いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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 細かい確認をするのが面倒な時にWikipediaは中々便利で、確かめてみたらフル・ネイムはマシュー・カルブレイス・ペリーであるらしい。旧式の表記ではペルリ。漢字では彼理。"リ"はよいとして"彼"の字に"ペル"を当ててゐる理由がよく解らない。日本語の語彙には"pa/pi/pu/pe/po"の音が極端に少ないから、"彼/ペル"は中國式の音なのだらうか。

 どうもこの時期の亞米利加人に私は好感を持てない。実際のところがどうであつたかは知らないが、傲慢で強慾で亞細亞人は鞭で殴りつければ云ふ事を聞くと信じてゐる―そんな印象がある。正確に云へば英吉利に阿蘭陀、佛蘭西や露西亞にも同じ印象はあつて、中でも亞米利加にそれが際立つてゐるやうに思はれる。尤も当方の気分を有体に云へば、あの時期に来日した欧羅巴人(ペルリは亞米利加人だが、同じ括りに入れてもいいでせう)で、好もしく思はれるのはアーネスト・サトウただひとりであつて、その意味ではペルリに亞米利加人への印象を負はせるのはすぢちがひなのだけれど今さら仕方がない。

 然しさう云ふ印象を抜き難く持つてゐる私から見ると、下田がペルリを無闇に持上げてゐるのは些か奇異に映らなくもなく、たとへば驛前にはサスケハナ号(ペルリの乗艦)の模型が飾られてゐるし、散歩道に"ペリー・ロード"と名付けてゐるのも尻が落着かない。

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 冷笑的に云へばペルリはくぢら獲りの寄港地を慾しがる本國の意向で、無理やり鎖國をこぢ開けに来た男であるから、かれを"火器を持つた野蛮人"と看做す事だつて一面の理窟としては成り立つと思はれる。勿論、大砲を積んだ船で他國ののど元に匕首を突きつけた軍人を、下田人は実にしたたかに利用してゐると見立てる事も出来る筈だし、さう考へる方が痛快でもある。
 伊豆下田観光ガイドによるとペリー・ロードは『黒船でやってきたペリー提督が了仙寺で日米下田条約締結の為に行進した道。現在は、了仙寺から下田公園への約500m.平滑川をはさむ石畳の小道沿いにはなまこ壁や伊豆石造りの風情ある家並みが続いて』ゐると書いてあるが、実際のところを率直に云へば"ロード"の語感には遠いせまさである。ペルリが東インド艦隊司令長官であり代将(確か十九世紀亞米利加の軍隊は殆ど将官を置いてゐなかつたから、代将とは相当な高位の筈だ)であつた事を思ふと、そのせまさは巧妙な皮肉かとも勘繰りたくなつてくる。

 とは云へそのペリー・ロードは歩いて気分がいい。建物がほぼ一定のひくさで、壁の仕上げもよく似てゐる。詰り統一感があるわけで、その統一感が我われの気分をよくしてゐる。いやそれは頴娃君と私だけではなく、そこにゐた旅行者が共通して感じてゐるらしい。陽射しに恵まれた川縁はそれだけで心地好く、方々に置かれたベンチには家族連れだつたり友人同士だつたり、そして恋人だつたりが数分の休息を取つてゐる。

