いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

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マンマ・ミーヤ!

 ナポレターノは大体のところ、ナポリ人とかナポリ風の意味で用ゐるらしい。この浮気者のナポレターノめ!といふ風に使ふ。のが正しいのかどうか、私には判らないけれど。そしてナポレターノが浮気者なのかは別の話として、ナポリ人に云はせると

「スパゲッティにケチャップを使ふなんて、信じられない。マンマ・ミーヤ」

と掌を上に向けるだらうとは容易に想像出來る。ここで『グラン・ブルー』でジャン・レノが演じた伊太利人ダイバーのエンゾとその家族には、ママが作つたスパゲッティしか食べてはいけない決り事があつて、陽気で傲慢な男が頭を抱へる場面はユーモラスだつたのを思ひ出した。勿論その場面は映画的な誇張を含んでゐるとしても、伊太利人…もつと狭めてナポリ人に、さういふ傾向はあるのだらうな。

 伊太利人、ナポリ人が口を揃へて云ふのは、スパゲッティに用ゐるのはトマトで、ケチャップぢやあないよといふことで、南欧産のそれをたつぷり使ふのだらう、旨さうだなあ。
 そこで考へると、伊太利人がトマトに出会つたのはさほどに古い話ではないだらう。あの果實は南米アンデスが原産で、欧州に入つたのは16世紀初頭。初めの頃は鑑賞目的だつたらしく、食用に転じたのは18世紀になつてからだといふ。
 なんだそれなら随分な歴史があるよ、それはと我が親愛なる讀者諸嬢諸氏が呟きを洩らしさうだが、イタリア半島…もつと広く地中海史を含めて眺めれば、ごく最近の出來事と見る方が實体に即してゐる。トマトはたつた200年で伊太利人の舌と胃袋を掴んだ食べものだと見立ててよい。参考までに我が邦に渡來したのは17世紀後半。4代家綱の治世下らしいから、食べものとしてではなかつただらうな。どんな顔つきで鑑賞してゐたのやら、気にならなくもない。

 トマトは温度や湿度に割りと敏感ださうで、今の栽培家は栽培の要件を把握し、また利用して糖度を高め、或は加工向きにし、生食用や加熱用、その他、諸々の品種を育てるといふから、アンデス人も歓ぶかはさて措き、不満は出ないだらう。
 この野菜乃至果物(分類的には茄子の仲間ださうな)を併し巧妙に使つてゐるのは、伊佛両國ではないかと思ふ。16世紀の欧州は所謂"大航海"の時代…即ち葡萄牙と西班牙がうんと威張つてゐた筈で、エンリケとかフェリペとか、さういふ名前に聞覚えがあるでせう。航海者は総じて勇猛或は粗暴、無謀でまた、貪婪でもあつた。肉塊を太い指で千切り、巨大な顎で骨ごと噛み砕くやうにかれらは世界を奪つた。我がトマトもその中に含まれてゐたのに疑ひの余地はない。よくも潰れなかつたなと思ふ。

 但し我が邦に根づいたナポリにトマトは使はれてゐない。念の為に云ふと、ナポリ人を指すのでなく、ナポリタン・スパゲッティの意味。
 まつたく奇妙な食べものだね、あれは。
 意図的にうで過ぎた麺をわざわざ炒め直し、大量のケチャップで和へるといふ料り方は、ナポリ人伊太利人の頭には浮ばない筈で、これは伊丹十三が罵倒した"炒め饂飩"の姿である。注意書のやうに云へば、麺を炒めるのは元々、余つて仕舞つたのを改めて使ふ時の方法。うでたら素早くお湯を切り、バタとチーズで喰ふのが本來なのを思ふと、改めて奇妙な食べものだなあと呟かざるを得ない。
 ところが、うまい。
 本筋のアル・デンテで茹で、炒めず、トマトでに仕立てたナポリタン・スパゲッティがあるのかどうか、私は知らないが、仮にあつたとしてそれをナポリタン・スパゲッティと呼んでいいのか、甚だ疑問が残る。乱暴に云ふとまづい麺を旨く食べる工夫の成果があのひと皿ではないか。褒めてゐるのだよ、これは。日本式のナポリタン・スパゲッティは亞米利加由來…いや適切でないな、由來ではなく要因といふか引き金なのだもの。

 米軍に占領された日本では食料に統制が掛けられた時期があつて、兵隊に用意された糧食が出回つた。兵隊の食べものだから碌でもなかつたのは用意な想像でせう。然も米軍のそれである。満腹になれば宜しい、程度だつたにちがひない。
 伝説によると、兵隊が啜るケチャップを和へただけのうでスパゲッティを見た横濱の某ホテルの料理長が

「あれは貧相だし藝も何もない」

と玉葱やピーマン、ハムなぞを混ぜることを考へたのが我が邦のナポリタン・スパゲッティの原型であるらしい。創意工夫といふより、占領者への憐憫と反發が絡まつたやうに思へるのは、こちらの僻目か。

 スパゲッティが広まりを見せるのは、1950年代に入つて製粉の統制が解除されてからだらう。但し伊太利式の調理法までは無理だつた筈で、製粉会社を責めるわけにはゆかない。それに麺を茹でて食べるだけなら、饂飩があり蕎麦もあつて、我われの近いご先祖が

「なーんだ、そんなら(調理は)六づかしくなささうだぞ」

と勘違ひするのもやむ事を得まい。おそらく茹でて素早く啜り込む式が成り立たなかつた…少なくとも随分と遅れたのは併しこの時期が原因と思はれる。立ち喰ひ蕎麦の茹で置きと同じやうに扱つてかまはないと誤解されたんではなからうか。
  もうひとつ、焼そばの影響も考へられさうな気がする。茹で(置きの)麺を鐵板で炒め上げる調理法は、おそらくこちらが先で、安直にスパゲッティを食べる上で参考にされた可能性はありさうだと思ふのだが、どうだらう。焼そばはの味つけはウスターソースだが、骨格は似てゐるでせう。ケチャップになつたのと具材は、前述の料理長が編み出した作り方の変形乃至応用にちがひなく、詰り天辺と底辺が、日本のナポリタン・スパゲッティの両親だつたと見立てたい。

 うで過ぎの麺。

 玉葱。

 ピーマン。

 マッシュルーム。

 ハムの切れ端かソーセイジ。

 かういふのを塩胡椒で一ぺんに炒める。
 ケチャップは品下るくらゐ、たつぷり。
 お皿に盛つてから、好みならチリーソースを少し計り。
 後は粉チーズをどつさり。

 用意するのはどれもこれも、廉価なもの…罐詰や壜詰で十分である。それはどうも我慢ならないと思ふなら、チーズだけは贅沢をしませうか。塊を気張つて、削りながら食べればよい。なに、ホークで丁寧に巻いて、音もなく食べるなんてしなくても宜しい。これは伊太利發亞米利加経由の日本式麺料理なのだから、饂飩蕎麦同様、派手な音を立て、好き放題に啜つてかまはないのだ。

