いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

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イヤダカライヤダ

 この数年、高橋書店の手帖を常用してゐる。
 今使つてゐるのはリシェル4(月曜始まりの見開き1週間)…商品番号はNo.214…で、大きさは文庫本と同じくらゐ。使ひ勝手はそんなに惡くない。お仕着せの手帖だから、どこかここかに不満はあるもので、馴れとあはせて許容範囲に収まるといふ意味である。

 手帖なんてまた時代遅れだなあ、と呟かれる方もゐさうだが、性にあふのだから仕方がない。一応はGoogleのカレンダー機能も併用してはゐるのだと云ひ訳はしておかうか。

 そのリシェルをどう使ふかといへば、先づは予定を記すこと。遊びの予定に決つてゐる。それに伴ふメモ…予算やダイヤグラム…も記す。併し大事なのは記録の方で、日記的な用途と云へばいいだらうか。買物に幾ら払つたかとか、天候とか、讀んだ本の題名とか、たれから連絡があつたとか、まあそんなところで、書き出しながら思つたが實に殺風景だねえ。

 後は何を食べたかも記す。これは池波正太郎の眞似。あの小説家は飲食を細々と日記につけ、細君が献立に困つた時は、たちどころに昨年のこの日はかういふのを喰つたと示したといふ。台所を預かるひとにとつて、有り難いのか迷惑なのか、よく判らない。それに私は記録をしてゐるだけなので、何の役に立つのやら。何年か経つて見返した時、記憶を呼び起す切つ掛けになるのが精々といふところか。

 役に立つかどうかは兎も角、手帖に色々の予定や記録を書くのは併し習慣になつてゐて、そこはまあいい。時代遅れでもこちらのことだから、苦情を云はれる筋でもないでせう。ただここで問題になるのは手帖に書くのだから手書きが基本で、手書きだからそれは自分の字といふことだ。
 これが、こまる。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には何を云ひたいのか判らないと考へる方もをられるだらうから種を割ると、私は自分の字がきらひなのです。どこがどうと訊かれても説明は六づかしく、内田百閒に倣つてイヤダカライヤダと応じざるを得ず、さういふ気分の證として画像をご覧頂かうか。

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 ね。こまるでせう。
 かうやつて同意を求めると親切な讀者諸嬢諸氏はきつと、古拙な笑みで誤魔化すしかないだらうから強要はしない。しないがこの字を書いたのが自分だと思ふと、背骨の中を掻き毟りたくなつてくる。讀み易い字だと云つてもらつた記憶はあるけれど、あれは精一杯の慰めだつたにちがひない。だつてとても年齢を重ねた大人の書く字には見えないもの。
 かと云つて手帖を使ふ以上、自らの手指で字を書くのは避けてとほれないのも事實。少しはましにしたいと思ふのもまた事實で、我流では六づかしからう。名前があやふやだが、何とかいふペン習字でも始めるべきなのか知ら。さう考へるくらゐなら、デジタル方式に移行するのも方法なのだらうが、どうもあれはねえ。さう思つて仕舞ふ辺りが、私の時代遅れを如實に示してゐる。
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by vaxpops | 2017-04-29 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

莫迦卵

 何の本で讀んだかは忘れた。

 誤つて醤油を一升飲んで仕舞ふと、命があやふくなる。そんな時は山葵を風呂桶一杯にすりおろし、患者を入れれば体内の醤油の毒が抜ける。

 かういふ話。

 莫迦げてゐるねえ。どこをどう間違つたら醤油を一升平らげる破目になるのか、さつぱり判らない。それにすりおろすんだから、山葵は本ものでなくちやあいけない筈で、風呂桶一杯分の山葵を手に入れるとなるとさて、幾らくらゐかかるものか知ら。保険がきくとは思へないから、えらく豪勢な治療法ではありませんか。

 莫迦げてゐるよ、矢張り。としつこく思ふのはこの手の話が好きだからで、記憶の連鎖に任せると、田辺聖子さんが自らの饂飩好きを、"饂飩で首を吊りたいくらゐ"と書いてゐたのを思ひ出した。お蕎麦やスパゲッティやラーメンでは駄目で、まことに巧妙な譬へだと思はれる。莫迦ばかしいと云へばさうだけれども、記憶に残つてゐるのだから、私好みなのは疑念の余地がない。

 併し實際問題、饂飩で首を吊りたいかと考へれば、仮にさうするとして、相当に腰が強いのを何本も撚りあはさなくてはならない筈で、それだけの饂飩があればきつねとおぼろとハイカラと天麩羅と笊と月見を啜つてまだ余裕があるだらう。まつたく豪華なもので、饂飩は首に巻くより、首の内を通す方が好ましいや。

 それでまた莫迦な發想が連鎖するのだが、何故首吊りではこまるのだらう。思ふに折角の食べものを食べないままになるからではないか。同じなら口に入つてもらひたい。そこでも色々な食べものが出てきさうだが、この際だから思ひ切つて溶き卵を撰ばう。縊れるのではなく溺れる。そして食べもので溺れるなら溶き卵ほど似つかはしい撰択はなささうな気がされる。

 と書けば我が鋭敏なる讀者諸嬢諸氏だからきつと膝を打たれる筈で、私は卵が大好物なのです。だつて旨いもの。餃子もコロッケも串かつも豚の角煮も冷素麺も旨い。筑前煮もおでんもクリームシチューも旨い。苦瓜のちやんぷるーも肉野菜炒めもビーフステイクも旨い。秋刀魚の塩焼きも鯵の開きも鯛のお造りも烏賊の刺身も炙つた厚揚げも冷奴も…もう切りがないからこの辺でよしとするが、さういふ数へきれぬ旨いものの中で、堂々の第一位を得るのが卵なんである。

