いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

<   2016年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧

ほど好いほろ醉ひ

 不意に列車での旅行といふのが思ひ浮んだからそのことを書く。ここで云ふ列車は特別急行の類ではなく、各驛停車や精々が快速くらゐで、窓が開かない車輌はどうも面白みに欠ける。實際に窓を開けるかどうかは兎も角、その気になればさう出來るのが大切であつて、列車の旅行はかうあつてもらひたい。とは思ふのだが、さういふ旅行の記憶は皆無に等しく、何年も前に東海道本線を使ひ名古屋経由で大坂に帰つたことはあるが、あれは旅行といふより移動であつた。
 併し東海道本線の各驛停車や急行に揺られるのは愉快なもので、向ひ合せの席の一角を占め、波の煌めきとサンドウイッチをつまみに罐麦酒を呑むのは大層うまかつた。早朝から朝、午前の時間帯と乗客の層は変化する。學生や会社員、病院にでも通ふだらう老人。要は地域の人びとの普段の足であつて、さういふ中でのサンドウイッチと罐麦酒はひどく不釣合ひではあつたのだけれど、居直るならばその不釣合ひまたは非日常は香辛料でもあつた。かういふ旅行乃至移動は乗り換へに時間が掛かるのはある種の約束事であるから、やむ事を得ず降りた驛で立ち喰ひ蕎麦を啜つたり、地域限定の罐珈琲を買つてみたりすると、おれは普段ではない場所にゐるのだなあと嬉しくなる。
 ただ東海道本線をひよいと使ふ用件にはさう恵まれないのも事實で、何にも用事を持たずそんなことが出來たのは内田百閒くらゐだらう。それでも列車旅行の気分を樂しみたい時はあるわけで、そんな場合に東京に棲んでゐれば熱海辺が宜しからうか。さうだ、初めて熱海に足を運ばうかとなつた際、わざわざ各驛停車を撰んだのを思ひ出した。鐵道唱歌の出だしが浮んだといふ他愛もない理由だつたので、乗車驛は新橋と決めたのは我ながら理に叶ふ判断だつた。勿論熱海に行くのに各驛停車しかない筈はなく、伊豆下田まで行く特急列車があれば東海道新幹線だつてある。ちよつと気張れば切符を買ふのも無理ではないのだが、それだとどうも気分が異なる。一ぺん小田原から下田行きの特急列車を使つたことがあつて、その特急列車は東京驛が始發なのだが、車内に入ると始發驛から呑み續けてゐただらう先客がわんさとゐて、場末の居酒屋のやうにひどく酒臭かつた。それでそのお客たちは下田に到着する頃にはふらふらになつてゐたから、下田の人びとにはきつと迷惑な旅行者だつたらう。
 さういふ迷惑を避ける…これは蒙らないのと掛けないのと両方の意味だが…には矢張り暢気な列車が望ましく、理想的なことを云へば驛で幕の内弁当なぞに罐麦酒の二本も買ひ込んで乗るのがいい。幕の内弁当なのは種々のおかずがつまみになるからで、気に入りのそれがあるならハンバーグだらうがコロッケだらうが焼肉だらうが、私は一向気にしない。罐麦酒もお弁当も早速に開けたいところは我慢する。發車前の車内でさうするひとを偶に見掛けるけれどあれは樂しいのか知ら。素早く呑んで食べて、後はひと眠りしたり本を讀んだり或は仕事の用意をしたり出來れば、それは合理的な行動になるのだらうが、そんなら何故列車の中を撰ぶのか。その前にラーメンでも天麩羅蕎麦でもしたためておけば、車内の時間は丸々使へるのだから余程合理的だらう。そこは否定しないが列車に乗つて旅行乃至移動するのは私には愉快だから、合理的は認めるとしても眞似する積りにはなれやしない。
 我慢の方を忘れてゐた。罐麦酒やお弁当の蓋を開けるのは出來れば半時間くらゐ待ちたい。麦酒が緩くなる不安があるならもつと短くしてもいいが、たとへば發車が東京で熱海を目指すなら、都内を抜けるまで辺りまでは我慢したい。県境を越す通勤をするひともゐるやも知れないが、こちらはさうでないから、それで旅行だなあと思へるのだから安上りな人間だらうか。尤もその間は落ち着かないのが当然であつて、たつた今非難した計りの合理的な乗客が隣に坐つてゐたりするとなほ急がねばならないかとも思はれるが、それは錯覚でなければその慌ただしさを辛抱すれば、喉が渇いたとか腹が減つたとか、さういふ気分もまた香辛料になるものと考へたい。さうすることで不運にもまづくない程度のお弁当を引き当てて仕舞つても、自分の不幸を嘆かなくても済む。尤もまづくない程度の幕の内弁当を引き当てる確率はきはめて低い筈で、いやそんな筈はないと呟くひとがゐれば、そもそも呑み喰ひに不向きなのだらう、同情を捧げる。
 我われは普段、列車で何かを呑み或は食べることをしない。しないと断定するののが適当でないなら馴れてゐないと云つてもいい。列車での旅行はその不馴れを實現出來る恰好の機会だから、かういふのを樂しまない手はない。何時間その列車に揺られるかで変るところはあるだらうが、列車で旅行するくらゐの時間で考へれば、阿房列車に乗るのでもない限り、罐麦酒二本にカップ酒または五寸壜か同じくらゐの葡萄酒一本程度なら、醉ふとしてもほろほろまでだらうから、居酒屋特急列車のお客のやうな醜態は晒さずすむにちがひない。それにかういふ旅行乃至移動または行動はひとりで實践して愉快な一面がある。さうなると何もかもの世話をたれかにお願ひするわけにはゆかず、然も呑み喰ひ自体は主な目的ではないから、結果としてほど好いほろ醉ひが成立する。かういふ気分でならきつと、俗な観光地でも俗を樂しめさうで、何も見当らなかつたとしても鷹揚に構へられる。とすれば東海でも北関東でも房総でも行き先を気に病む必要はないわけだから、さういふ計画を立ててもよいかと考へてゐる。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-30 06:45 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

