いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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1630 怪我の功名

 常用の臺灣蝶々に内蔵されるカメラが、どうにも赤に弱い事については、以前から何度も触れてゐる。

 大体の場合、妙な仕上りになつて、苦笑ひが浮ぶのだけども、どうかするとその妙な仕上りがこちらの予測を外れる時がある。
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 画像もそのひとつ。
 不注意に見れば出來の惡いハムのやうにも思へさうで、然し不出來のハムならそもそも食べたりしない。
 別にクイズではないから種を割ると、これは蕪のお漬物…盛合せの中のひとつ…で、それが何故こんな風になつ(て仕舞つ)たのだらう。怪我の功名と呼ぶのもをかしい気がされなくもないが、まあかう云ふ偶然も寫眞の面白さのひとつなのだと考へておかう。

 名誉の為に附け加へておくと、この蕪は歯触りがよく、まことにうまかつた。
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by vaxpops | 2015-09-30 17:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(6)

1629 巧妙な仕事

 1年ぶりに顔を見た元美少女(現美女)に教へてもらつた、中野の[初めてのお店]で。
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 無花果。
 柿。
 マスカルポーネ。

 果物のあまみをチーズが受け、チーズが飛び出さうとするところを果物が抑へ、詰りうまかつた。

 かう云ふのなら、巧妙と呼んでも誤りにはならないのではないかと思はれる。
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by vaxpops | 2015-09-30 07:15 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(2)

1628 土佐の醤油

 テツパウの土佐醤油焼。
 部位で云ふと直腸で、“開いた形が鐵砲に似て”ゐるからださうだが、私は平和的な人間なので、ほんたうに實物の鐵砲を思はせるのかまでは判らない。
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 それより気になるのは土佐醤油の方で、房総の醤油に馴れた舌には、ひどくあまい。さう云へば随分以前に味はつた肥前の醤油もねつとり濃く、またあまみがきつかつたのを思ひ出した。
 馴染み具合の差があるから、断定するのは控へたいが、たとへばお刺身に添へられると、醤油の風味が勝ち過ぎて感心しない。その代り、テツパウのやうな内臓を焼く時に用ゐると、その濃さが酎ハイなんぞに實よく似合ふ。

 何だかくどさう??

 画像の左隅をご覧なさい。練り辛子が添へられてゐるでせう。こいつをちよいと、絡ませながらかぢりつくと、まつたくうまい。土佐の高知の愉快はかう云ふところに潜んでゐるのか知ら。
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by vaxpops | 2015-09-29 08:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(4)

1627 馴れた呑み屋で

 ご覧の通り、サラミと野菜の組合せ。
 わざわざ云ふまでもなからうが、實にうまい。
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 この場合のうまいで大事なのは、酒精に適ふの意味でのうまさだから、おかずと思つて食べると、些か味がきつく感じられるかも知れない。

 通ひ馴れた某所の呑み屋。
 この夜は顔見知りの常連さんに一ぱい、奢つてもらふと云ふ、思はぬ余禄に恵まれた。
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by vaxpops | 2015-09-28 08:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(2)

1626 山葵を使ふ

 お刺身を食べる時、山葵はどう扱ひますか、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。
『すりやあ、魚にちよいと乗せるに決つてるでせう』
当り前ぢやあないですかと笑はれさうで、勿論間違ひではない。間違ひではないが、正しくもない。
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 と云ふ事を私は最近になつて知つた。

 山葵を醤油に溶かないのは、本來の辛さ甘みを飛ばさないのが目的で、それは山葵そのものが旨いのが前提になる。と云ふか、外せない要件になる。確かに本ものの山葵には、野菜なら共通する甘みが感じられる。そして辛く、うまい。
 ところが我われにとつて不幸な事に、さう云ふ本格にうまい山葵は、中々目の前に登場してくれない。うまい山葵にありつきたければ、相応のお店を探さねばならず、摺りおろしながら、舐めながら、気張つたお酒を呑めればいいと思つても、天麩羅だの豚肉の蒸焼きだの何だのも頼まねばならず、釈然としない。