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 「かう云ふのを」撮影の手は止まらないまま私は「贅沢な場所と呼ぶのでせうな」
 「然り」と同じくシャッターを切り続ける頴娃君も「まつたくその通りですよ貴君」
 ちよいと洒落て見える店があり、三十年くらゐ時間が過ぎるのを忘れてゐるやうなスナックがある。それが喧嘩してゐないのは、繰返すが細いほそい平滑川の両側に統一感があるからで、もしかすると観光地と云ふ條件がそれを強要してゐるのかも知れず、さう云ふ強制は正しくまた必要であるとも思はれる。
 (もしかすると)
 この道を"行進"したペルリ水師提督が見た光景も、我われの見てゐるそれと近かつたのかも知れないと不意に考へて、更にまづいと思つた。宿酔紀行は紀行文ではなく、従つて正確性には何の保證もなく、たれがどこから登場しても不思議ではない。
 「Did you call me??」
 きちんと着込まれた制服に頑丈さうな顎。顔つきは自信たつぷりで、如何にも勢ひのある新興國の海軍将校に似つかはしい。
 「Come, relax. Not going to shooting here」
 私はがつくりしやがみこみたくなるのを何とか辛抱した(厭な予感がしたのだよ)こちらのshootingは撮影だけれど、軍人がshootingと云ふと剣呑極まりない。Commodoreに落着いたままでゐてもらひたいから、お茶の一ぱいでもご馳走したかつたけれど、亞米利加語を喋れない身としては如何ともし難かつた。
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by vaxpops | 2013-03-31 16:30 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(0)
 「海へ」
 さう云つたのは私である。ふかい理由はない。強いて挙げればどうにも私は"水のある情景"をこのむ傾向があるらしく、この辺は木々のみどりをこのむ頴娃君とは対照的と云つていい。別にそれで困りはせず、かう云ふ対蹠はそのまま面白がるのが正しい。

 下田の表通りは清潔で現代的なつくりをしてゐる。口惡く云へばそれは観光客を意識しての鍍金であつて、鍍金であるからひとつふたつ、路地に入るとこの町に棲むひとの空間が剥き出しになつてゐる。陳腐な云ひ方になるがそこには戦後昭和の残り香があつた。我われが捻ねてゐるとは思へないのが、表の清潔より路地の残り香の方が好もしく思はれる。

 さうして歩くうち、不意に奇異の念を感じて
「何だか妙に贅沢な感じがされるんだが、何ゆゑだらうね」
と呟いた。さうすると頴娃君は事も無げに
「なーに。建物の背がひくいからですよ」
と云つた。流石だね、かれは。着眼がすすどい。

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 確かに現代的な空間の町には数階建て以上の建物が乱立してゐて見上げる空がせまい。町にゐるひとに対しての場所を提供しなくてはならない事情が、それを許容―寧ろ強制してゐる。
 東京に棲んでゐるとそれは当然以上に棲む前提となつてゐて、またその情景はそこにあるのが当然なくらゐに見馴れてもゐる。その目が偶さか片田舎の空―我われが本来見る事が出来て然るべき空に気付くと、それを非常な贅沢と感じて仕舞ふらしい。
 さう云ふ稚拙な文明論的な事を私は考へたのだが、頴娃君は何事も無ささうな顔つきをしてゐる。考へてみたらかれは小田原と東京を往復してゐるから、空のギャップは日常なのであらう。羨んでいいのかどうかは解らない。

 我われの歩みはごくおそい。

 理由の第一は写真を撮りながらなので、それも(当然だが)同じ場所を同じように撮つてゐるわけではない。気になつたら撮る。それぞれ撮る。勝手に撮る。何枚も撮る。今回私が下田に連れてきたのはEF50/1.8IIと云ふ廉価にも程があるレンズを付けたEOS100(二十年くらゐ前の一眼レフ)で、実に快適に使ふ事が出来た。
 そんな旧式のカメラが使ひものになるのか、と疑義を呈する方には、十分に使へると応じたい。尤もそこには私が常用してゐるカメラが全手動機械式である事情も絡んでゐるから、たとへば最新のデジタルカメラに較べてどうかと訊かれても私の知つた事ではない。が、カメラの自動制禦は既に完成してゐて今はそれを病的な神経質さで研ぎ上げ続けてゐると見立てれば、こちらの云ひ分にも多少の理もありさうに思はれる。
 私がEOSと戯れてゐる傍らで頴娃君はライカを操つてゐる。かれの徹底ぶりは大したもので、頑として距離計式のカメラしか用ゐない。フヰルムも銀塩もライカであつて、記憶する限りかれが一眼レフを本格的に使つた事はない。スナップが主体の場合だと確かに距離形式カメラの方が使ひ易いのは事実で、近接をこのむ私とはここでも対照的と云ふべきか。