握る誘惑

 大体おにぎりをきらふひとがゐるものか、私はきはめて強い疑念を持つてゐる。叔母にひとりパンを好むひとがゐるけれど、彼女にしてもおにぎりがきらひでパンを食べるのではなく、おにぎりは好きでパンを(より)好んでゐるのだから、残念ながら疑念は払拭されない。

 勿論不肖丸太もおにぎりは大好物である。マーケットやコンビニエンス・ストアのおにぎりコーナーはだから嬉しくなつてくる場所で、いやああいふ場所を批判したい気持ちもなくはないが、そこまで強く出られないのは矢張りおにぎりの底力かそれとも魔力と呼ぶべきか。

 大別するとおにぎりは、巻き(海苔や葉ものの漬物)と埋め(具を中に入れる)と混ぜ(ごはんに混ぜ込んでゐるもの)の三種にその変形或は組合せで成り立つてゐると思ふ。塩むすびと呼ばれるごはんを握つただけのおにぎりもあるが、また決して惡いものでもないが、あれは基本形といふか、寧ろあすこからどう工夫するかが求められる形ではなからうか。

 私は概してクラッシックなおにぎりを好む。海苔巻きや梅干し、おかか、昆布、後は精々鮭のそぼろくらゐか。詰り巻きと埋めである。変り種を厭ふ積りはない。十年近く前に沖縄のコンビニエンス・ストアで買つた"おにサンド"…長方形の海苔にごはんとスパムが乗つてゐて、ぺたんと挟むやうにして食べる…は二百円くらゐしたが、しつかりしためしを喰ふ感じで中々にうまかつたのを忘れない。

 考へてみたら、コンビニ式おにぎりの"定番"とでも呼べるツナ・マヨネィーズも変り種だし、食べたことはないが炒飯やドライカレーのおにぎりもあるらしいし、卵かけごはん風のおにぎりもあつた。極端に水つぽいものや生ものを組合せない限り、どうやらおにぎりは成り立つらしく、その器の大きさには感心せざるを得ない。尤も器の大きさとうまいかどうかは別問題だらう。