 うで玉子。

 厚焼き玉子。

 目玉焼き。

 錦糸玉子。

 オムレツ。

 スクランブルドエグズ。

 ポーチドエッグ。

 茶碗蒸し。

 卵とぢ。

 卵かけ。

 肉に適ひ魚介に適ひ野菜に適ふ。
 塩にも胡椒にも醤油にも味噌にもウスターソースにもマヨネィーズにもケチャップにも豆瓣醤にも甜麺醤にも魚醤にも適ふ。
 食事でよくつまみでよくお菓子やデザートに仕立ててもよい。
 煮て炒めて焼いて蒸して…生食は我が邦の奇習ださうだが、それもまた宜しい。
 簡便に済ませたい時でも卵がひとつあれば、それで豪華さが加はるし、その気になれば凝りに凝つて贅沢なひと品にすることも出來る。もつと大事なのはその悉くがうまいことで、こんなに幅広く幸せを感じさせる食べものが卵以外に果してあるのか知ら。

 ある。と断定する方がをられても、私は別に気にしないけれど。

 さ。ところで現實的な問題として、溶き卵に溺れることは可能だらうか。
 十分な量の卵と、それを容れる器があれば不可能でないのは明かなのだがなあ。

 と思つて調べてみると、鶏卵の大きさには農林水産省の規格があるのですな。Mサイズで58グラム以上64グラム未満だから60グラムを平均と考へればいい。この数字はほぼミリリットルに置換出來るさうだ。一方の風呂桶は色々の種類があるが、家庭用のユニットバスで200リットル-20万ミリリットルくらゐらしい。Mサイズの卵がざつと3,400個、必要になる。種類にもよるだらうが、マーケットのパックが10個入り200円前後として68,000円。思つてゐたより廉価ではある。

 判らないのは溶くのにどの程度の時間が掛かるのものかといふ点で、当り前の話である。玉子焼きとスフレと牛丼にかける時で同じ溶き方をする筈はないもの。仮にひとつを溶くのに10秒とすれば34,000秒、570時間。休みなく溶き續けてほぼ24日掛かることになつて、殆どの卵がいたんで仕舞ふ。私は新鮮な溶き卵に溺れたいので現實的とは呼び難い。安心していいのかどうか、些か微妙に思へなくもないが、68,000円を費やすなら絢爛豪華な卵料理を撰ぶ方が賢明な態度でせう。

 醤油のがぶ飲みと大量の山葵おろしを莫迦げてゐるよと云ひながら、余計に莫迦なことを考へて仕舞つた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には(例の如く)無駄な時間を使はして、寧ろこれが一ばん莫迦ばかしいか。
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by vaxpops | 2017-04-28 09:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

幸せな組合せ

 お米は一種の完全食といふ説があつて、科学的な裏付けがどの程度あるのか知らないが、説得する力は随分と強い。確かに何がなくてもお米があれば食事はどうにかなる。
 お味噌汁とお漬物があれば万々歳。
 そこに焼魚の一匹も添へられたらもう豪華な食卓の出來上りである。
 仮に焼魚に恵まれなくたつて、ごはんに適ふものは色々とあるから、それをちよいと用意すれば、矢張り食卓は充實する。残念ながらパンではかうはいかない。

 たとへば梅干し。
 ひと粒あればごはんの旨さが際立つもので、私は果肉が柔らかく、酸味がつよいのを好む。

 たとへば塩昆布。
 ごはんに乗せて旨いのは云ふまでもなく、少量を混ぜこむとほぐしたおにぎりのやうになる。

 たとへば佃煮。
 牛肉でよし、牛蒡でよし、浅蜊がよく海苔もまたよし。江戸人の大發明だと私は確信してゐる。

 たとへば胡麻塩。
 お赤飯に断じて欠かせないのは当然として、お弁当のごはんに散らされてゐると嬉しくなる。

 たとへば鶏のそぼろ。
 汁気の多いのとぱらぱらしたののどちらを撰ぶかは、大きに議論の価値があるだらう。

 こんな風に列挙すれば切りがなく、汁もの全般も、炒めもののお皿に溜つたお汁も、マヨネィーズや各種のドレッシングも、鋤焼や蒲焼きのたれも、饂飩や蕎麦のお出汁も、天つゆも、ハンバーグのソースも、シチューも、中華料理のとろりとしたあんも、ツナの罐詰も、バタも醤油も味噌も紅生姜も大根おろしもしらす干しも削り節もごはんによく似合ふ。
 パンでは無理だなあと繰返したくなつてくるのはかういふ時で、パンを主食とは呼びにくいのですね。ハムやソーセイジ、チーズ、トマト、馬鈴薯、レタスにキヤベツにレヴァ。ジャム、ママレイド。ピックルス。さういつたものをガルガンチュワ的に用意して、ソップと珈琲と紅茶と葡萄酒を添へなくちやあ、成り立たない。贅沢と云つていいのかどうか。

 パンではなかつた。
 ごはんに何をあはせれば幸せかといふ話をしたかつたので、實はここまで挙げた中に私の第一番は入つてゐない。同率一位で、ひとつは生卵。
 八釜しいことは云はない。溶き卵に醤油を少し垂らす。丼にたつぷりのごはん。真ん中に穴を掘つて、そこに卵を流し込み、崩しながら喰ふのがうまい。牛丼にも応用が出來るから、一ぺん試してみ玉へ。
 もうひとつはおびいこ。世間的には縮緬山椒と呼ばれてゐるが、私が云ふのは少しちがふ。祖母が炊いたもので、縮緬雑魚と山椒を醤油だけ(母親が炊く時は少量のお酒が加はる)で仕立ててゐた。ことに祖母は山椒のあく抜きをしなかつたさうで、出來上りは口に響くほどからかつた。但し山椒の香りが高く、これが抜群なのだよ、ごはんとの相性が。乗せて旨いのは云ふまでもなく、混ぜておにぎりにしてよく、海苔巻きにしてもまたうまい。

 ここで卵かけごはんとおびいこの組合せは特筆大書しておきたい。この場合、醤油は不要。溶き卵をごはんに埋め、表面におびいこを散らし食べるのだが、まつたくのところ、こんなに旨いものはない。少し残したところにお味噌汁をかけて、綺麗にさらへるのもまたいいものだ。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には梅干しや野沢菜漬けや白菜漬けやたくわんや焼き海苔を添へ試してみ玉へ…と云ひたいところだが、肝腎のおびいこが手に入らないか。申し訳なく思はなくもないが、もしかすると私の知らない幸せなごはんとの組合せを堪能してをられる方もゐるだらう。知りたくもあり、知りたくもなく、些か複雑な気分を感じて仕舞ふ。

