いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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G11-延長戦062

 今月のG11-延長戦は、この番号で062となる。前月が078で、合計140(酒席の番号無を含めれば154)が、iida G11だけで更新をした記事と云ふか雜文…いや閑文字の数である。単純計算だと1日2件半余り。が多いのか少いのかは判らないけれど、多いから自慢出来るものでもないでせう。尊敬する丸谷才一先生は、鄙どころか都にも稀な優れた小説家でありつつ、英國風な極端な寡作の姿勢を崩さないぢやありませんか。尤も目黒さんま坂の先生が、読者から寡作を許されるのは、10年単位で発表される新作が極めて面白いからで、私如きが見習つていい姿勢とは、とても云へないけれど。

 然し老小説家兼随筆家兼批評家の態度は、真似るには無理があるとしても、根本の部分でまことに正しい。
 先づ、書くべきでない時には、書かない。我われは時に、書く行為そのものを優先する余り、書かでもがなの事を書かうとして、四苦八苦して仕舞ふ。まああの先生の主な営業品目である随筆は、多少の例外に属するかも知れないが、あすこには遊びと実験の精神が満ち溢れてゐる。
 次に(私たちにはおそらく…間違ひなくこちらの方が大事)

 『文章を書くちからに限れば、量が質に転じる事はぜつたいに無い』

事情ですね。ぜつたいに、が強きに過ぎる云ひ方だとしても、量が質に及ぼす影響は微々たるものだ、くらゐは許される筈だ。複数のウェブログで、おそらく3000以上の閑文字を書き散らした私が云ふのだから、それなりに説得力を感じてもらへるんではないかと思はれる。それは丸太こじんの資質の問題ではあるまいか。と云ふご指摘は、間違ひではないところですが、個別の実例にはこの際、目を瞑つてもらへませんか。
 技巧は多少、身に付きますよ。それは確か。ただ有り体に云つてその技巧は、小手先の域を出る事が無い。ちよつとした(気障な)云ひ廻しやひねた譬喩を使ひこなせるまでになつたからと云つて、さあそれが、文章の巧さなのか、どうか。私には甚だ怪しいものだと思はれてならない。レトリックは文章の欠かせない大切な要素ではあるが、レトリックだけが大切な要素なのではないんです。

 ぢやあどうしろと、丸太は云ひたいんだ―??
 ええ、さう云つた話になるのは当然で、それには

 『よい文章を、出来る限り、たくさん讀む』

とごく平凡な答をかへす以外に思ひつけない。結局のところ、文章の根元の質を(多少なりとも)高めたければ、これ以外に有効な―有用な方法は無いんです。目黒のご老公は名著『文章読本』(中公文庫)で、君が名文と思へばそれが名文だ、と教へて呉れてゐるが、それはあの先生くらゐの讀み巧者だから可能な離れ業だから、我われ凡俗は、矢張り評価の定まつた古典から學ぶのが安心だらう。
 問題はさう云ふ優れた古典を讀むと、そつちに夢中になる確率がきはめて高い事か。さんま坂の小説家が寡作なのには、そんな秘密がもしや、隠されてゐるのではあるまいか。
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by vaxpops | 2011-09-30 22:39 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦061

 惡とか醜と云ふ字が好きなんです。醜の字はシコと読んでもらひたい。醜名のシコ。今では四股名と書くみたいだけど、醜名の方がいい。強さうな感じがする。
 どつちも字面は宜しくないね。確かにその通り。然し醜名と四股名では、もう一ぺん云ふが、明らかに前者の方が強さうだ。惡の字もさうですね。惡源太とか惡党楠木とか、凄みがある。惡源太に掛かれば、旭将軍義仲なんて鎧袖一触の元に蹴散らされるんではないだらうか。

