いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

G11-016

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古ぼけた壁に

 蔦。

 かう云ふ情景は、夏にこそ相応しい。

 蔦からむ 夏の湿れる 風に似て
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# by vaxpops | 2011-08-04 18:51 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-015

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夏の雲

 夏は厭ひだ。

 だけれど、夏の雲と麦酒は、その限りではない。
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# by vaxpops | 2011-08-04 15:20 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-014

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50ミリレンズ

 所謂「ザ・標準レンズ」

 写真を趣味にする以上、一本は持つてゐるのがよい。
 普段は使はなくても、これがあれば、いざと云ふ時、安心出来るから。

 尤も写真を趣味にして、どんな時がその「いざと云ふ時」なのかは、わたくしにも想像が六づかしい。
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# by vaxpops | 2011-08-04 11:44 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-013

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緑と水と

 かう云ふ情景を見掛ける事があるから、雨もまた惡くないと思ふ。

 わたくしはなんと、単純な男なのだらう。
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# by vaxpops | 2011-08-03 17:32 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-012

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夏の主食

 おほむね夏は、素麺、饂飩、蕎麦と冷し中華…でなければ豆腐。

 余つ程、舌が厳しいひとなら、食べるに価する豆腐を見付ける事じたい、至難の技に違ひないが、そんなのはわたくしの知つた話ではない。

 醤油や味付けぽん酢以外で、どうやつて豆腐を喰ふか、と考へるのは、夏に許された愉しみである。
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# by vaxpops | 2011-08-03 17:09 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-011

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モノクローム

 モノクロームの画像は、反則に近い。

 いや使ふべきではない、と云ふのではなく
「世界を階調に分解する」
見せ方は、それ自体に曖昧な説得力が含まれて仕舞ふから損だ、と云ひたいわけで。

 ほらこの画像だつて、モノクロームだから、曖昧に侘しいでせう。
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# by vaxpops | 2011-08-03 14:13 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-010

戯れ歌

 どこで目にしたか記憶に無いんだが、醜女(然し才女)をめとつた學者が、初夜を終へて

濁酒も 酒とおもへば 酒の味

と詠んだと云ふ。

 妙に味はひ深い。

 思ひ出した事に刺激を受けて―対抗するわけではないが

冷飯も 飯とおもへば 飯の味

と詠んでみたが、考へてみたら日本人は冷たい飯を喰ふのが当り前だから、ユモアも何もない。
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# by vaxpops | 2011-08-03 13:14 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-009

撰択肢

 さう云へばこのiida G11に機種変更した時、既にauからスマートフォンは発売されてゐた。
 確かIS03同04及び06が発売中で、IS05が発売寸前か直後かだつたと思ふ。
 だから機種変更の際には当然、スマートフォンも撰択肢にあつたわけで、事実、IS04は手続直前までいつた。

 それを思ひとどまつたのは
・操作性の不完全さ
・機能的な不完全さ
・携帯性の不自由さ
 に加へて、バッテリの保ちの惡さが矢張り我慢出来なかつた所為で、いやそれでも実は物慾を抑へるのは六づかしかつたんだが、あの地震があつて、兎に角、長時間の使用に耐へないと駄目だと云ふ結論になつたのだ。

 ではその中でこのiida G11を撰んだ理由は何か、と云ふ事になるのだらうが、その辺は別の話としておかう。
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# by vaxpops | 2011-08-03 10:22 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-008

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さう云へば

 iida G11に機種変更したのは4月7日―詰りこの端末の発売当日で、何を考へてさうしたのか、我ながらよく判らない。
 先代のW62CAを2年半近く使つて、飽きがきてゐたのは確かではあつたけれど。

 それでこのG11にして、最初に撮つた画像は何だつたかと思つて、microSDに移動したデータを確かめたらこれだつた。
 何の事はない、日清のきつねどん兵衛なのだが、これは関西版である。
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# by vaxpops | 2011-08-02 21:54 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-007