 ここで不安になるのは、かういふのをナポリタンと呼ぶのは、ナポリ人にとつて不本意ではなからうかといふことだが、何年か前に、日本のナポリタン協会だか何だかが、ナポリでナポリ人に日本のナポリタン・スパゲッティを振る舞ふ催しを開いた筈である。
 いい度胸をしてゐるよ。
 トマトを使はない、アル・デンテでもない、見たところどうやらスパゲッティの遠い親戚らしい麺を食べたナポレターノは、ジャポネーゼが何を考へてゐるのか、どうにも理解し難い顔つきになつてゐたが、掌を上に向け
「マンマ・ミーヤ!」
と大きく嘆かれなかつただけ、幸運だつたとも思はれる。併しもしかすると浮気者のナポレターノは、この催しを、女性に聲を掛ける切つ掛けとして活用したのか知ら。
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by vaxpops | 2017-05-31 15:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

一家言

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも必ず一家言がある。きつとさうにちがひないと、私は確信してゐる。詰り炒飯の話。ね。一家言あるでせう。たとへば私は焼き飯をほぼ同じ意味で用ゐるが、こんなところでもすすどい反論が出てくるだらうとは容易に想像出來る。

 ごはんを強火で炒めた食べもの。
 主な具には卵と葱を使ふ。

 炒飯を大雑把に定義したいとすると、これくらゐが精一杯ではないか。ごはんは熱いままか冷ましてからか。もつと云へば長粒種か短粒種か。卵は先にざつと炒めて仕上げに戻すか、ごはんと共に炒めるのか。味つけは塩と胡椒か、醤油か、豆瓣醤や甜麺醤か。具を他に加へるとして、どこまでが認められるか。議論の種は尽きないもので、またかういふ議論は、結論を出さないのが正しくも望ましく、そして好もしい。

 米を食べる習慣がある地域では、似た調理法がある。土耳古のピラフ、西班牙のパエリヤを挙げればお判り頂けるでせう。
 但しピラフやパエリヤは、調理の最初にごはんを炊かない。生もしくは研いだお米を炒めて具とあはせ、それから炊きまたは蒸しあげる。さういふ料り方が土耳古や西班牙の風土や、そこに棲む人びとの口に適つたからさうなつたので、私たちは、ははあと思つておけばよい。ヴァレンシアで野暮つたい赤葡萄酒をがぶがぶ呑みながらパエリヤを喰ふなんて、愉快な話ではありませんか。

 話がそれた。
 気にせずもう少しそれたままにしませうか。

 尊敬する檀一雄によると、イベリヤ人は烏賊や蛸の類を愛好するさうで、ごく小さな烏賊を墨も何も一緒くたに炒め上げたのや、蛸にオリーヴ油をあしらひ、唐辛子を用ゐた一種の酢の物があるらしく、實にうまさうでこまる。私は檀の文章を愛する者だが、何度その旨さうな一筆書きに迷惑を蒙つたか(どれだけ迷惑かは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ご自身で一讀なさい)葡萄酒でもサングリヤでも引つかける夜、かういふのをつまめたら、何の文句があるだらうか。

 そろそろ本題(詰りいつもの閑文字)に戻ると、炒飯に魚介類が加はるのを私は好まない。蟹炒飯や海老炒飯、もつと大きく海鮮炒飯の類。ああいつたのは温かいごはんとの相性が宜しくないと思はれる。海鮮丼よりばら寿司を好むのもさういふ事情があるのだが、もう一ぺん話をそらすと本題が失せて仕舞ふ。
 さういへばあんかけで仕立てるのも余り好きではないね。炒飯には先づぱらぱらしてもらひたく思ふのがその理由。ただ添へもののソップで少し湿らすのは許せる気がするから、この辺はいい加減としか云へないか。もうひとつ加へると、大きな具…たとへば鶏の唐揚げを使ふのは好ましくないと思ふ。炒飯の具は全体に混ざりがよくあつてもらひたいし、それらは中華鍋で炒めあげられる時、一体となるのが本道だらうと考へる。さういふ素早さ或は簡便さこそが炒飯本來の魅力ではあるまいか。

 さてそこでだ。私が望ましいと思ふ炒飯の姿は果してどうなのか、といふ疑問がここで浮んでくる。異論も疑念も無視して書くと

・ごはんは冷たいのを使ふ方がよささう。

・細かめに刻んだ玉葱を事前に、且つ念入りに炒めあげておく。

・濃いめの味つけの煮豚を刻んでおいて、炒めた玉葱と混ぜる。

・青葱は小口切りにしたのをたつぷり用意する。

・ごはんを炒める寸前のところで、卵を火が通りすぎない程度に炒めておく、

中華鍋を強火で熱くしてごはんを一気に炒める。味つけは塩胡椒。煮豚と玉葱を混ぜたのをはふり込み、火を止めてから卵を入れ、青葱を加へながらお皿に盛る。
 煮豚がなければ焼竹輪でも蒲鉾でもよく、色々混ぜたつて面白いでせう。金華ハムなぞを奢つてもいいけれど、さうなるとお米も水も卵も葱も塩も胡椒も吟味の必要が出てきて、気樂に食べにくくなつて仕舞ふ。
 盛る時にお椀の型にするのが炒飯の流儀といふか礼儀といふか、そんな感じがされるが、折角ぱらぱらになつたのだから、あんまり堅く詰めるのは宜しくなからう。お皿に投げ出すやうにならなければよしとしませうか。

 さ。話はここからが、が親愛なる讀者諸嬢諸氏に叱られさうな方向になる。私が未だ丸太少年だつた頃、炒飯…いや我が家では焼き飯と呼んでゐたな…は週末のお昼ごはんで出されることが多かつた。家の焼き飯なのだから特別でも贅沢でもない。卵と葱と安もののハムの切れ端が精々の具のそれに、ウスターソースをかけるのが"当り前の食べ方"だつた。

 いやそこの貴女、呆れた顔をしないで下さい。

 ウスターソースをかけるといつても、コロッケ相手のやうなざぶざぶでなく、匙に垂らしてからである。炒飯の一部にウスターソースの味を加へてゐる具合で、先刻から繰り返してゐる"折角のぱらぱら"は無駄にしてゐない。その筈である。家の焼き飯が薄味だつたから、かういふ習慣になつたのか、そもそも"焼き飯はウスターソースで食べるのだ"といふ考へだつたのか、その点はもう判然としないけれども。

