いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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 特賣でひと袋二十圓のを塩胡椒で炒めるとか。

 近所の定食屋で六百圓(味噌汁と漬物附)とか。

 さう云ふのとは丸で異なる堂々としたひと皿。

 ぐいぐいと食べすすめば辿り着くのは満腹と満足。

 もやし炒めを嘗めてはいけないのである。
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by vaxpops | 2014-07-31 19:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

14203-0783 長い理窟

 パナソニックのGF1と云ふ、“デジタルカメラの(技術史的には)時代遅れ”を私は持つてゐる。敢て使つてゐると云はないのは、最近の使用頻度が激減してゐるからで、ニューナンブの構成員として恥づかしい。反省してゐます。

 そのGF1にはハクバのネックストラップを附けてゐる。別に高額なものではない。家のがらくた箱に転がつてゐたのを附けただけの話で、その辺のカメラ屋で手に入れても千円とかもつと廉かも知れない。GF1は詰りそのくらゐが似合ふカメラなんである。
 “そのくらゐ”と云ふ裏には理由がふたつある。ひとつには手元のGF1がここには書けないくらゐの廉価で入手した事情…要は必要以上のお金は掛けたくないと云ふせせこましさである。尤も使へるものがあつたから成り立つわけで、カメラやレンズは手放しても後から入手は簡単だが、細々したところは六づかしい場合がある小さな證明なのだらうか。
 もうひとつには正味の話、GF1は家電カメラであつて、“惡くない”と加へてもいいが、さう云ふ見方をするのが正しい。これはパナソニックだから云ふのではなく、私の知る限りデジタルカメラに“高額の”機種はあつても、“高級な”機種…一部の“高級に近い“機種はあるけれど…は無い。高額と高級は区別される必要があるのを我われはもう一ぺん、考へる方がいいと思はれるが、如何だらう。

 然し高額や高級と別に、GF1が使ふのに問題を感じないカメラなのは動かせない。
 何故だと考へるに、ダイヤルやスイッチがあつて操作が解り易い…今ふうに云へば直感的だからで、タッチパネルが直感的と云ふのは嘘、でなければ少なくとも不正確だと思はなくてはいけない。自動焦点の焦点合せならパネルを触れる方が樂だとして、すべての操作が同等の筈はなく、たとへば露光方式の変更ならダイヤルを廻して、その位置まで確認出来る方が遥かに使ひ易く解り易い。GF1と云ふ全自動で使ふのが基本のカメラでそんな気遣ひが必要なのかと疑問が出るかも知れないが、凝つた…メーカに云はせれば“本格的…な撮影が可能だと謳つてゐるのだから、そんな気遣ひだつて欠かせないのは当然でと話を續けると明後日の方向になつて仕舞ふので、一旦とどめます。

 繰り返すとGF1(やその同時期に新製品だつたデジタルカメラ)は、今でも大体のところは使用するのに差し支へは無い。大体のところと念を押すのは、きはめて特殊な、たとへばストロボを使へない場所での超高感度撮影では流石に無理がある。然し極端な環境での撮影はこちらの想定するところではなく、ISO(これをASAと呼ぶのは確實に私より年長の寫眞好き)で云へば100〜400辺りが常用出来れば十分である。フヰルム世代としては、ISO800以上はプロフェッショナルが意図的に用ゐる特殊な感度としか思へない。
「それは余りに一面的過ぎる。これまでアマチュアが試行するのが六づかしかつた、(超)高感度と大口径レンズの組合せを、比較的簡単に實現出来る点で、評価に値するのではないか」
と云ふご指摘には同意を示す。示した上で、今のところ私には、さう云ふ極端での撮影に対応出来る極端な機能は不要で、どうしても必要になればGF1以外のカメラを撰ぶと云ひ替へませう。しつこいが日中曇天室内で使ふ分にこのカメラでこまる事態は考へ辛い。

 それぢやあ何故、持つてゐる、にとどまつてゐるのかと冷笑されさうで、もうそれには反論が出てこず、無理をして挙げるなら

①暑くて持ち出すのが厭になる。
②持ち出さなくてもいざとなれば、我が手元の臺灣蝶々である程度は何とかなる。

くらゐのところか。両方を取り纏めると、もつと小さくてかるくて、持運びへの注意深さが少なくてすむやうなカメラならいいのにな、となつてますます私の分が惡い。要はコンパクト・デジタルカメラの話で、それも大振りになりがちな高機能路線ではなく、スマートフォンに喰ひ尽くされ、事實上絶滅したに等しい小型(で廉価)の方である。当り前に考へて今からそつち方面の機種を撰ぶ理由は特段見附からない。それこそ近接撮影が得意とか、乾電池が使へるとか、はつきりした特徴が必要で、そんな都合のいいカメラが實はあつた。リコーのGRデジタルのシリーズで、現行機は駄目だが、それまでの四機種はいづれも両方の條件を満たしてゐる。28ミリ単焦点なのと今の視点からすれば少し計り大柄に感じられるのは些かの減点にならうか。然し常に持ち歩く一点に限ればGF1への優位は大きいし、GRデジタルのレンズは信用に値する。中古でしか入手出来ない(デッドストックはあるのか知ら)が、値段は性能に較べて割安感がたかい。

 もしかすると…もつぺん手に入れても、いいんぢやあないか??