番号帯

 カテゴリ 番外携帯に割り振つてゐる番号帯は、基本的な番号と異なる構成にしてゐる。

 頭のG11は現行の携帯電話 iida G11で、その後ろに連番。
 別の端末でこのカテゴリを更新する場合、連番はそのままで、頭は使用した端末の型番になると思はれる。
 思はれると云ふのは、そこまで長く続く事を想定してゐないからだけれど。

 特殊な番号帯を採用したのは、云ふまでもなく、ライツ・ライカのもの真似。
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# by vaxpops | 2011-08-02 11:23 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-006

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枝豆コロッケ

 コロッケには醤油をわたくしは原則としてゐて…画像のはトースト乗せなのでソース…然し枝豆コロッケに限つて、味付ぽん酢の方がおいしい。

 まさか??

 さう思ふなら、一ぺん、試してみ玉へ。
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# by vaxpops | 2011-08-02 09:50 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-005

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近所の小さな花

 写真が趣味で、カメラを持つてゐて、被写体が見付からない…などと云ふ事は、ぜつたいに無いと思ふ。

 写真の出来は、後から反省したらいいぢやないか。
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# by vaxpops | 2011-08-01 17:40 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-004

事情

 ウェブログを始めたのは、携帯電話からであつた。

 要はその当時、パーソナル・コンピュータを持つてゐなかつただけの事で、何か思ふところがあつたが為、携帯電話を積極的に撰んだわけではない。何だか貧乏くさい話だけれど、事実なんだから、その辺はまあ諦めて頂かう。

 今回と云ふか今月は携帯電話で更新する、と決めたのは、さう云つたごく私的な過去があつて…いや単にその過去を思ひ出した、と云ふごく単純な事情の結果で、それ以上でも以下でもない。尤も何しろ久しぶりなものだから、これでどう遊ぶかまでは実のところ、まだ決つてゐない。
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# by vaxpops | 2011-08-01 15:04 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-003

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ヱビスビールありますセット

 残念ながらヱビスを毎日呑めるのは、桂三枝師匠くらゐなので、その代用。

 かう云ふモノに目敏いひととは、旨いヱビスで乾盃出来る…とわたくしは固く信じてゐる。
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# by vaxpops | 2011-08-01 14:15 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-002

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おびいこの湯漬け

 おびいこは縮面雑魚と山椒を醤油で炊きしめたもので、市販品と違ひ、まつたくあまくない。

 かうやつてご飯とあはすのが基本中の基本なんだが、お漬物(野沢菜や白菜)にまぶしたり、梅干と一緒に叩いたりすると、お米の親戚であるところの日本酒とも、相性が甚だ宜しい。

 おびいこは伊予言葉の親類で、「小さな魚」を意味する幼児語であるんださうだ。
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# by vaxpops | 2011-08-01 13:00 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

G11-001

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アグファ銘のトイデジタル・カメラ

 不便なトイデジタル・カメラは、工夫して使ふところに愉しみが潜んでゐる。

 写真を撮る、と云ふ一点で、それが大間違ひである事は、よく理解してゐる積りではあるけれど。
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# by vaxpops | 2011-08-01 11:23 | 番外携帯 | Trackback | Comments(0)