 第一の理由がある以上、第二の理由があるのは云ふまでもなく、それは酒屋探しである。即ち"漢の一本"探し。
 一年前の我われ(湯に浸かつてゐる筈の)は知らなかつたが、伊豆半島にも酒藏があつてその名を万大酒造と云ふ。
 「これあ、押さへねばなりますまい」
 「当然ですな、これは」
 と話したのは踊り子号に乗る前で、結論が既に出てゐるのだから残るはそれを入手すればよく、入手するには地元の酒屋がどの辺にあるかを知らなくてはならない。ここで巧妙を極めたのが頴娃君で、いつの間にか驛前の観光案内所で地図を手に入れ、然もそこのひとに推奨の酒屋の位置を書き込んでもらつてゐたから、二重の意味で感心した。情報を素早く手に入れた事と、その地図があればどう歩けばいいのかが解る事に。
 実はたいへんな方向音痴なのである、私は。いや方向音痴と云ふと悔しいから、空間の相対的な位置を把握する能力が不足してゐる、と云ひ替へておかう。これならやむ事を得ない雰囲気になるでせう。

 撮つて歩き、歩いて探してまた撮つて、を繰返してゐると、古めかしい看板を飾つてゐるお店に行き着いた。酒屋である。飾られた看板も古いが、藏を使つた建物が看板以上にふるい。

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 (ふるいと云ふのはそれ自体が値うちなのだな)
 時間で磨かれる価値だけはたれが何をやつても、時間が経つのを待つ以外になく、現代的な空間にこのお店があつたらこの藏は写真にしか残つてゐなかつたらう。時間を時間のまま残せてゐる点でも下田は贅沢な町であるらしい。
 「面白いものでせう」
 看板だの大福帳だのを眺めてゐたら小母さんが聲をかけてきた。旅行者でなく、地元のお客でもなく、お店の小母さんらしかつた。商賣の習慣なのか観光客には親切にと云ふ方針なのか、もしかするとただ話し好きだつたのかも知れないけれど、その辺のところは曖昧でいい。話を聞いてゐるうちに看板は兎も角、小物の一部は賣られてゐるのが解つたから、醤油屋の風呂敷を買ひ求めることにした。宣伝用の風呂敷らしく電話番号が染められてゐて、それが裾野三十四番。実に渋い。いい買ひ物が出来たのはよいとして、然し酒屋なのに品揃へがもうひとつ感心しなかつたのは妙なものだつた。

 目指す酒屋は藏のほど近くにあつて、目指す"漢の一本"と序でに罐麦酒を買つた。
 海まで五分も掛からなかつた。

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 凪いでゐる。

 気が付けば風は静か、水面は緩やかに波を打つのみで、ゆつたり揺れる船を眺めながら、腰を下した我われは罐麦酒を呑んだ。踊り子号からこつち、呑んで計りではないかと云はれさうだが、それがニューナンブの伝統であつて、伝統は伝統だから尊重されねばならない。
 「海を肴に呑む麦酒はうまいものだね貴君」
 「どこで呑んでもうまいものだが、貴君には格別かな」
 然様、然様。頷き頷かれる横で地元の親子が釣りの用意をしてゐる。かう云ふ土地で釣つた喰つたに馴れると、内陸で魚を食べられなくなるだらう。静岡県は富士山を接点に山梨県と繋がつてゐるが、その縁で下田人が甲府人と結ばれる事はあつても、盆地に居を構へるのは無理ぢやないかと思はれた。
 「さあて」罐麦酒を呷つた頴娃君がすつくと立ち上がつて「散歩を続けませう、貴君」
 望むところである。我がEOS100にはまだフヰルムに余裕があるし、まだまだ脚にも余力がたつぷりある。続いて立ち上がつた私の頬を、相模の海のやはらかな風が撫でて過ぎた。
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by vaxpops | 2013-03-30 23:00 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(2)
 生姜醤油で。

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 冷や酒に適ふねえ、こいつは。
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by vaxpops | 2013-03-29 19:59 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)
 こいつがまた、中々。