 先に挙げた海苔巻き梅干しおかか昆布の四天王に鮭を加へたのをおにぎりのペンタゴンと呼ぶとすれば、追随するのは何になるか。

 高菜漬け(巻くのもあり)

 刻みたくわん。

 胡麻と若布。

 鶏のそぼろ。

 胡麻を散らしたの。

 叩いた梅に削り節を混ぜたの。

 味噌。

 醤油を塗つて焼いたの。

 他にも佃煮(一ぺん鰻の佃煮を埋めたおにぎりを平らげてみたいのものだ)、豚の角煮を刻んだの、鮪の赤身の漬け、(私の舌には適はないが)イクラや明太子を挙げる聲もあるか知ら。幾らでも議論の余地は出來るとして、結論を出さうとするのは野暮な態度であらう。

 卓子に種々のおにぎりがずらずら並べられ、たつぶりのお味噌汁と大鉢に盛られたお漬物と玉子焼き。そして焼きソーセイジか、かりかりになるまで焼き上げたベーコンがあれば、栄養的な観点は兎も角、悦ばしい食事といふ視点であれば万全であらう。これは残念ながら丼めしでは成り立たないんである。おにぎり祭と称してかういふ食事を試してみたい気分はあるが、これではどうも呑めさうにない。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-29 14:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

近しい

 酒精の理想的な友は何だらう、と思ふことが時々ある。麦酒。お酒。葡萄酒。ヰスキィ。ブランデー。泡盛に焼酎。紹興酒。何が出てもこれがあれば大丈夫だと確信出來る食べものは果してあるのか知ら。

 無い。
 すりやあ、無いよ。

 力強く否定する聲がするね。私も同意を示すのに吝かではない。酒精にしても食べものにしてもその土地の気候や産物が作り育てるのだから、それは万能では有り得ないし、また万能を求めるのは筋ちがひだし誤りでもある。併し、併しである。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。それに近しい料理なら、あつても不思議ではなささうに思はれませんか。

 かう書く以上、私には心当りがあるわけで、それが詰りおでんである。をかしいだらうか。煮込んだもの全般と言ひ替へれば同意されると思はれるのだが、ここではおでんに絞る。
「おでんと云へばお酒ではないか」
と反論があるだらうが、果してさう断定してよいものかどうか。"クラッシックな"おでんならば確かにお燗をひとつ、つけてもらはうかとも思はれるが、おでんの範囲を仮に

「ひとつのお出汁にたくさんの材料を入れ、互ひの味で全体を調へた煮もの」

とすると、話はまつたく異なつてくる。三年ほど前だつたか、トマトを基本にしたソップ…お出汁で仕立てたおでん(ソップにマスタードを溶かしながら)をつまみに葡萄酒をやつつけたことがあつて、あれは素敵にうまかつた。
 もしお出汁乃至ソップを鶏のがらや牛骨で取れば、中華風或は東南亞細亞ふうになるし、和風であつても醤油に昆布、鰹やその他の削り節、味噌などで味はひは大きく変る。様々の酒精に似合ふ余地がたつぷりあるわけで、かういふ食べものは案外と少ないんではなからうか。

 大根、玉子。
 厚揚げと牛すぢ。
 糸蒟蒻、捻つた昆布。
 竹輪にはんぺん。
 焼き豆腐にがんもどき。
 お餅入りの巾着。

 "定番"にこだはらなければ、ウインナやティビチもまたうまいものだし、餃子に焼賣も(注意深く煮れば)いけるだらう。鶏や豚は肉でも臓物でもまづくなる心配はない。お出汁(またはソップ)にあはせて和辛子、粒マスタード、柚子胡椒、或は七味唐辛子を用意すれば、大抵の酒席で満足を得られるだらうと容易に想像出來る。