 ここで思ひ出すのは、私が汁かけごはんを好む事實で、お茶漬けも味噌汁かけも水飯もうまい。炒飯…ではなかつた、焼き飯にウスターソースを当り前とするのも、その応用もしくは変形ではないかと疑念がたつた今、浮んできた。先にも書いた添へもののソップで湿らすのも、そのひとつの顕れだらうか。最近では匙で酢醤油(あれば大蒜のすりおろしも)をこさへて、ウスターソースよろしく垂らしもするから、身についたといふより、身に染み込んだ食べ方なのかも知れない。

 かう書くと、一家言ある我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、傍から見れば独自に冩る作り方食べ方があるのではないかと思ひ当つた。いやきつとあるにちがひない。魚醤は欠かせないとか、チリーソースを隠すのがこつだとか、具にトマトやレタスを使ふのがいいとか、卵は混ぜずに後からあはせるとかありさうで、様々の炒飯が一堂に会せばさぞ壮観だらうな。さういふ博覧会があれば参加せざるを得ないと確信出來るが、もしかすると炒飯の融通無碍で満腹になつて仕舞ふかも知れない。
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by vaxpops | 2017-05-30 06:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

指示代名詞で進めれば

どこからどう見ても、あの果實に似てゐない。

そのくせたれも、文句を云はない。

どこからどう食べても、その味はひがしない。

そのくせたれも、おいしいと云ふ。
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 名前と姿と味が一致しない食べものは色々とある筈だけれど、さういふ食べもの群で勝抜き戰をしたら、どんなに番狂はせがあつても、これが決勝戰に進出するのは疑ひの余地がない。さう云へばこれには様々のヴァリエイションがあるから、それだけでも撰手権が開けるかも知れないなあ。チョコレイトのチップが散りばめられてゐたり、カスタード・クリームが入つてゐたり、私は見たことはないが、餡入りのもあるさうだ。どれもこれも、名づけの元とまつたく繋つてゐないのが、何となくをかしい。こんな食べものが他にあるのか知ら。

 さう滅多に私は食べない。あまいものを積極的に求める習慣がないからだが、偶に何の弾みか慾しくなることがある。体が慾しがつてゐるのだから、逆らはうとは思はない。酒精と同じで体が慾しがる分まで我慢するのは寧ろ不健全な態度ではなからうか。尤もこれと酒精が同時に慾しくなるわけでなく、この場合は罐珈琲がよい。普段なら砂糖もミルクも要らないのだが、またしてもこの場合だと少々甘めの方が似合ふ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には異論もあるだらうが、かういふ話に、自分の好み以外の基準を設けるのは六づかしい。その度私は、あの果實に似てゐないなあと思ひ、またその味はしないけれど、中々うまいものだとも思ふ。

 さう、メロンパンの話。
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by vaxpops | 2017-05-27 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

無念

 佛語の綴りは croquette 、蘭語綴りだと kroket になる。日本語を同じ伝で綴ると korokke ださうで、發音はクロケットまたはコロッケ。潰した馬鈴薯またはベシャメル・ソースに挽肉や玉葱や魚介を混ぜ、衣をつけて揚げた食べものと、大雑把には定義出來るらしい。我が邦で馬鈴薯が基本なのをコロッケ、ベシャメル・ソースを基本にするとクリーム・コロッケと呼び分けてゐるね。ただ日本流のコロッケには南瓜だの肉じやがだのと変種が数多くあるから、一概にどうかう云ふのは六づかしい。さう云へば『檀流クッキング』(檀一雄/中公文庫)には"大正コロッケ"といふ、おからと魚の擂り身で作るコロッケが紹介されてゐて、これが中々旨さうであつた。気になる方はご自身で一讀なさい。損はしないと請け負ふから。

 併しそのクロケット乃至コロッケがいつ頃、どの辺りで生れたのか、もうひとつ、はつきりしない。日本コロッケ協会といふ権威ありげな団体のサイトによると、"1872年 文献にはじめてクロケットが登場"…日本でいへば明治の4-5年にあたる…と記載があるが、肝心の文献が西洋のそれか、日本のものなのか、触れられてゐない。困るなあ、これでは。併し同じサイトの1887年のところに、注意書として"オランダには1909年にフランスからクロケットが伝來した記録が残つてゐる"とあるから、そこまで古い料理ではなささうである。因みにクロケットの來日は明治20年。西暦だと1887年らしいから、蘭人よりざつと20年前に我らがご先祖(の一部)はクロケットの味を知つたと考へられる。尤も庶民に持て囃されるまでに30年ほど掛かりはしたけれど。

 ものの本によると(かう書くと池波正太郎風になるね)、我が邦でコロッケが大流行したのは大正年間らしく、ビーフ・ステイク、とんかつと並んで"三大洋食"と称された中でも一ばん高級品だつたさうだ。おそらく種を用意する手間の分がそのまま、値段にはね返つたのだらう。上手下手を問はなければ肉を焼くのは原始的な手法だし、カットレットは天麩羅の技術が応用出來た。クロケットだつて天麩羅の応用と見られなくもないが、種に限ればさうとも云ひ難い。近いところを考へれば掻き揚げが浮ぶとして、いやそれは無理やりな感が強いか。我われのご先祖は甘薯を(ある程度)大事にした経験はあつても、馬鈴薯の料り方は詳しくなかつたらうし、まして乳を使つたソースなぞ、あることすら知らなかつた筈だもの。

 裏を返すと種を作る手法を把握すれば、後はフライの技術がものをいふだけになる。クロケットがコロッケになつたのはおそらくここからで、大正から昭和初期にかけてがその時期だつたのではあるまいか。これは傍証に『断腸亭日乗』(永井荷風/岩波文庫)の記述を挙げてもいい。具体的な献立には欠けるけれど、大正末年から昭和に掛かる頃、この小説家が足を運んだお店(中には怪しげな、けしからぬ場所もある)を見ると、洋食を供してゐたとおぼしき名前が散見される。キュイラッソオを一盞、小星と傾ける伊達者が洋食を食べなかつたと想像する方が寧ろ無理といふもの。かれが食しただらうクロケット或はコロッケは馬鈴薯型だつたか、ベシャメル式だつたか、さういふ記述が見られないのは残念である。

 荷風山人が銀座のカッフェーでけしからぬ素性の女と遊んだ頃から20年もしないうちに、ところが我が邦は戰争の途を撰んだ。阿房な眞似の出來たものだと後世の私には思へてならないが、この時期コロッケ…だけでなく、洋食全般は潰滅に等しい状態に陥つただらうことはほぼ確實でせう。お米も野菜も味噌も醤油もお酒も配給で、コロッケも何もあつたものではない。明治に訪れ、大正に人びとを熱狂させたコロッケは、半世紀余りで一ぺん、駄目になつた。吉田健一は何度か、戰中戰後の食事が如何に貧相だつたかを記してゐて、大宰相の伜でもと意外を感じたが、あの首相は戰中、軍部に睨まれてゐたことを思ふと、不思議でもないか。吉田は英國に馴染みが深いひとだつたから、ベーコンやママレード、或はスモークト・サモンから引き離されて辛かつたらうな。

