いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

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 ニコンとキヤノンはよく似てゐる―ところがある。
 距離計連動式から一眼レフに移行し、ミノルタのαショックに大慌てで珍機(ニコンはF-501、キヤノンはT-80)を出し、35ミリ判フォーマットしか扱つてゐない(ニコンの場合は中判のゼンザブロニカにレンズを供給したり、大判カメラ用ニッコールを用意した実績はあるけれど、ニコン銘の中・大判カメラは出してゐない)ところが。

 たとへば旭光学や高千穂光学は距離計連動式カメラを持たなかつたし、千代田光学はオートコードと云ふ二眼式の中判カメラを出してゐた。理研光学にはリコーフレックスと云ふ大ベストセラーがあり、小西六や富士フイルムは感光材メーカである所為か、様々な機構・フォーマットのカメラを作つてゐた。今となつて、ここまで列挙したメーカで残つてゐるのはペンタックス・リコー(理研光学と旭光学)とオリンパス(高千穂光学)、富士フイルムだけで、小西六と千代田工学はコニカ・ミノルタを経てソニーに成り下がつて…ソニーが自社のレンズに"ヘキサノン"、"ヘキサー"及び"ロッコール"を用ゐる事があれば、成り下がる、は直ちに撤回する…仕舞つた。

 要するに熾烈なカメラ競争の中でニコンとキヤノンだけがしぶとい生命力を発揮してゐる。両社に非難がましい事を云ひたくなる気持ちが無いとは云はないが、それ以上に矢張り、その強靭さには敬意を表はすのが筋なのではないか。なので双方からカメラ(ここで云ふのが銀塩式なのは念を押すまでもなからう)を撰んでみる事で、その敬意としたい。

■ニコンでは
 先に結論を云ふ。NewFM2が最良の撰択である。S系(とここでは仮に呼ぶ)の距離計連動式ニコンには独特の存在感―オリジナルのコンタックスみたいな外観、ライカそつくりのシャッター、"ニホン判"とも呼ばれる涙ぐましくもせせこましいフォーマット―があるのは改めるまでもなく認めたいところではあるが、今から入手するとして、その後のリスクが高すぎる。従つてニコンを撰ぶなら一眼レフが望ましい。更に使ふ上での不自由を極力減らし、なほかつ長期間の使用に耐へる機種と考へると、NewFM2以上の撰択肢は見付らない。
 尤もNewFM2には及ばないものの、條件付で検討に値する機種がふたつある。旧い順に云へばF2がその一台。勿論フォトミック仕様ではない。当時は知らず、今フォトミックを手に取る理由はどこにも見当らないだらう。但しこの機種を撰ぶならば、使へるレンズは相応に制限される。レンズが制限されると云ふ事は実質的にモノクロームを主体に撮らざるを得なくなる。カラーはデジタル・カメラに任すと割り切れば面白からうが、ランニング・コストが些か厳しくなる覚悟をしなくてはなるまい。
 もう一台はF4である。電子制禦のリスクはあるが、無制限ではないとしても、マニュアル・フォーカス式とオート・フォーカス式のレンズをそれぞれ存分に使ひ切る目的に限ればNewFM2をも凌ぐ点には目を瞑れない。このカメラ(それから後継のF5、F6)には常に"大きく、重い"と云ふ批判が付き纏ふ。それを間違ひと切り捨てるのは乱暴だとして、然し計測した数値だけで語つてゐるのではないかと云はざるを得ない。私のささやかな経験から云つて、F4ほど"構へた時の安定感"が優れたカメラは非常に少ない。近いところを思ひ出せば、ライカM3にズミクロンの90ミリを付けた時の感覚が近いか。
 然しF2、F4いづれにしても大小を問はず、使用に不安を感じるのは事実であつて、これからニコンを手にするならNewFM2にAi-S50/1.4がいい。非常に古めかしく感ぜられるだらうが、この組合せなら大抵のものは不自由なく撮影出来る筈だし、無理なら諦めればいいのだ。