 と云ふのが誤つた判断なのは改めるまでもない。幾ら割安でもGRデジタルの中古で使へるのは一万円台半ば以上の支出になる。それ自体が高額とは思はないが、そのお金を出すなら14/2.5パナソニックの中古品が狙へるわけで、どう考へてもそちらの方がいい。
 メインカメラとサブカメラを切り分ける考へ方は少なくとも、我われアマチュアに無縁のもので、仮にそれが成り立つなら、メインとサブは同じ機種か同じメーカの同じ系列の機種でなくてはならない。たとへばライカM3のサブカメラを撰ぶなら、矢張りM3以外は考へられないでせう。さう云ふ事なのである。
 ここでもしGRデジタルのどれかを“サブカメラ(または28ミリレンズの代り)”と理窟を附け、或は強引に入手したとして、GF1をまつたく使はなくなるか、GRデジタルを置きつぱなしにして14ミリレンズを更に手に入れるかのどちらかになるのは疑ふ余地が無い。どちらにしても勿体無いし無駄ではないか。
 と云ふここまでが實は前置きまたは理窟附けで、その14ミリパナソニック(の中古品)が以外と廉だと気が附いて、こいつを手に入れてGF1を再び最前線で使つてやらうかと思つたのである。この画角ならある程度は馴れてゐるし、単体の光学ファインダも(何故かは云はないが)手元にあるから、生真面目一辺倒ではない撮影も愉しめるだらう。ひとり呑みを一ぺん控へれば、それくらゐのお小遣ひは廻せさうで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはこの案を如何思はれるだらうか。
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by vaxpops | 2014-07-31 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
 この[いんちきばさら]では“何々リアルタイム”と云ふのを時々やらかしてゐて、いや“やらかす”は謙譲ゆゑではなく、實際に色々まあやらかしてゐるわけだからで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはよくよくご承知でありませう。

 ところでその“リアルタイム”は、[14116-0696 変則式リアルタイム]…5月17日附け、宇都宮行の際のそれ以来まつたく絶えてゐて、さう云ふ遊びから離れてゐるのだから仕方がない。
 私の責任ぢやあないよ。
 と云ひたいところだが、遊びは全面的にこちらの事情なのが当然だし、仮にそこが他人さまの責任なのだとしたら、私の愉しみはどこにあるのかと哲學的な煩悶に悩まされる事になる。

 然し私はもとがひどい出不精で、中々表に出たがらうとしない。先述の宇都宮行は自分でも不思議に思ふくらゐの稀な例外だつた。
 それに夏はこちらの最も苦手とする季節で、酒精と素麺と煙草と珈琲があれば、外出しなくても差し支へはなからうと思ふ。麦酒を呑み出す時間、派手な夕立が窓を叩いてくれれば、夏は完結するやうに感じられて、後はもう晩秋になつて何の不都合もない。

 とは云ふものの、私が晩秋を許可しても季節が一ぺんに動く道理はなく、それが出来るなら日本は櫻が綻び、そして散るまでの期間を繰り返す事になる。
 何の話だつたかと云へば、夏は苦手でたまらないから出不精が煮詰るほどになつて、そんなら“リアルタイム”は当面お預けになりさうだ、と云ふ事でただかう文字にするとそれぢやあ詰らないなと呟きたくなつてくるから、我儘とこれは呼んでもらつていい。

 そこで涼しげな場所なら大丈夫だらうと考へられてきて、東都からほど近い涼しくて乾いた土地ならどこだらう。

 印象だけで云へば信州や北関東の高原のやうにも思はれるが、何しろその方向に足を運んだ事がないからよく解らない。幼い頃の夏は二泊三日の海水浴が決りで、福知山線が未だ電化前だつたから、ヂーゼル機関車に乗つて、窓を大きく開けて、風と共に車内に入つてくる青い稲の匂ひは忘れ難い。尤も福井は小浜で泊つたのは確かお寺さんだつた筈だが、手押し式のポンプで足を洗つた外の憶えがない。不思議だなあ。
 さう云ふ経験がある所為なのか、どうも私は水に近い情景が好きらしい。思ひ返すと少年だつた私の遊び場には千里川や神崎川や淀川や南港北港があつて、たとへば高々とした樹木、広がつた緑の葉、鬱蒼とした蔭とその間を吹き抜けて肌を撫でる風…に馴染む議会がうすかつたと云ひ替へても、大間違ひではなからうかと思ふ。

 馴染みがうすければ連想や印象が貧弱になるのはやむ事を得ない…と居直るのは簡単だが、それで終らせるのは矢張り詰らない態度である。

 實はその“馴染みがうすい”光景から逆引きが出来さうで、勿体振つた態度を決める積りはない。簡単に云へば古刹を探せばよい。古刹と云へばお寺を指してゐるわけだが、もつと広く、歴史のふかい神社佛閣と考へてもらひたい。まつたくのところ、あんなに気持ちのせいせいする場所は、さう見附からないものだ。
 そのせいせいした気分の理由が不思議に思ひたくなつて、少し考へれば不思議でも何でもないと云ふ事が解る。あすこは神さまや佛さまを祀つてゐて、建立した方にすれば、下手な場所を撰んで機嫌を損ねるとどんな風に祟られるか。ふるい言葉で云ふ“奇シキ”を粗雑な現代語に訳すと
「神さま(佛さま)が慶びさうな」
であつて、さう云ふ場所を撰びに撰んだ結果が古刹なんである。神佛が慶ぶ場所で我われの気分がよくならない方が寧ろ奇怪ではありませんか。

 と云ふ事は古刹に恵まれた土地に足を運べば、せいせいした気分は約束されたのと同じで、さう云つた土地は当然に歴史がふかいのだから、うまい食べものやお酒にも十分な期待を持てる。我ながら名案が浮んだものだと、ここは自讚しても叱られないでせう。残る課題は仮にその土地でいい気分になるとして、その“リアルタイム”を期待されるのかどうかなのだが、そこはもう“やらかして”みない事には解らない。
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by vaxpops | 2014-07-30 07:30 | 台湾蝶々 | Trackback(1) | Comments(0)

14201-0781 ワイン嫌ひ

 欧米の言葉は大体のところ(遠近は兎も角)縁戚関係にあるらしい。少なくとも単語であれば、綴りは割りと似てゐるから、何と無く讀みとか意味が想像出来なくもない。元の単語を知つてゐればだけれど。

 wine と綴れば普通はワインと讀む。多分英語の發音だと思ふ。伊太利だか瑞典だかではヴィーネとかヴィーノでワインより遥かに響きがいい。有り体に云ふとワインにはどうも品下れた印象が附き纏つてゐるのだが、英語の所為と思ふのは流石に気の毒か。英米人が英米語でその話をしてゐるのを聞いた事がないからで、もしかすると耳にするとそれなりに快く感じられるかも知れない。