 話が逸れさうなので、元に戻しませう。

 我われが普段、お目にかかる山葵は、それだけで肴になれるやうなものではなく、さうするとお刺身に山葵を乗せる目的には適はない…少なくともさうせねばならぬ積極的な理由にはならないんではないか。
 然し山葵にはそれを味ははなくてはならない決り事があるわけでもない。そこで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、思ひ切つて山葵を醤油に溶いてみませう。この場合、山葵は香味野菜の一種としてではなく、醤油をお刺身向けに調へる為の脇役として扱ふのだ。
 本筋ではない??
 すりやあまあ、確かにその通りではあるけれど、その辺で買へるチューブ入りの山葵に壜詰の醤油で、割引シール附きのお刺身を食べる(残念な事に、かう云ふ組合せを連想させるものを出すお店も少なからずあるのだな)とすれば、本筋を通すのは中々六づかしからう。さう云ふ時には寧ろ、積極的に山葵醤油で愉しむ方が、全体としてうまく纏まりを見せてくれさうに思はれる。それで一献のお酒が際立つなら、躊躇ふ理由はどこにも無からうと云ふものだ。
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by vaxpops | 2015-09-27 07:00 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(8)

1625 変らない嗜好

 関西…広すぎますね、大坂…だと狭さうなので、間を取つて近畿または畿内としませう。この辺りの地域に住んでゐる人びとにとつて、肉と牛肉はほぼ同じ意味で通用する。焼いても炊いても蒸しても“肉を”と云へば“牛肉”の事で、豚肉や鶏肉を用ゐる場合は、ちやんとその旨を明示する。要するにそれだけ牛肉が威張つた土地柄と考へればよく、たとへば関八州で肉と云へば大体のところは豚を示すのとえらくちがふ。
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 我が國では獸肉食は然し長い期間、禁忌だつたでせうと考へるのは誤りで、兎や猪、鶴、獺辺りの骨は江戸の下屋敷跡から發掘されてゐるさうだし、正確なところは失念したけれど、牛肉の味噌漬けだつたかは年賀に献上されてもゐたとも云ふ。
 これらは江戸期の話だが、かれらが色々の理窟…一羽二羽と数へたり、薬喰ひと呼んでみたり…を附けて獸肉を喰つた背景には、そこに到る伝統があつたからにちがひなく、何故伝統になつたかと云へば旨かつたからに決つてゐる。幾ら佛教がやかましく説諭したところで、旨いものはうまい。我慢出來たのは余程に堅固なひと握りだつたらう。
 それはよいとして、では牛肉が威張る地域とそれ以外がどんな事情で分れたのだらうと云ふ疑問は残るわけだが、そこは食肉史の研究家に任しませう。牧畜や農業の特に耕作技術の変化まで踏み込みが必要だらうから、苦心すると思はれるけれど、期待したい。

 ここで話題は急に萎んで、牛肉に馴染んだ近畿人であるところの私なのだが、肉と云へば牛肉の立場なのは勿論として、ただもう肉への強烈な慾求は殆ど感じない。牛に限らず、豚や鶏、羊でも事情が同じなのは獸肉の側ではなく、私の胃袋に原因がある。血の滴るやうな塊にかぶりつくのは、野蛮でまた正しい肉の食べ方とわたしは信じる者だが、歯や顎が衰へる以前にそれだけの量が収まらなくなつて仕舞つた。
 但しばら肉ならまだ慾する事もあつて、一ばん嬉しいのは(ここでやつと画像が関はつてくる)、甘辛くさつと炊いたやつで、何の事もないただの家でのおかずである。そのままでいいのは当然として、レタスにくるんでよく、ごはんに乗せてもうまいし、麦酒のお供にも宜しい。…と持上げるのは、食べつけたを過ぎて舌に馴染みきつた味だからで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にうまいと思はれるかは保證しない。私に馴染んだこの惣菜は改めるまでもなく牛肉で、かう云ふ嗜好はどこに何年棲んだことろで、変るものではない。
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by vaxpops | 2015-09-26 07:00 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(2)

1624 東都代表

 東京の呑み喰ひの中から、何かを代表に撰ぶとしたら、握り鮨とお蕎麦を挙げる。異論をお持ちの方もゐるだらうが、その辺のところは酒席でたたかはすのが正しく、また愉快だとも思ふので、この場ではご辛抱願ひたい。