■キヤノンなら
 この会社は時にドラスティックな事をやらかして、ユーザを愕然とさせる。一ばん典型的な実例はEOSを導入した際に従来のFDマウントとの互換性をばつさり切り捨てた件だ。その結果生れたEFマウントが現在にも続いてゐて、それならEOSデジタルを使へばよい。
 では新旧を問はずFDマウントにすればいいのかと云ふと必ずしもさうとも云へない。このマウントのキヤノンは比較的入手が容易だが、AE-1、A-1、F-1及びNewF-1、T90辺りは悉く電子制禦シャッターを採用してゐて、特に中級以下の機種はシャッターが脆い欠点―この惡しき伝統はEOSの中期頃まで続くのだが―抱へてゐる。詰りキヤノンの場合、ニコンとは逆に距離計連動式を撰ぶのが望ましい。
 実のところ距離計連動式キヤノンはS系ニコンと異なり、ねぢ式ライカの(露骨な)模倣から始まつてゐて、皮肉な事に今となつては案外なくらゐに使ひ易い。旧い機種になると加工技術が拙劣だつた分、ライカに比べて妙な重さを感じるのだが、そこまで旧いキヤノンを選ぶ必要もない。入手の容易さ、廉価の度合ひ、使ひ勝手を合はせて考へるとキヤノンではP型または7型が丁度よいと解るだらう。両者のどちらかを撰べと云ふなら、アクセサリ・シューが標準で付いてゐるP型に軍配を上げたい。細かい不満は云ひ出したらきりがなく、それを押しのけて余りある不便な愉しみがある。
 キヤノンP型はライカのねぢ式と同じマウントだから、レンズの撰択肢は可也りひろい。純正主義に徹するなら50ミリまたは35ミリのセレナー、捻つてキヤノン25ミリになるが、一ばんトラッドなのはニッコールの50ミリではないかと思ふ。精機光学時代のキヤノンには自社銘のレンズではなく、ニッコールの供給を受けてゐた時期があつて、それを踏まへた訳知り顔の組合せと云ふわけだ。ただこれだとモノクローム専用になるから、応用の範囲を広げたければ現代に近い時代のねぢ式レンズを検討するのも方法だらう。

 似てゐる(ところがある)と云ひながらいざ、撰んでみると、比較的にせよニコンが新しい時期の、キヤノンが古い時期の機種になつたのは我ながら面白い結果だと思ふ。確実に云へるのはNewFM2を採るにせよ、P型を撰ぶにせよ、メーカの真面目な開発者は喜ばないだらう事だが、それはこちらの知つた話ではない。カメラを高機能化させ、次々に新しい機能を開発し、今の機種を次の機種が出るまでの使ひ捨てにしてゐつたのはメーカではないか。さう云ふ"斬新な変化"を喜び望んだユーザがゐるのは否定しないとして、矢張りカメラメーカは写真の一端を担つてゐるのだから、ユーザの手に馴染む、敬意を表するに足る、そして長く使へる機種を用意してもらひたいものだと思ふ。
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by vaxpops | 2013-02-10 22:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
 何年か周期でライツ・ライカ・カメラが慾しいと思ふ事がある。
 乳軟部の重鎮であり酔つ払ひ仲間でもあるところの頴娃君がライカ使ひであつて、その馴れた姿に痺れさせられて仕舞ふ時があるのが、主な原因ではないかとも想像するのだが、特定させるのは野暮ではないかととも思はれるので、この辺りはふかく考へない。

 ライツ・ライカ・カメラ…ここからはライカと省略するとして…が慾しいと思ふのは勿論、写真を撮る為で、カメラと云ふ物体そのものを収集したいとか、或は賣り抜いて差額を儲けようとか、その手の浅ましい気分とは無縁である。さう云ふのは本格の収集家とか商賣人に任せれば宜しい。

 なほ、ライカに関する細かな諸々は本稿では触れない。WEB上でも本屋でもその辺の情報は煮〆に出来るくらゐ出廻つてゐるから、その程度は調べてもらつても罰は当らないでせう。
 もう一点。本稿ではM7以降の電子制禦化された機種、ライカフレックス以降の一眼レフ及びライカ名義のコンパクトカメラは扱はない。何故と訊かれたらそれが私の好みなのだと申し上げておかう。この辺の基準に公平さなぞを期待されてもこまる。