 確實に云へるのは日本語にまぶされた“ワイン”はひどくまづさうに聞こえる。地中海やシチリア島や南佛蘭西やイベリヤ半島で、野鳥や家禽や羊に豚に牛の肉と内臓、烏賊蛸オリーヴ油、ハムにチーズと共に饗されるあの紅いろの呑みものを思ひ浮べるには、余程に飛躍した連想が必要で、さう云ふ連想は無益以上に有害だと思はれる。
 實際、日本語の文脈で用ゐられる“ワイン”には、常に気障や厭みや半可通のくさみがある。香りがどうとか色がかうとか渋みがああだとか、果実味、酸味、木の実の味はひ、微かな泥臭さ、その他、諸々と妙な蘊蓄が先立つて、その上にヌーヴォと云ふまづい一ぱい…あれは神さまに奉るお祝ひ酒なのを、我われは實に屡々忘れて仕舞ふ…に熱狂されると、要するにあれはかれらにとつて、ネックレスとかイヤリングやピアスと同じ飾り附けなのだと見当が附く。それぢやあ旨さうに響かないのも当然で、矢張り他の意図が無い限り、“ワイン”と口に出したり文字に書いたりはしたくない。
「そんならあの液体を何と呼べばいいんだ」
と抗議する聲が聞こえる気がされるけれど、困る事も悩む事もなくて、葡萄酒と呼べば宜しい。

 葡萄酒をひと壜に生ハム。

 葡萄酒をひと壜にチーズ。

 葡萄酒をひと壜に焙り肉。

 葡萄酒をひと壜に鮪の漬。

 仮にこの葡萄酒を“ワイン”に置換へて旨さうかと想像するにどうも疑はしいと云ふと
「葡萄酒でもワインでも中身は同じぢやあないか。細かい事を気にして莫迦だなあ」
と冷笑されさうだが、ならば日本酒をジャパニーズ・サケと云ひ替へてみ玉へ。中身が同じと云はれてもどうしたつてジャパニーズ・サケには手を出しかねるにちがひない。そんな事はないと断定出来るひとにとつては蟹と蟹風味蒲鉾も同じ筈だから、醸造用アルコールで一ぱい呑るのが似合ふ。

 ある呑みものや食べものの味を時に、それがどう呼ばれてゐるかは大事な問題で(007のイアン・フレミングは甥に“メニュに六語以上使ふ料理屋を贔屓にするな”と教訓を垂れたさうである)、たとへば仮に燻りがつこが燻製沢庵だつたら、そいつをお皿に盛つたのを摘まみながら、初孫を呑まうとは考へないでせう。葡萄酒かワインかと云ふのは、さう云ふ事なんである。

 さうさう。
 葡萄酒に鮪の漬と云ふのは實際に試したから間違ひはない。当方の發案ではないのは勿論で、ある葡萄酒を呑まして呉れる店で、そこの店主が
「山梨のひとは鮪をよく食べるさうで、消費量は静岡に次いで全國第二位なんですつて」
と教へてくれたのである。そこで供されたのが甲州勝沼の葡萄酒なのは念を押すまでもなく、これはうまい組合せであつた。地元同士は矢張り相性がよいのだらうと思はれて、それなら佛蘭西産の生牡蠣とシャブリもうまいのかと想像してみた。
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by vaxpops | 2014-07-29 07:45 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(4)

14200-0780 残念な事に

 檀一雄の『檀流クッキング』は私の葬式の時、棺桶に入れてもらひたい五冊の本の一冊である。残りの四冊については別の機会があれば触れるだらうが、この稿では目を瞑る。世の中はこちらの都合に合はして呉れるわけではない。

 あの小説家には他にも『わが百味真髄』『美味放浪記』と云ふ本があつて、題名の附け方に感じる気恥かしさを除けば、いづれも一讀では足りないくらゐに面白い。何が或はどこがどう面白いのかはこの稿の目的ではないし、いづれも比較的容易に入手出来る筈だから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には各々手に取つて頂きたい。

 ところでその三冊には獣の内臓への執着がきはめてつよく感じられる。時に肉それ自体より舌や心臓、肝臓、腎臓や胃袋の方が余つ程、値うちがあるかのやうな熱心さで、日本人は清潔な食べ方を心得てはゐるけれど、獣のうまい食べ方は知らないと嘆いてゐるほどである。さう云ふ本を何度も讀み返すと、どうしたつて内臓を貪りたくなるわけで、これは効能なのか惡影響なのか。

 家で簡単に内臓を貪るなら煮込むのがおそらく最良かと思はれて、實際試した事があるが、手間も何も掛からない。疑はれるだらうか。たつぷりの塩水で茹でこぼしをしてから醤油でも味噌でもとろとろ炊けばいいのだから、それでどこが手間なのだらう。肉屋で買へば血抜きだの何だののひと手間くらゐは必要かも知れないが、中國料理のやうな焼いたのを擂り潰して混ぜて蒸してから揚げるなんて複雑怪奇な道筋を通らなくてもいいのだから、まつたくのところ、単純明快と云つていい。

 逆に云ふとそれだから幾らでも工夫の仕方が考へられるわけで、葱に大根に人参に蒟蒻をはふり込むのは勿論として、茹で卵を入れてよく、椎茸や馬鈴薯を入れてもよい。醤油だけで炊くのが詰らないと思ふなら生姜を忍ばせてもよからうし、いやいやたとへばトマト(のピューレでもジュースでも)を使へば洋風の煮込みになるだらう。どうやつたつて出来損なふ心配はないのだから、安心して休みの半日でも一日でも潰す事が出来る。然しかう云ふのは何度も炊いて馴れきつてゐるなら兎も角、最初のうちは一ばん単純なのが宜しからうか。中身を追加する時に少しづつでも変り種を入れ、或は味を変へてみれば愉しい上に飽きがこなくて済む。

