いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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『酔客万来』
酒とつまみ編集部・ちくま文庫

 『酒とつまみ』と云ふのは雑誌の名まへで、ちやんとWEBサイトも用意されてゐる。
 U.R.L.は http://www.saketsuma.com/
 さう云ふ雑誌があるのは以前から知つてゐたが、未だ本誌は読んでゐない。
 さう云ふ雑誌のインタヴューを纏めた…とは云へ最初の五回…のがこの本で、手に取つたのはインタヴュイに中島らもとみうらじゅんがゐたから、以上の理由は無い。
 帯には"酒の上の抱腹絶倒話!"と書かれてゐて、中島とみうらの名まへを見たら期待するよね、すりやあ。

 近年の私はひとりで呑むのが習慣になりつつあつて、ここで云ふのは外のお店での意味なんだが、あれは中々よい。傍目にはどう写つてゐるかは知らねど、こちらとしては"ちよいと世を拗ねた感"で、そのちよいとがうまい具合に調味料となつてゐるらしい。
 カウンタの隅つこ―いや別に真ん中辺でもかまはないとして、そこで麦酒でも酎ハイでも日本酒でも焼酎でも泡盛でもヰスキィでも葡萄酒でも、魚や肉や野菜を焼き蒸し揚げ炒め漬け煮込んだのを肴に呑む夜には然し、身ひとつでは間が持たないのは精進が足りてゐないのを認めるとして、文庫本の一冊があれば何となく恰好が付く。自分に対する小道具、小道具が惡ければ持参の肴と見立てて、まあ間違ひはないと思ふ。
 この場合の文庫本は肴―この字はサカ・ナと分ける事が出来て、ひと文字で"酒のさかな"を意味するらしい―なのだから、重々しい内容は敬遠したい。凝つた構成の小説なんて緩やかに酩酊する時間の中で読める道理は無いでせう。『罪と罰』や『グリーン家殺人事件』を読みながら、臓物の煮込みを頬張り、焼酎の水割りを呑めるものか。
 かるめのエセーやさらりとした學問の本がかう云ふ場合、矢張り好もしい。それが呑み喰ひに纏はる話題ならなほ望ましく、たとへば吉田健一なんて実にいい。老練の大先達からぢかに呑み方を教はつてゐるやうなもので、こんな贅沢な肴もさうは見付らないんではないか。

 えーと。

 さう、『酔客万来』の話。
 私はがんらい、筑摩書房に好感を持つてゐて、文庫のつくりは感心しないんだが、それはごく一部を除いて他の出版社の文庫でも事情は同じだから目を瞑る。ちくま文庫はつくりに目を瞑つても、収録されてゐる本で挽回してゐる。
 さう云ふ期待で一読して、困つて仕舞つた。詰らないのではなく、帯にある"抱腹絶倒"が嘘だつたとも思はない。が、困つた。
 この困つたを説明するのは些か六づかしい。にたりと笑ふ。そのにたりは勿論お酒に関はる色々の話(主に失敗談)なのは念を押す必要もないでせう。

 「莫迦だねエ」

 呑みながら呟くわけである。尤もこちらの呑み方なんぞ、たかが知れてゐて、"四人で二合徳利を五十五本あけちやつた"とか"お土産に貰つた一升瓶を、持ち帰るのが面倒だから、帰りの電車の二時間で空にした"とかには丸で縁がないものだから、直ぐ後ろの卓子でどこか異なる世界…地球に似てゐて、ほんの少しずれた世界の住人が、何かの手ちがひで喋つてゐるのをちらちら、耳にしてゐる気分になる。
 さうやつて呑んでゐて、不意に我にかへる。後ろの卓子でたれが呑んでゐても、かれ乃至彼女はれつきとした地球のひとの筈で、いや、そんな話ではなく、地球人に似たたれかとしか思へないたれかが実在して、どこかでけふも今も一ぱい呑つてゐる(でなければこの本は私の手元に無いだらうから)事を理解したから我にかへるのであつて、ヒトではない何ものかが呑んでゐるならどれだけ呑まうがかまはないとして、自分と同じであらうヒトが取り憑かれたやうに呑み、語る姿を思ひ浮べると、羨ましさを通り過ぎ、尊敬をはねのけ、畏れに近い感覚を得させられて仕舞ふ。曖昧模糊とした云ひ方であるのは重々承知してはゐるが、私の感じた"困つた"を無理にでも言葉にすると、大体こんな具合にならうか。

 インタヴューと云ふより、呑みながらの雑談を収録してゐるので、読むのは実に容易い。率直に云へば中身のある話などはまつたくないので、その意味でも(こつちも呑みながら)ごくあつさり読み切る事も出来る。然し読み了へた後、なんとも名状し難い居心地の惡さを感じた事は正直なところとして記しておかねばなるまい。呑み喰ひの本を読んで、惨烈と云ふ単語を思ひ出したのは初めての事だ。
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by vaxpops | 2012-08-18 19:00 | 読書一冊 | Trackback | Comments(0)