 ねぢ式かバヨネット式か―最初に迷ふのはここではないか。
 ごく粗雑に云へばこれは"第二次世界大戦以前のライカか、以後のライカか"の撰択である。
 「ねぢ式ライカはフヰルムの装填が面倒だから、バヨネット式が好もしい」
 と云ふ意見があつてそれは正しい。正しいのだが、そこは使ひ方でカヴァ出来る。ゆゑにねぢ式ライカを撰択肢に入れない理由は無い。ではそのねぢ式ライカで"撮影に使へる"機種は何だらう。
 結論を云へばIII型以降と考へればよい。II型以前のライカは率直に云つて、光学工業製品としては未完成で、実験と混乱と迷走(I型コンパー付の大失敗を思ひ出せばいい)を繰り返してゐて、II型の連動式距離計でやつと方向が定まつたからで、今から撮影の為に買へる機種とは思へない。
 但しIII型以降の中でも、IIIg系統は生産台数の割りに異様な高値が付けられてゐるから省く。IIIdは収集家向けなので同じく省く。IIIf系統の完成度の高さは認めるのに吝かではないとして、然しどうしても巻き上げノブに組込まれたフヰルム感度の仕上げが好みに適はないので省く。IIIbは中途半端な感を免れないのでこれも省く。
 さうなるとIII、IIIa及びIIIc系統のどれか、と云ふ事になつて、それならIIIaが好もしい。IIIはライカ完成直前の印象が強く、IIIcの(結果的に生じた)ヴァリエイションに妙味を感じるのは事実としても(実際IIIcほど"妙な"個体が多いライカは無いのではないか)それは撮影には距離のある愉しみで、そこに嵌りこむとえらい目にあひさうな気がされる。

 バヨネット式ライカと云へばM3である…と私は思つてゐない。確かにライツ社の加工技術が絶頂期を迎へたのはこの時代で、後はM6に到るまで緩やかな下降線を描いてゐるのだけれど、ではM6が駄目なのかと云へばさう云ふ事はなく、寧ろM3で用ゐられた技術がたかがカメラにしては過剰であつたと見る方が正しい。それにM3には無数のファンが付いてゐる。今さら私がその末席に加はる必要もないだらう。
 M2及びM1と云ふ"M3のダウングレード版"も省く。いや不必要に細かい事を云へば、M2のファインダ方式が以降のバヨネット式ライカの基本になつてゐるのだから、M2を"M3のダウングレード"と見立てるのは誤りでもあるのだが、そこはまあ、そんな感じと曖昧に述べるにとどめたい。
 M3とその派生機種(詰りM2とM1だ)を省くもつと大きな理由は、巻き戻しがノブ方式を採用してゐるからで、これはねぢ式ライカの尻尾と云つていい。ならば前述のIIIaを撰べばいいので、詰りバヨネット式ライカならM4以降の機種がよい。但しMD系統は省く。あれらは正面から見た時の無駄な空間が大きすぎて、どうにも間が抜けてゐる。
 さてM4以降の機種で、先づ省きたいのはM6、M4-Pのふたつ。ブライトフレイムが煩雑すぎると云ふ単純な理由である。あれは"距離計連動式に一眼レフの便利さを"と云ふ誤つた考へ方の発露ではないかと思はれる。となると撰択肢はM4、M5及びM4-2と一ぺんに絞られてきて、この中でならM4-2を私なら撰ぶ。
 M4-2はバヨネット式ライカの中では比較的廉価に属してゐて、詰りこの機種は評価が低い。この人気の低さはライカファンの俗な人気と読み替へも出来るが、別に町なかのライカファンに見てもらふ為に撰ぶわけではないし、廉価にM2系統の簡素なブライトフレイムを使へるのだから狙ひ目になりさうだと思はれる。

 ここまででねぢ式のIIIaとバヨネット式のM4-2を候補にして、ではこのどちらを撰ぶのか、と云ふ問題が残るのだが、これは残したままにしておきたい。さうしておけばIIIaを手に入れるとしてレンズは何にするか…基本は50ミリだからヱルマーが王道。捻つてズミタール、或はズマリット。もうひと捻りしてニッコール…M4-2を使ふならレンズは何にするか…矢張り50ミリを外すわけにはゆかないのでズミクロン。ライツの35ミリは高額だからコシナ・フォクトレンダーから何か、或は旧ソ連のジュピターも当りなら使へる…と考へる愉しみがある。ライツ・ライカ・カメラを撰ぶ時に一ばん大事なのは、買はないと云ふその一点に尽きる。
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by vaxpops | 2013-02-10 13:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
 フヰルムは終つてゐる。
 いやより正確に、未来が無いと云ふ方がいいかも知れない。
 デジタル・カメラに一掃された。

