいい事で、わたくしはばアちやんの棒鱈を喰へない人びとを憐れむのみだ。

 美味しい。

 どこがどう美味しいのかは、巧く云へない。
 云へないが、美味しいんだから仕方がない。

 かういふ時に理由を考へるのは面白くない、と云ふのもある。

 然しそれでは話が進まないので、多少の説明をしておきませう。

 正月二日に親族が集まるのが、わたくしたちの習慣で、何故さう云つた習慣が出来たのかは知らない。わたくしが産まれるまへからの習慣だつたのは確実で、零歳児…詰り産まれて間もない赤ん坊に、大枚五百円のお年玉が与へられたのもこの場だつたさうだ。
 その頃から棒鱈が振る舞はれてゐたかは、何しろもの心のつく遥か以前の事なので、知らないと云ふか解らない。もの心がついてからは、必ず出されてゐるのは間ちがひがない。
 をさない頃のわたくしは、所謂御節料理が嫌ひで、すりやあ当然でせう。子供の舌にはとんかつやカレーや玉子焼やハンバーグの方が嬉しいに決つてゐる。実際のところ少年のわたくしが御節、と云ふよりお正月料理で好んだのは、お雑煮に蒲鉾くらゐのものだ。
 ばアちやんの棒鱈が急激に地位を上げてきたのはその後の事で、これは理解出来る味の範囲が広くなつたからだ、と云つていい。一度そして解ると、今度は毎年のお正月に食べるものだと云ふ事になり、更にそれが進むと、棒鱈を食べる事がわたくしにとつてのお正月と云ふ事になる。

 棒鱈…正確には『ばアちやんの棒鱈』が美味しいのには、さう云つた事情がある。ゆゑに、大袈裟に云ふとこの事情…時間的な背景を共有しないひとが食べても、わたくしのやうに舌鼓を打てるかどうか、甚だ疑はしい。九十七歳になるばアちやんは、もう棒鱈を炊けない。だから叔母が、ばアちやんの味付けで棒鱈を炊く。これを食べてわたくしは、お正月を迎へた。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-02 23:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)
 『坂の上の雲』に書かれてゐたと記憶する逸話。

 秋山好古真之兄弟の父親は八十九(ヤソク)と号し、正月元日には丸めた頭に頭巾を被つて、長閑な春で御坐います、と挨拶して廻つたさうだ。

 何と云ふことのない話かも知れないけれど、実際、何と云ふことのない話なのだけれど、それがひどく印象に残つてゐるのは、頭巾と長閑な春の組合せが、松山と云ふ土地柄にこれ以上は考へられないほど適つて感ぜられたからだと思はれる。

 春風駘蕩。

 我が親愛なる読者諸嬢諸子に、新年のご挨拶を申し上げる。

 長閑な春で御坐います。
[PR]
by vaxpops | 2011-01-01 11:11 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)