いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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13244-0492 随筆志向

 このエキサイトブログには"似ているブログ"と名附けられた、妙なサーヴィスと云ふか機能が用意されてゐる。名前から想像出来る通り、エキサイトブログ内で"似ている"と判定されたウェブログへのリンクがランダムに貼られるんである。
 「かうすれば、近い趣味のひとを、探すのに役立つでせう」
とエキサイトの中のひとは思つてゐるのだらう。リンク先はランダムに変るから
「意外な發見や出会ひが、あるやも知れませんなあ」
なんて、得意満面の顔までしてゐるかも知れない。それで時々、ここからその"似ているブログ"にアクセスをしてゐるのだが、正直なところ、一ぺんも似てゐると思つた事が無い。ここで念の為に云ふのだが、リンク先が詰らないと云ふ話ではないよ。私が書いてゐるのとは似てゐないなあと思ふ、それだけの事。

 歴史的仮名遣ひ。
 雑記的ではあるが、日記的ではない。
 比較的、呑み喰ひの画像が多い。

 多分この辺りが、"いんちきマクガフィン"の特徴だと思はれて、批評的なところは別にしてもらつて、こちらの狙ひは随筆なんである。しつつこく云ふが、その目論見が上手いこと出来てゐるかどうかは、別の機会に然るべきひとの批評を待ちたい。
 それでこれはエキサイトブログに限つた事では無い筈だが、随筆的なウェブログはそもそも、非常に少ない。尤も自分を棚に上げて云へば、こちらの云ふ随筆はたとへば阿房列車であり、或は檀流クッキングであり、はたまたヨーロッパ退屈日記なので、そんなのが簡単に讀める道理はない。裾野が広くなれば、平均点は下がる。

 然しそれでも閑文字あそびを文學の伝統とする日本で、随筆志向のウェブログが少数派なのは、矢張り不思議な光景に思はれる。それとは別に日記を偏重する傾向があるよと指摘する聲が聞こえるけれど、あれはたれかに讀ませる類のものではなく(荷風の断腸亭は例外。あの爺さんは日記のふりで書いてはゐるが、明らかに自分の死後、公刊されるのを解つてゐた)、公にする意識は皆無に等しかつただらう。日記文學は結果文學(になつた)なんである。公への意識が稀薄な点だけは確かにまあ、多くのウェブログは伝統に忠實なのか。

 とは云へ、他人さまの日記なんか、面白くも何とも無いもので、いやあなたの事を云つてゐるのではありませんよ。きつとあなたの日記は詰らないに決つてゐるが、同じくらゐ私の日記だつて下らないにちがひない。文豪や大政治家の日記が面白くて興味深いのは、歴史の一部をちよいと覗き込める、云はばゴシップ趣味のお蔭なんです。あなたがさう云ふゴシップを持つてゐるとして、ウェブログに軽がると書くだらうか。私なら書かない。帖面に記して、自分に都合の惡い部分は(こつそり)修正しておく。何の事はない、市川の爺さんの手法で、最初から讀まれないのを前提としない限り(詰り本来の意味での日記だな)第三者を喜ばせる日記式のウェブログは成り立たない。
 さうなると随筆を狙ふ私の方向は強ちまちがひではない筈で(後年の他人をにやにやさせるゴシップを、残念ながら持合せてゐない事情もある)、だとすれば"似ているブログ"にさう云ふ指向が見られないのは矢張り不思議だと云ひたくなるんだが、實態がさうではないのは、私がをかしいのか、日記式がそれだけ変な権威を持つて仕舞つてゐるからなのか。
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by vaxpops | 2013-09-30 20:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

13243-0491 生ハム

 白が適ひますよと薦められたのは、赤を呑みながらのタイミングで、だからおかはりは白にした。

 さうしたら赤には似合つたぺパーがひどく浮いた感じになつて、それでぺパー抜きでもうひと皿。

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 ハムと葡萄酒は六づかしい。

 生ハムが相手だとなほ六づかしく、それでうつかり過ごして仕舞ふ。
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by vaxpops | 2013-09-29 20:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