 併し今も洋食はあり、洋食屋は繁盛し、そしてコロッケは私を喜ばせる。コロッケの復活劇があつたからさうなるのだが、それがいつ頃から…"喰へればいい"から脱却出來て以降の筈…なのか、どうもよく判らない。ただ原型になるものは進駐軍がもたらしたと考へられるから、戰後間もない時期、特定の場所でささやかな回復が始まつたと見るのは誤りではない。昭和20年代の後半から、食べものの制限は順次解除されてゐて、餓ゑをしのげれば満足な時代も、この辺りから徐々に終焉を迎へたのかと思はれる。といふことは、昭和30年代過ぎからコロッケも本格的な復活に向つたのではなからうか。ちよいと洒落て、高級な洋食だつたコロッケが、ありふれたお惣菜に変化を遂げるのはこの間で、私にも我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも馴染み深いあの形とあの味は、實にナポリタン・スパゲッティと並ぶ近代洋食なんである。

 ナポリタン・スパゲッティについては後日に稿を改めるとして(詰り一ぺん、書いてみたい)、どんなコロッケが望ましいだらう。近代洋食の目で見るなら、馬鈴薯に挽肉と玉葱で仕立て、ウスター・ソースで平らげるのが基本中の基本かと思へる。フライものの揚げたては"何もつけない"のだと主張するひとがゐて、概してそれは正しいのだが、コロッケに限つては例外で、最初からソースを使ふのが宜しい。
 では遡つて大正の紳士淑女やモガ・モボを夢中にさせた原日本式コロッケはどうだつたのか知ら、と思ふのは人情の当然であつて、少し調べてみた。基本的には現代のそれと大きなちがひはなささうだが、『軍隊調理法』といふ本(明治43年發行/國立國会図書館のデジタル・アーカイヴで閲覧出來る)によると、今のコロッケより種はやはらかさうで、ソースに触れてゐないところから味つけも濃いめのやうだ。別のサイトを見ると、種に最初からドミグラス・ソースを混ぜ入れるといふ記述もあつて、可也りふはつとたした仕上りになるらしい。揚げるのがたいへんだらうなあ。併しかういふコロッケが鎮座し、トマトやセロリやレタス、シュリンプ・カクテルに彩られたお皿が登場することを思ふに、何とも云へない昂奮を感じて仕舞ふ。葡萄酒でも奢つて、荷風式のモダーンな気分を満喫したいところだが、私にはけしからぬ素性の小星がゐない。無念。
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by vaxpops | 2017-05-25 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

簡便で旨いアレ

 気温が高くなつてくると食慾が失せるのは例年のとほりで、そろそろ素麺や冷し中華の類が主食になる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に
「丸太だつたら麦酒もだらう」
と訊かれるかも知れないが、そつちは年中欠かさないし、麦酒をもつて食事にするのは流石に私でも六づかしい。

 ここで余談。尊敬する内田百閒曰く、麦酒は冬に呑む方が味が締つてうまいらしい。本当かどうか確かめたいと思ふ瞬間は年に何度かあつて、どうやれば比較出來るのか。丸太程度の舌なら、そこそこ丁寧に注がれてゐれば、夏も冬もなく旨く感じるから、気にしなくてもかまひやしないだらう。余談ここまで。

 併し冷たい麺を啜りたければ、その前に茹でねばならない。面倒である。水で締めもせねばならず、矢張り面倒である。そんなくらゐ、面倒でも何でもないと感じるの方が寧ろ当然で、詰り不精者なのです、私は。水と独り身は低きに流れる。それで最近はもつぱら、豆腐に登場を願ふ機会が増えてきてゐる。かういふ書き方は豆腐に不本意だらうと推察する。申し訳ない。

 申し訳なくは思ふけれど、あんなに簡便な(それで旨い)食べものも中々見当らない。青葱の小口切りと生姜と醤油で基本は大完成する。生姜の代りに茗荷もいい。削り節もいい。醤油でなくぽん酢や辣油でもまた宜しい。天かすをたつぷり乗せ、山葵を隠しためんつゆでやつつけるのも旨い(たぬき奴と呼ぶさうだね。最近知つた)し、大根おろしを奢るのもよい。この場合、他にも色みがないと些か寂しいか。或はセロリや大葉や胡瓜やキヤベツと一緒にサラド仕立て…ぽんで酢で十分うまいと思ふけれど、贅沢が許されるなら梅酢を使ひたい…にすれば、ちよつとしたおかずにもなる。火を使はずにこれだけ出來るんだから、こんなに嬉しい話はないやね。

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 火を我慢出來るくらゐの余裕があればささ身をうがいたのを加へるのも旨い。この場合、ささ身には棒々鶏のやうな濃いめの味噌を使ふのがよささうに思ふ。それだけだとしつこいと思はれる方は、柑橘の皮をひとへぎ、添へれば、口当りがさはやかになるのではないか知ら。
 温奴といふのもある。温奴は豆腐をゆるく温め、同じく温かいたれと紅葉おろしと刻み葱に針生姜を添へてやつつける。湯豆腐のやうに熱くしないのがどうもこつらしく、温かいのからひんやりしたところまで、微妙に変化するのがよい。冷たいもの計りでお腹が冷えさうな時に恰好の食べ方だと思はれる。豆腐を熱く仕立てるなら、紅葉おろしでなく、大根おろしをたつぷり用意するのが好もしからうな。
 も少し手間を掛けてよければ、種なしの味噌汁を用意して、冷しておかう。心もちうすめにしておけば、宿酔ひの朝にまつたく嬉しいお椀になるが、やや濃いめに仕立てて、豆腐に青葱と茗荷と胡麻をあしらへば今度は肴になる。凝れるひとは宮崎や宇和島に倣つて冷や汁風にしてもいいでせう。あんなに夏向きの汁ものはなくつて、暑い季節には暑い地域の食べものを、といふのは世界に散在する数少ない眞實のひとつなんです。

 ところで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。それぞれのご家庭に旨い豆腐の食べ方がきつとあつて、貴女がきつとそれをにこにこしながら食べてゐるだらうと既に予測は出來てゐる。そこで私が何を申し上げたいかはご想像のとほりなので、ええ、その辺りをひとつ、宜しくお願ひしますよ。

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by vaxpops | 2017-05-22 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

