いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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13192-0340 肴に野菜

 我が先人がさう云ふ呑み方をしてゐたかまでは知らない。

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 が。

 苦瓜入りのそれを嬉しくないとするひとと私は、酒席を共にしたくないと思ふのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらうか。
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by vaxpops | 2013-05-31 22:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

13191-0339 葡萄酒の顔

 酒壜のかたちとラベルはその銘の顔そのものである。

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 撮るのが六づかしいのはポートレイトにも似てゐる。
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by vaxpops | 2013-05-30 23:30 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

13190-0338 ハムカツ

 お惣菜のサラドやらサンドウイッチやらにハムが入つてゐると妙に嬉しくなる。だつて豪華ぢやないか。同じく嬉しいのは冷し中華のハムで、あれが叉焼だと豪華と云ふより無用な贅沢に感ぜられて仕舞ふ。舌が貧乏性なのでせうね。

 サラドやサンドウイッチ、或は冷し中華のハムは分厚かつたり太かつたりしてもらひたい。ささやかな豪華がランクアップしたみたいで嬉しさも比例する。  書きながら何だか悲しくなつてきた。
 然しハムが薄い方がうまいのも中にはあるもので、その代表にハムカツを挙げても苦情は出ないだらうと思ふ。

 フライものは何にせよ揚げたてが最高にうまいのは断るまでもないとして、ハムカツほどそれが顕著な一品は無い。理由はごく単純であれは
『ハムの風味が付いた衣』
料理なんである。すりやあ冷めたらまづいさ。然しそれを"ハムカツ"と呼ぶ心意気は大したものと褒めるべきでせう。その姿はコロッケや竹輪の天麩羅に隠されながらも意地を張るのり弁に似てゐなくもない。

 但しハムカツが(揚げたてに限るけれど)麦酒の素敵な友である事を、我われは忘れてはならない。
 ソースは下品なくらゐがいい。或はマスタードを溶き込んだのを別のお皿にたつぷり用意して、そこにざんぶり浸けるのも惡くない。熱い衣をかぢると先づ歯応へ。間髪を入れず、潤びたそれと鼻の奥を衝く辛みがくるだらう。
「あひひ」
あちちでもあぢあぢあぢでもいいが、そんな音を洩らしながらなみなみとした麦酒(この場合に限ると、壜が好もしい)をあふる。さうしたら冷たくほろ苦い液体が咽喉を滑り降りるのと共に、ハムの匂ひ…とてもぢやあないが、あれを香りと呼ぶ勇気は持合せてゐない…が感じられて、幸せな気持ちとは詰りかう云ふ事なのだな。

 勿論、寛容を旨とする私だから、豪奢なほんもののハムを肴に、その脂に負けない葡萄酒をやつつける愉しみは大いに認めるところではある。が、毎日ほんもののハムを肴にするには特に財布と云ふ観点から、些か以上の無理があるでせう。そんな筈は無いよと云ふひとがゐたら私はそのひとの幸運を羨むのみだ。そして羨む立場の私としてはここで矢張り、ハムカツが如何に廉価でうまいか、聲を大にして叫ばねばならないのだ。―まあそのうまさは、揚げたてに限るけれども。
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by vaxpops | 2013-05-29 23:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)
 今でこそカメラのズーム・レンズは高倍率が珍しくなくなつて、たとへばコンパクト・デジタルカメラだと五十倍なんて云ふのまである。目が眩みさうな倍率で、そんなのを常用出来るひとの視覚がどうなつてゐるのか、些か不思議に感じなくもない。
 私が写真を始めた当時のカメラ(キヤノンのEOS1000QD)に付いてゐたのはEF35-80㎜と云ふレンズで、今の目から見ると地味も陳腐も通り過ぎた感じがする。その後に出てきたのが28-70㎜で、更に28-80㎜と少し望遠側に伸びて、その辺りが所謂"標準ズーム・レンズ(奇妙な呼び方だがまあ、多くは云ふまい)"の定番的な焦点域になる。今のレンズ交換式デジタルカメラでも28-80/90㎜くらゐがさう呼ばれてゐるのではないか知ら。
 要するに使ひ勝手の惡くない焦点域がその辺で、もつと望遠域が慾しければ、70-210㎜見当のレンズを別に購入する、さう云ふ感覚だつたわけだ。詰りはつきりした広角からはつきりした望遠まで自在に撮りたければ少なくとも二本のレンズを持たなくてはならず、持運びまでは何とか我慢するとして、レンズ交換は如何にも面倒であつた。