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by vaxpops | 2017-04-24 11:45 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

肉野菜炒め文明

 先日あるラヂオ番組を聞くともなく聞いてゐると、"肉野菜炒め"を無駄に熱つぽく語つてゐて、笑はされた。といふか、笑はされて仕舞つた。かういふ"どうでもよいこと"に熱を込めるのは、實に男性的な娯樂ではありませんか。仮に女性が"肉野菜炒め"を話題にしたとして、それは非常に現實的な、たとへば材料の値段や調味料の種類や下準備の省き方に集中するだらう。たれが云つたか失念したが、"女性のリアリティは八百屋のリアリティ"といふ説を思ひ出した。

 併し偶に喰ふと肉野菜炒めは旨い。私が自炊を始めたのは平成元年の四月だつた(断定出來るのは、初めての独り暮しを始めたのがこの時だつたからだ)が、最初に覚えたのは野菜炒めだつた。キヤベツと玉葱と人参ともやし。味つけは塩胡椒で、素人丸出しといつていい。尤もそこから調味料を覚え、材料を覚え、蒸したり煮たりすることも覚えたから恩義がある。但し器と盛りつけは残念ながら覚えなかつた。当り前と云へば当り前の話で、さういふことは、"たれかに振舞ふ機会"を得なければ身につくものではないのです。

 ここで気づくのは、野菜炒めは作つても肉野菜炒めを作つた記憶がとんとないことで、これは何故だらう。単に忘れてゐるだけなのか。それとも肉は肉、野菜は野菜で食べる習慣だつたのか。記憶を辿ると母親も野菜炒めは作つても肉野菜炒めは作らないひとだつた(のではないかと思はれる)から、その影響を受けた可能性の方が高い。男の子はどうしたつて、お母ちやんの料理から抜け出せないところがあるのだな。

 では肉野菜炒めをどこで覚えのたかといふ疑問が浮んできて、おそらく平成元年当時に住んでゐた千葉県は市川の中華料理屋…まあ一種の定食屋でだつたらう。正確には肉野菜炒め定食。ごはんとお味噌汁と小鉢とお漬物が組合された様は、ごくありふれてゐた。特別に美味かつたわけでないのは記憶に残つてゐない点からも明らか。記憶といへば寧ろ別の洋食屋になるのだけれど、その話をすると余談が過ぎることになるので、ちよいと残念だと思ひつつ割愛。

 現在に續く二度めの独り暮し前世紀の末頃から始まつた。今度は新宿区の中落合で、念の為に云ふと今住んでゐるのは別の場所ですよ。その中落合にも中華料理屋の名を借りた定食屋があつて、いや今もある筈だが、肉野菜炒め(定食)を本格的に貪るやうになつたのはこの時からだと思ふ。瓶麦酒(市川時代は麒麟のラガー、こつちは一番搾り)を呑みながら肉野菜炒めをつまみ、お皿に残つたお汁にごはんを打ちかけて平らげた。お行儀が惡いなあと思ひつつ、止められなかつたのは旨かつたからである。

 市川にしても中落合にしても、肉野菜炒めに使はれたのは大量のキヤベツ、それから玉葱、もやし、人参辺りで、味つけは塩胡椒と醤油(おそらく少量のオイスターソースも)だつた。可也り濃いくちで、詰り東京風である。母親のそれは塩胡椒だけだつたから、味はひは随分とちがつた筈なのにそれを旨いと思へたのだから、余程相性がよかつたのだらう。
 それに肉野菜炒めの肉は豚肉で、ただ"肉"と云ひ或は書く場合、牛肉と思つてゐた(今も思つてゐる)私…序でながら私がただ"お酒"と書きまた云ふ場合、それは日本酒の意味…なのに、これもいきなり旨いと思つた。この"いきなり"はどうも侮れない要素らしい。司馬遼太郎が確か『アメリカ素描』で記してゐたことを意訳すると、"土人がいきなり参加出來るもの"が文明なのださうで、食べものに応用したつて誤りではない。
 司馬は食べものの話に限れば、こちらが目を覆ひたくなるほど拙劣だつたから、檀一雄に登場願ふと、この最も文明的な意味での雑食家は、大意ひとが永く棲み續ける土地には必ず旨いものがある。何故なら旨い食べものは歓びだからだと喝破してゐて、この指摘は異論の余地なく正しい。
 かれの言を補足すれば、ある土地に人びとが棲む以上、そこで喰はねばならず、喰ふ以上はまづいものに耐へられる筈はなく、従つて土地にあるものを旨く喰ふ工夫を欠かずわけにはゆかない。ゆゑに旨い食べものが生れる…といふ段階が含まれてゐる。詰りさういふ階梯を経た食べものが、遠來の旅人に"いきなり"旨いと云はせることは有り得るといふより寧ろ当然の帰結で、これはもう司馬の云ふ文明ぢやあないか。

 大きくなりさうな話をここからうんと縮小すると、母親の野菜炒めしか知らなかつた若造に、"いきなり"旨いと云はせた肉野菜炒めだつて、広義の文明と呼べやしないだらうか。まあ"八百屋のリアリティ"には通用しない話かも知れず、ラヂオを聞き(流し)ながら、こんなことを考へたわけでもないのだけれど。つけ加へると、今も私は自炊をしてゐる。してはゐるが、肉野菜炒めは作らない。あれは町中なかの定食屋で偶さか、出來れば瓶麦酒を隣に置いて貪るものだと思つてゐる。
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by vaxpops | 2017-04-22 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

看板の気合ひ

 "レトロ"好みと称するひとが世の中にはゐる。
 単に"それつぽい"のが好きなだけなひともゐるだらうな。それを商ふ人びとも。どちらを責める積りもないけれど、"それつぽい"のは結局のところ、それだけではないのかなとも思ふ。