 最初から準備をするのが面倒かなあと不安を感じる必要はない。手を掛けだしたらきりがないのがおでんなら、その気になれば幾らでも手を抜けるのもまたおでんであつて、コンビニエンス・ストアでも買ひ込めるし、その辺のマーケットに行けば袋入りのが何種類もある。

 手持ちの鍋に移して自慢のソップを継ぎ足すのがよければ、手元で見つかる醤油やら味噌やらで調へてもよい。種を追加しながらトマトの罐も入れて洒落た気分になるのも惡くない。最後には饂飩なり中華そばなりをはふり込めば、お出汁またはソップも無駄にならないし、冷ごはんで雑炊にするのもうまい。寒風が骨を噛む季節は、好もしい酒精におでんで、一ぱい嗜むと致しませう。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-28 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

外麦酒

 九月になると恵比寿で"ヱビス・ビール祭"が催される。何がどうだと云ふわけでもないのに、時間があれば行つて仕舞ふのは、ヱビス・ビール祭の罠に掛かつてゐる所為か。
d0207559_834156.jpg
 和の芳醇。
d0207559_834288.jpg
 それから、琥珀。

 實はキヤベツをつまみながらこの後、二杯を追加してゐるのだが、それはまあ兎も角。
 何がどうだと云ふわけでもないのに、恵比寿くんだりまで足を運ぶのは、外で呑む麦酒はそれだけで格別にうまいし、格別にうまい麦酒がヱビスなら文句をつける隙も暇もない。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-27 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

工夫の余地

 焼き海苔。
 クリーム・チーズ。
 刻み葱に胡椒。

 奇妙と云へばその通り。
 併しこれがうまかつたのだから、世の中は無断出來ない。
d0207559_6553743.jpg
 葱はなくても成り立つだらう。

 味附け海苔でもいけるだらう。

 胡椒の代りに辣油も旨からう。

 醤油つ気を加へても宜しいか。

 幾らでも工夫の余地が浮んできて、組合せや調味料の撰び方次第では麦酒にもお酒にも葡萄酒にも適ふのではと思ふ。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-26 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

さらば田町

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の一部に有名と思はれる田町の例の居酒屋が閉店した。
 我われは随分と世話になつたから、閉店の日に足を運ばない撰択肢があらう筈もなく、それで行つたらえらく混雑してゐたから驚いた。愛されたお店なのだな。儲けにはならなかつたとしても。
d0207559_6372334.jpg
 酒藏が営む居酒屋の嬉しさはうまいのを廉に呑めることで、呑まない撰択肢は有り得ない。
 からから笑ひながら呑んでゐたら、店長が一升瓶を抱へて幾つかの席を回り、我われのところにもやつてきて
「いつも來てくだすつた方に」
と云ひながら、桝酒を一ぱい、奢つてくれた。實に嬉しく、うまい一ぱいであつた。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-25 06:45 | 飲食百景 | Trackback(1) | Comments(2)

不意討ち

 何が切つ掛けになるかは解らないが、不意に食べたくなるものと云へば、餃子ととんかつ、そして親子丼ではあるまいか。心の隙を衝かれるといふか、そんな感じを受けるのは私の場合、上の三種なのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。青椒肉絲やコロッケ蕎麦や開化丼を思ひ浮べるひともゐるのだらうか。まさかザワー・ブラーデンやジェリード・イール、ケバブが浮ぶひとは少なくとも讀者にはをられないと思ふが、世間は広いからなあ。

 計り知れない他人さまの頭の中を想像するのはやめにするとして、餃子とんかつ親子丼の順に挙げたのは不意討ちをくらつた時の食べやすさ…私の場合、"食べに行きやすさ"とほぼ同義…の順で考へてみると、親子丼をすらつと食べに入れる場所はどこにあるだらう。何となく蕎麦屋辺りかとも思へるのだが、蕎麦屋に行くなら蕎麦を手繰りたくなるのが人情だし、仮に蕎麦と親子丼の組合せがあるとして、わざわざ註文するか知ら。お酒を一合を玉子焼きでやつつけてから、おもむろにもり蕎麦を一枚平らげる方がよささうな気がする。