13242-0490 デジタル幽霊

 よく考へてみると、腕時計をする習慣を持たない。
 思ひ出してみたら、ふた昔ほど前からの事である。

 (ふた昔つてまた、古い話だねえ)

 元々は附けてゐた。
 一ばん初めはカシオのデジタル腕時計で、もう動かないけれどそれは今も手元にある。確か中學生になつた頃で、山口百恵が宣伝に出てゐた記憶がある。懐かしいなあ。

 遡つて何十年か以前の中學生にとつて、その腕時計は見た目とか値段とか、そんなのとは無関係に何だか重々しくて、老人の繰り言だね、これでは。まあ繰り言をくちに出来るのは老人の特権だから、勘弁してもらひませう。
 然し實際、何十年か前の時計(今ならヨドバシカメラ辺りで千圓も出せば手に入るだらう)には、ある種の持ち重りがあつた。勿論そこには附ける側―詰り少年(!)だつた私の年齢が大きく影響してゐたにちがひなくて、だからその当時、今の私と同じくらゐの年齢だつたひとが持ち重りを感じてゐたかどうかまでは知らない。
 ただどうもその持ち重りは、その物体が永年の使用に耐へる自信と云ふか誇りと云ふか、そんな感じの何事か(この辺、上手い云ひ廻しが見つからなくて悔しい)が實は持つて重かつたのではないか知ら、とも思ふ。だから今、カシオのデジタル腕時計を目にしても、ふーんと思つてそれだけだ。こんな事を云ふと山口百恵に睨まれるかも知れないが。

 持ち重りの重りがダイエットに目覚めたのはいつ頃からだらう。産業史はまつたく無知だから、ある程度の想像が出来るカメラで考へると、キヤノンのAE-1辺りからではないかと思ふ。私の場合、あのカメラが登場した頃は写真にもカメラにも興味が無かつたな。後になつて一ぺん、中古で手に入れてシャッタ速度優先の自動露出はアレだなあと感じたのだが、いけない、話がちがふ方向に進みさうだ。さうではなくて、AE-1は廉価な大量生産を最初から意識したカメラだつたと、そつちの方面を向かなくちやいけなくて、だからあのカメラは色々な部品や素材を物凄く思ひ切つてゐる。纏めて造りたい部品はさうし易い設計になつてゐるし、使へる箇所にはどんどんプラスティックを採用してもゐる。なので他の会社のカメラを押し退けてばんばん賣れたし、押し退けられた他の会社だつてそのままだとこまるから、賣れる方向を賣れてゐる事實で指し示したAE-1の真似だとよくないか、さうだ参考、参考にしてその辺をアレするようになつた。

 我ながらさらつと書いてから思つたんだけど、これは結構な激変ぢやあないか。

 カメラと云へば職人の技が到るところに光つてゐる頑丈で精密な機械―だつた筈が、ここら辺りでがらつと変つた。特に精密の意味が激変してゐて、手技から組立て機械の動作になつたと思はれて、非常に情緒的な云ひ方だなあと自分でも思ふんだけれど、その手の掛り具合が少なくなつたのが、カメラの持ち重りのダイエットが成功した秘訣である気がする。気がするのは気がするだけの話かも知れないが、ダイエットの本に書かれてゐるのも大体そんなところだらうから、気がするだけでもいいんではないかと思ふ。
 気がするのは勘違ひだよ君と云ふのは云ふひとの勝手として然し、理窟で纏まらない漠然とした気がするを勘違ひだよ君と云つてさて、いいのかどうか。何の話かと云へば持ち重りの話で、その持ち重りはえーと、何だらう、何でもいいが重さを計つても解らない、数字に置換へられない(これぢやあ云ひ方が硬いな、さうだ、数字に翻訳出来ないと云はう)数字に翻訳出来ない掌の感覚と云はう。その掌感は組立て機械で合理的な計算を尽した結果、生れてくるものではなく、完璧な合理性には達してゐなくて、その隙間を木槌で少し叩くとか、ごく薄いワッシャーで埋めるとか、三べん鑢でこするとか、そんな作業をしないと完成しない物体に、否応無く發生するんではないか知ら。
 工場でかしやがしやどんどん造られる機械を惡もの扱ひするのは気の毒として、だけどああ云ふのはひたすら明るさと清潔があるだけで、また上手い云ひ廻しが見つからないのが残念なんだけど、造り手の怨念めいたものが無い。怨念だと気味が惡いなら執念と呼ぶとして、すりやあまあ、自動機械にそんなのが宿つてゐたら別種のホラーになる。夜中の無人の工場で、勝手に電源が入つて、がちやんこがちやりと、微調整をされた製品が流れてゐて、不思議に思つた警備のお爺さんが覗いて見たら、一羽の鶴がゐたりするとホラー話も飛び越して仕舞ひますね。