 何故かと云へば、これは字の持つ呪術性を考へれば判り易い。
 惡にしても醜にしても、極端を示してゐるんですね。美や賢と同じである。極端な美や賢にひと―詰り極端ではない貴女や私―は何がしら、特別を感じるでせう。さうでない方だつてゐるかも知れないが、ささやかな例外には構つてゐられない。
 極端には特別なちからが宿る…と云ふのは、土俗的原始的な信仰のかたちで、傾國ノ美女なんてその最たるものでせう。國が傾くんだから、極端が発揮するちから番付があれば、小結くらゐは確実ぢやないか知ら。

 さう云つた極端の驚異は別に、美や賢に限られたわけではなく、何千の兵を皆殺しにしたとか、何十貫目の石を持上げたとか、そつちの方向でも発揮される。大剛ノ士の武勇伝なんかもさうですね。かれらのさう云ふ凄さを示すのに用ゐられたのが惡や醜の字で、そこには怖れと尊敬、そして若干の嫉妬と軽侮が含まれてゐたんではないかと思ふ。中々伝統的な文字遣ひと云つてもいいでせうね。
 そんな伝統を色濃く―と云ふか殆ど唯一、受継いでゐる藝事は相撲ですな。いや相撲取りと云ふべきか。大剛ノ士であり、大食であり、巨漢でもある。源流に遡ると、天子にチカラヲ奉ル(これが兵隊の隠喩、詰り従属を示してゐるのは云ふまでもないでせう)儀式のチカラビトなのだから。
 …とここまで書いて私は思ふ。醜名が四股名に転じたのは、相撲がスポーツに近くなつて、かれらの呪術性が激減した所為ではないかと。惡の字を用ゐた力士が、縦横無尽傍若無人に活躍しない限り、惡や醜の復権は六づかしいだらう。
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by vaxpops | 2011-09-30 11:50 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦060

 卵が先か鶏かと云へば、鶏に決つてゐるぢやないかとすつぱり思ふ私だが、自分の事となるとそのすつぱり甚だ怪しくなつてくる。

 このウェブログに限らず、古めかしい云ひ廻し私は好む。日本語で書き表せるなら、その方がいいだらうと意図的にしてゐる部分も確かにあるが、それを別にしても私の好みは古い…恰好をつければ渋いとも云へなくはない、まあ。

 一方で私は歴史的仮名遣ひを常用してもゐる。私的な文章、メモの類もさうだ。これもまた、古い(或は渋い)好みだと、巷では云はれて不思議ではないと思はれる。

 さ、ここで問題。

 私の云ひ廻しの好みは、元々素地としてあつたのが、歴史的仮名遣ひで剥き出しになつた結果なのか。はたまた歴史的仮名遣ひに似合ふ言葉遣ひを撰んだ結果、古めかしい方向に変質したのか。

 年に一ぺんくらゐ、首を傾げさせられる疑問なんである。不思議だなあ。

 卵と鶏の先行問題は、不思議とも何とも云ふ事も無いのに。
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by vaxpops | 2011-09-29 16:51 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦059

 ある随筆で、さう云ふ文章―詰り筆者がたつた今、書いてゐるやうなそれを、閑文字と呼んでゐるのを知つて、ひどく感心した記憶がある。

 閑の字の使ひ方がいい。

 書き手(私)と読み手(今これを読んでゐる我が読者諸嬢諸氏)の両方を、ちくりと刺す語感と云へばいいでせうか。巧い云ひ廻しもあるものだなあと、感心させられて仕舞つた。

 かう云ふおつとりした言葉遣ひ、日本以外でも使ふのか知ら。何となく、無ささうな気がする。
 たとへば中國だと、文字は士大夫のもので、暢気とは程遠さうだし、英國米國辺りでは、サーヴィス精神が旺盛に過ぎて、閑の字の漠然とは別ものでありさうな、まあどちらも勝手な思ひ込みだけれど。

 雜文や日記の類は日本だと未分化で、だいたいさう云ふのは、時間を持て余すひとの贅沢な余技でもある。読み手にもまた、悠々然々たる態度―気分がごくに要求され、それが云はば、我が國の文學的な伝統なんである。随筆(家)が無闇に持て囃されるのには、そんな背景があるわけだが、さう云つた閑雅はおそらく、生真面目な労働者には理解が六づかしく、不愉快でもあるだらう。