 デジタル・カメラは確かに銀塩カメラに圧倒的な優位を持つてゐて、それをひと言で纏めると
 「失敗の不安が(殆ど)無い」
 一点に尽きる。その場で画像の確認が可能だし、焦点合はせや露光の調整は元より、ぶれ対策も万全で、一部の機種では構図の調整まで任す事が出来る。写真を職業とするひと、非常にふかく熱中するひとの経験が、デジタル・カメラには詰め込まれてゐて、銀塩カメラではどうやつても太刀打ち出来ないのは寧ろ当然と云つていい。詰り"写真を撮影する上で失敗をしたくない"のであれば、お近くの家電量販店で叩き賣りされてゐるデジタル・カメラをお買ひ求め頂ければ万事が解決する。

 ではそんな中、何を今さら銀塩カメラを買ふのかと訊かれれば理由は単純で、デジタル・カメラが銀塩カメラに持つ圧倒的な優位が実はそのまま、銀塩カメラの優位にも直結してゐるから、と応へたい。
 銀塩カメラが事実上、終焉を迎へてゐると云ふ事は、"失敗が許されない"撮影をする必要が無いと云ふ意味でもある。その役目はデジタル・カメラに任せばいいのだから、銀塩カメラは誕生以来初めて、或はやうやく素人の手すさびになつたのだと考へられる。それは銀塩カメラでの撮影が素人の手仕事の役割を得たと云ひ替へてよく、さうである以上、デジタル・カメラのやうな利便性や確実性は寧ろ邪魔になつてくる。
 不便と失敗―デジタル・カメラでは絶対に味はへない快感を存分に愉しめる銀塩カメラは何か。さう云ふ視点からこの稿は話を進めたい。

 不便と失敗を愉しむのだから、先づ、銀塩末期の全自動式カメラは避ける方がいい。あれは可也りの部分がデジタル・カメラと重なつてゐるから、使つてみても非常に中途半端な感覚になつて仕舞ふ。尤もかつての高級機も今では無惨なくらゐの安値で賣られてゐるから、予算の上限(たとへば一万円から一万五千円)を決めて買ふのは洒落にはなるだらう。但しこの手の機種は事実上修理がきかないので、使ひ捨てでも勿体なくないと思へる程度で抑へるのが望ましい。
 同じ理由で、手動焦点合はせ/自動露光の機種も避けるのが無難だらう。ニコンのFM3Aのやうに、シャッター制禦が機械式/電子式併用であれば、自動露光が駄目になつても何とかなるけれど、さう云つた機種は少ないし、手動焦点合はせ/自動露光機(電子制禦式シャッター)で信頼に足る動作をするのを捜すのは、些か以上の苦労を伴ふだらう。我われが愉しむ不便と失敗は撮影に際しての話であつて、購入は出来るだけ楽をしたい事情もある。

 さうなると撰択の基本は、機械制禦式のカメラ、と云ふ事になる。露光計は内蔵されてゐて構はないが、動かなく(なつ)ても問題は無い。ネガティヴ・フヰルムを使ふなら、基本の露光量さへ把握しておけば後はどうにでもなる。何より大きいのは、費用の多寡は別として、修理なり調整なりの希望がこの先も(暫くは)あるだらう事で、プリミティヴと云ふ単語をきらきらしく感じるのはかう云ふ時だ。