 えーと、何の話だつたか…(ああ、思ひ出した)持ち重りね、忘れちやあいませんよ、ええ。
 然しさうやつて考へたら、遥か昔の中學生がデジタル腕時計に感じた持ち重りはをかしい。あれは明るくて清潔な自動機械工場出身の筈で、経歴書を見たわけではないけれど、間違ひの無いところでせう。私の推理はよく当る。ただその推理が当つてゐると、あのカシオはもつとかるく感じられなくてはいけないのに、確かに重かつた。話のすぢが通らない。山口百恵の分だけ重かつたのかと考へてみても、私は彼女のファンではなかつたし、第一あの頃の(今で云ふ)アイドルは元の意味にちかい偶像的でふはふはした何ものか―何ものと云ふより現象だつたから、それもすぢが通らない。
 矛盾してゐるなあと思ひ、となると矛と盾の間に何かが隠れてゐるんではないかと推測が出来て、そこで思ふのはあの頃のデジタルが未完成な技術だつた事ですね。花やかに"デジタルはカシオ"と唄つてゐながら、實のところ中身はまだまだアレで、だから明るく清潔だけではどうにもならなくつて、そこに怨念ぢやない執念の入り込む余地が残されてゐた、のではなからうか。これ以上基盤が小さくならないぞ畜生。部品の配置を百分の三ミリずらしたら、何とか収まるにちがひない。いやその為には筐体の素材を見直さないと。設計者と技術者と工場のひとがそんな激論を交したかどうかはカシオの秘密として、全然ちがつてゐるかも知れないか。でもそんなのが幽霊みたいに入り込んで、部品の合計では計れない重さに変換されたと考へたい。きつと今では激論を交す必要も無いくらゐに技術が進歩してゐて、だとしたら幽霊も出番が無くなつてゐるのだらうな。尤も私は腕時計をする習慣を失つて、ふた昔ほど過ぎてゐるから、今のカシオに持ち重りがあるかどうか、實際のところは知らない。いやまあ、セイコーでもシチズンでも同じなんだけれど。
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by vaxpops | 2013-09-28 23:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

13241-0489 どんたく!

 言語の綴りはzondagで、和蘭語、"日曜日"が原意である。zonとdagに分割出来て、これは英語のsundayがsunとdayに分割出来るのと照応するし、遡ればラテン語のdies solisに辿り着く。あの辺の言語が(遠近は兎も角)縁戚関係にあるのが解りますな。偶にはこのウェブログにも豆知識が書かれるのですよ、エヘン。尤もここで云ふどんたくは、言語學的なそれに拠るものではなく、ニューナンブ用語としてのどんたくなので、豆知識は豆のままだから、エヘンは取り消した方がいいかも知れない。
 日本語の文脈に取り入れられたどんたくには、花やかな印象がある。多分博多どんたく辺りからの連想だと思ふのですが、いいですね、あの響きは。九州には一ぺんも行つた事が無いから、博多どんたくは焼酎と薩摩揚げの組合せと並んで、あの土地を連想させて呉れる。賑やかで大らかで、派手このみで、どこかしら刹那的で淋しげでもある、そんな感じ。饂飩ともつ(韮入り)と飫肥天麩羅と冷ツ汁を肴に、日の出から呑みはじめたい気分、と云ひ替へると、あちらのひとに失礼だらうか。