 さう云ふ素晴らしからう“時間の無駄遣ひ”は秋の愉しみで、あらかた鍋の中身が空になりさうなところ(に行着くまで一週間とか十日は掛かる筈だ)で出汁なり水なりを足し、最後は饂飩か棊子麺にするか、溶き卵を用意して雑炊にするか。これなら色々ややこしく味が混ざつてゐるにちがひないから、パックのカレーでもそれなりにうまいだらうが、散々酒精の友としてきた終りがカレーでは些か物足りない気もされる。悩ましいところであつて、檀の本にもさう云ふところは触れられてゐない。残念だなあ。
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by vaxpops | 2014-07-28 08:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(2)

14199-0779 烏賊の話(追加)

 烏賊はだらだらと火を通すとまづくなると教はつたのはいつだつたか。確かにそれは世界の眞實のひとつでたとへば中國料理で用ゐられる烏賊がうまいのは一ぺんに炒めあげるからだらう。イスパニヤの人びとは墨と一緒に烏賊を食べるさうだがこれだつて文字通りの肝腎は出来上がりの寸前にはふり込まれるにちがひない。想像するだにイスパニヤ式の烏賊料理はうまさうで野暮つたい赤葡萄酒かサングリヤによく似合ひさうだ。その野暮つたいで思ひ出したのは烏賊フライで實に日本的な食べものだと思ふ。あれを喰ふ時に呑むなら日本酒や葡萄酒や焼酎やヰスキィでは酒精に負けて仕舞ふから精々が麦酒か出来れば酎ハイが望ましい。

 その烏賊フライは身を刺身より分厚いくらゐにしたのを或は串に刺して挙げるのとぶつぶつ刻んだのを鶏の唐揚げのやうに揚げるのがあつて私の知る限り衣がちがふ。前者の方が目に入る機会は多さうに思はれるがどうだらうか。尤も前者の烏賊フライは当り外れが多少あつて筋が残つてゐると噛み切れなくて難儀させられる。それに揚げた計りのを素早く食べないと忽ちまづくなる欠点を備へてゐて揚げたての熱いのを素早く喰ふのは些かの無理を感じなくもない。顎が弱つてきてゐるのか。
 後者の唐揚げ式烏賊フライだとさう云ふ当り外れの心配は比較的少なく冷めて忽ちまづくなる弱点からもまあ遠い。但し烏賊のうまさからも距離が出来て仕舞ふから何の為に折角烏賊フライを撰んだのか解らなくなる事がある。歯触りが鶏や鯵や帆立貝のそれと丸で異なつてゐるのはその通りなのだが近縁を探せば蛸がさうでそれなら蛸の足をぶつぶつ切つて唐揚げ式に揚げても変らないのではなからうか。さう思ふと苦笑が浮んでくるし詰り烏賊を揚げる(少なくとも西洋風のフライにする)のはあれを愉しむ方法として上等の部類には入らないのだらう事が解る。

 然しそれでは烏賊フライは不要なのかと訊くひとがゐるとすると私はいや矢張り残してもらひたいと躊躇なく応じるだらう。刺身やさつと熱を加へる以上の調理が要らない烏賊に恵まれた土地に棲んでゐれば事情は異なるとして当方はさうではなく少々草臥れた烏賊を相手にせざるを得ない場合の方が多い。まづい烏賊なら喰はずに我慢するのが本筋であると思ふなら別に止めはしないけれどその伝で云へば鶏や鯵や帆立貝のフライだつてやれたのを美味く食べる為の工夫だからまづいのを喰はない我慢が要求される。それを突き進めると米も喰へなくなるしお酒だつて呑めなくなる羽目になりかねない。私としては餓ゑて渇いてどうかうなるのは矢張り御免蒙りたいのでそれなら烏賊フライを美味しく食べられる方向に知恵を使ひたい。差当り薬味…塩、醤油、味附けぽん酢、タルタルソース、タバスコ、檸檬、葱、大葉、その他、諸々…から始めてみるのはどうだらう。
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by vaxpops | 2014-07-27 12:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

14198-0778 腰を据ゑて(續)

 [14188-0768 腰を据ゑて]でマイクロフォーサーズのデジタルカメラを推したところ、我が酔つ払ひ仲間とニューナンブの重鎮を兼任する頴娃君から
「ところでフルサイズやAPSのヴァージョンは無いのかね貴君」
と突つ込みが入つた。まことに尤もな突つ込みなのだが、かれが常用するデジタルカメラは当方の記憶にある限り、リコーのGRデジタルIVとライカMのどれかとパナソニックのミラーレスだつた筈で、この稿がさう云ふ頴娃君に役立つかどうかまでは知らない。

 ではフルサイズとAPSを一緒にするのがいいかどうか。ただここで分類を始めると切りがなくなつて仕舞ひさうだから、多少の曖昧を残したまま話を進めてもよからうかと思ふ。そこで先に結論めく事をひとつ云へば、これらのフォーマットならミラーレスは要らない。あれはボディをミラーボックスの分だけ薄くかるくさせるけれど、レンズやその他諸々を含めた全体のサイズや重さに決定的な利点にはならない(レンズの大きさはフォーマットに依存する)し、そこを重視するなら、もつと小さなフォーマットを撰ぶのが賢明だからだ。従つてこの時点でキヤノン EOS M や富士フヰルムのX系統、ソニー α-7 は悉く候補から外れる事になる。例外はペンタックス K-01 くらゐか。あれはペンタックス銘に恥ぢない変態カメラだつたが、既に製造は了つてゐる。詰りフルサイズでもAPSでもボディは一眼レフ、と云ふところから話を具体的な方向にしてゆきませう。