 もしや、閑文字の閑は、のんびりおつとりを共有(或は享有)する書き手と読み手の、云はば共犯を示すひと文字か。不意にさう思つたが、例の通り、文献を確かめたわけではないから、信用してはならない。
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by vaxpops | 2011-09-29 10:28 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦058

 毎日、珈琲を飲む。
 即席や罐入のやつ。

 大体―殆どがブラックで。
 習慣だからまあ仕方ない。

 毎日、飲んでゐる。
 黒いいろの珈琲を。

 然し毎日飲んでゐるのに、さつぱり判らない。
 何がと云へば珈琲の味で、さつぱり判らない。

 謙虚な姿勢ではないよ。
 濃いとか薄いとか、酸味がきついとか、その程度は判らなくもない。

 それで??

 と思つて仕舞ふのですよ、私は。

 だから??

 と思つて仕舞ふのですよ、私は。

 全國各地、津々浦々の珈琲マニヤを敵にまはしたかも知れないが、実際さうなのだから、自分ではいかんともし難い。

 旨い珈琲とは、何ぞや??

 博学の士のご教示に、期待したい。
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by vaxpops | 2011-09-28 22:12 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦057

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 近所のスーパーマーケットで買つた、お惣菜の豆腐カツ。

 まづくはなかつたけれど、ちつとも豆腐らしくなかつた。
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by vaxpops | 2011-09-28 09:50 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦056

 前回、ニコンの新型にかこつけてリトルニコンの事に触れたので、今度はその話をしたい。
 リトルニコンは通称―愛称で正式には Nikon EM と云ふのだが、どうもあのカメラにはさう云ふ

 『ちやんとした型番』

が似合はない。別に惡い話ではなく、ニコン史上これだけ有名な愛称は稀有なのではないか。あと思ひつくのは、コンパクトカメラのニコンミニ(AF600)くらゐか。堅牢無比にして重厚長大の(印象がつよい)ニコンだと、小さいと云ふ事実をそのまま宣伝に転用出来るらしい。

 尤も実際、リトルニコンは当時の現役機種の中で、確かに小柄な部類だつたし、今の目で見てもそれは変らない。常時、掌にある機械には、適切な小ささがあるのだと思はれるが、その点にここでは深入りしない。
 カメラの仕様を見ると、実に詰らない…は、ひどい云ひ方だな、さう、平々凡々たるもので、絞り優先の自動露光に60分の1秒の機械式シャッタが保険で用意された、文字通りに大衆機と呼ぶ他ないカメラと云つてよい。外観上、特に目立つたのは、くの字に折れ曲がる方式の巻上げレヴァで、これは親指を当てるのに適切だつたし、贅沢にも小刻みの巻上げが出来たのは、手にして驚かされた点であつた。

 然し私を喜ばせたのは、さう云つた

 『意外な部位に、意外なくらゐ、お金が掛かつてゐさうな(事実、ファインダの見えは特筆に値する)』

ボディではなく、今にして思へば、ニコンのえらいひとは何を考へてゐたのか、ちよつと想像が六づかしいシステムの方であつた。
 リトルニコンに採用されたのはFマウントだから、他のニッコールレンズが大体、使へる。にも関はらず、シリーズEと称する小規模のレンズ群を用意し、型番SB-Eのフラッシュに、型番MD-Eの専用ワインダまで揃へてゐたのだから、私が理解に苦しむのも無理はないでせう。それは大衆機に不釣合ひなほど美事に完結したゐて、その気になればニッコールを持たずに、ニコンで完成出来る小システムであつた。