 では、何を撰ばうか。

 余り財布に負担をかけるのは好もしくないだらう。さう考へると
・リコーXR-8(Super):SMCペンタックス50/1.7
 あたりは可也り有力な候補になる。これは私が使つてゐる組合せで、総額一万円程度で済んでゐる。Kマウントのレンズは特殊なものでない限り、五千円くらゐから撰べるのも嬉しい点であらう。
 或はXR-8と同系列になるが
・ニコンFM-10:Ai50/1.8
 はどうだらう。AiAF50/1.8やAi35/2.8、シグマ50/2.8マクロと組合せてもいい。ニコンFマウントレンズは些か割高感があるけれど、レンズに贅沢してゐる点で訳知り顔を気取る事も出来るだらう。
・コシナ・フォクトレンダー・ベッサR(2):カラースコパー35/2.5
 も惡くない。ベッサはRもR2も案外と見掛けないので、たとへばボディをキヤノンPにするのも方法だし(但しキヤノンPには露光計は内蔵されてゐない)モノクローム・スナップに徹するなら、ズマロン35/3.5あたりを奢るのも渋い撰択ではあるまいか。
 もう少し財布に余裕があるなら
・ニコンNewFM2:Ai35/1.4
 勿論Ai50/1.4やAi55/2.8マイクロでもいい。機械制禦の一眼レフ形式で、ボディにもきちんとお金を投じるなら、おそらくこれ以外は撰べないと、私は本気で思つてゐる。
 少し捻りを加へたい向きには
・ライツミノルタCL
 を提案しておかう。ライカCLでもミノルタCLEでもないところがみそだと。オーソドックスに撰ぶならレンズはズミクロン40/2.8だらうが、安心を優先するならカラースコパー35/2.5がいい。古めかしさを強調したいならヱルマー50/3.5(ねぢ式)あたりも候補になる。但しねぢヱルマーは使ひ勝手が宜しくないので、その辺の面倒くささを愉しめないひとには不向きと思はれる。

 無尽蔵にお金を使へるなら話の方向は異なつてくるが、我われの目指すところは撮影の不便と失敗を味はふ点にある。余分なお金をカメラに費やすなら、それでフヰルムを買ひ込んで、どんどんプリントする方に使ふ方が余程に正しいと思はれる。終焉を迎へた銀塩カメラが、滅亡に到るまでの限られた時間を過すのには、気に入りのカメラとレンズをお供にしたいではないか。
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by vaxpops | 2013-02-09 21:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

13041-0189 南ぞ恋しき

 暑いのは苦手でたまらない。

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 それでもあの島のめしと酒には時に、暑さ以上にたまらない恋しさを感じさせられる。
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by vaxpops | 2013-02-08 23:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

13040-0188 豪奢?? 豪奢!!

 最近見つけた気に入りの呑み屋で。

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 凝つたものを出してくれて、然もこれが付き出しなのだから嬉しい。

 かう云ふのや蚕豆の黒糖まぶしなんぞをつまみながら、水でのばした泡盛や地ヰスキィのソーダ割りを呑るのは、実に愉快で豪奢な夜のひと時。
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by vaxpops | 2013-02-07 19:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
『東京煮込み横丁評判記』
坂崎重盛・光文社智恵の森文庫

 コローキアルに過ぎる文章は余り好みではない。
 但しコローキアルな文章が駄目だと云ふのではなく、肌に適はないとする方がより正確か。

 然しそれでも読んで仕舞ふ本は矢張りあるもので、本書はその中に入れていいと思ふ。

 中身??

 題名が示す通り―と云ひたいところだが、残念ながらそこまで単純ではない。言葉遣ひが非常にかるい(と云つては著者に失礼か)ので、うつかり読み流しがちになる筈が、意外なほど読了に時間が掛かつたのは筆者の背景が文章のかるさから連想される印象よりはるかに分厚いからにちがひない。

 尤もさう云ふ背景についてあれこれ考へを巡らすのは野暮な態度と笑はれて仕舞ふだらう。浅草や北千住、新橋、小岩、王子に立石と舌鼓を打ち続ける筆者を羨み、本書を片手に紹介された横丁をうろつくのが一ばん似つかはしい姿ではあるまいか。

 なに、足を伸ばす時間がなくたつて構はない。
 近所の気に入りの呑み屋で、煮込みを肴に酎ハイをやつつければ、そこが我われの横丁に変貌する。
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by vaxpops | 2013-02-06 23:30 | 本映聴観 | Trackback | Comments(0)