 それで先づ確かめると、デジタル一眼レフを造つてゐるのはニコン、キヤノン、ソニーとペンタックスである。その内フルサイズを出してゐるのはペンタックス以外の三社。そしてフルサイズのラインアップが一ばん分厚いのはニコンで、少々の意外を感じたとここで白状しておかう。要はニコンを見くびつてゐたわけで、関係者(が讀んでをられれば)にはこの場を借りて失礼をお詫びしたい。

 そのニコンから撰ぶなら Df でそれ以外を考へるのは六づかしい。機能は兎も角…これは他のすべてのカメラにも云へる話。現行機種で“使へない”デジタル一眼レフは存在しない。重箱の中身に詰められたおかずやご飯は十分に美味しくて、ひとが騒ぎ立てる“ちがひ”は重箱の塗り具合やご飯の炊き方、お煮しめの味附けがくちに適ふかどうか程度でしかないのを、我われはもつと理解しなくてはいけない…スタイリングはどこからどう見ても
『意あまつてちから足らず』
で、本当なら後継機を待つのがいいと云ひたいところなのだが、登場するかどうかの保證は無い。機能が飽和したカメラ群から撰ぶなら、その基準はスタイリングになるのは当然の帰結で、ニコンの決断は尊敬に値する。

 ニコンを最初に出したからキヤノンを対抗さすのは旧式の態度と笑はれるかも知れないが、私は旧式のカメラ好きなのだから気にしない。気にはしないがそれでAPSの EOS Kiss X7i を挙げると叱られる不安を感じなくもない。とは云へキヤノンはフヰルムの頃からエントリー・モデルに一ばん面白みがある。あの会社が時に出してくる思ひ切りのよいカメラはエントリー・モデル(たとへば初代のフヰルム式 EOS Kiss)やミドル・モデル(たとへば視線入力で我われを驚かせた EOS5)に集中してゐる。かう云ふ軽がるとした感覚はニコンに限らず、ソニーにもにペンタックスにも欠けてゐて、その辺を満喫するなら、EOS Kiss が好もしい撰択になるのではないか知ら。

 ではソニーならどうかと云へば、私は撰ばない。前述の繰り返しも含むが、機能には不満も問題もある筈がなくて、有り体に云ふと、デジタル一眼レフのペンタプリズム部にソニーの銘が附いてゐるのがどうしても駄目なんである。私が今後、ソニー製デジタル一眼レフを何らかの形で候補に挙げるとするなら、ソニー銘が表に出ない事と権利がどうなつてゐるか知らないが、ロッコールとヘキサー、ヘキサノン・レンズを出す事である。コニカミノルタから α を引き継いだそれが責任ではなからうか。

 話が妙な方向に進みさうだから、急いでペンタックスに登場を願ふが、三種の現行機種のラインアップから、どれを撰んでもいい。財布の具合とスタイリングの好みに従つて宜しからうと思ふ。然しさう云ふと我ながらいい加減な気もするので、小型、軽量で廉価で且つそこそこ使へると云ふ印象…これはブランドイメーヂで、前述のキヤノンのかるさもさうだし、ニコンの重厚長大もさうだ。そしてこのブランドイメーヂはメーカがどう足掻いたつて、かんたんに変へられるものではない…から、K-50 を候補にする。かう書いて不意にペンタックスの相手は(矢張り)オリンパス OM-D なのではないかと思つた。どうもこの辺が旧式のカメラ好きなのだらう。然しニコン Df に対抗出来る(変態)カメラを出せるのはペンタックスの筈で、デジタル LX は登場しないものか。

 さ。一ぺん整理すると、ここまでに挙げた候補は


の三機種である。偏つてゐるなあ。然し偏つてゐるのを理由に候補を変へるわけにもゆかない。この中ででは何を撰ぶか考へませう。先づ重さ(数字は各社の製品仕様ページ記載の重い方)を較べると

①765グラム
②580グラム
③675グラム

でキヤノンが飛び抜けてかるい。因みにオリンパスのフラグシップ機(マイクロフォーサーズ) OM-D E-M1 が497グラム(同社のフォーサーズ一眼レフ E-5 に到つては892グラム!)だから、これは注目してよいかも知れない。それよりフルサイズのニコンが、APSのキヤノンと僅か200グラムくらゐしか違はない方が凄いと云ふべきか。但し重さは(繰り返すと)レンズやバッグや三脚も含めて考慮するのが本筋だから、この数字はひとつの目安に過ぎない事を忘れてはいけない。

 次に考へたいのは拡張性であらうか。私が云ふのは使へるレンズの幅広さ程度の意味で、かうなるとキヤノンは一ぺんに沈む。FDレンズを(いつそ鮮やかに)切り捨てたあの会社に、さう云ふ愉しみを求めるのは無いものねだりなので、だつたらニコンの圧勝かと思ふとさうではなく、實はペンタックスが一ばん有利である。K-50 で可能かどうかは確めてゐないが(無理なら別の機種を撰べば宜しい)、K式バヨネットマウントならM42式ねぢマウントが使へる。M42式ねぢマウントなら旧タクマーは云ふに及ばず、ツァイス・イエナを筆頭に有名無名を問はず、無数のレンズを撰択肢に入れる事が出来る。實際に使ふかどうかは別の話であつて、“さう云ふ可能性”も含まれてゐると思ふのは愉快ではありませんか。

 尤もその“含まれてゐる可能性”は所詮おまけであつて、本来のレンズがどれだけ使へるのかが問題ではなからうか。と云ふ指摘はまことに正しい。そこで具体的に候補を挙げる前に、どういつたレンズで腰を据ゑるのが好もしいかを考へてみませう。

 先づ50ミリ(相当)のレンズを中心にしてみると、それを軸に広角と中望遠の単焦点計三本が浮んできて、何の事はない、三十年前の一眼レフであるが、たとへばコンパクト・デジタルカメラがあれば便利は任せられるから、かう云ふクラシックな組合せは新鮮に感じられるかも知れない。尤も100ミリ前後の単焦点レンズがどの程度あるものか。それなら35ミリと85ミリ辺りの二本の方が揃へ易いだらうか。準標準と中望遠なら、画角のちがひを活かすのも困難ではなくなるし、訳知り顔を気取れる特典も附いてくる。ただかう云つたレンズは高額な事が多いので、纏めて手に入れるのは些か(財布の具合から)厳しい可能性も考へられる。