 多摩に青梅といふ町がある。奥多摩の入り口のやうな町。ここの賣りが"昭和レトロ"で、映画の古看板を再現さしたり、建物の外観を意図的に古めかしく飾つたりしてゐる。尤も川越のやうに元の建物が古いわけではないから、どうにもあざとさが鼻につく。青梅には長く足を運んでゐないから、今はどうか知らないが、惡くない呑み屋が少なくとも一軒あつて、そこは"昭和レトロ"ではない古ぼけた店構へだつた。呑み屋に限らずああいふお店が並ぶ方がしつくりきやしないだらうか。

 さういふ町の好みは兎も角、琺瑯の古看板を眺めるのは樂しい。銘柄それ自体は勿論、活字の用ゐ方、色あしらひ、宣伝の惹句。現代の目から見て、スマートとは呼びにくいとしても、広告の手段が限られた時代の看板だから気合ひがちがふ。その気合ひを感じながら、ユニオンビールとカブトビールのどちらを撰ぶと訊かれても、すりやあ無理な話。ここは両方を買はなくては(肴はヤマサかヒゲタの醤油でお刺身だらうか)と思はされる。決意させられる。後から作つた…複製した看板だと、とてもぢやあないが、かうはいかないだらう。

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 さうだ。

 この画像はどこだと思はれる方の為に書きつけておくと、伊豆半島の先端にある某町のT商店である。以前にも訪れたことがあつて、その時は年代物の風呂敷を二枚買つた。風呂敷も建物も歳を経たもので、詰りレトロ気取りではなく、本もののレトロスペクティヴ。その向ひが同じ商店の酒屋で本業はこちらである。品揃へも決して惡くなかつたが、ユニオンもカブトも見当らなかつたのだけは惜しまれてならない。

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by vaxpops | 2017-04-20 13:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

残照のカメラ

 "空想バイイング"でほんの少し触れた結果、何となく引つ掛つたことを書きませう。自爆のやうな話で、ニコンNewFM2とマイクロニッコール55ミリがその種。

 とは云ふものの、NewFM2を手にしたことはない。ニコンはF2、F3、F4とF-601を買ひ、FEを譲つてもらつた経緯がある。FM10も買つたけれどあれを果してニコンと呼んでいいのか、疑問が残りますな。

 さういふ経緯または変遷の中で、マイクロニッコールは2回、手に入れた。いづれもAi-Sと呼ばれるタイプ。頑丈な鏡胴でレンズ面の最前部が奥まつた位置にある。名前が示すとほり、近接撮影用だから、焦点合せの時にするする伸びて、それがいかにも寫りさうな姿に見えた。
 一眼レフが距離計連動式に優位を示すのは狭角レンズの利用と近接…いや正確を期せばこれは構造の話だから優劣とは別になる。そして狭角は兎も角、近接は私にとつて重要で、ライカやその系譜に属するカメラを手に入れても長続きしないのは、この辺りに理由がある。

 ところでこの手の話題を出す時、必ず書いてゐることをここでも繰り返すと、フヰルム式のカメラは事實上、滅んでゐる。後世に寫眞機史を編輯するひとは20世紀末頃からのフヰルム式カメラを
「残照の時代」
と異名をつけるのではないかとも思ふが、詩的に過ぎるか知ら。
 その残照カメラから撰ぶとしたら、"空想バイイング"で書いたとほりNewFM2になる。ややこしい理由があるのではなく、露光計を内蔵した機械制禦がフヰルム式カメラの完成形ではないかと思へて、距離計連動型で云へばM5が、一眼レフではこのカメラが相当する。必要な部品が必要な場所に配置され、機能が求める形と素材をスタイリングとして過不足なく纏めた点で、この両機は極点に達したのではなからうかと、半ば以上本気で私は思ふのです。

 さて。そのNewFM2にはヴァリエイションがある。内部にも差異があるらしいが、そこは目を瞑るとして、見た目で区別するとクロムと黒、チタン(風?)仕上げの3種。旧友にこの系統のニコンを好む男がゐて、かれはチタン仕上げ(加へてFE2とFM3A)を持つてゐる。阿房だなあと思ふが、手入れは怠つてゐないさうだから、ニコン社のひとは安心してもらひたい。
 それで私が(今から)(わざわざ)買ふとしたらどれになるだらう。
 チタン仕上げでないのは確かで、どうもあれは当時の流行に乗つた気配がある。尤も流行に乗りつつ手を抜けなかつたらしいのが、いかにもニコン的ではある。ただこの仕上げだとマイクロニッコールは似合ひさうでなく、いや他のニッコールでも六づかしいんぢやあないかな。50ミリのF1.4でストイックを気取るくらゐしか思ひつけない。それはそれで恰好いいが、併しまあ。

 撰ぶなら、黒がいい。
 クロムのクラッシックな見た目も惡くないとして、私の好みは引き締つた黒である。そのままでも基本的に問題はない筈だが、スクリーンを全面または方眼マットに交換出來れば(F3を使つてゐた頃は全面マットだつた)もつとよい。
 アクセサリで思ひ出したのは、MD-12といふモータードライヴ。取りつけると貫禄が増す。ただマイクロニッコールを使ふのだから要らないか。28ミリ辺りでスナップを撮る時にこれがあれば、前時代的な雰囲気を醸せるだらう。連寫をするわけではないから、意味のある行為とは呼びかねるけれど。
 ストラップだけは少し奢らう。残念ながらニコン銘のそれは駄目で(ニコンに限つた話ではないのだが)、ドンケのグリッパーを使ふ。カンバス素材の裏地に護謨を織り込んだ仕上げは、同じ会社のカメラバッグに縫ひつけられたストラップに近い。幅のちがひで幾つかの種類が用意されてゐた記憶があつて、太いやつがいい。がらくた箱に1本、入つてゐなかつたかな。

 かういふ組合せ…即ちニコンNewFM2(スクリーンを交換して)とマイクロニッコール55ミリ、ドンケ・グリッパーにテーブル三脚を加へて出掛ければ、フヰルム1本で半日遊べるだらう。残照の時間になつたら、これを眺めながら一ぱい呑るのも宜しからう。いい肴となるにちがひない。
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by vaxpops | 2017-04-17 14:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