 それで握り鮨とお蕎麦には共通点があつて、詰りどちらも食事ではない。鮨にも蕎麦にも不名誉な話ではなく、寧ろ手を抜かうと思へば幾らでも抜けるところを、東都代表(但し丸太撰)になれる程度まで洗練してきた先人と後継者は胸を張つていいと思ふ。
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 尤も洗練も度を過ぎると粋がそのまま気障野暮厭みに転じるもので、さうなると町なかの名も無い…實際は何とか庵とか、かんとか鮨の屋号はあるのだが、どうしても記憶に残らない…暖簾を潜つて、ぼそぼそと
「かけを、一ぱい」
なぞと頼む方がましに思へてくる。七味唐辛子をぱらつと振つて、ぞぞつと啜り、時に店主の愛想を受け流し、いやいやどうもと云ひながら表に出る。

 そんな眞似が出來る蕎麦屋は何軒かある筈で、鮨屋はどうだらう。名店老舗でなければひと皿百円だとすると、握り鮨は痩せてきてゐるなあと考へたくなつてくる。讀者諸嬢諸氏は親切だから、もしかすると
『どこそこの(何々と云ふ)鮨屋は中々、惡くありませんよ』
と教へて下さるやも知れないが、そんな風に“情報交換”をしなくてはならない事自体、不幸のやうにも思はれる。

 そこそこの種。後はそこそこのお酒に出來れば肴のひとつも品書きにあれば、蕎麦も鮨もそれ以上を求める必要はなく、その程度なら二千円も要らない。これが東都代表のあらほましい姿で、かう云ふお店をいちいち探さなくてはならないのは、言葉本來の意味での文化が痩せこけてきてゐる、少なくとも間接的な證拠にはなるのではないか。
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by vaxpops | 2015-09-25 09:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(4)

1623 本道をわきまへて

 フライものはからりとした衣をかぢるのが本道である。だからソースの類は小皿を別にするのが正しい。

 さう云ふ本道をわきまへ、敢て最初からソースをたつぷり掛けてもらふのはさて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に如何だらう。
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 渋い表情が浮ぶなあ。
 私だつてあなたの立場なら、きつと同じ顔つきになるだらうから、文句は云はないけれど。

 然し偶さかかう云つた邪道を註文すると、意外とうまいものだと感ぜられる事もある。馴れない歯触りが新鮮だから、さう思へるのだらう。

 衣がだんだんと潤びてきて、フライなのかソースなのか、判らなくなつてくる変化は、小皿のソースでは味はへない面白みではないか知ら。
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by vaxpops | 2015-09-24 07:00 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(4)

1622 認められるべき例外

 私の舌は存外に幼くもあつて、胡椒のからさがどうも苦手なんである。ほら、ラーメンにどさどさ、胡椒を振りかけるひとがゐるでせう、ああ云ふ嗜好はどうに理解し難い。
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 然し何事にも例外は認められるべきで、画像のやうな手羽先の唐揚げがそれに相当する。

 これ計りは黒胡椒のひりひりした感じがないと物足りない。甘酢のたれがその辺りを巧みに受け止めてゐると云ふべきか、黒胡椒がたれを引き立てると見立てるべきか、議論の余地はあるだらうな。

 手羽先は当然、手で持つて、むしやぶりつく。

 肉の歯触り。
 骨の歯応へ。
 たれの甘さ。

 渾然となる愉しみは、些か下品と笑はれるかも知れないが、両手と口元を汚しながらでなくては、満喫出來ないものなんである。勿論胡椒の辛みだつて。
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by vaxpops | 2015-09-23 07:15 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(6)

1621 お皿と舞台

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 アボカド。

 葱。

 味附けぽん酢。

 ねちりとした歯触りに独特のあまさに醤油の香り。

 實に面妖な組合せで、そのくせ喧嘩をしてゐるわけでなく、かと云つて共演が成り立つてゐるとまでは呼び難い上、ひどくうまい。

 癖のある脇役だけで上演された演劇のやうなものとたとへるのは、舞台とお皿と、どちらに礼を失する事になるだらうか。
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by vaxpops | 2015-09-22 07:30 | 台湾蝶々 | Trackback | Comments(2)