 その"朝から呑む"のがニューナンブ式のどんたくで、かう云ふのは一日で収まるものではない。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に軽がると推奨出来るものではないんだが、嬉しいものです。目を醒ました時点でけふは今から呑んでもいいんだと思ふと、普段なら起き上がるのに十分十五分が必要な筈が、何と云ふ事もなく、半身を起せるから、人間の躰は不思議なものですな。
 それでたとへば特急列車に乗る。お弁当でもサンドウィッチでも宜しく、罐麦酒が二本くらゐ。午前の特急列車に黒麦酒は似つかはしくなくて、あれは夜にじつくり呑むのがいいから、どちらかと云へばかるめのを撰ぶ。これから呑み續けてかまはないのだから、焦らなくてもよくて、これが嬉しい。勿論最初からお酒や葡萄酒でもよい筈で、これは次の愉しみにとつておかう。お供撰びが六づかしいかも知れないが。
 目的地に着到したら、そこは熱海伊豆でも甲府勝沼でも、或は初めての土地でもいいんだが、罐麦酒と列車の揺れで快くなつてゐるに相違なく、それでも酔つ払ふにはまだまだ距離があるにちがひなく、簡単な単語に纏めるとそれは上機嫌であつて、その上機嫌で写真を撮る。デジタルも使ふがフヰルムが大いに活躍して、どんな写りになるかは解らない。最初は何となく身構へた気分が残つてゐて、それがいつの間にか失せるのが面白く、途中でぶれたかなと心配する事もまあ、無くはないが、それも気にならなくなつてくる。行き先によつてはお酒や葡萄酒の藏がある場合があつて、さう云ふ場所は見逃さない。ニューナンブが見逃さないと云ふのは、そこで呑むのと同じ意味である。

 宿に入ると風呂に入る。どうせ安宿に泊るのだから、面倒な註文は附けない。理想を云へば大浴場が慾しいところだが、その辺はその辺とする。どつぷり湯舟に浸かつて、それから麦酒を呑む。午前の特急列車ではないから、今度は安心して濃いめのにする。色々仕入れた肴をつまみながら呑む。
 麦酒が空になつたらお酒か葡萄酒(この二種類は混ぜ合はせない)に移り、移りながら写真を見る。この間は喋り通しの笑ひ詰めで、だからテレヴィジョンはぽつかり暗いままである。最近の世の中は便利になつてゐるから、手持ちのスマートフォンだのタブレット式端末だのでラヂオを聴けて、これだと酒席の邪魔にならず、適当に賑やかなので重宝する。罐麦酒を二本、残しておいて寝る。
 翌朝、その贅沢が許されるなら、朝めし前に風呂に入る。不思議なもので、普段は起きてから一時間以内は何を食べる気にもなれないのに、かう云ふ時は實にめしがうまい。健全な食生活を送るのに、年中、かう云ふ暮しがよいのかも知れないと思はなくもないが、年中だとそれが普段の生活になつて仕舞ふから、ぐるりと廻つてもとの場所に着地しさうな気もされる。それで前夜に残しておいた罐麦酒を呑む。呑んだら必ず小原の庄助さんが身代を潰した理由を思ひ出す。思ひ出しついでにけしからぬ遊びをこのんだ侯爵だかたれだかが、だけど不浄をしたいねえと嘯いたゴシップも連想する。

 行つた以上は帰らねばならないから、仕方なく特急列車に乗る。いやその前に蕎麦屋に入つて、手繰りながら呑む。大抵の場合はもり蕎麦。天麩羅附きを奢る事もある。蕎麦屋で呑むのだから、過す心配は無い。實にスマートな呑み方だと自讃したくなる。自讃してから、竹輪か蒲鉾と罐麦酒をぶら下げて特急列車に乗る。
 帰りの特急列車は午前の便ではなく、降りた後に予定があるわけでもない。帰宅するのが予定と云へばその通りだが、それは家に帰るまでが遠足ですと云ふのと同じである。麦酒を呑み、竹輪(乃至蒲鉾)をかぢる。時々うつらうつらとする。さうしてゐる内に、特急列車は終点の驛に着到する。頼んでもゐないのにと文句を云はうかとも思ふが、終点の驛に着到しなければ降りる事が出来ない。特急列車に風呂とベッドと食堂と酒屋があれば、文句は附けずに済むとして、さうなると今度は降りるきつかけが無くなるから、それはそれでこまる。
 それぢやあまあ、お疲れさまと云つてから、自分が安宿のテレヴィジョンのぽつかり暗い画面になつた気分になる。そのぽつかりには多分、翌日からの普段が詰め込まれてゐて、ニューナンブのどんたくにはさう云ふのも含まれてゐるにちがひない。賑やかで花やか、派手このみで刹那的であつてこそ、その計劃や打合せ、反省会までが大いに盛り上がるのだ、と考へるのは然し、詩的で感傷的に過ぎた態度だらうか。
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by vaxpops | 2013-09-27 23:30 | ニューナンブ | Trackback | Comments(0)