空想バイイング

 仮に何かの事情で、手元のカメラやレンズがすつかり無くなつたとしませう。火事でも泥棒でも引越しの混乱でも、その辺は勝手に考へて頂くとして、兎に角カメラもレンズも何もない。さういふ事態が發生したとする。

 併しそれでも寫眞は撮りたい。
 となると、どうしたつて新しくカメラとレンズを手に入れなくてはならず、だとすれば何を撰ばうか。

 さういふ空想の話。

 最初に銀塩かデジタルかを考へなくちやあならないが、これはもう、デジタルである。
 銀塩でも考へを巡らせてみたから、参考までに書くと、ニコンNewFM2にマイクロニッコール55ミリになるだらう。
 ライカIIIcまたはライツミノルタCLにズマロン35ミリにエルマー90ミリ、或はGR28ミリも惡くないが、寄れないのは私にとつて決定的な短所なんである。

 併し事實上、滅亡してゐるフヰルムを改めて(積極的に)使ひたいかと云へば、それは勘弁してもらひたい。それは後日の考慮として、この場ではデジタルを採る。
 デジタルを採るとして、レンズは固定式か交換式かといふ撰択がある。實際にレンズを買ふかどうかは別として、ここは交換式を撰びたい。さういふ樂しみが残されてゐる方が嬉しいではありませんか。
 仮にレンズ固定式を撰ぶなら、この稿を用意してゐる時点で(機種は以下、特記しない限り同じとお考へください)現行機のリコーGRIIかフジフヰルムのX70になる。備忘の為。

 次の撰択は一眼レフ方式かミラーレス方式になつて、ここは可也り悩ましい。悩ましいが、小型で軽量は正しい(詰り持ち歩きに負担が少ない)といふ立場から、ミラーレスにする。
 但し私が銘機と信じて疑はないニコンEMがそのままデジタルの一眼レフになるなら、話はまつたく異なつて、日本光學は何ををしてゐるのだらう。待つてゐますよ、シリーズEの復活と共に。
 一眼レフには併しペンタックスKPやキヤノンのEOS Kiss X9iがあつて、この辺りを外すのはちよいと躊躇ひを感じなくもない。仮の話だからこの際、思ひ切れるけれども。

 視点をミラーレスに移しませう。

 次はメーカーか機種か。
 と思ふでせう。そこは次の段階で、その前にフォーマットを考へる必要がある。
 ごく簡単に云ふとカメラやレンズの大きさ重さはフォーマットにほぼ比例する。またフォーマットと基本的な画質の関係も同じ。
 詰り画質を重視するなら大きなフォーマットを撰ばざるを得ず、さうなるとカメラもレンズも大きく重くならざるを得ない。従つてフォーマットの撰択はメーカーや機種に優先する。

 知る限りミラーレスで最大のフォーマットは中判相当で

・フジフヰルム GFX50S
・ハッセルブラッド X1D-50C

の2機種。コンパクトだの軽いだのと評する向きもあるらしい。誤りと断じはしないが、それはあくまでも同じフォーマットの中で、といふ括弧書きが含まれてゐることを忘れてはならない。この大きさ重さが私の手に余るのはどう考へたつて明らかである。よつて却下。

 ここからはミラーレス式のカメラと聞いて当り前に浮ぶだらうフォーマット。大きさの順にフルサイズ、APS、フォーサーズ(カメラの規格としてはマイクロフォーサーズ)、1インチが該当する。
 フルサイズのミラーレスといへばソニーα7の系統くらゐだらうか。人気のある機種らしいが、あんな酷いスタイリングのカメラを持ちたいとは思へない私にすると不思議でならない。
 ライカM9/M10も一種のミラーレス機と呼べるか知ら。率直なところ、デジタル化したライカには丸で興味を持てないから(併し、何故だらう)、無いのと同じであるか。詰りこのフォーマットは除外される。

 現行フォーマットの最小サイズはニコン1の筈でJ5とAW1が該当する。持ち歩きの点では文句なく最良として、この先續くかが危ぶまれる。それなら終了したペンタックスQ系(これはもつと小さなフォーマット)を考慮する方法もあるけれど、これは玩具に近しく、初めに撰ぶ理由が見当らない。ゆゑに除外。

 これでフォーマットはAPSかフォーサーズに絞られる。どちらも賑々しく機種が揃ひ、撰択肢がたつぷりある。
 あるのだらうか。
 確かにAPSではキヤノンEOS M(3、10、5及び6)やソニーα(旧NEX)の6300と5100、フジフヰルムのX系、シグマSDクアトロがあり、フォーサーズだとオリンパスとパナソニックがラインアップを整へ、その意味では百花繚乱と云つていい。

 が、これをもつて豊かな撰択肢と呼べるのかどうかはまた別の話。

 有り体に云へば、現行機でちやんと撮れないカメラなんて、無いんである。どれを使つても不満を感じる心配はしないで済む。そんなら何が撰ぶ基準になるか。
 見た目。
 かう断定してかまはない…と私は思つてゐる。恰好よくつて、持ち歩いて、見せびらかしたくなつて、色々弄りたくなるカメラ。それで寫眞をちよいと撮りたくなる1台。さういふ基準でもう一ぺん、現行機種の群れを眺めると、はたとこまつて仕舞ふ。

 スタイリングといふ考へ方、カメラにはないのだらうか。と頭を抱へたくなる惨状と云ふのは極端かも知れないが、この何年かを遡つて、ひと目惚れした機種があつたか知ら。オリンパスOM-D E-10くらゐしか思ひ出せない。
 もう少し幅を取つても、ソニーNEXの3系列と再びオリンパス ペン E-P5が何とか浮ぶくらゐ。これはもう壊滅的ではないか。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、私が疑念を抱き、また頭をかかへる気持ち、想像頂けると思ふ。