 今にして思ふに大ニコンはEMと型番を付けたこのカメラを、ニコンの外に置きたかつたのだらう。現在では想像が六づかしいが、カメラにはその昔、厳然とした階級があつた。たとへばプロフェッショナルの使ふニコンと、家庭の父親が休日に持ち出すペンタックスのやうなちがひ。
 さう云ふ位置関係から俯瞰すると、リトルニコンは確かにニコンの中で異質な存在―愛称以上に実質の伴つたリトルだつたらう。かつてのニコマートほど、その異質具合がラジカルに顕れなかつただけだと見立てるのは、おそらく正しい。ただ(幸ひ??)当時のニコンはリトルニコンを出す際、ラジカルの方向が解らなかつたのではないだらうか。それできつと、大ニコンの生真面目な社員は、生真面目に考へたにちがひないのだ。

 『ぢやあ、別枠を作つて、切り分ければいいんぢやないか??』

 どこをどう見ても、大間違ひとしか云へないのだが、さう理解しなければ、リトルニコンのいつそ奇怪とも思へる豪華さの説明が付かない。有り体に云つてその判断は、商売として見ると大失敗だつた筈だ。担当者はもしかすると、左遷されたかも知れない。
 だがその一方でリトルニコンは、お金を掛けるところを間違へなければ、大衆機でも優れたカメラ…システムを作り得る事を実証してもゐると思ふ。かう云ふ実例を使はない法はないでせう。大ニコンには今こそ、リトルニコンEMが示した矢印を再び、形にしてもらひたい。さうすれば当時の担当者の名誉も回復される事だらう。
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by vaxpops | 2011-09-27 22:35 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦055

 さう云へば最近、猥談と云ふのをしてゐない。そもそも猥談なんて言葉自体、半ば死語だよね。今なら下ネタだらうか。そつちは余り好きな響きではない。好みの話だから、色々云はれても困るから、念の為。

 ああ云ふのは、同性同士でお酒を呑みながら、賑やかにやるのが本道だと思ふ。異性がゐると気詰りして、話にのびやかさが無くなつて仕舞ふ。云つておくが私は、女性を蔑視する積りはない。単に猥談の場に同席されるのは、遠慮頂きたいと願つてゐるだけの事なので、この辺りも念の為。

 ささやかな経験から云ふと、男性の猥談はごく無邪気だね。ほら、幼児がちんちんだのうんちだのの卑語で、けらけら笑ふでせう、あれに近い(一面がある)事実とは別の空想―いや妄想かな、うん、妄想だな矢張り―口にして、ああでもないかうでもないと云ひあふわけで(品位を重んずる都合上、実例は挙げない)さう云ふ意味では、卑猥な種で議論を愉しめればいい、とも云へなくもない。
 対して女性同士の猥談は、生々しい。何度か女性の猥談を隣で耳にした、これもささやかな経験で云ふと、彼女らのそれは、私はかうだつたと云ふ経験に基づく事が多い。困りますね、ああ云ふ時のリアリズムは。眼前の美人がそのまま、ポルノの主人公に思はれて仕舞ふ。微に入り細に渡る話上手も考へものだ。

 猥談とひと口に云つても、我われ男性と愛すべき女性では、丸で中身がちがふ。となると席を同じうしてこれを愉しまうとするのは、ビフテキを愛してやまない男と、厳格な菜食主義者の女が一席を共にするやうなもので、不可能に等しい難事と云へませう。英國式のパブ(淑女は立ち入れない)が我が國に無いのが、残念に思へてならないのは、かう云ふ時なのである。
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by vaxpops | 2011-09-27 10:23 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦054

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 ニコンが新型を出すと云ふニューズを目にして、少しく昂奮した事を白状しなくてはならない。かう云ふ昂奮は、キヤノンでもペンタックスでもオリンパスでも富士フイルムでもミノルタ…は今は無いが、他のメイカーでは余り、味はへない。我ながら不思議だと思ふ。
 ニコンからつよく感じるのは、保守性…或は新しい機軸に対して臆病(が惡ければ慎重)な態度で、そのくせたとへばA.P.S.の時のやうに思ひ切つた失敗をやらかす辺りに、変な愛嬌がある。モダーンでドラスティックなキヤノンからは、さう云つたどじを連続しないね。あの会社もA.P.S.で失敗してゐるのに。