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 辛くちのお味噌との組合せが素敵。
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by vaxpops | 2013-03-29 19:38 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)
 アサヒの黒を背景に。

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 お刺身だつたら日本酒ですかな。
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by vaxpops | 2013-03-29 19:23 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)
 最近のお気に入り。

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 安つぽくて、妙に旨いところがいい。
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by vaxpops | 2013-03-29 19:18 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)
 先に云ふ。
 非常にまづいと私は今、焦つてゐる。

 この"弥生の月は下田月"の長さについてである。

 何を今さら。
 毎回長いよ。

 いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、事態はさう云ふ話ではないのです。
 多少は絡んでゐるかも知れないけれど、大筋ではちがつてゐるのですよ奥さん。

 奥さんつて、たれなんだ。

 まあ謎の奥さんは兎も角、私は非常に悩んでゐる。
 この"弥生の月は下田月"全体のの長さについて。

 当初の予定では弥生元日に始まつたこの宿酔奇行…いやちがふ紀行は、同朔日に大団円の筈であつた。

 弥生朔日。
 詰り三月三十一日。
 要は今月末。

 まさかけふの時点で一年前の我われが大浴場に浸つたままで、今の我われが下田を歩き始めた計りまでしか進まないとは、予想を外すにしても限度と云ふものがあるではありませんか奥さん。

 …だから奥さんつてたれだ。

 ここまで進めて…遅々として、なのはまあ、認めるのに吝かでないとして…いきなり"普通"の下田旅行記に方向転換は出来ないでせう。

 それが狙ひなら勿論、話は別だが残念ながら、さう云ふ狙ひは私には無い。

 無いのなら無いなりに進めざるを得ず、それは解るとして然し三月朔日までの完結は不可能なのは動かし難い事実なのであつて、その辺は最早、居直るくらゐしか手段が無い。

 「まあ確かにそれくらゐ無いだらうねえ」
 「このままだと湯中りして仕舞ひさうですが」
 大浴場から聲がする。

 「そろそろ海を眺めたいものですよ」
 「まつたく暢気はいいけれども、程々にしてもらひたいものですな」
 お寺の近くからも聲がする。

 『居直り表明の小細工をする閑があるんだから、本篇を更新すれば、話が早いのぢやあないか知ら』
 更に手厳しいのは謎の奥さんで、成る程彼女は讀者嬢のおひとりであつたらしい。

 そこまで云はれちやあ仕方がない。小細工路線はそのままに、行き着くところ―即ち帰りの特急列車―まで、進まうではないか。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には(些かの諦めをもつて)お付合ひをば、お願ひ奉る。
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by vaxpops | 2013-03-29 16:30 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(0)
 我われと下田観光ご一行さまを乗せた特急踊り子号は、定刻通りに下田驛に滑り込んだ。
 「明るいね貴君」
 「明るいよ貴君」
 一年前の下田驛は雨と風で肌寒くどこかしら陰気で、濡れそぼつ碧の屋根は美しかつたけれど
「どうしませうか」
と悩まされるのに十分だつた。然し実は今だつて
「どうしませうか」
と悩まされるのは変らなくて、いや変らないのは科白だけで気分は丸でちがふ。要するに浮足立つてゐる。
 歩くに荷物は最小限、と云ふわけで、着替へだの何だのを詰め込んだパックはロッカーにはふり込んだ。頴娃君はドムキの型番は知らないが、ごく小振りなカメラバッグ。私は帆布製のトートバッグ。わざわざトートバッグを撰んだのには
「うつかり、何を買ふか解らないから」
と云ふ理由がある。この辺りだけは頭がまはるのは如何なものかとも思はれるし、第一"うつかり"て意思薄弱にも程があるのだけれども、だからどうだと考へ出したら下田は歩けない。