 もしカメラ…寫眞が仕事なら、その辺りは目を瞑り、口を糊するに足る機種を撰べばよいが、こちらは素人、ただの素人遊びである。好みに適はないものを使ふ道理はないよ。併しここで話を打ち切つては面白くない。それに撮りたい気分だつて物慾だつてある。ひとつ腰を据ゑ直して撰ぶとしませうか。

 先づソニーα(旧NEX)の現行機は落ちる。しつかり持つ、構へる点で云へば正しいのだが、グリップのあの形状は不恰好でいけない。旧型には比較的スマートなのもあるが、レンズを取りつけた姿はどれも今ひとつ。
 フジフヰルムのXシリーズは世評が高い様子だが、全体的に大ぶりなのが気に喰はない。X-A3やX-T20辺りはよく纏めてゐる印象はある。ただそれなら一眼レフを撰びたくなつてくるのもまた、正直なところなのだ。

 EOS Mはどうだらう。M5/6に到つてやつと本気になつた感がある。EFレンズとの互換性も一応つきで保たれてゐる点も好印象。旧友が初代機にアダプタ経由でEF15ミリをつけてゐたのが、妙に恰好よく見えたのも好印象に加はつてゐる。
 初期の機体は自動焦点がもたつくと云はれてゐるが、触つた限りこちらの撮り方には影響しないのも解つてゐる。但し現行機のスタイリングは惡達者に纏められて感心しない。旧型を含めて候補に入れるとする。

 パナソニックの現行機は全滅。GX1及びGF3/5は今も気になつてゐるのだが、わざわざ何世代も遡る必要があるかといへば大きに疑問なので、残念ながら除外。同じマイクロフォーサーズ陣営のオリンパスも、OM-D E-5 Mk-2が多少ましに感じる程度で壊滅。前述のE-10(初代)とE-P5は惡くないので、候補には残さうと思ふ。
 オリンパスでPEN Fを忘れてゐないかと云はれさうなのでつけ加へる。あのスタイリングは米谷美久の手を惡く意識してゐて、あざといといふかわざとらしい。オリジナルが優れた(変態)カメラなのは、撮影といふ動作に必要な部品を必要な場所に配置したからで、外側を巧妙に模したデジタル版は果してどうだらう。疑念を呈するに留めておくけれど。

 引つ掛かるのはシグマ。SDクアトロといふ超弩級の変態カメラ…とは勿論誉め言葉(どこがどう変態なのかはご自身でお確かめください)だが、これをどう受けとるか。独特としか呼べないスタイリングはきらひではない。
 きらひではないし、あの会社のレンズにはフヰルムカメラの頃からお世話…最初のシグマレンズは70-200ミリ。その次が400ミリだつた…になつてもゐる。ただRAW現像が設計の基本にあるのを思ふと、手に余るのは目に見えてゐる。残念だけれど見送る…保留にする。

 さうなると候補は以下に絞られる。

①キヤノン EOS Mからいづれか。
②オリンパス OM-D E-10(初代機)
③オリンパス E-P5

 ①はAPS、②と③はフォーサーズだが、ここから撰ぶのは中々悩ましい。併しこの稿は空想である。入手の義務があるわけではないから、気樂に考へませう。
 気を樂にすると。最初に②が落ちるね。EVFを内蔵してゐるのが何となく厭なのだ。あつて困らないのは解るが、そんなら一眼レフにするよと、さういふ気分の顕れかと思ふ。
 ①の場合、現行機はM3/5/6及び10の4種。スタイリングがいづれも感心しないので、撰ぶとすると旧型のM2になる。これと③即ちE-P5の対決なのだが、このE-P5も有り体なところ、随分旧い機種だから勝負としては惡くなからう。

 そこで求めたいのは液晶がチルト式の採用か、外付けのEVFへの対応。内蔵までは要らないとしても、それに近い使ひ方は出來て慾しい。それにレンズの撰択肢が広ければ更に好もしい。
 といふことを考へると、オリンパスに一日の長がある。ことにレンズの充實はEOS Mにとつて可也り厳しい條件であつて、一眼レフならキヤノンの優位は動かないが、ミラーレスに限るとフォーサーズ規格は逆転する。これでボディは確定。

 ではレンズをどうするかとの課題に取りかかりませうか。撰び甲斐がある。
 この機種…E-P5は比較的小ぶり(少なくとも大柄ではない)なので、そこは崩したくない。それに私は一部のひとの大好物である"ぼけ"に重きをおかず、従つて所謂大口径レンズを積極的に撰ぶ理由を持たない事情もある。
 出來るだけ小さく纏めるのを優先すれば、単焦点レンズになるのは当然で、先づかういふ組合せが考へられる。

・パナソニック 14ミリ
・パナソニック 20ミリ
・オリンパス 45ミリ

フルサイズ換算で28/40/90ミリに相当する。殆どの被寫体はこれで撮れるし、どのレンズも優秀で小柄なのが好もしい。遂に登場しなかつたミノルタCLEの後継機をこつそり気取ることも出來る。

 単焦点3本だとレンズの交換が頻繁になるだらうか。寧ろクラッシックに25ミリ…詰り50ミリ相当を1本に絞る方法もある。メーカーを跨いで幾つかあるのは、マイクロフォーサーズくらゐではなからうか。
 併し實のところ50ミリは馴染まない画角といふ事情がある。同じ1本なら

・オリンパス 9-18ミリ

が魅力的か。パナソニックにも似たレンズはあるのは知つてゐるが、好みからすると大きすぎる。ワイドズームは遊び甲斐があるといふものだ。
 もつと素直に標準域を含むズームレンズを候補に挙げるべきだらうか。ただ慾しいのが見当らない實情があるのだな。フルサイズ換算で28-60ミリや24-50ミリ見当でF4通しくらゐの地味な1本があれば嬉しいのだが、商ひにならないのか知ら。

 大きさとか使ひ勝手に目を瞑ると、コーワのプロミナーが浮んでくる。マニュアルフォーカスで8.5/12/25ミリの3本がある。
 重視しない大口径の上、大柄で重い。好みとは別だけれどスタイリングは中々に宜しく、序でに高額でもある。作例を見る限り、惹かれる描寫なので気になるのだが、持て余すのが関の山か。