 然しこの手のカメラには、(ダブル)ズーム・キットなどと称したセットものが多く見掛けられる。ボディとレンズは別々でなくてはと肩肘を張ると、かへつて出費が嵩む破目になりかねない。それなら28-80ミリ相当附きではなく、28-200ミリ相当附きを狙ふのが賢いだらうか。旅行先で使ふならこれくらゐの方が確かに便利である。それならこれとマクロレンズを組合せるのがよい。広角から望遠と近接がカヴァ出来るのだから、大いに考慮してよささうに思はれる。
 マクロレンズと書いたので思ひ出した。これは必ず一本、手に入れるのがよい。我われは“レンズの効果”と聞くと殆ど反射的に望遠のそれを連想するわけだが、望遠がその本領を発揮するのは400ミリ以上でなくてはならず、さう云ふ画角を用ゐる機会は始終あるものではなく、そこに貴重なお小遣ひを注ぎ込む必要性はごく低い。マクロレンズならその辺の花でもうまさうな料理でもお土産の小物でも何でも撮れる。かう云ふのを撰ばない法は無い筈で、この辺りを踏まへながら、具体的なところに進む。

 然しそこでいきなり①のニコンなら

B) ボディ単体に60ミリF2.8マイクロニッコールと16-35ミリF4ニッコール

と云ひ放つと、さて叱られるか呆れられるか。率直なところ、Df は可成り趣味性の高いカメラで、古いニコン・マニヤは勿論この稿の想定の外ではあるが、似合ひで且つ腰を据ゑて撮るには、上述のやうになるのではないか。スナップ的な用途には同社のクールピクスAを用ゐれば宜しいんである。
 このマニヤックなニコンに対して②のキヤノンは随分と素直な撰択が出来さうに思ふ。

C) 18-135ミリF3.5-5.6 EF-Sのセット

を撰べば間違ひはない。贅沢をしてそこに加へるなら10-18ミリF4.5-5.6 EF-S40ミリF2.8 EFがあれば十分だらう。ただEFでもEF-Sでも、キヤノンはマクロレンズをどうも、軽んじてゐる気配を感じなくはない。セットはそのままにマクロ70ミリF2.8シグマを検討するのも…これだと100ミリ余りの中望遠マクロになる…方法か。

 さて。ここでそろそろ結論を云ふ。
 ③ペンタックスを撰ぶのがよい。
 理由の一ばん大きなところは、私がペンタックスにどうにも感じて仕舞ふ好意なのだが、その好意を押し通すのはこの稿の主旨ではなく、それ以外の理由を挙げると、矢張り
『デジタル一眼レフでフルサイズを用意せず、今後も(多分きつと)用意しないだらう』
事を強調しなくてはならない。あの会社(本当は旭光学と呼びたいのだが)には、フォーマットに関して割りとはつきり区別をしてゐる気配が濃厚で
『より大きなフォーマットなら645Zを、よりコンパクトなフォーマットならQを』
と考へてゐるにちがひない。フルサイズ対応のレンズとさうでないレンズを用意せずに済むのはメーカにとつて利点だし、ユーザにしても気にする事柄…ニコンやキヤノンの特にAPSフォーマット・ユーザは、レンズを撰ぶ際、自分が先々フルサイズに移行したいのかを常に意識しなくてはならず、まことに面倒だと思はれる…が少なくなつて有難い。そして改めて確かめると、現行のペンタックス・レンズは中々変態好みのラインアップだつたので嬉しくなつた。

 先づは18-135ミリF3.5-5.6 SMCのセットを狙ふ。
 ここからはちつと悩ましくて、変態好みに徹するなら40ミリF2.8 XS SMCと云ふ薄つぺらな一本(寧ろ一枚)は外したくない…MXやMEの時代のM40ミリF2.8 SMCを思ひ出すなあ…が、正直使ひどころが見当らない。マーク・ニューソンには済まないが、ボディキャップにでもしませうか。然し悩んでゐても先には進めないし、18-135ミリF3.5-5.6 SMCがあれば殆どすべての被写体は捉へられる筈なので、ここはペンタックスらしいラインアップを考へるのが宜しからう。最近では"HD"を冠に附けてゐるのが自慢のレンズらしく、本当ならそこを狙ひたいところなのだが、自慢のレンズにはそれに相応しい値段が附いてゐるもので、お財布に余力のあるひとはそちらを撰ぶがよい。但しその場合だとK-50 では些か頼りなくなるだらうから、予算は更に跳ね上がる。それだから

E) 35ミリF2.4 SMC40ミリF2.8リミテッド(XSとは別のレンズ)

のいづれかを撰ばう。私ならフィッシュアイのズーム・レンズにする。實はこの妙ちきりんなレンズは、フヰルム時代のペンタックスに遡る事が出来て、あの会社の一貫した"ずらし具合"を感じる。それに魚眼と云ふ特異な描写のレンズは、デジタル一眼レフでこそ、使ひ易さと眞価を発揮するのではないかと思はれる。勿論纏めて入手してもそれはあなたの判断だから、こちらは一向構はない。さうやつて手に入れたデジタル一眼レフ…ペンタックスでもニコンでもキヤノンでも…で歩いて撮つて歩いて撮つて歩いて撮つて、ちつと休憩を入れてまた、歩いて撮つて歩いて撮つて歩いて撮れば、その後の麦酒は滝のやうに咽喉を流れ落ちる事だらう。どんな寫眞が撮れたか?? それがあなた、最高の肴になるんぢやあありませんか、と信じてゐるのだが、これが我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の役に立つのかどうかまでは、当方の関与するところではない。

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by vaxpops | 2014-07-27 10:45 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