 さういへば親子丼を専ら出すお店(名物として有名なのではなく)つてあるのだらうか。かつ丼や鰻丼や天丼ならある。単にこちらが知らないだけな可能性も有り得るが、あつたとしても私の耳に届く程度の名声は勝ち得てゐない。

 併し親子丼はかつ丼鰻丼天丼と共に丼ものの四天王と呼んでいいと私は思つてゐて、その割りに扱ひが惡い。前三者は堂々と大好物だと云へるひとも、親子丼だと少し照れくさげになる。實際に見たことはないけれど、確信を持つて云へる。あれは女子供を喜ばす食べものだといふ雰囲気が何となく感じられる。感じられはするがそれが扱ひの惡さの理由になるものだらうか。女子供を莫迦にする積りは毛頭ないのだが、さういふ印象が親子丼の周りに漂つてゐると云つて、大きな誤解にはならないとも思はれる。とは云ふものの少し落ち着くと、親子丼は案外と上手に仕立てるのは六づかしい料理ではなからうか。出汁と溶き卵をうまい具合に温め、ふはりとさせるには修練と経験が欠かせず、かつ丼鰻丼天丼でもその事情に変りはないだらうと想像は出來として、巧みと下手がそれらに較べれば可也りあからさまに浮き出るのが親子丼のやうに思へる。

 もうひとつ"案外な"がありさうだ。かつ丼はとんかつとチキンカツ、精々頑張つてビーフか海老くらゐ。天丼だと海老か掻き揚げ程度。鰻丼に到つては裂き方や焼き蒸ししかちがひがなく、まあこれは名前から云つてもやむ事を得ないとして、親子丼はその応用範囲が案外なほどに広い。鶏を牛に変へると開化丼。油揚げにすれば木の葉丼。更に玉子だけで仕上げる玉丼もあつて、これは半熟に足りない卵でとぢるといふ料り方の幅広さと見てもいい。

 であれば卵と鶏肉がその中で最も相性のよい組合せになるなとは容易な想像の筈だ。牛肉とバタや味噌汁に豆腐のやうなもので詰りうまい。それに低い扱ひは気取りや儀礼的が少なく済んでゐると思へば有り難い。分厚い丼に熱いごはん、これから固まるだらう溶き卵、しんなりしかかつた玉葱と香りと彩りを受け持つ三つ葉。實のところ親子丼はこれだけを小鍋ひとつで炊けば成り立つて仕舞ふ。その点に限ればごく簡単な丼ものと云ふべきで、實態は大きに異なる筈がどうも我われはその単純さに気を取られる。たれだつて作れるぢやあないかと考へるのは尤もにも思へるが、全体の均衡を崩さない…甘すぎず辛すぎもせず、火の通りは適切でまたべつたりもしてゐない…親子丼となれば、これは非常な繊細さが必要なことになつて、所謂専門店が出來にくい事情はこの辺りだらうか。だとすればお腹が不意に親子丼を求めてきた午後遅く、私はどうすればよいのか知ら。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-24 10:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

文學の伝統に忠實な

『小惑星帯(アステロイド)遊侠伝』
横田順彌・徳間文庫

 任侠映画といふものがある。あつた。

 高倉健や鶴田浩二を思ひ出せばいい。
 義理堅くて腕が立つて無口で不器用な漢が、我慢にがまんを重ね、最後に強慾無道なやくざを叩き斬つて仁侠の筋を通す話で、『仁義なき戦い』から實録路線が台頭するまでは、やくざを描いた映画はおほむねかういふ仕立てだつた筈だ。
 マンネリズムと呼んでもよいが、ここは寧ろ様式美と見る方がしつくりくる。任侠映画に限つた話ではなく、古い日本映画のシリーズものは大体かうで一定の型で成り立つてゐたし、テレビジョンの時代劇も基本的にはこれを踏襲した作りだから、一種の伝統藝と呼べるだらうか。