 さて。そろそろ纏めてゆきませう。オリンパスE-P5にどのレンズをあはせるか。

①普段使ひ用にパナソニック14ミリ
②気合ひがある時向けのオリンパス9-18ミリと同45ミリ

そして気づくのが遅れて挙げてゐなかつたが、近接撮影好きとしては、上記にオリンパスのマクロ30ミリを加へたい。マイクロニッコールのやうな使ひ方が出來るにちがひなく、これで、完成。
 面白みも何もあつたものぢやあないなあ、と苦笑ひされさうで、そこはまあ認めるのに吝かではないとして、大前提が"もしもゼロからカメラとレンズを買ふなら"といふ空想である。現實に撮ることを考へると、撰択がありきたりになるのは仕方ないでせう。入手するかどうかは、また別の問題として。
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by vaxpops | 2017-04-15 18:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(5)
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見上げれば

夜の花の群

息苦し

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by vaxpops | 2017-04-14 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

惡い趣味ではない筈で

 EOS100といふカメラがあつた。
 キヤノンの一眼レフ。
 そんな型番知らないよ…と思ふ貴女の為に云ふと、これはフヰルム式の自動露光/自動焦点、詰りAF一眼レフであります。EOS650から始つたこの機種系統の第2世代。"10倍シリーズ"なんて呼ばれたこともある。
 第2世代EOSの構成は俗称のとほり、上位から1/10/100/1000の4機種。私が最初に買つたのは1000で純然とした普及機だつた。尤もこれが現在に到るKiss(デジタル)の原型になつてもゐるのだから、さう莫迦には出來ないのだが。
 EOS100は私が初めて"意識して買つ"たカメラである。詰りEOS1000を使つてどうも物足りない部分を何とかしたいが為の撰択であつた。…と書けば恰好はつくのだが、またそれは事實の一面でもあるのだが、もつと単純な"上位機種が慾しい"気分の方が大きかつたのは認めておきませう。
 EOS1は最初から考への外だつた。当時これとニコンのF4は私にとつて"きはめて特殊なカメラ" の印象が強かつたから。京セラコンタックスのRTSIIIといふ超弩級の変態(誉め言葉)カメラはまだ知らなかつたなあ。
 そこで撰ぶのは自動的にEOS10または100となる。扱ひはどちらも"中級機"で、今のひとには信じ難いかも知れないが、当時のカメラにはかういふ厳然とした階級があつたのだ。キヤノンやニコンだけでなく、ペンタックスにもミノルタ(さういへば最初のEOSを買ふ時、最後まで迷つたのはミノルタα-3xiだつた)にもあつた。
 上位機種や新型機種は下位機種や従來機種より優れてゐる、といふのが当時のカメラに対するおそらく共通した認識…感覚の筈で、これは必ずしも誤りではなかつた。理由は然程六づかしいものでなく、AF一眼レフは未だ完成には遠かつた。新しい機種には新しい機能が加へられ、それらは時に行き過ぎだつたり過剰だつたり、或は見当ちがひだつたりもしたけれど、確實な進化…変化があつたことは強調してもよい。
 そこでEOS100を撰んだ事情になると、先づ上位のEOS10が不恰好に見えた…いや不恰好は云ひ過ぎで、必要以上の大きさに思はれた。EOS1も可也り大柄な機体だつたが、あちらをさう感じなかつたのは、"プロフェッショナル向け"の裏打ちがあつた所為か。マウント側から見て左に配置された補助光装置のあしらひも興を削がれる感じがされた。詰りスタイリングの問題。
 もうひとつ、静音化に注力した初めての(少なくともごく初期の)機体だつたのも大きかつた気がする。AF一眼レフはモーターの集合のやうな物体だから、どうしたつて作動音がする。煩い。と云へなくもない。そこを出來る限り抑へこんだといふ触れ込みが、静粛を求められる場所で撮らない私のどこを刺戟したのだらう。そこに進化を感じたのかとも思ふがはつきりしない。
 兎に角、買つた。
 EOS1000と較べてやや重く、ボタンやダイヤルが充實してゐて、"解つてゐるひと"が使ふやうな印象を持つた。それで忘れ難い寫眞をたくさん撮つた、といへば恰好よいのだが、事實はさうでもなかつた。当時としては過不足なく非常によく纏まつた機種で、同時期の他社製(ニコンF-601/801やミノルタα-5xi/7xi、ペンタックスは何だつただらう)と比較しても最良の1台だつたと思ふが、当り前の優秀さで、のめり込める要素に欠けてゐたのか。結局旧い世代のEOS RT(デッドストック品を見つけたのだ)に買い替へる時、友人に廉価で譲つた。それからEOS5を追加して、どうも本格的にEOSで撮つたのはこの2台の頃だつた。
 数年前、その友人と偶さか会ふ機会があつて、訊いてみると手元にはあるけれど、まつたく使つてゐないといふ。デジタルカメラが既に實用に足るところまで進んでゐたからで、当然の判断だつたらう。それで使ふ見込みがないなら引き取りたいと話をすると、暫くして送つてくれた。幾ばくかを支払ふ積りだつたのに申し訳なく思つた。
 がらくた箱を探すとキヤノンのストラップがあり、アイピースを延長するアクセサリも見つかつたから早速取りつけた。レンズがなかつたので取急ぎEF50ミリF1.8IIを廉く手に入れた。キヤノン製のUVフィルタまであつたのは何故だらう。カメラの格を考へればちと物足りなく思はなくもないが、目くぢらを立てることもないでせう。それに組合せると見た目はそんなに惡くもない。電池を入れたら動いたのに驚き、フヰルムを通したらちやんと寫つたのにまた驚いた。前述の友人の元では死藏されてゐた筈だつたから。ファインダの一部で液晶洩れが起きてゐるのに気づいたが、大した問題ではない。
 それで暫く使つてゐると、自動焦点が動作しない症状が出てきた。かういふカメラは動作のどこかが止まると、シャッターが切れなくなる。矢張りこのあたりが電気カメラの限界か、併しをかしいと思つてよくよく確かめると、EF50ミリのヘリコイドに引つ掛かりがあつたのが解つた。廉価なレンズだもの、耐久性に目を瞑つた設計になつてゐても不思議ではないなと妙に納得した。
 そこでここからどうするかといふ問題が出る。古いカメラを意図的に使ふのなら、同時代のレンズを撰ぶのが一ばん正しい。ライカで云ふと私と同世代はM4の117万番台で、これはいつか手に入れたいのだが、(最初に)合はすなら同年のズミクロン50ミリ以外の撰択は考へられず、同じ考へ方がEOSで成り立たない理由があるだらうか。勿論このまま使ふのを止めることだつて、方向のひとつとしてはある。以前にフヰルム式カメラは隠居すると宣言してゐる以上、寧ろ妥当な結論といつてもいい。いいのだが、自分で買つたカメラが10年余りを経て戻つてきたのである。これは例外と扱ひたい。扱ふのならちやんと使へる組合せにしておきたいと思ふのは人情であらう。
 無用に熱くなりましたね。
 落ち着きませう。
 同世代のレンズと云つてもキヤノンの場合、ある程度にしても(ライカの有名な番号表だつて、さうあてにはならない)信用出來る資料がない。なのでその辺りは目を瞑るり、EOS100を中心にしたシステムを考へてみる。考へるだけなら出費は伴はないから気樂なものだ。ただシステムといつたつて、今さら(乏しい)お小遣ひを注ぎ込むのは躊躇される。風呂敷を広げすぎるのは控へたい。
 先づ50ミリは矢張り慾しい気がする。ここではEF50ミリF1.4を挙げておかうか。キヤノンはこの画角に冷淡なのだよなあ。併し私に使ひ易い画角と云へば28ミリで、EFのF1.8とF2.8があるかあつたかした筈だ。おそろしく旧い型でシグマのF1.8があつたのも思ひ出したが、流石に今からの入手は無理があるだらう。
 折角のAF一眼レフなのだから、ズームレンズを無視するわけにはゆかないか。"10倍シリーズ"を受けて登場したEOS5で採用されたEF28-105ミリやEOS55にあはせて出されたEF24-85ミリは使ひ勝手のよい焦点域である。遡つて同20-35ミリ(だつたかな。自信がない)を撰ぶ手もある。
 廉価を優先するならシグマ28-80ミリやタムロン24-70ミリが候補に浮んでくるし、思ひ切つてタムロン28-200ミリを撰ぶ方法もあるだらうか。EOS1000を使つてゐた時、この初代モデルを手にしたことがあつて、焦点域の広さといふ便利と最短撮影距離の長さ(全域で2.1メートル!)の不便を共に實感したのは忘れない。第2世代以降なら心配はなからう。逆の思ひ切りでいへばトキナー24-40ミリを挙げてもいい。ニコンF4で使つた経験があるが好感を持つた1本である。
 何をどう撰ぶにせよ、主軸として使ふわけではないから、数は少ない方がよい。そこで手元のリコーを参考にすると、28ミリと50ミリ(どちらもペンタックス)、それから28-105ミリ(トキナー)の3本構成で、主役を張つてゐるのは28ミリ。成る程。これで大まかな方向が見えた気がする。先づEF28ミリ(F2.8があれば十分といふかF3.5でもいいくらゐ)を据ゑる。後は保険の意味で50ミリを含むズームレンズをひとつ。この組合せなら99%まで撮るのに不便は感じないだらう。我ながら名案ではないか知ら。時代遅れの銀塩カメラをぶら下げて近所を撮り、そのまま一ぱい引つかけるのは、決して惡い趣味とは呼べないと思はれるが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらうか。
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by vaxpops | 2017-04-12 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
 前回まあ"今後の方針"として3つの方向を考へたわけで、いづれにせよこの[いんちきばさら]をそのまま継續させるだけなのは無理と、さういふ結論は出てゐるのですが、ではどうするのがよいかまでは未定…詰り悩みの種のままでした。