 意外と実は大事な事を私は云つてゐて、それが会社の名まへに対する印象、詰りブランドイメーヂなんである。ニコンの豪いひとがそれは困ると腕組みをしたつて、どうにもならない。そしてそのブランドイメーヂこそ、他のメイカーが慾しくて慾しくて堪らないもので、おそらく現役(使ひ方、をかしいかな??)のメイカーで、これがはつきりしてゐるのはニコンの他にはライカ以外にも無い。
 ライカから感じる保守性…臆病さはニコン以上に明瞭で、何しろ自動露出を採用したのが、M7からなんだから(ここではフレックスからR系に到る一眼レフとコンパクトカメラは数に入れない)臆病にしたつて程度があると思ふ。我らがニコンはライカほど極端ではないとしてもそれは多分、日本で苛烈きはまりない競争を強ひられたからで、あの会社が独逸辺りに本社をかまへてゐたら、今でもライカと同じくらゐの臆病さを発揮してゐるか、潰れてゐるか―おそらく後者だらうね、さうなつてゐただらう。

 えーと、何の話をしてゐましたつけ。
 さう。ニコンの新型。
 慎重で臆病なニコンの。

 細かい仕様は諸々の場所、なかんづくニコンのサイトで公開されてゐるから、いちいち触れない。知りたければご自身でお調べ下さい。
 その画像を見た時、あの物堅くつて生真面目な会社が

 『どうです、一所懸命、設計しましたよ』

 と云はん計りに思へたのが、可笑しかつた。その可笑しさは堅牢無比を最優先に、重厚長大を厭はなかつたニコンが、馴れない手付きで軽やかなカメラを作らうとした結果があの新型であり、そのネイミングであつた事は、しつこく云ふが微笑するに足る。

 形は惡くない。特に下位機種と位置付けられてゐる方。画像で見る限り、色の使ひ方は感心しないね。材質と形と色の関係は、ニコンに限らずメイカーが等しく、見落してゐる箇所だから、煩く云はない事にしておく。
 ロゴマークと型番のあしらひは宜しくない。新製品を鳴り物入りで花やかに登場さして、あれはひどいよ。直方体の形状の正面に傾いたロゴマークはそこだけが不安定で、更に型番が投げ出されたやうにあるのも頂けないね。たとへばペンタックスから出てゐる同じ範疇の機種からは、そんな感じはされないから、ニコンのここはスタイリングの―でなければ詰めの弱さと云つてもいいでせう。

 最大の問題はレンズですね。27粍相当の単焦点レンズを最初からの出すのもいいんだが、ああ云ふ小さなカメラに、ヴァリフォーカルレンズは似合はないと、何故たれも指摘しないのか、私には不思議でならない。ペンタックスもオリンパスもソニーも皆、同じ過ちをしてゐる。大ニコンがそれに追随してはいけない。
 持ち歩きに不便の無い大きさなのだから、レンズは単焦点で最小限を整へるのが本筋でありませう。それ即ち、28粍、50粍及び105粍で、これくらゐの思ひ切り割り切りが寧ろ好もしい。任意のレンズ付ボディと残りの2本に、予備のバッテリ(充電器付)がすつぽり収まるバッグ或はケイスがあればそれは鮮やかな完結を見せるだらう。ニコンのひとに無理だとは云はせないよ。ケイスは兎も角、我われは既に、リトルニコンと云ふ簡潔な完結の先例を知つてゐるんだから。
 さう。最後に白状すると私が今回の新型に昂奮したのは、リトルニコンの復活を今でも待つてゐるから、と云ふ事情が可成りの部分を占めてゐるのです。
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by vaxpops | 2011-09-26 22:08 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-延長戦053

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 刃物はしつかりしたものを買ふのが宜しい。

 それくらゐは判つてゐる。

 判つてはゐるが、百円均一の店で見掛けた、この莫迦ばかしいネイミングには、降参せざるを得なかつた。

 かう云ふ失笑を誘ひながら、財布を弛ませる名付けは、日本以外にもあるのか知ら。
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by vaxpops | 2011-09-26 09:34 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)