14197-0777 烏賊の話

 前回の最後に烏賊を塩でと書いて、烏賊の事が連想されたから續けて書いておかうと思ふ。別に食通の好みさうな話の持合せはなくて、うまいうまいと云ふ計りなのだが、食通好みの話はこれまでも書いた事が無いから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもお許し頂けると勝手に決めつけてゐる。ここで筆…臺灣蝶々で文字を打つてゐるから正確には指が滑ると、食通好みの自慢や蘊蓄ほど詰らない話題はない方向にずるずる流れて仕舞ふのだが相手は烏賊である。幾ら私でもそこまで暇ではない。

 意外なくらゐに食べ方が用意されてゐるのが烏賊の特色ではないかと私には思はれて、刺身や寿司種だけではなく、炙つてうまいし揚げて素敵で焼いて嬉しく炒めて喜ばしい。鯣烏賊が電車旅行の麦酒のお供に欠かせないのは云ふまでもなく、沖漬けとも呼ばれる一種の塩辛がお酒をどれだけ美味しくするかに思ひを馳せる時、この海産物をおろそかに扱つてゐた年代の自分に今さら説教を垂れたくなつてくる。さう云へば中學生の頃だから三十年余り前の話になるが、隣家の奥さんが朝鮮のひとで自家製の朝鮮漬けをお裾分けして呉れたのだが、 独特の磯くささに驚いたのを思ひ出した。あれにも確か烏賊が漬け込まれてゐた筈で当時はまだお酒を覚える以前だつたし、今より好ききらひが激しかつたから
「まづくないけど、くせがすごいなあ」
で終つたのが残念でならない。今ならきつと濁り酒でやつつけるにちがひないのだが、更に残念な事に隣人はいつの間にか引越して仕舞つた。

 振り返つて手の届かない烏賊には手を伸ばしても仕方がないから今これから喰へる方向で考へると、矢張り一ばん手軽なのはマーケットに行つて刺身を買ふ事だらうと思ふ。山葵醤油か生姜醤油が宜しい。さう云へば居酒屋で烏賊の刺身を註文すると刻んだ海苔を乗せてゐる事があつて、あれはまつたく感心しない。海苔がほとびてうまいのはおにぎりに限られるので、居酒屋の中で包丁を握るひとにはその辺を承知してもらはないとこまると云ふのは別の話。家で烏賊の刺身を喰ふのに然し山葵や生姜と醤油を用意しなくてはならない決りがあるわけではなく、ごく簡単な漬けにするのも惡くない。ややこしい手間は必要でなく、烏賊と千切つた大葉を好みの漬け汁にはふり込めばいい。少しでも凝つてみたければ大葉で烏賊をくるむなり、漬け汁に工夫…醤油や煮切つたお酒、味醂、柚子や橙や檸檬…をしてみるなりすればよく、さうやつて半日か一晩か置くと、肴になるしおかずにもなる。ちよつと手を掛けてやつた烏賊が、手を掛けた分だけうまいと思へるのは強調するまでもないだらう。

 さう云ふ小さな手間(とすら呼び難いが)ではどうにもならない烏賊のうまさは然し或は矢張りあつて、たとへば富山だか石川だかの蛍烏賊の干物辺りはそれになると思ふ。尤も私がそれを喰つたのは大規模な日本酒の試飲会だつたからどう頑張つても二流に届かない程度の筈なのだが、それでも地元の酒場でこれが出されたら他の肴は要らないかと考へさせられたから、本ものはきつと素敵なのだらう。然しさうなるとどうしたつて富山または石川に足を運ばなくてはならず、さう云ふ時間を中々作れないのは当り前からひどく遠いところに押し込まれてゐる気がしなくもない。

 ところでもし普段から足を伸ばせる地域なり町なりに市場から新鮮な烏賊を仕入れてゐるお店があればしめたものだから、新しいのを素早く捌いてもらふのがいい。ごく新鮮な烏賊だつたら寧ろ醤油は邪魔になるもので、かう云ふ場合は塩がいい。勿論食べる寸前にぱらりくらゐでよく、これは實に素敵である。但し塩が上等でなくては妙な苦みが感ぜられる場合があるから、そんな時は諦めて醤油に切替へるか、檸檬があれば酸味を利用するか、せざるを得ない。新しい烏賊はそれ自体がうまいから、出来るだけ調味料の救けは借りない方(使ふのは烏賊のうまいところを強調したいからである)が好もしく、用ゐるなら上等…とそれだけで肴に出来るくらゐの…でなくてはならない。私は肴をつまみながらでなくてはどうもお酒が喉を通りにくく感じるくちなのだが、第一級の塩や山葵は確かにそれで肴として完結するくらゐにうまい。かう書くと
「新鮮な烏賊に第一級の塩(或は山葵)の組合せは、既に贅沢ぢやあないか」
と反論されさうで、半分がところは同意したい気持ちはあるのだが、考へてみると贅沢な呑み喰ひは日常的なそれの先になくてはならない。もし新鮮な烏賊と上等の塩が別の時間に含まれるやうに思はれるのなら、それは我われの肴の愉しみが痩せて仕舞つた間接的な證しであつて實に詰らない。生焼蒸揚炒漬の烏賊の大皿に一瓢の冷酒で夜を埋め尽くさうとするのは、そんなに無理のある願望なのだらうか。
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by vaxpops | 2014-07-26 18:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

14196-0776 塩で喰ふ

 近所のマーケットで半額だつた、“塩で食べるお寿司”と云ふやつ。
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 粗塩が添へられてゐて、そつちはまあ、惡くなかつたけれど、残念ながら肝腎の寿司種が感心しなかつた(すりやあ、半額になつてゐるんだもの)から、味附けぽん酢に切り替へた。

 それで不意に、新鮮な烏賊を上等の塩で喰ふ嬉しさを思ひ出したのは、ここだけの話。
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by vaxpops | 2014-07-26 13:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