久しぶり

 暫く機会に恵まれなかつたけれど、久しぶりに外で呑んだ。嬉しかつたので、今回はその話。

 呑んだのは麦酒を二はい。それからなだらかに冷や酒移行するといふ基本に忠實な流れ。焼酎や葡萄酒やハイボールが基本に忠實でないのかと云ふと、決してさうではないのだけれど、何をつまむかを考へれば、麦酒で喉を潤してからお酒を味はふのが最も安定する。
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 先づ食べたのは玉子焼き。
 見てのとほりしらすが乗せられ、大根おろしが添へられてゐて、中々宜しかつた。厚焼き玉子に大根おろしの組合せをたれが思ひついたのか。天才的な發想ではありませんか。
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 それから鯵の天麩羅。
 ぽん酢と大根おろし。ひつこいのかさつぱりなのか、はつきりしないのがいい。些か少なさうに思へさうだが、何しろたつた百八十円だもの。文句を云ふ筋ぢやあない。
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 更に合鴨のロース。
 山葵醤油でやつつける。これを後半に持つてきたのは正解だつた。獸肉にしては割りと淡泊で、併し食べてゐる感はしつかりある。ささ身の梅肉和へと並んでお酒に適ふ肉かと思へる。

 鱈腹喰つて、勿論呑みもして、酒席は矢張りかうでなくちやあいけない。まつたくのところ、満足をしたのだが、その分だけきつちり宿酔ひになつた。何と云ふか、一種の不条理ではないかとも思はれるのだが、たれかお酒と宿酔ひについて、哲學的な考察をしてゐないものだらうか。
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by vaxpops | 2017-05-20 20:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

明治めし

 日本人の文化的な意識の規範を遡ると室町の時代に辿り着くといふ説を目にした記憶があつて、確か司馬遼太郎だつたと思ふが、何しろ曖昧な記憶だからあてにはならない。そこは措くとして、ずいぶんと説得力に富んではゐる。今に残る建物や所作、或は藝能の根を探ると確かに室町人の姿が遠冩しに浮んできて、後を承けた織田豊臣徳川は300年余りをかけてそれを磨いてきたのかとも思へてくる。現代から見て最初のエポックだつたのではなからうか。わざわざ"最初の"と云ふくらゐだから、"次の"エポックがあるだらうとは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のすすどい推察を待つまでもない。

 ところで開國した我が邦が案外なほどスムースに西洋文明を受け容れ得たのは、その室町から江戸期いつぱいにかけて、流通を基盤にした経済圏が整へられたところに要因のひとつを挙げられないだらうか。ごく大雑把に云ふと、当時の日本は半獨立國の集まりと見立てられる。今で云へば欧州連合(あくまでも大把みの話ですよ)が近いと思はれる。詰り貿易があり、為替や相場があつた。米の代金が相場を作り、蝦夷地の密貿易で得た大陸の布切れが京大坂でいい商品になり、西のお酒や醤油が下り物として江戸で珍重されたやうな例は幾らでもあつて、これは非常に西洋的な(が大袈裟なら近代寸前の)光景である。殖産工業だの富国強兵だのといつた惹句は莫迦げてゐなければ痛切可憐なのだけれど、その惹句を掲げた我が邦が列強式の経済圏に(曲りなりにも)潜り込めたのは、室町江戸の長い準備期間があつたからだと考へても強ち無理とは云へないでせう。

 では(前近代的な)経済圏が出來てゐたといふのは何を意味、または暗示するのか。と疑問を抱くのは当然の人情で、私はそれを"生活圏の中では見られない品々"に馴れる契機になつた点ではないかと思つてゐる。どうやら世の中、隣近所では賣られてゐない(珍しい或はうまい)物があるらしいぞ。とは経済圏…流通網の確立と充實があつて感じられる筈で、その充實を地域で受け容れることで、緩やかな変化をもたらしただらう。詰り鎖國的と云ひながらも均質ではなく、更に異質が…質や量の多寡は問題ではない…流入し得た状態が300年續いたのが次のエポックに繋つたのかと思はれて、やつと話が今回の題名にも繋がる。

 "明治めし"といふのはこの稿だけの仮の造語だから、他で用ゐると恥をかく。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には注意して頂きたい。今の日本の食卓は遡れば明治の中ごろ以降に根があると思ふ。

明治27年 ウスターソース販賣(越後屋)
 ※日清戰争
明治32年 とんかつの原型誕生(煉瓦亭)
 ※東京大坂間に電話開通/現在の森永創業
明治36年 ケチャップの製造販賣(清水屋)
 ※藤村操自死/平民新聞創刊
明治38年 國産カレー粉の製造販賣(大和屋)
 ※旅順要塞陥落/日本海海戰

 コロッケは大正6年頃の大流行、マヨネィーズは大正14年發賣(キユーピー/当時は食品工業社)だから稍遅れてゐるが、ひと續きの流れと見て差支へはなからう。序でながら『西洋料理指南』『西洋料理通』と題された本が明治5年に刊行されてゐたから、その当時から(限られた階層ではあつたらうが)どうも西洋料理とかいふ食べものがあるらしいといふ噂…風聞はあつたのだらう。念の為に明治5年から27年にかけてを俯瞰すると、廃刀令があり、西南戰争があり、大久保利通が暗殺され、鹿鳴館の莫迦騒ぎ、大日本帝國憲法發布とまことに慌ただしい。前途多難といふか先行き不透明といふか。

 併し國事多難とは云へ、多難だつたのは未だ政府の豪いひとだけだつたとも推察出來て、日本人全体が惨烈な状況に巻き込まれるのは日露戰争からだらう。庶民が近代的な意味での國民になつた切つ掛けとも呼べるわけだが、かういふ話は私の手に余る。詳らかなところは近代史の研究家に任せるとして、その間、庶民乃至國民はしぶとく新しい食事を受け容れ續けた。前段で触れた経済圏と流通網による変化が予習になつたのだらう。更に単に受け容れただけでなく、それを自分たちの舌に適はす工夫も怠らなかつたことは特筆してよいと思ふ。
 コロッケやとんかつ、カレーライスにハヤシライス、オムレツに種々のフライ、煮込みの応用でもあつたらうシチュー(ごく初期の紹介は大正13年頃らしい)は無名の人びとの工夫…或は喰ひ意地の發露であつた。前時代には無かつた食べものを半世紀掛けて、現代のごく当り前に変化…昇華させた原点が"明治めし"で、これをエポックと呼ばない理由は見当らないでせう。我われはこの"明治めし"を生み出した先人にふかく謝意を示さねばならないだらう。そこで気になるのは具体的にどんなものだつたのだらうといふ点で、たとへばかういふ記述がある。

「葱1茎、生姜半箇、蒜少計を細末にして牛酪大1匙を以て煎り水1合5勺を加へ、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙等のものを入て能く煮、後カレーの粉1匙を入煮る。熟したるとき塩に加へ又小粉大匙2水にて解きて入るべし」