13038-0186 不見転

 みずてん、と読むらしい。

 いや、みずてんと云ふ言葉は知つてゐて、不見転と書くのを知らなかつたのが実情で、不勉強はこんな時に損をする。

 ところでその不見転に含まれる語感。これを説明するのが中々六づかしい。

『ちよつとした思ひきり』

 そんな感じはまあ、しますな。"見ズニ転ズル"わけだから、字面から云つても、間違つた印象ではないと思ふ。

 用法が正しいかどうかはさて措き、私がこの三文字熟語を一ばんよく用ゐるのは、ふらつと呑み屋に入る時で、ここで云ふふらつとは行きつけのお店を意味しない。
 一ぱい機嫌で呑み屋町を歩いてゐて、ふと気になる看板を目にした時の話。
 大体が私は気の小さな男だから、初めてのお店に入るのは無闇に緊張する。
 「別に何てこと、ないぢやないか」
 と云へるひとは酒場のヴェテランだからなので、いつまで経つても小心者は損なのだが、そこは見栄がある分
 「気に入りのお店が三軒あれば、不見転なんて要らないよ」
 と切り返したい。ただまあ切り返したところで、気になる看板は矢張り気になるものだから、止む事を得ず、一軒目でお酒のちからを借りる。

 ところで看板が気になると云ふのは当然、看板だけではない。漠然とした云ひ方になるが、雰囲気…佇まひに何だか旨さうな予感があるからさう思ふ。どんな看板がさうなのだと訊かれても、この辺りは勘の範疇だから、説明が出来ない。

 然もその勘は酔ひ具合で当り外れが大きい。折角(酒精のちからを借りつつ)不見転で入つたのに、何と云ふ事もないのはよくある話で、いやそれなら当りに限りなく近い外れと云つてもいい。こまるのはお酒は惡くなく、客あしらひもそこそこで、面倒さうなお客もゐないのに
 「何となくそりが合はない」
場合で、繰り返すがこれはこまる。折角のお酒に申し訳ないと云ふ気持ちにさせられる。多分"きこしめてゐる私の気分"の波と"お店の空気"の波が噛み合つてゐないからこんな風になるので、さうなるともう諦めて出直すのが最良の撰択になる。

 尤も酒精のちからを借りて不見転で入つたわけだから、もつぺん行くとしても、看板やら肝腎のお店の名前やらはすつかり記憶から抜け落ちてゐる。それで仕方無く彷徨つてゐる内に、別の気になる看板を見付けて仕舞ふ。
 「ちよつとした思ひきり」
は大切なのだらうが、不見転を決め込むなら、せめて一行くらゐはメモを残すのはもつと大切なのではあるまいかと思はれる。
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by vaxpops | 2013-02-05 20:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

13037-0185 ちいさな後悔

 人生には色々のちいさな後悔がある。

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 たとへば射的を愉しまなかつたあの日とか。
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by vaxpops | 2013-02-04 21:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

13036-0184 衣のはぜる音

『明治洋食事始め』
岡田哲・講談社学術文庫

 ウィンナ・シュニッツェル。ご存知の通り、維納風仔牛のカツレツ。うすく叩いた仔牛の肉に衣をつけ、両面を炒め揚げるやうな料理。中々うまいもので、午後遅い昼食に贅沢をしたい時なぞに似合ふ。葡萄酒の一ぱいくらゐ添へても文句は云はれないにちがひない。
 然しカツレツと云ふ単語から思ひ浮ぶ姿ではウィンナ・シュニッツェルはない。衣も揚げた感じも薄いし、実質は別としても見た目はうすつぺらな肉料理で、維納人に聞かせたら腹を立てるのではないかとも思ふが、このささやかなウェブログを維納人が読んでゐる筈はないから、気にしなくてもいいでせう。

 我われがカツレツと聞いて殆ど一直線に連想するのはとんかつで、分厚い肉にたつぷりざつくりとした衣を纏はせ、油を贅沢に使つた見た目にも実質もがつしりと云ふ形容が最も似つかはしい。ご飯に適ひ麦酒にも適ふ。このご飯に適ふ点が重要で、とんかつは日本式の料理なんですね。
 とんかつの切つ掛けを作つたのは云ふまでもなく明治維新で、その側面には欧米人への恐怖心と劣等感と憧憬と云ふややこしい感情の混交があつた。その感情を払拭せしめねばならぬ。ゆゑに肉を喰はねばならぬ。単純なのだか本丸をぢかに攻めたのか解らない結論が、筆者の云ふ"料理維新"に繋がつたので、本書はその辺りから明治日本がどうやつて「肉食と西洋料理」を受け容れ、「日本式の洋食」を生み出すに到つたかを大きな筆で描く。