11092-0102 八月の名の下に

 数少ない読者諸嬢諸氏には、更新が滞つてゐる事を先づ、お詫び申し上げる。

 ―さう云ふ(奇特な)方がをられるとして。

 間もなく訪れるであらう八月は、きつちり、更新します。
 自分への制約は「携帯電話のフル活用」
 さて、一体全体、どうなる事やら。

 我が奇特なる読者諸嬢諸氏よ、わたくしと共に、スリリングな八月をお過ごしあれ。
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# by vaxpops | 2011-07-30 08:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
 ここでわたくしが云ふのは、カメラで使ふモノの話である。大雑把に、あるカメラに、そのカメラでは本来使へないレンズを取付ける為の輪つか…くらゐに考へてもらひたい。まあ、さう云ふモノが世の中にはあるのだ、くらゐでも特に問題は無い。
 このアダプタの意味合ひは大きくふたつに分ける事が出来る。ひとつはあるカメラのマウントが変更になつた時、旧マウントのレンズを新マウントのボディで使はせる事。ライツがL39ねぢからMバヨネットに変更した時に用意したL/Mアダプタや、旭光学がKバヨネットマウント採用の際に用意したM42ねぢ/Kアダプタが代表的と云つていい。云つてみれば「旧来のお客さまへのサーヴィス」であつて、たとへばFDバヨネットからEFバヨネットに変更したキヤノンはかう云ふモノを提供しなかつた。もうひとつは、気に入りのカメラで使へない気に入りのレンズを組合せる目的であつて、たとへばM42ねぢマウントのレンズを、L39ねぢマウントのボディで使ふ為のアダプタが存在する。今回、俎上に乗せるのは後者の方になる。

 元々かう云つたモノは、1台のボディで出来るだけ多くの種類のレンズを使ひたいと云ふ、涙ぐましい貧が底にあつたと思はれる。カメラが「大学新卒者の初任給何か月分の値段」だつた頃の話で、念押しをしておくとわたくしは流石にその世代ではない。要はカメラやレンズを買ふ―買はうと決める事が、今ほど軽やかではなかつた時代が、わたくし以前にあつたので、前述のL/MやM42ねぢ/Kアダプタは、メーカのサーヴィスであると同時に、ユーザの経済的な事情にもうまく合致してゐたと考へていい。メーカの思惑とユーザの需要が同じ方向だつた幸福な時代、と呼び替へてもいいだらうが、その辺の分析はわたくしの手に余る。と云ふ事はその(特に)ユーザの経済的な事情が解消されると、「アダプタの必要性」もまた、解消される。必要とされないモノを供給するメーカは無い。当然の話なのだが、メーカに誤算があつたとすると、ユーザには必要性が無くなつても、慾望は残(り得)る点を些かかるく考へてゐた事ではないか。
 勿論それを、ユーザの我が儘と理解する姿勢は間違ひではない。カメラはレンズがあつて初めて成り立つ機械なのだし、その双方を自社製品で揃へてもらはないと、儲けが減つて仕舞ふと云ふ理窟は、まつたくその通りと頷かなくてはならない。カメラが電気的に制禦されるやうになつたのは、自動化を進める為に必要だつたのは当然として、さうする事で、ボディとレンズの「好ましからぬ相互乗入れ」―云はば"乱交状態"を防止する意味合ひも含まれてゐたと考へられる。
 ところで実際問題として考へると、アダプタを使つて、ボディとレンズを乱交させるのは、頭の中で思ひ描くほど簡単な事ではない。無條件に無制限に使へない、と云ふ意味で、大まかな條件を挙げると

・ボディのフランジバックはレンズのそれより短くなくてはならない。
・ボディが一眼レフの場合、ファインダは絞込みになる。
・ボディの形式を問はず、測光は実絞り式。

の3点になる。電気的な制禦で使へる機能が全て使へないのは、念を押すまでも無い。また上の條件はあくまでも基本的なところであつて、それでも使へない場合がある事は知つておいて損はしないだらう。堅苦しい云ひ廻しになつたところを、写真(機)の基本的な概念…露光や焦点合せ…を把握してゐないと、使ふのに多少の困難が伴ふ、と簡単に纏めてもいいかも知れない。