14195-0775 間違つた方向

 リコーのカメラには恩義がある。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にはおそらく馴染みがうすいと思はれるが、あすこは我が國のカメラメーカとして相当の古株でなんである。
 とは云へ幾ら私だつてその遡つたところから恩を感じてゐるわけではなく、その縁はフヰルム式一眼レフのXR-8からである。EOS使ひだつた当時の私の前に忽然と姿を表したこのカメラは、確か50/2リケノン附きで29,800圓だつた。衝撃的な廉さに思はず手を出して仕舞つて、後にも先にも偶々見かけた新製品のカメラを衝動買ひしたのは、その時こつきりである。
 全機械式のフルマニュアルと云ふのはその時ですら既に時代遅れだつた(カメラの進化は正しいと信じられてゐたのだ)が、その時代遅れの不便はEOSの快適に馴れきつた目と指にひどく新鮮であつた。
「自動焦点でなくても、自動露光でなくても寫眞は撮れるんだ」
と云ふと、何て当り前を今さらと笑はれさうだが、無知がひとつ知識を得るのはかう云ふ事なんである。初めて大口径レンズを開放で用ゐた時、背景がおそろしくぼけてゐたのに驚いたのもこの前後の経験で、もしかすると寫眞に驚き愉しんだ点では、あの“解りかけてきた頃”がひとつの頂点だつたかも知れない。

 リコーとはさう云ふ幸運または幸福な出会ひをしたから、その後も何かしら気になり續けてゐて、次の大きなきつかけはGR-1vだつたと思ふ。京セラ・コンタックスT2から幕を開けた“高級コンパクト”路線…今は無きコニカのヘキサーや悲運のニコン28/35Ti…を受けてのもので、これがリコー製デジタル・カメラを(そこそこ或はそれなりの)成功に導いたのだから、世の中はどう動くか解らない。勿論リコーに恩義がある私だから、GRデジタル(2型)は買つた。時期を前後さしてGX200やCX5も買つた。ここで強調した方がよからうと思ふのは、GRデジタルもGX200もCX5も
「操作系統のレイアウトが割りと似てゐる」
事で、これはまことに有難い。先に述べた三台はいづれもごく大雑把ではあるが、何かをする為にはどこを触るのがいいかが共通してゐて、かう云ふカメラは實のところ、可成り珍しいんである。因みにこの流れは大きな矢印で云ふと、GR-1vに辿り着く。

 それでこの辺からやつと本題(例の閑文字)に入るのだが、そろそろ我われは“変らない”事や部分に(改めて)(或はもつと)値うちを見出だしてもいいんではないだらうか。ここでどうしても引き合ひに出さざるを得ないのがライカで、あのカメラは實のところ、IIIaでひと通りの完成を見て以来、M7に到るまで…正確に云ふと一ぺんM5で(露光計を入れるのをきつかけに)大変更を試みて、旧来のファンまたはマニヤから顰蹙を買つたから…基本的なところは変つてゐない。ライカの場合は、ファンまたはマニヤがそれを許さない狭量ゆゑの要因がきはめて大きかつた(それはM8以降のデジタルライカでも同じである)のだが、振り返るとそれは正しかつたと云へる。基本の形が、操作の為の部品の配置が、操作すべき箇所が大体同じであれば、新旧の機種を併用してもこまらない。
「新は兎も角、旧を使はれちやあメーカは迷惑ぢやあないか」
と思ふのは浅はかな態度で、そこに接点があれば旧機種から入つたとしても、新機種への移行はなだらかに進むのだから、メーカが得をする可能性はあつても損にはならない。

 もうひとつ素晴らしい例を思ひ出した。オリンパスのペンがそれで、私が云ふのは勿論、米谷美久のオリジナルてある。かれが手掛けたペンはペンFを含め(ここが實に屡々間違はれるのだが、ペンの基本はハーフサイズのコンパクトカメラで、Fはその派生なんである。今のオリンパスの技術者だか営業だかは、半ば意図的に誤ちを犯してゐる)美事に形が整つてゐて、それは米谷が優れた技術者である證明なのと共に
「優れた技術者は正しいスタイリングを構築出来なくてはならない」
と云ふ当り前の、然し忘れられてゐる(だらう)事を思ひ出させて呉れる。ここで矛盾を云ふと、変らない操作系を維持するには、変へなくてよい操作系を最初に作らなくてはならず、それは一種の天才…たとへばオスカー・バルナック、或は米谷美久…を待たなければ六づかしいのではないか。

 さう云ふ事を考へると、今のGR(デジタル)に續く大元のGR…更に遡ればR1を世に出したリコーの中のひとはえらいと、今さらながら拍手を贈りたくなる。それが頑固ゆゑかこだはりか、はたまたそれ以外が浮ばなかつたのかは、振り返るとどうでもよく(かれらまたは彼女らの苦心はこの際目を瞑る)、あの姿が残つた事を慶びたくなつて、そこで思ひ出すのがリコーの変態カメラ(誉め言葉)GXRである。目に入つた情報だと既に製造は終つてゐて、後継機種の噂も無くはないらしいのだが、細かいところはまあ、いいとしませう。GXRは一ぺんも手にしてゐないのだが、見る限りGRやGX、CXとさうさう操作のちがひはなささうな感じがされて、もしかするとこれは惡くないのではなからうか。他への使ひ廻しが出来ない難点(何故かくらゐはご自分でお調べなさい)はあるとして、それだけで使ふなら特に支障があるわけでもない。

 そんなら今さらだと云はれても仮に、GXRと50ミリ或は28ミリを手に入れたとして、戸惑ふところは少ないにちがひなく、更に登場するかも知れない後継ぎだつて、劇的な変貌はなからうから、なだらかに乗り換へられるに相違無い。ああ云ふ筋目の正しい変態カメラ(誉め言葉)は手元にあつても損ではないと思ふのだが、話が間違つた方向に進んで仕舞つた。
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by vaxpops | 2014-07-25 09:15 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(0)