13240-0488 奇妙

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 くらい空の隙間から、光。

 何となく非現実的な、景。
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by vaxpops | 2013-09-26 17:30 | 画像一葉 | Trackback | Comments(0)
 四半世紀ほどまへ、と書くと何だか自分が古老になつた気分になる。惡い気分では勿論無くて、それは老境には厭惡を感じるよりあくがれる方が得だと云ふ意味でもあつて、然しその境地に辿り着くには、時間と達観と諦観が必要である。自分が未熟なのは重々承知してはゐるが、少なくともそんな事を嘯ける程度の年齢にはなつてゐるだらうからお許し願ふ。それでその四半世紀くらゐ前の或る日、東京の西の端か千葉の東の隅か忘れたが兎に角私はその辺の土地で小腹が空いたのを感じたので、偶々目に入つた饂飩屋に潜り込んできつねうどんを註文した。関西風だか大坂風だか、そんな幟があつたからだと思ふ。そのきつねうどんは、(まあ、一応は)関西風の仕立てだつたのだが、ただひとつ、白い葱がうすく敷かれてゐたので驚いた。私の知る限り、関西…大坂の饂飩には分葱が散らされてゐるもので、その青緑の鮮やかさが澄明なおつゆと白い饂飩によく映つて、實に旨さうである。と書くのは些か誇張が含まれてゐて、当時の私はさう云ふ饂飩しか知らなかつた。だからその異形の白い葱は余程衝撃的であつたにちがひなく、でなければ今の今まで記憶に残る道理が無い。お蔭でそのお店の名まへやうまかつたかどうかは、すつぱり記憶から抜け落ちて仕舞つた。

 何の話をしたいのかと云へば葱の事である。厳密な比較をしたわけではなく、比較を出来る舌も持合せてゐないから、ここから先は漠然とした印象になるのだが、どうも西と東では葱の扱ひが異なつてゐるのではないかと感ぜられる。一体に西は葱や韮、或は大蒜と云つた香りのつよい野菜の扱ひが非常に地味である。彩りだつたり香りつけだつたり、微かに隠し味として使ふのは巧妙で、饂飩の分葱はその好例だらう。あれはまづ見た目の美しさに値うちがあつて、湯気に隠れた香りが喜ばしくて、更に饂飩と絡めるとうまい。然しだつたら無くしてもいいかと云へば断じてそんな事はなく、分葱無しの大坂式饂飩は山葵の無い鮪の刺身に似てゐる。香りのきつい野菜に対して西の調理法はきはめて慎重乃至臆病と思はれて、これは要するに淡々とした味がさう云ふ態度を要求したのだと考へられ、さう云ふ態度は西の野菜の味に当然、(つよく)影響を及ぼしてゐるだらう。
 東に来て知つたのは、その香りのきつい野菜をきついままに食べる嬉しさで、たとへばごく簡単な太つた葱をぶつ切りにしたのを焼いたのが實にうまい。それからこれは邪道なのだらうが、もり蕎麦に添へられた刻み葱をつゆにちよいとつけると、それで冷酒の肴になる。いや別にお店でなくちやいけない事情は無く、ざくざく切つたのを胡麻油で炒めるだけでいいし、ぶつぶつ切つたのを醤油で焚きつけてもうまい。斜に構へればごく単純な調理法と云へるだらうが、そんな構へはする方が野暮で、その単純な焼く炒める煮る以上の手間を掛けるのが勿体無い程度に元がうまいのである。西の話で触れたからこちらでも云ふと、東はよくも惡くも大田舎だつたので、西流儀の巧緻を凝らした―別の見方をすれば厭みな調理の伝統は(幸運にも)持てなかつた。その田舎式が田舎式のまま洗練された結果が現在なのだらう。西の柔弱に東の剛直と云へば、をかしな対比になつて仕舞ふか。
 それで一ぺん、東の葱で試してみたいのは根深汁と葱鮪である。どちらも簡単きはまりないものだから、試してみたいと云はず、今すぐ自分で作ればいいのだらうが、どちらも熱いのがうまい筈だから、厳冬の愉しみにとつておかうと思つてゐる。
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by vaxpops | 2013-09-25 22:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
 "もの"を"モン"と發音するのは大坂―近畿の方言で、たとへば酢の物が酢のモンになる。音が活きのいい魚の尻尾のやうに撥ねるのは、(日本語の)一音を延ばす…たとへば酢は"すウ"になるので、さつきの酢のモンの發音をより精確に文字にすると"酢ウのモン"となる…のと並んで、近畿方言の特徴だと思はれ、私は馴れてゐるのもあるから、それを好もしく感じる。