 "知れなかつた"と云ふべきか。
 直球で考へれば、機械式の距離計連動カメラを持てばよい。距離計連動のカメラならば一眼レフよりフランジバックが短くなるし、ファインダも半独立してゐる分、絞込みの影響も無いと云つてよい。ただこの場合、撰べるのがライカまたはライカL39ねぢ/Mバヨネットマウントを採用したボディに限られるのが…アダプタを使ふ目的への金額としては、高過ぎる点で…些かの問題ではあらう。第一、ライカ(またはその同規格のカメラ)を使ふには矢張り、少なくとも露光(と焦点深度)の概念は欠かせないから、その点でも敷居が高いと云はざるを得ない。
 いや、それはそれで必要なんです。我われ素人が写真を愉しむ上で得てゐる一ばんの特権は失敗してもかまはない事で、プロフェッショナル(大きく"写真を撮ることで口を糊するひとたち"と考へてよい)にとつては信じられない特権でせう。自在に失敗出来なくなつたのは、デジタル・カメラの功罪の後者に属する部分だと思はれるが、その点にまでここでは踏み込まない。それに事が"アダプタを使ふ"目的なのを思ふと、不馴れ不便よりある程度にせよ、失敗と云ふリスク(わたくしはさうとは考へてゐないけれど)を軽減するには、デジタル・カメラを利用するにした事はない。
 ではそんなデジタル・カメラがあるのか…と云へば、ミラーレス一眼と分類されるカメラがそれに相当する。ここまで同様、ややこしい話は省略するとして、一眼レフの構造上、どうしても必要であつたミラーボックスと云ふ場所を持たないミラーレス機は、フランジバックを短く取る事が可能であり、従つてアダプタを用ゐるには、一眼レフより適してゐると理解すればよい。またデジタル・カメラの液晶画面は当然、一眼レフのファインダより巨大な点も見過ごしてはいけない。ミラーレス機とて、レンズを通した像を見る一点で一眼レフ同様、絞込みの影響を強く受けるのだが、その難点を広大なファインダが(完全ではないとしても)カヴァしてゐる。同時に液晶画面の露光情報がその不馴れを、矢張りある程度、カヴァして呉れる。
 これは非常に大きな利点であると云つていい。何故ならアダプタを介してレンズを使ふのは変則的な行為であつて、経験的に使はざるを得ない要素がどうしても色濃くなるところを、デジタル・カメラの(時に過剰と思はれる)情報が上手く補佐して呉れる。と云ふ事は、手元に転がるがらくたレンズが、新しい活躍の場を得ることになるかも知れない。そんな期待を持てなくもないのではないか。
 と云ふ事に最近わたくしは、気が付いたわけです。ミラーレス機にアダプタを介在させた場合、たとへば焦点距離や、大きさ重さのバランス(重要なのはあくまでも手に持つて構へた時のバランスで、大きいのが重いのが惡いのではない)に注意を払ふ必要はあるとしても、十分に…とはいかなくとも、それなりの使用には耐へるであらう。そんな期待を持てなくもないのではないか。そんな事情でわたくしは今、ミラーレス機を買はうか否か、迷ひに迷つてゐる。
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# by vaxpops | 2011-06-12 17:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11090-0100 怪しい区切り

 この駄文の番号に割り振られた番号は 11090-0100 で、詰り番号上は100番目と云ふ事になる。数字がさうなつてゐるんだから、間違ひない。

 と云ふのは正しくない。

 詰りこれが数字…と云ふか表記の怪しさなんである。
 実は初回から数へて、本当の100番目は『11087-0097 大坂酒席 5月6日』と題した

 http://zampablack.exblog.jp/13579496/

 であつた。当然の話で、番号を振つてゐない駄文の分だけ、実際の数からずれてゐる。然もこの100は単純な合計の数であつて、例へば2011年に限れば90が番号を割り振つた正しい数と云ふ事になるし、2011年の番号無し駄文の事を考へると、またここでもずれが生じる。実に怪しい。いい加減な話ではないか。
 その通り。
 確かにいい加減なので、厳密に考へると、こんなに莫迦げた話は無い。ただ裏を返せば、そのいい加減具合も含めて愉しめるなら、かう云ふ話は酒席のきつかけとしては恰好のものになるのではないかとも思はれる。
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# by vaxpops | 2011-06-01 21:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11089-0099 静かな会話

『パパ・ユーア クレイジー』
ウィリアム・サローヤン(訳・伊丹十三)新潮文庫

 新潮文庫は伝統的に海外の作家の名まへを表記しない。
 ディケンズとかヘミングウェイとかクリスティとか、或は名まへを頭文字だけで表記するにとどまる。なので奥付を確かめるまでわたくしは、サローヤンの名まへがウィリアムだと解らなかつた。尤もサローヤンでもウィリアム・サローヤンでも、私が知らない小説家である事が、変はるわけではない。調べれば判るのは当然として、然し辞書的な知識を手に入れたところで、何がどうなると云ふのだらう。
 本棚に並べられた―と云ふのは勿論、本屋の棚の意味だ―この本を手に取つたのは、訳者が伊丹十三だと気がついた以上の理由が見当らない。率直に云ふと伊丹が海外の小説を翻訳してゐたのは意外に思はれたけれど、考へてみればかれは優れたエセーを書き、欧羅巴の経験が長いのだから、まつたく奇怪な組合せと呼ぶわけにもゆかないと思ふ。