 驛舎を出た途端、轟と音が耳を叩いた。風である。

 「ほ」
 同時に聲を立てたのはかるい驚きで、これがその日の天候なのか、海のそばの町ではこれくらゐの風は当り前なのかはよく判らない。判らないけれど風が不愉快であるとは思はれない。空は明るく躰はかるく、手にはカメラがある。何の不都合のあらうか。
 「どう歩きますか」
 「海へ」
 我われは歩き出した。躰だけでなく足がかるく感ぜられたのは荷物が少なさゆゑでなく、しつつこいが浮足立つてゐる所為だ。大人の落着きは驛のコインロッカーに片付けて仕舞つた。

 改めて云ふまでもなく、下田はペルリ来航の折りに江戸のえらいひとが頭を抱へた結果、開かれる事になつた港である。この辺の事情は横濱や神戸と同じで、要するにメリケンが来なければただの田舎の漁港に過ぎなかつた。別に下田が惡いわけではない。それが開國騒ぎで盛上つて再び漁港に戻つたのも、下田の責任ではない。
 横濱や神戸とちがつて下田は大消費地―即ち大都市であり要衝の土地―に遠く、あの当時の交通網を思ふと陸伝ひで江戸を目指すにも半島の山と箱根があつて、ただの旅行者なら兎も角、軍隊が進むのは相応の困難があつたらう。そのくせ風光は明媚で気候は温暖、おまけに魚がうまいとなれば、長逗留にはもつてこいの片田舎で旅行者には都合がよく、厄介な相手を半軟禁に出来る点で幕府にもこの際都合がよい。ペルリに下田を薦めた幕閣には目端のきいたのがゐたのではとも思はれる。

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 晴々とした道を歩く。
 到るところで風車がくるくるしてゐて、それがけふの風の如何にも似つかはしい。それは奉行所のお役人もペルリもハリスも見た事がなければ、勝安房守や山内容堂も知らない情景に相違なく、何となく贅沢な気分になれる。下田の町の主になる道はそれなりに幅がひろく、両脇がぽかんとしてゐて、花やかにしたいけれど最後のちからが及ばない寂れ具合が知らない土地を歩く気分を盛上げる。気分気分と煩いかも知れないが、さう云ふのが旅さきの愉しみなので諦めてもらひたい。さうやつて色々の気分を噛み締めながら歩くうち、お寺の妙な看板が目に入つた。いはく

『龍馬が飛翔し お吉が眠る』

 我われは互ひの顔をとつくりと眺め、ゆつくりと苦笑ひを浮べた。そのお寺は唐人お吉の墓所である事と勝安房守と山内容堂が会見した場所で"坂本竜馬の脱藩の罪が(一度)赦された"事で知られてゐる。なので"お吉が眠る"には文句は無い。然し"脱藩の赦免"は竜馬の長くない生涯でひとつの小さからぬ区切りではあつたにせよ、かれが本格的に活躍―お寺の云ひ分だと"飛翔"したのは二度目の脱藩以降だから、何とはなしに筋が通らない。それ以前に坂本本人が下田の地縁が無かつた筈で、実はお吉とねんごろだつたなら面白い…時代考證としてどうだらう…が、今のところそんなゴシップは聞いた事がない。我われが苦笑ひを浮べたのはそんな事情からだつたが、不意に
「そがいな事ア云はれても、うらア知らんキニ。まあ暢気にやツとオせ」
と聞こえてきたのには驚いた。
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by vaxpops | 2013-03-28 18:00 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(0)
 案外と見る機会は少ないだらう光景。

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 東京驛。

 新幹線の車両止め。
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by vaxpops | 2013-03-27 21:00 | 画像一葉 | Trackback | Comments(0)
 前回は踊り子号のしらす弁当について書き散らした。散らし寿司でもないのに書き散らすとはこれ如何に。

 …。
 …。
 …。

 私としては(特急列車効果もあつて)中々に満足したお弁当だつたのだが、我が年少の友人であるところのG富士君に云はせると
「丸太先生それはまだまだ、あまいです」
なのだと云ふ。かれが自信たつぷりな態度なのは元々小田原近辺を地元にしてゐたからで、さう云ふ経験に裏打ちされた意見は傾聴の値うちがある。G富士君いはく