 その"如何にも面倒"を鮮やかにブレイクスルーしたのがモデル71Dとも呼ばれるタムロン社のAF 28-200mm F/3.8-5.6 Aspherical と云ふレンズであつた。同じやうなレンズは過去にも無かつたわけではないけれど、極めてコンパクトで何より自動焦点に対応してゐるのが画期的であつた。
 勿論その"画期的"には"当時として"と付け加へる必要はある。今の目で見るとフヰルタ径の72㎜は巨大に思へるし、何よりすべての焦点域で最短撮影距離が2.1mなのは100㎜以上の焦点距離で用ゐるなら兎も角、それより広角の焦点域ではまつたく使ひものにならないと思はれる。もし28㎜単焦点で2.1mまでしか寄れないレンズがあつたとしたら、それは当時でも論外であつたらう。然しこのレンズを購入し、この一本だけで小旅行に出た私は、さう云ふ欠点―思ひ切つて云へば致命的な―にも関はらず、十二分に満足をした。旅行の目的だつたり相手だつたりと云つた事情を抜きにしても。
 その満足の理由を考へるに、おそらく類似のレンズが無かつたと云ふのが最も大きなものであつたらう。細かく詮索すればどうであれ、見た事のないレンズを使ふのはそれだけで昂奮に値する経験で、妙に大柄だとか寄れないとか、或は附属のフードがちやちで安つぽいとか云ふのはどうでもよくなつて仕舞ふ。実際この後、シグマ社が対抗したレンズを出し、タムロン社は更に対抗して改良版を出し、遂には28-300㎜の時代に突入する事になるのだが、私は至極冷静にその変化を眺めるにとどまつたし、同じやうなレンズには手を出してゐない。
 ああ云ふ"無茶な(と思はせる)"レンズが今後、出てくるのかどうか。
 最近、妙にズーム比の高いコンパクト・デジタルカメラが気になつてゐて…スマートフォンのカメラ機能に今のところ対抗出来る部分はここに尽きてゐると思ふ…その連想で思ひ出した事を書きつけておかうと考へた。
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by vaxpops | 2013-05-28 23:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
『カレーライスの誕生』
小菅佳子・講談社学術文庫

 13036-0184の[衣のはぜる音]で『明治洋食事始め』(岡田哲・講談社学術文庫)が、日本人が洋食を受容れた明治期の本である話をした。そこで主役を張つてゐたのはとんかつで、我われが獣肉を大つぴらに食べるようになつたのがご維新の後からと云ふ事を思ふと、この目の付けどころはまつたく正しい。然しその中で殆ど触れられてゐない、そのくせ我われの食事の中でごく当り前の洋食があつて、そこを注視したのが本書である。

 カレーライスは大好物である。簡便でどこで喰つても満腹になれて、何よりうまい。
 さうやつて私を熱狂させる日本のカレーライスが英國式なのは有名な話で、それは英國人に限らず歐州人が香辛料に熱狂したからで、本書はその香辛料についての話題から筆を始めてゐる。導入部としては先づ、上々と云へるだらう。
 然し読み進むうちに、何だか妙な気分になつてくる。
 興味深い記述は色々とあるんですよ。特に膨大な参考資料から抜き出したつくり方なぞは見てゐて実に面白い。たとへば
 「葱一茎生姜半箇蒜少計りを細末にし牛酪大一匙を以て煎り水一合五勺を加へ鶏海老鯛蠣赤蛙等のものを入て能く煮後にカレーの粉小一匙を入煮る―西洋一字間巳に熱したるとき塩に加へ又小麦粉大匙二つを水に解きて入るべし」
 と云ふのが明治五年の本に記されてゐるさうで、これが明治四十四年刊の本になると
 「牛肉(並肉)を二分位の賽の目にきりましてバタをフライ鍋に入れ火にかけ溶かしましたら此牛肉を入れてよくいため狐色になりましたらカレー粉を入れ(中略)三十分間も亦煮ましたら牛乳を少々いれて鍋をおろすので御座います(後略)」
 となつてゐる。因みに云ふと後者は"牛肉"から"御座います"までがひとつのセンテンスで、このしだらなさは私に伊勢物語の都鳥のくだりを思ひ出させた。尤も東下りご一行も渡し守もカレーライスを目にする機会はなかつたわけだけれど。
 他にもヱスビー創業者の山崎峯次郎の著書からの引用やカレー南蛮を工夫した男の逸話、阪急の小林一三と大食堂のカレーライスの話、或はかつての客船で出してゐたカレーライスは一等の客に福神漬を添へ、二等三等の客には沢庵漬を添へて出してゐたとか、昼休みにカレーライスを食べながら使へる話題があれこれ入つてゐる。中でも図版として収められた"和洋惣菜料理見立"は江戸風の番付仕立てになつてゐて私を大いに喜ばした事は大書してもいいのだが、それでも妙な気分は拭へない。