 揚げモンもさうで、揚げものだときちんと調へられた真面目な一品の印象が強いけれど、ものがモンになるだけで、小汚ないカウンタだけの呑み屋で、いつ頃から使はれてゐるのか想像するのがこはい油で揚げられた、然し妙にうまい串かつ(この場合、横にあるのは大瓶の麦酒か、檸檬味の酎ハイが望ましい)や、寂れ掛けた商店街の隅つこで賣られてゐる惣菜かおやつか判断のつきかねるコロッケ(いや矢張りおやつだらうね)や、明らかに衣の方が中身より分厚いハムカツ(然しハムカツの醍醐味は、"ハムの味が染みた衣"の方でせう)を連想さして、そこがまた、私を喜ばせる。

 かう云ふ安モン(ここでもモンが登場したね)の揚げモン(それも重なつて)に欠かせないのはソース、または醤油で、いやまあ揚げたてはそのままかぢりついて、熱イと呻くのが正しいんだが、少し冷めてきたら、ソース(乃至醤油)を下品なくらゐにかけるのがいい。さうする事で草臥れた油のへんなしつこさが穏やかになるからで、ソースなら辛子を、醤油なら檸檬(ほら、呑み屋だつたらお皿の横に薄いのが添へられてゐるでせう。あれの両端を持つて、ほんのちよいと捻るんです)を忍ばせると、意外と莫迦に出来ない程度にはなる。私が試した中で一ばんうまかつたのは、ソースに二滴くらゐのタバスコを隠したのでやつつけた牡蠣フライ。廉な呑み屋の牡蠣フライにはタルタル・ソースがついてくる事が多いが、そこを何とか誤魔化して一ぺんやつてみるといい。

 ああ。さうさう。立派な揚げものを喰はしてくれるお店で、こんな真似をしちやあ、いけません。
 私が云つてゐるのは、廉を工夫する愉しみなので、その辺を勘違ひすると、お店のひとに白い目で見られるのは間違ひないだらうし、それ以上に同席してゐる異性から、甚だしく軽蔑されて仕舞ふだらう。
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by vaxpops | 2013-09-24 22:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

13237-0485 烏賊にも

 前回に[13236-0484 いかにも]と題を附けて、烏賊が私の好物であつたと不意に思ひ出した。
 然しもう云つてもかまはないと思はれるから云ふが、わかい頃は別に烏賊なんてどうでもよかつた。烏賊を喰ふなら鰤や鮪の方がよかつたし、鰤や鮪以前に牛肉の方がもつとよかつた。濃厚ではつきりした、露骨に云ふと脂の味が好ましくて嬉しかつたわけで、胃袋も若かつたのだなあ。
 それがいつ頃から烏賊を好む風になつてきたのか、どうも記憶に無い。それだけなだらかに嗜好が変化したのか、単に忘れただけなのか、その辺も曖昧になつてゐて人間の記憶なんて、いい加減なものではありませんか。