 『相模灘の魚なら鰺を喰はなくちやいかんです。鯛よりうまいです』

 後半には瀬戸内の魚を常食してきた者として些かの異論を持たざるを得ないが、そこまでは触れない。感心すべきは鰺に着眼したかれのすすどさで、慧眼とはこんな時に用ゐたい。

 考へてみれば鰺は実に応用の利くお魚である。
 刺身、たたき、なめろう、塩焼や開き、南蛮漬けがうまいのは云ふに及ばず、フライでも素敵だし、お鮨で宜しく、オリーヴ油を使へば洒落た地中海ふうの小皿にもなる。中でも骨を揚げたりすまし汁にしたりするのは特筆に値する。鯛や鮭もヴァラエティ豊かな調理を誇つてはゐるが、骨も含めて食べ尽くすのを前提にする一点で、鰺料理にはある種のすごみを感ぜさせられて仕舞ふ。

 ところで鰺の応用力には別の側面がある。それは和洋中の横幅だけでなく、ちよいと贅沢で上品なお皿から品下れる廉価の一品まで自在に対応する縱幅で、俗に料亭から居酒屋までのオールラウンド・プレイヤーと云つてもいい。この広さは私が偏愛する鯛では縱幅の点で鰺には及ばず、酷愛する鯖や鮭なら何とか太刀打ち出来さうに思はれる。よく考へてみると、かう云ふ魚は案外に少ないんではないか知ら。

 わざわざ横幅に縱幅と云ふ妙な考へ方を持ち出してきたのは、この広さがお酒の撰択肢をたいへん豊かにして呉れるからで、熱燗温燗を問はず清酒でも濁り酒でも、梅干しの有無を問はず焼酎や色々の酎ハイでも、赤白問はず葡萄酒でも、勿論愛してやまない麦酒でも何でも適ふ。

 そこで思ひ出すのが小田原が相模灘に近い漁港であつて、詳しくは知らないがきつと鰺も水揚げがあるにちがひない。そして小田原には観光地の顔があるから、この水揚げた魚を観光客に喰つてもらはうぜ、なんて事くらゐは私にだつて思ひつく。これで鰺がまづいなんて、法螺にしても話が大きすぎる。

 さらに急に思ひ出した。小田原は水に恵まれてゐて、丹沢山の水系がある。水がよければお酒に期待が向くのは当然で、事実あの周辺にはアサヒビールの工場があり、小さいながら酒藏もある。それは真面目でうまい。

 『小田原なら鰺です』
 G富士君が云つたのは鰺尽くしやお弁当などの小さな話ではなかつたのだ。
 (これあ是非とも)
 鰺の旬になつたらG富士君と共に小田原を訪ねて、存分に愉しまなくちや、損ぢやあないか。冷や酒を呑りながら、鰺をあしらつた散らし寿司でも摘まみにすれば、冒頭の沈黙も無かつた事に出来るだらう。

 …。
 …。
 …。

 …と書いたところで、そのG富士君がにやりとして
「丸太先生、まだまだ情報が足りないらしいですね」
と云つてきた。いやちよつと待つて呉れ玉へ。綺麗に噺を纏めたところで何を云ふんです貴君。
 こちらが大慌てになるのを気にせずかれは
「湘南名物鰺の押し寿司くらゐはご存知でせう」
「莫迦にしちやあいけません。鰺の押し寿司は先刻承知でさあ」
「ぢやあその鰺の押し寿司が、ふたつところから出てゐるのは先生、如何です」
「は、何ですつて」
 予想外の方向から予想外の話が出てきて驚いた。
 「それぞれに旨くつて、甲乙付け難いものです」
 「こ、甲乙つて」知らず上擦つた私は「どんな風に旨いんです」
 「何を云ふんです丸太先生」我が年少の友人はふたたびびにやりとして「すりやあ相州小田原までご足労願はなくつちやあ」

 G富士君の懐は、こちらの読みを裏切るふかさなのであつた。
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by vaxpops | 2013-03-26 21:00 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(0)