 前述の『西洋料理指南』に書かれてゐるカレーの作り方(表記はこの稿にあはせて変更してゐる)で、鯛や牡蠣は兎も角、赤蛙を用ゐるのには少々驚いた。まさか全部を一ぺんに入れるわけではなからうな。中國料理では蛙を田鶏と称するから、鶏肉が手に入らない時の代用だつたのか知ら。牛酪は今で云ふバタ。上の手順を現代文風に訳すと

①細かく刻んだ葱と生姜と大蒜をバタ(大匙1)で炒める。
②そこに水270ミリリットルを加へ、鶏や海老、鯛、牡蠣、赤蛙なぞを入れてよく煮る。
③カレー粉1匙を加へる。
④煮えたら塩、それから小麦粉(大匙2)を水で溶いて入れる。

となつて、中々旨さうである。文明開化のごく浅い時期にこれだけの指南書が書けたのだから(實際葱を玉葱にすれば現在のカレーと殆ど同じくらゐに思はれる)、大したものではないか。当時の手順に忠實な"明治めし"…カリーだけでなくクロッケットやカットレットも…を用意するお店があれば、是非にも通つてみたいものだ。平らげるだけ平らげて、我われは室町人や明治人のやうなエポックを作れるのだらうかと、がつくりする心配があるのだけれど。
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by vaxpops | 2017-05-16 17:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

ソース焼そば探偵

 焼そばと聞くと小腹が減つたと思ふ。減つてゐなくても思ふことがあるから、一種の條件反射なのかも知れない。どこにその條件があるのか、判らないけれど、浮んでくるのは大体、鼻孔をくすぐるウスターソースの香り、豚肉の欠片か赤いウインナー、キヤベツ、毒々しいくらゐの紅生姜、それから親愛なる讀者嬢に会ふ前には困らされるにちがひない青海苔。或は鐵板の隅で焦げついた麺を含めてもいいか。あれはあられみたいで旨いんだよ。…と書いて思つたのだが、どうやら"私の焼そば"の印象は、屋台で賣られる安つぽいソース焼そば"にほぼ等しいみたいだ。塩味や醤油味仕立て、あん掛け、堅焼そばの立場はどうなるのだと叱られさうで、併し私の印象…即ち思ひ込みだからどうにもならない。

 正確さは保證の限りではないとして、原形は中國の炒麺(チャーメン?チャオミェン?)であるらしい。炒めるか揚げるか焼くかした中華麺に具を加へるか、あんにして掛けるかする調理法ださうで、前述の塩または醤油またはあん掛け乃至堅焼そばが近縁にあると考へていいでせう。さうなると我が邦と中國の焼そばを隔てたのは、ウスターソースと見立てて間違ひにはなるまい。ざつとしたところ

・19世紀初頭 英國で偶然發生
・19世紀前半 素早く英國で商品化
・19世紀末期 明治中頃の日本で量産開始
 (試作はもつと早かつたらしい)

といふ流れらしく、どう長く見ても100年経たず日本に入つたと考へていい。案外と早いね。尤も醤油と味噌が左大臣右大臣を張つてゐた時代だから、ウスターソースの割り込む余地は当初、ごく狭苦しいものだつたにちがひない。
 ではいつ頃から受け容れられてきたのかといふと、はつきりしない。明治人にとつてのウスターソースは"西洋醤油"だつたらしいが、西洋人は日本人のやうにざぶざぶ用ゐはしなかつたから、そのままでは使ひ辛かつたと想像出來る。おそらく西洋料理から洋食への変遷と發展と受容に併せ(当時のハイカラな若ものがひと役買つたのは疑ふ余地がない)ウスターソースも醤油的に変化したとすれば、本格的な受容は明治末から大正年間辺りだつたと推測して誤りにはならないだらう。

 では日本の焼そばが誕生したのはどうなのだと疑問が浮ぶのは当然で、さうなると中華麺が入つてきたのはいつ頃だといふ話になる。すりやあずいぶんと古いにちがひない。だつて水戸人が
『我が邦で最初にラーメンを食したのは我らが光圀公にあらせられる』
と自慢するくらゐだもの。これが大体17世紀中頃の話。確かに古い。
 但し水戸人には申し訳ないが、ご老公が召し上つたのは明國風の汁麺だつた。記憶で書くと再現したそれは、具のない汁そばに小皿で幾種類かの薬味を添へたやうなものだつたから、原形の元くらゐが精々と云つてもいい。それに朱舜水(日本に亡命して水戸に在つた明國の遺臣。光圀公に例のそばを振る舞つたのはこのひと)は中華麺を自分で用意したといふから、これをもつて中華麺の受容とするのは無理がある。開國によつて清人が入つてきた辺り…詰り慶應から明治初年前後にかけてと見る方が正しからう。

 天麩羅を持ち出すと余談めくが余談にはならない。江戸の頃の天麩羅は現代風にいふファストフードのやうな食べものだつた。種を串に刺し、小麦粉の衣でのんびり揚げたのを屋台で(火と油を扱ふので、店を立てるのは禁じられてゐた。火事への対策または恐怖の顕れである)賣つたらしい。ひと串何文だかで小腹を満たす下々の樂しみだつたのだらうな。
 ちよいと羨ましく思はなくもないが、ここで注視したいのはのんびり揚げた点である。たつぷりの油を高温にして、素早く揚げられなかつたからとは直ぐに解ることで、詰り火力の問題。この問題の解消と天麩羅の技術の融合がとんかつやコロッケや海老フライ、即ち洋食に直結するのだが、それはこの稿の話題ではない。

 さてここで思ふのは、炒麺乃至焼そばを作るのだつて、大きな火力が必要だらうといふこと。炒麺焼そばに限らず中國式の調理と巨大な焔はほぼ一直線に繋がる印象なのだが、そちらはまあ、措きませう。
 そこで清國の料理人が入りこんできたのが19世紀半ば頃、ウスターソースの受け容れが半世紀足らず後の話とする。とんかつが誕生したのは明治の末くらゐで、詰りそれ以前に大火力の問題は目処がついたと推測出來る。江戸人が食べたであらう和食は文明開化と大正モダンで変質乃至滅亡したと考へてよからうから、ソース焼そばが登場する條件は整つてゐたと見ても間違ひではない。さう私は睨む。割りといい線を引けたと思ふが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、如何だらうか。

 併しその先になると判らない。中國風の炒麺と西洋式の調味料の組合せが、どの程度の格で受けとめられたのか。それがどう向上し或は下落したのか。またそれらはいつ頃のことなのか。推測したくても手掛かりが見当らないのだもの。それでもまつたく判らない、とまでは云へないか。おそらく最初からそんなに高い地位を得はしなかつただらう。明治大正の我が邦でモダーンな食事が西洋基点の洋食だつたことを思ふと、がんらいの日本の食事に関りのうすい、清人が英國のコートを羽織つたやうなソース焼そばは、些か分が惡かつたんではないかと想像出來る。