 その妙な気分は、ふらふらしてゐるなあ、ひとつひとつは面白いのに、全体の纏まりに欠けてゐるのではないかなあ、と云ふ疑問…いや不満である。筆者が云ふ"カレーライスの三種の神器"こと玉葱と人参と馬鈴薯を入れたのはいいが、まだ煮込みに到つてゐないやうな感じ。じつくり煮込むには『明治洋食事始め』で云ふあんぱんのやうな脇役が必要だつたのではないだらうかと思ふとまことに残念。
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by vaxpops | 2013-05-27 23:30 | 読書一冊 | Trackback | Comments(0)
 然し画像は上げない。

 その辺から(ある程度)お察し頂くのが宜しからうとも思はれる。
 とは云へ"使ひものにならない"ほどひどいものでもない(かも知れない)のが現時点での印象で、感想としては些かややこしい。

 率直なところこの石鹸デジカメがNIKON COOLPIX S01ではなくNikomat S01で、レンズ銘がニッコールでなくシリーズE(或はただのNIKON LENS)だつたら私の評価はもつと高くなつてゐたと思ふ。銘には相応の格があつてその目で見るとちから足らずが歴然としてゐる。要するにこの石鹸デジカメは"ニコン製トイデジカメ"と見立てれば不満や欠点への許容量が増えるのだけれど、さうするにはブランド銘が重すぎる。折角NikomatやシリーズEなど、そんな時に使へる財産があるのに勿体ない。

 とここまでが気分の話。

 大ニコン…と"大"を付けたくなるカメラの銘は他にツァイスとライカしか思ひ浮ばない…の気分と云ふ呪縛に目を瞑ると(この"目を瞑る"のが六つかしいのだが)、この石鹸デジカメの使ひ勝手は意外なくらゐ惡くない。
 基本は全自動。場所の事情がある時だけフラッシュを切にする、或は露光量の補正をすると決めれば、全体の挙動は不満を並べ立てる程ではなく、タッチパネルでのシャッターを切にしておけば(これを固定出来るのは幸ひ)、後は掌でくるむやうに持つとそこそこ安定して構へる事も出来る。内蔵の手振れ補正が有体に云へば貧弱なので、この安定して持てるのは中々重要な点なのである。
 かう書けばお分り頂けるだらうが、石鹸デジカメを使ふには、多少なりともカメラの持ち方だの何だのの経験が要求される。これはサイズを優先したがゆゑの割り切りに対する代償なので文句を付けるすぢではなく、従つて(所謂)初心者が手にしてよい一台とは云ひ難い。さう云つた方々には少し気張つて、ちよいと高額なのを撰ぶのが安心だらうと思はれる。尤もそれでは捻ねた―ぢやあない、えーと、さう、経験だね、経験豊かなカメラ使ひのお供になるかと云へば残念としか応じざるを得ず、その点で云へば位置付けが非常に微妙と云はなくてはならないだらう。

 では丸太の場合はどうなのか、と話が進むのはまあ当然の事で、私の場合、石鹸デジカメの画は二次的三次的なところにある。その小ささかるさに値うちを見出してゐる。撮れなければ写真にならないのだし、その一点に限ると常用の台湾蝶々より遥かにかるく速く、使ひ易い。このデジカメの本領はシビアに撮る事でなく、もつと云へば写真を意識して撮る事ですらなく、ただ漠然と"妙な看板"だとか"不思議な模様のマンホール"だとか、目に入つた物ことを、ただ何となく画像にしておく時に発揮されるのではないか。その結果、(殆ど無意識の)(変な偶然で)面白い一枚が撮れてゐれば見つけもので、そんな漠然にあのサイズは如何にも似つかはしく、その分だけ銘の重さが改めて惜しまれる。
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by vaxpops | 2013-05-26 20:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

13186-0334 本を召しませ

『快楽としての読書 [日本篇]』
丸谷才一・ちくま文庫

 [13165-0313 快楽としての書評]で同じ著者の『快楽としてのミステリー』を取り上げてゐるが、さう云ふ事は気にしない。面白い読書―書評そのものを愉しむ事が出来たのだから大聲で推奨したくなるのは当然の話でせう。