 「肉食を受け容れ、コートレットと云ふ西洋料理を輸入した日本が、天麩羅と云ふ和食の技術を応用さして完成に到つたのが洋食の代表…王者たるとんかつである」
と筆者は云ふ。
 明治五年に帝が肉食をしてから、昭和四年に"とんかつ"が販売されるまでの六十年間がその時間で、厳密な考證は思ひ切つて省略されてゐて、食物史的な観点から考へるともの足りないのだらうが、愉快な逸話を散りばめた俯瞰図を眺めてゐる感覚は快い。尤もただの俯瞰なら味気ない地図になつて仕舞ふが、そこにとんかつ(更に重要な脇役としてあんぱん)を配置したのが筆者の妙であつた。
 洋食(日本化した西洋料理)が数多くあるとして…いや実際、数多くあるのだが、洋食の印象の最大公約数はとんかつだらうし、とんかつを軸に据ゑれば肉食全般に視点をずらす事が出来るし、肉食全般に視点をずらせば、千年以上の肉食禁忌―厳密に云へば獣肉との関はりがきはめて稀薄だつた期間だが―が成り立つた島國の事情にまで踏み込める。
 巧いものですね、目の付けどころが。率直に云へば文章は大した事はない。まあ下手糞ではない程度なんだが、それで愉快な読書の時間を得られたのだから、この手の本にたいせつなのは主役なのだと云ふ事なのだらう。如何にも日本人的な執念で、コートレットがとんかつになつてゆく様を読むと、油の中で衣がはぜる音が妙に恋しくなつてくる。
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by vaxpops | 2013-02-03 16:30 | 本映聴観 | Trackback | Comments(0)

13035-0183 左肩

 鞄―所謂ショルダ・バッグを肩からぶら下げる時、我が親愛なる読者諸嬢諸氏は如何だらう。

 私は左肩に掛ける。
 何故と云はれても、さう云ふ習慣なのだから…と云ふのは正しくなく、切つ掛けはちやんと記憶にある。

 躰の弱い私が、親の
 『多少なり、鍛へささねばならぬ』
狙ひで剣道に通はされたのは小學生の頃、確か一年生くらゐぢやなかつたか知ら。
 中々きつかつたな、ひ弱な少年に、剣道は。學校の体育館が道場だつたんだが、床がほら、コンクリで、年中素足だつたのね。真冬の稽古は稽古より足が冷たくつて、まつたくのところ難儀した。

 尤も厭いや計りではなかつたのは確かで、今も教へて下すつた先生の顔や名前は記憶にあるし、それは不快を伴はない。こちらが鈍感だつたのか、先生に恵まれたのか―後者だらうな、矢張り。

 ところで剣道を始めた当初に云はれたのは
 『左手(特に小指)が大事』
と云ふ事で、これは理に叶つた指導である。切ツ先三寸を操るに、左手の小指がいい加減だと、どうにもならないんです。剣道に限らず、"何かを握る"動作を含む武道…たとへば相撲(は正しくは藝事だけれど)で相手の廻しを取る…に共通するこつなんぢやないか知ら。
 勿論、童児だつた当方にそんな理窟は解らない。ごく素朴に
 『せんせいがいふんだから、ただしいにきまつてる』
と考へただけであつた。いやその筈だつたんだが、どうも実際はちがふらしい。

 今にして思ふに私は、左手(部分)と左腕(全体)を混同してゐたんではないか。
 左手(先生の云ふ)をつよくするには、左腕(私の思ふ)に負担を掛けねばいけない。
 をさない私は漠然とさう結論付けたにちがひない。拡大解釈も甚だしい話だけれど、手提げであれ肩掛けであれ、左手で持つやうになつたのは、それ以来なのだ。
 竹刀を握らなくなつて、何年が過ぎたか解らない。それでも私はショルダ・バッグを相変らず左の肩にぶら下げる。時々それを道具入れの袋と勘違ひして仕舞ふのは、肩が何かしらを記憶してゐる所為か。
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by vaxpops | 2013-02-02 17:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)