 洋食気取り。
 洋食もどき。

 この辺りの評価が精々だつたらうが、決してまづくない。豪勢な具の用意を諦めれば、鐵板ひとつで廉価に作れもする。但しこれを不幸不運と呼ぶのは誤りで、私は落語を思ひ出す。けちん坊な男が鰻屋の隣で匂ひをおかずに飯を喰ふ。屋台の親爺に匂ひ賃を払へとねぢ込まれた男は銭の音を聞かせて、匂ひ賃だから音でいいだらうとやり返すとかいふ噺で、鰻の匂ひが如何に食慾をそそるかがよく判る。焼鳥のたれやカレーも同様で、かういふ"匂ひをも喰はせる食べもの"は、金華玉楼で出されても、どこかしら味気ない。我らがソース焼そばが例外にならう道理もなく、屋台や夜店や扉を開け放つて営業する潰れさうな店の軒先から、ウスターソースの焦げる匂ひが漂ふから、條件反射的に空腹でもないのにさう勘違ひするにちがひない。うん、やうやく推理が纏まつた。これからお八つにソース焼そばを食べるとしませう。
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by vaxpops | 2017-05-14 16:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
 以前にも何度か話題にしてゐるが、気にせず書く。文章で口を糊する立場では六づかしからうとも思はれて、こんな時に素人は得をする。尤もプロフェッショナルだつたら、同じ種で一冊の本を書き上げられるかも知れず、さういふ本があれば一讀してみたい。詰りポテトサラドの話。

 ポテトサラドとは何ぞや。

 といきなりなところから話を始めるが、我われの多くはそれを、茹でた馬鈴薯を崩し、野菜や果物を加へて、マヨネィーズで和へたサラドの一種としてゐるのではないか。私はさうである。
 それで幾つかのウェブサイトを見てみると、微妙な差異はあるがおほむね、"茹でた馬鈴薯を主な材料とした"サラドとされてゐたから、ちよいと驚いた。マヨネィーズは必須でなかつたのか。併し"これぞ王道のつくりかた!"と題されたページでは具材(十)対マヨネィーズ(二)を黄金比と書いてあつた。キューピーが提供してゐるから、これでマヨネィーズを使はないのなら、そつちの方が寧ろ驚きだけれど。

 キューピーが主張する"王道の"ポテトサラドでは玉葱(薄切り)、人参(銀杏切り)、胡瓜(輪切り)にハム(短冊切り)を使ふ。マヨネィーズで和へたら塩胡椒で味を調へるさうで、これは確かに説得力がある。日本人が思ふポテトサラドの最大公約数ではないだらうか。他にもコーンドビーフに黒胡椒をあしらふ、鯖の水煮罐を使ふ、胡瓜やパプリカをピックルスにして混ぜ込む作り方の紹介もあつて、流石キューピー、どれも旨さうでこまる。

 そこで最初の結論。味変りのポテトサラドなら毎日でも宜しい。
 かう書くとたとへばマカロニサラドぢやあ駄目なのかと疑念を呈する讀者諸嬢諸氏もをられる筈で、さう断定は出來ないにしても、中々厳しいんではないかなと私は応じたい。それにマカロニの類ひなら、ポテトサラドの具に加へられるだらうとも思はれるのだが如何だらう。
 ここで前述の漠然とした定義が活きてくる。茹で馬鈴薯が主役のサラドであれば、ポテトサラドを名乗れる(可能性が大きにある)ことになつて、たつた六文字のカタカナが示す範囲はこちらが思つてゐより遥かに広い。僅か三文字のカタカナで大きな世界を示すカレーに近しい存在感(ポテトサラドの一部はカレー世界に含まれるのだが)と云つてよく、カエサル曰く寛容即ちクレメンティア…さういふ食べものと云つてもいい。

 但しポテトサラドがカレーと異なるのは、所謂変り種も十分に旨いのだけれど、結局のところはキューピー方式の"王道"に戻る点だらう。天麩羅だの月見だの冷しだのに舌鼓を打ちながら、矢張り最後はきつねうどんでなくちやあ締らないのと似てゐると思ふのは、どこかをかしいか知ら。譬へは兎も角、万人の認める基準があると云へば異論は出ないにちがひない。

 續いての結論。それでも細かな好みの相違は必ず發生する。
 一ばん大きくちがつてくるのは、おそらく(間違ひなく)馬鈴薯をどの程度まで崩すか、といふ点だと思ふ。私はペーストに近いくらゐの食感を好む。ごろごろ方式だと、折角の馬鈴薯が妙に堅く感じられるのが気に入らないからだが、これは馴染みの問題でもあるので念を押しておかう。
 もうひとつは果物を加へるか否かといふ点で、私の周辺では否定的な意見が多いのだが、私は好もしく思ふ。酸味のつよい林檎や八朔を少量入れると、その酸つぱさがポテトサラドの味をふくらまして呉れる。これもまた馴染みの問題と云へばそのとほりなのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏だつて、それは同じでせう。

 序でなので、もつと細かいところを幾つか挙げておくと、玉葱は生より炒めた方が望ましい。香りと歯触りが豊かになる。それからうで玉子も加へたい。堅茹でを小さく潰したの。目立たない程度で彩りがよくなる。またこれは変り種だよと批判されさうだが、枝豆も入れてもらひたいな。ペーストに近しい馬鈴薯好みには、これが歯応へになる。その代りと云つては何だが、人参は要らない。赤の色は隣にトマトを添へれば宜しい。問題はチーズとツナ罐だが、あれば喜ばしいくらゐで留めておかう。あれこれ入れすぎるのはポテトサラドの本來から遠ざかる。

 味つけは矢張りマヨネィーズを基本とする。少量の醤油を隠せば、風味は広がるだらう。色みが惡くなりさうなのが難点だから、別に用意するのが賢明かも知れない。ウスターソース(加へて三滴のタバスコ)やケチャップ、七味唐辛子、或は思ひ切つて味噌の類も同様で、最初の調味に用ゐるのではなく、その気になれば使へる準備をすれば宜しからうと思はれる。ポテトサラドはカエサルの云ふクレメンティアを体現してゐるから、さういふ調味料を受け容れる器がある。