 冒頭に収められた一篇で丸谷は現在の本を

1.本文が白い洋紙で、
2.その両面に、
3.主として活字で組んだ組版を黒いインクで印刷し、
4.各ページにノンブルを打ち、
5.それを重ねて閉ぢ、
6.表紙をつけてある

便利なものと記し(この箇条書きは丸谷の随筆でよく見られる手法)、私はすつかり感心して仕舞つた。一体我われが"本"と云ふ時、そこで頭に浮ぶのは小説だとか随筆だとか學術的なのだとか、その中身―目的乃至機能と云ひ替へてもいいと思ふがそちらの方であつて、1.~6.のやうな形態的を考へたりはしない。この本で丸谷が取上げるのはさう云ふ形態の物体全般で、百花繚乱と云ふ些か古めかしい四字熟語をもつてその広汎を讃へたくなつてくる。

 詩歌このみのかれが句集や詩集を評するのは当然として(たとへば谷川俊太郎が二冊)、また文學者であるかれが言葉に執着するのもまた当然として(『逆引き広辞苑』『岩波古語辞典』『広辞苑第四版』『平安時代史事典』『日本国語大辞典第二版』『歌舞伎事典』『大事林』『日本語大辞典』の八冊)、感心するのはどんな切欠で手に取る事になつたのか見当も付かない本も取上げられてゐる点。
 たとへば『さつまあげの研究』(高田静・童心社)と云ふ本。これは夏休みの自由研究コンクールの入撰作を本に纏めたもので著者は小學三年生。子供が書いたからと云つて丸谷はそれ自体を褒めたりしない。"一体にこの小学生の研究には、こんなふうに、現場に行つて実地に調べた者の強みが充満してゐる"だとか"かういふ実地探求の態度が、静さんの本の第一の特色だとすれば、第二は、事柄を的確に伝へる文章力である(中略)第サンの特色は、文章も、自分で描いた挿絵も、ユーモアがあること"と実に温かく、また具体的に日本の小學生が
「健全で実用的な散文の書き方を身につけよう」
としてゐる事を喜んでゐる。その喜び方は如何にも練達の文學者的で微笑ましく、一ぺん静さんの本を読んでみたくもなつてくる。
 勿論微笑ましい評だけではなく、『実景実感』と題された菅茶山を題材にした本を二冊、取上げた一文では途中、漢詩人の七言絶句を引く(丸谷の引用はそれだけでひとつの藝を成してゐる)そして江戸詩人の撰集で重要な人物が欠けてゐる点を
「もしわたしに心得があれば、点睛を欠いた画竜を惜しむ七言絶句を作るところだ」
と締める。かう云ふをかしみを含ませたほろ苦さはこの英文學者の得意とするところで、我われ読者は熟練の読書人と抜群の文章藝の幸福な出会ひを喜ばしく感じる事だらう。

 とは云へ気に喰はない部分がないわけでもない。
 第一に百二十余の書評が筆者の五十音順になつてゐる事。書かれた年代順であれば丸谷の本に対する趣味または興味がどう移り変つたかを俯瞰出来たのに、まことに残念。尤もその場合、同じ筆者の複数の本が並んでゐる利点が打ち消されるわけだから、編輯者も頭を悩ましたかも知れない。
 もうひとつは一篇一篇の配置が非常に無神経な点。この本は書評集ではあつても、それ以上に短篇または掌篇集的な性格を持つてゐるのだから、それぞれを綺麗に独立させて読ます工夫が慾しかつた。折角、和田誠の挿絵があるのだから、五十音の区切りのところだけでなく、もつと上手にあしらつてもらひたかつたし、それで点数が増えて、この本の値段が上がつても、損をした気分にはならないにちがひないのだから。
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by vaxpops | 2013-05-25 23:30 | 読書一冊 | Trackback | Comments(0)
 山独活と貝柱の酢味噌亜和へ。

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 酢味噌の辛子がまたもう貴女。
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by vaxpops | 2013-05-24 20:46 | 企画万巻 | Trackback | Comments(2)
 余りある豪華さよ。

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 お酒が進む進む。
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by vaxpops | 2013-05-24 20:20 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)
 このカメラ。

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 被告ではなく肴と云ふ説もありさうだが、その辺はまあ、ひとつ。
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by vaxpops | 2013-05-24 20:04 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)