 併し不思議なのは小説だと、かういふマンネリズム…様式美は殆どの場合赦されないことで、例外は古典的な冒険活劇くらゐだらうが、これは小説への差別ではないか。と横田が考へたかどうかは疑はしい。任侠映画が好きなSF小説家の藝のありつたけを絞つた短篇連作が、この『小惑星帯遊侠伝』なのだと単純に受け取る方が正しさうに思はれる。

 全篇の主人公を張るのは"寺島組の昇り龍"の異名を取る真継龍一郎。無頼の徒ではなく、筋目の正しい仁侠者である。かれが義理に縛られながらも、その道の筋を通すのがすべてだから、粗すぢは紹介はしない。強調したいのはその"昇り龍"をはじめ、兄弟分の"降り龍"梅原、寺島組のお美津姐さん、惡党の藤原や野村や剛田、"天王星の人斬りドス"巳之介、"黒水仙"のお京といつた登場人物が明らかにストック・キャラクタなのに實に魅力的なことで、横田はきつと舌なめずりしながら書いたにちがひない。

 更に科白まはしや言葉遣ひの巧妙さも挙げておく必要があるだらう。宇宙服に"きもの"、原子破壊砲に"はつぱ"とルビを振る感覚。トリトン正宗や火星酒("うんがざかり"のルビがある)といふ酒の銘柄。女が呼び掛ける際の"お前さん"にはちやんと"おまいさん"とある。そこに

 「昇降そろいの兄弟龍、たとえ生まれは違っても、死ぬときゃいっしょと決まってます」
 「あたしゃ、兄さんのむかしのことなんぞ、これっぽっちも興味がないやね。それより、飲もうよ。飲んで、あたしの友だちになっておくれよ」
 「兄貴、渡世の義理でござんす。許してやっておくんなさい」
 「寺島組の真継龍一郎、人呼んで昇り龍、福永彦次の弔い合戦とありゃ、こいつは、ちょっとばかり手荒いぜ」

 かういふ科白が次々と出てくるのだから、昂奮しない方がどうかしてゐる。横田が丹念に資料を讀み込み、映画を深々と観た…詰り任侠映画の伝統と様式を學んだ結晶が『小惑星帯遊侠伝』で、その視点から考へるとこの小説は文學の本筋(伝統に則り、且つ拡げる)に忠實であると見立てても誤りではないだらう。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-23 07:00 | 読書一冊 | Trackback | Comments(2)

Aクラス

 先日、横浜ベイスターズが2016年のAクラス入りを確定させました。11年ぶりの快挙(?)で球団史上初めてのクライマックス・シリーズ進出となります。
 まづは前年まで監督を務めた中畑清に敬意を表しませう。指揮をしてゐた時は遂に上位進出はなりませんでしたが、今年のラミレス監督は、中畑がベイスターズに蒔いた種を見事に使ひこなしたと思ひます。ラミレス監督が名将になるかどうかは来季以降、撰手をどう育て、起用するかに掛かりますから、ここでは触れないことにしますが、今季はよくやつてくれたと云つてよいでせう。

 尤もクライマックス・シリーズはいけないだらうな。ジャイアンツ相手までは何とかなるかも知れないけれど、カープには押し切られて今シーズンの終りとなるにちがひないし、私はそれでいいとも思つてゐる。といふところから話を始めたのはそのポスト・シーズンが気に喰はないからで、あんなに詰らない制度はない。
 『大リーグにだつてその制度があるし、えらく盛上るぢやあないか』
と反論されさうだけれど、大リーグの球団数を考へてみ玉へ。あの数だから成り立つし盛上りもする制度なので、たかだか2リーグ12球団でそれぞれの上位3球団で争つたところで、面白くも何ともないよ。パシフィック・リーグが導入したのをセントラル・リーグが後追ひをして、今の状態になつてゐるわけだが、両リーグのえらいひとは本気で
『これでプロ野球は盛上りを見せる』
と信じてゐるのか知ら。何となくファンからお金を巻き上げる手段としてしか、考へてゐない風に感じられるのは気の迷ひとしておかうか。