 ただ何事にも例外はあるものだから、ポテトサラド(に用ゐる調味料)にもそれがある。即ち黒胡椒。私はがんらい胡椒の辛みをそれほど好まないのだが、羊肉とポテトサラドは別で、挽きたての黒胡椒との相性は抜群と云はざる得ない。そして黒胡椒を小皿に用意して振り掛けるのは望ましからぬとは改めるまでもなく、珈琲豆と同じく都度挽くのがあらまほしい。
 尤もポテトサラドといふ庶民的なおかずに、どこまで凝るのかと疑問は湧いてくるけれど。そしてこの疑問…黒胡椒ひとつに限らないが…は、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも提示して宜しからう。即ち、讀者諸嬢諸氏の愛するポテトサラドは果してどのようなものであるか。私はポテトサラド同様のクレメンティアをもつて、ご意見を伺ふ積りでゐる。
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by vaxpops | 2017-05-12 12:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

睨んだ

 ハムやソーセイジ、ベーコンの類は好物で、口にするたびに實に欧風的の食べものだなあと感心させられる。どこがどう欧風的なのか、自分でもよく判つてはゐないのだが、そこはここだけの秘密。併し我が邦のご先祖が獸肉を食べてゐたらうことは確かとして、遂にかういふ工夫に到らなかつたのもまた事實で、畜産に関はる技術の問題だつたのか知ら。
 考へてみると獸肉を育て食べるとして、広闊な土地と大量の牧草が必要で、そのくせ養へる人間の数はたかが知れてゐる。さういふ意味で牧畜は可也り贅沢な産業と云へるでせう。時間は掛かるし手間もあるけれど、同じ面積の土地で効率を云へば米に軍配が上るのは念を押すまでもない。獸に然程の興味が湧かなかつたとしても、責める理由にはならないだらう。尤も牛乳…正確には乳製品は別扱ひだつたらしい。醍醐の下賜があつたといふから、貴重な美味だつたのだらうな。

 ここで余談。醍醐味に名を残す醍醐はチーズとバタとクリームの中間的な食べものだといふ。どうもうまく頭に浮ばないが、私の所為ではない。元の文章がえらく曖昧だつたからだが、元の文章が惡いわけでもない。旧い記録から想像するしかなければ、曖昧になつたところで文句を云ふ筋でもないでせうさ。余談終り。

 下賜といふのは御門が臣に下シ賜ルものだから乳製品…即ち醍醐が珍な味とは公卿連にあつた認識とみては間違ひないでせう。そこで乳牛が死んだ後、それをどうしたのかといふ疑問が浮ぶ。簡単に棄てたと考へるのは正しいと思へない。乳牛の飼育は朝廷に専門の部署を設けるほどだつたことがあり、死を穢レとする感覚が余程に強かつたらうことを併せて思ふと、何かかにかの儀式的な行為はあつただらうと想像する方が理に叶つてゐると思はれる。
 尤もそれが表向きだつたのではないかと想像を重ねることも出來て、上代古代の穢レは死だけでなく血にも及んでゐた(神話の中で女性への軽侮またある種の畏れがあるのは、経血に対する穢レの感覚である)から、貴族或はもつと大雑把に支配者階級が乳牛の死骸を直接どうかうしたとは考へられない。卑賤の人びとが實事を請け負つたに相違なく、かれらが儀式に則つて次第を済ませ、果してそれだけだつたらうか。疑はしい。

 私が賎民だつたら喰ふね。
 間違ひない。
 但し喰ふとしても烹るか焼くが手一杯で、蒸したり揚げたり煮込んだりは無理だらうな。まして塩漬けにして保存するなんて、想像の埒外に相違ない。それに佛さまが來日する前は直会(讀みはチヨクカイではなくナホラヒ)で贄を捧げも…希臘の叙事詩で羊を割いてアテーナーやアポローンに捧げるでせう。あれに近いと思ふ…した筈だから、賎民の口には入らなかつたか。牧場官僚は案外、焼肉の味に親しんでゐたのかも知れないぞ。
 といふ想像をするに、ごく一部の例外は認めるとして、おほむね我が邦の食肉、ことに肉の加工の技術はまつたく貧弱だつたと推定して誤りではなからうと思はれる。ご先祖の食卓が肉料理に彩られなかつたのは残念。尤も考への方向を変へれば、獸肉に頼らなくても食事が成り立つ風土に恵まれたとも云へるのだが、そつちに重きを置くとハムにソーセイジ、それからベーコンの立場がなくなつて仕舞ふ。

 そろそろハム、ソーセイジ、ベーコンに話を移さう。これらには塩漬け、燻し、茹であげといつた作業がある。これらを一見すると、作つて直ぐに食べるものではないと判る。ソーセイジなぞは膓の容器まで準備する周到さの保存食である。
 まづかつたらうな。最初の頃は。
 きつと無闇にからかつたにちがひない。
 それで思ひ出すのはイベリアの山間部やドイツで、贔屓目に見ても農業だけで食事が成り立つ土地ではなささうである。細々しいことを考へる前に、餓ゑるよりましな目の前にゐるもの…牛や豚や羊…を工夫して保存しなくてはならない事情があつたのだなと想像したつて無理はなからう。
 すごいのはその餓ゑるよりましな程度から始つた食べものを、たいへんな美味にまで昇華させた人間の喰ひ意地である。塩や香草、燻す樹木の種類や量、ひとが掛けるべき手間、自然に任せるべき手間、さういつた事どもを一体に洗練させた執念深さは讃嘆(それとも驚愕)してもいい。ひとが棲み續ける土地には必ずその土地の旨いものがあると喝破した小説家はまつたく正しかつた。

 ここで中國風の類似した食べもの…叉焼や煮豚はどうなのだと、疑問が浮ばなくもない。
 たとへば(曖昧な記憶だが)金瓶梅の西門慶が鱈腹食べる珍味佳肴にさういふ一品があつて、それが殺風景な保存食ではなかつたのは当然として、そもも中國人に保存食の概念があつたかどうか。
 凶作と飢饉が貧民の大移動を生み、貧民が泥棒と強盗の集団となり、その親玉が起す革命に到るのが古代中國の政治史の骨格なのは改めるまでもなく、詰り最初に農業があつた。農業の場合、収穫物の保管が保存食に相当することを思ふと、獸肉を塩漬けや燻製にして飢饉に備へる考へ方は薄かつたんではないか知ら。

 翻つて我が邦の特に南方が中國式の食べものから強く影響されてゐるのは、豚の角煮ひとつを取つても容易に想像出來る。あれはまつたく素敵な食べものですな。大鉢に盛られた角煮と焼酎の組合せは広い意味の和食で、殆ど唯一、獸肉が主役なのではなからうか。そして豚の角煮はひどく時間の掛かる料理ではあつても、長期の保存を前提にしてゐないのは明かで、この伝播が日本式のハムやソーセイジ、或はベーコンに繋がらなかつた裏の事情。ではなからうかと私は睨んだ。睨めた切つ掛けは一ぱい呑んでゐた時のおつまみ…即ち焼豚の薄切りで、偶にかういふことがあるから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、お酒も惡徳計りではないのです。
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by vaxpops | 2017-05-11 09:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)