 東都で食べられる烏賊なんて、さうさう大したものではない筈だけど、それでもどうかすると中々新鮮な―有り体に云へば古ぼけてゐないのにありつける事があつて、さう云ふ幸運に恵まれた時は、塩でやつつけてみるのがいい。勿論いい加減な塩ではいけないが、それなりの烏賊を仕入れる事が出来るなら、塩だつてそこそこ真つ当だと期待してもかまはないだらうと思はれる。山葵醤油で食べるのだつて惡くないけれど、新しい(のに近い)烏賊の持ち味に微細な一面があるのを思ひ出すと、単に醤油からいだけになつて仕舞ふかも知れない。

 烏賊と云つて連想するもうひとつは塩辛や沖漬けの筈で、蛍烏賊辺りが有名なのではないかと思ふが、鯣烏賊も捨て難いもので、あれをゆつくりしがんでゐると、じわりじわりと鯣烏賊らしい味が滲み出るもので、塩辛でも沖漬けでも、さうは一ぺんに食べられるものではないから、そののんびり加減とお酒はよく似合ふ。
 とは云ひながら、うまい塩辛や沖漬けを食べられる機会はもしかすると、新鮮なお刺身より稀かも知れない。どれだけ漬け込み方を工夫しても、烏賊がだめならあつと云ふ間に生臭さが感ぜられるのだから、余程六づかしいものではなからうか。

 烏賊の水揚げに恵まれる港まちでは、肉も墨も腸も全部混ぜ混み漬け込むので、出来上りが真つ黒になると云ふ話を聞いた事がある。多分富山とか石川とか北陸の方向らしい。かう云ふのはきつとご飯にも適ふに相違ないから、これと何かのお汁とお漬物でめしを喰つて、お刺身を相手に呑んだりすると、まあ間違ひなく、死の間際の幸福と不幸の勘定が幸福側に傾くだらう。さう云ふ空想を膨らましながら、然し私は一体いつ頃から烏賊を好む風になつたのか。
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by vaxpops | 2013-09-23 15:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

13236-0484 いかにも

 それつぽい。

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 台湾蝶々に内蔵されたカメラで、高感度、フラッシュを焚いて、トリミングをしてから白黒に変換。

 スマートフォン単体でここまで簡単に、それに尤もらしく仕上げられるんだつたら、すりやあコンパクト・デジタルカメラなんかは寧ろ使ひ辛いんではないかと思はれる。
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by vaxpops | 2013-09-22 20:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(0)

13235-0483 忘備用途に

 もの忘れ対策のメモである。
 従つて我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には申し訳ないが、何の役にも立たないだらう事は、私が保證する。

■甲州勝沼"ぶどうの丘"
11月2日(土)に"新酒ワインまつり2013"が開催されるさうだが、前週に澤乃井の藏開きがあるから、日程として無理がありさうだ。なほ宿泊は年内の週末、すべて満室だつた。

ワインツーリズムやまなし2013・秋
こつちは11月9日(土)/10日(日)だけれど、事前の払ひ込みが必要な上
 ・11月9日(土)/10日(日)共通:5000円
 ・11月10日(日):3500円
で9日(土)だけが無いのが難点。

D&DEPARTMENT YAMANASHI by Sannichi-YBS
毎月一ぺん、どこかの金曜日"立ち飲みワイン会"を開いてゐるらしい。甲府驛北口から程近いのはいいとして、金曜日かあ。

■シャトー・メルシャン ハーベスト・フェスティバル2013
うわ行きたい、と思つてよくよく確かめたら10月12日(土)/13日(日)/14日(月・祝)の開催。前週にニューナンブの横濱大作戦が予定されてゐるからなあ。

マンズワイン勝沼
レストランが併設されてゐて、まあありがちのバーベキューなんだが、メニュにある飲み食べ放題(牛・豚・ラム・シーフード、それからワイン・ビール・焼酎ほか)で3800円(90分)は何となく嬉しいし、生ワイン(ジョッキ400円/グラス250円)があるのも気にかかる。

 今しばらくは時間もある事だし、ゆつくりと頭を悩ませても構はない。
 葡萄酒を引つ掛けながらの愉しみと、致しませうかね。
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by vaxpops | 2013-09-21 22:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)