 話の序でだから、プロ野球を詰らなくしてゐる要因を幾つか挙げませうか。

◾引分制度
 プロ野球は本質的に、時間制限の中で成り立たないゲームであります。たとへば終電車などのお客の事情は無視出來ないと異論が出たら、サスペンデッドとして、翌日とか別の日程で決着がつくまで續けるのがよい。
◾予告先發
 クライマックス・シリーズ同様、パシフィック・リーグ發の制度だが、何の為に必要なのかさつぱり解らない。駆引きや予想の愉しみを削るだけのものだから、廃止する方が宜しからうと思はれます。
◾指名打者
 これは微妙かも知れませんが、私は気に入りませんね。パシフィック(制度あり)/セントラル(制度なし)とちがつてゐるのはいいとして、打撃の巧みな(下手な)投手をどう扱ふかは、監督の手腕の見せどころになる点では、ない方がよい。
◾喇叭太鼓の鳴り物応援
 大リーグを見習ふならかういふ点を見習はなくちやあ。応援は手を打ち足を踏み鳴らし、聲を張り上げるのが最も正しいスタイルなんです。野球に音の愉しみと驚きがあるのを知らないひとは、案外と多いのではないか知ら。

 更に云へば、パシフィックとセントラルが似たやうな制度で運営されるのも余り感心出來ないなあと思ふ。随分と以前のパシフィック・リーグは前後期の2シーズン制で、プレーオフを経た球団が、1シーズン制を勝ち抜いたセントラル・リーグの球団と日本シリーズで争つた。かういふポスト・シーズンなら納得が出來ますな。それに異なる制度でリーグ優勝を決めるのは、それぞれの戰略にちがひが出るわけで、優劣ではなく樂しめるのではないかとも考へられますまいか。
 他にも云ひたいことがなくもありません。麦酒はもちつと廉な方が嬉しいなあとか、座席には余裕を持たして小さな卓子をつけてくれたら、つまみを乗せられるのにとか、お弁当の賣り子さんがゐてくれたらなあとか、詰り野球場の観客席でなければ味はへない愉しみがあればいいのにといふことですが、ここでは触れますまい。ドラゴンズの落合元監督いはく、プロ野球最大のファン・サーヴィスは勝つことださうで、大体のところは正しい。ただそれはいち球団或はいち撰手の役割であつて、プロ野球全体を俯瞰すると、それだけでは済みさうになささうでもあります。

 その視点から見れば、我らがベイスターズは中畑監督時代に"野球場で試合見物をしてもらはうぢやあないか"といふ姿勢が強くなつて、ラミレス監督もそれを受け継いでゐる風に感ぜられます。残念ながら今年は横浜スタジアムまで足を運ぶ機会に恵まれる見込みはありませんが、またここまで書いたように制度には大きな不満もあるのですが、それはさて措いて、ベイスターズには野球場で見物したかつたと思はせる試合を、最後まで續けてもらひたいものだと、切に願ひます。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-22 07:00 | 徒然諸々 | Trackback(1) | Comments(0)

思つたよりもそのままの

 焼き魚はうまい。

 鮭。
 鯖。
 鰤。
 鰯。
 鯵。
 鰰。
 太刀魚。
 秋刀魚。
 鯛。

 どれもこれも私の頬をほころばせるには十分すぎるほどうまい。お刺身やたたきや酢〆や煮つけも成る程うまいとして、この場は焼き魚の顔を立ててもらへれば有り難い。
d0207559_6523193.jpg
 それだから余り目にしない焼きものがお品書きにあると註文せざるを得なくなる。画像もそのひとつで確かかんぱちの串焼きだつたか。ほほうどんな風に出してくるのだらうと思つたら、こつちが考へてゐたよりそのまんまの串だつた。味つけはややあまめ。七味唐辛子を少し計り振りかけると冷や酒によく似合つた。
[PR]
by vaxpops | 2016-09-21 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)