 ただ悩みの種は別の方向から見ると樂しみの種でもありますな。

 たとへばカメラなりレンズなりを買はうと思ひついたとして、それが当人にとつて早急且つ必要不可欠なものでない限り、買ふまでの悩ましさは殆どそのまま樂しみでせう。それとこれが同じかどうか。似てゐるなあとは思はれます。

 尤もこの稿を用意してゐる現在、カメラもレンズも積極的に慾しいものはありません。現代の機材はどれもこれも使用に問題はなく、さうなると見た目の好みが大事になるのですが、一目惚れに足る機種が…いやこれ以上は云ひますまい。

 話が逸れさうになつてきましたね。落ち着いてもとに戻しませう。

 そこで改めて確認すると、現時点での記事数は今回を除けば2,240件。多いか少ないかは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のご判断に任せます。
 使用中の画像容量は903MB強。アップロードした画像の容量が1枚あたりがどの程度か、正確には知りませんが、精々が1MBくらゐか知ら。

 成る程、さうなると今暫く悩む樂しみを味はへる余裕もないわけではないのだなあ。といふ流れから暫定の方針として

・記事数2,500件

・画像容量の上限

 上記のいづれか…画像なしの記事だつてあり得ますから、件数と容量が矛盾する心配はありません…を満たすまで、[いんちきばさら]は継續とする方針でいかうかと、一応つきで考へてゐます。但しパーソナル・コンピュータへの信頼感が著しく落ちてゐる現状、従來のやうなほぼ毎日の更新は六づかしからうなあ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏がこまるとは思へないけれども。

 正直なところ、この判断が最良またはそれに準じるのかどうか、迷ひがあるのは事實。この際だから距離を置くのも方法だよと意見してくれた友人もゐて(尤もテクストは私の表藝と幾度も宣言してゐるし、主要な娯樂でもあるので、残念ながら採用には到らないのですが)、中々に悩ましい。さういふ迷ひ或は躊躇ひを含みつつ、[いんちきばさら]は前述の條件を考慮しつつ、暫定的に再開を致します。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、その辺りを含みつつ、改めてお付合ひを御願ひ奉ります。
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by vaxpops | 2017-04-09 19:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)