 父は45歳。
 僕は10歳。
 僕には母(27歳)と妹(8歳)がゐる。
 父は作家で『下の顎』と云ふ小説を書き上げ(一ばん新しくつて、一ばん最後の小説らしい)残念ながらお金が無い。だから父は料理の本を書かうと考へてゐる。然し差当りお金が入る目処はない。だから僕は父と一緒にマリブの家に行く事になつた。
 いや、かうやつて書き連ねたところで、この本の紹介になるのかと云へば、まつたくのところ自信が無い。重ねられるのは小さな逸話、その大半…いや大部分が僕と父の静かな会話で、それはたとへばこんな風だ。

 「あなたは本当に料理の本を書くつもりなの? 父さん」
 「もちろん私は書くつもりさ。お前は本当に小説を書くつもりかね?」
 「ウン。僕、書いたっていいと思っているよ」
 「思ってるだけじゃなくて、本当に書くつもりはあるのかな?」
 「僕はトマトって綴れないんだ」
 「ポテトはどうだい?」
 「僕はポテトも綴れないよ」
 「どんな言葉が綴れるのかね、お前には?」
 「僕の名前」
 「じゃあ、お前は小説書く用意はできてるわけだ」

 或はハーフ・ムーン・ベイ(半月湾)の早朝、パン屋の男はロールパンにチーズを詰めたのを僕にくれながら

 「パンとチーズ、これをいつも憶えておくんだね。世の中がすっかりいやになったような時、パンとチーズを思い出すんだ。元気が戻ってくるよ」

 と教へて呉れる。
 短い教訓劇?? ―さう、たとへば、ちよつと風変りな、多分もの解りのいいお父つあんの??
 勿論さう云ふ理解の仕方をしてもいい。
 然し僕と僕の父(訳文風に書くとかうなるのだが)の会話は、10歳と45歳の間で交はされる事を思ふと、極めて高度で論理的で、論理的でありながら抽象的ではない。伊丹即ち訳者は後書の中で大意、原文の文脈を可能な限り、日本語に移し替へる試みに挑んだ(そして予め決められた通り、失敗つた)と記してゐて、かれが認めるほどの失敗であつたか、どうか。少なくともわたくしには、過剰に謙虚な姿勢なのではないかと思はれる。
 僕と僕の父はマリブの家で、古い小さな赤いフォード(頭金無しで百ドル。月九ドルの一年払ひ。合計百八ドルの余りの八ドルは利子と手数料)で、ハーフ・ムーン・ベイで、およそ想像出来るありとあらゆる場所で、対等であり、時に僕は僕の父の質問に優れた回答を提示する。こんな風に。

 「始まりは何か?」
 「僕」
 「始まりはいつか?」
 「僕が朝目を覚ます時」
 「終りは何か?」
 「僕が二度と朝目を覚まさなくなってしまった時」

 僕の父は「非常によろしい」と僕を褒める。そして読者であるところのわたくしも(伊丹の訳しぶりに影響されて仕舞つた)また「非常に宜しい」と呟きたくなる。さう云ひたくなるのは欧文脈を意識した伊丹の功績だと云つてよい。僕がこれから書くであらう小説を読んでみたいとも思ふが、サローヤンも伊丹十三も故人となつてゐる。
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# by vaxpops | 2011-05-29 21:00 | 本映聴観 | Trackback | Comments(0)

11088-0098 読み手のこはさ

 ウェブログがいつ頃から大きく伸び上がつたのか、よく判らない。ごく粗雑に、個人向けのホーム・ページにとつて替はつたのは、想像が出来のだけれど、たとへばそれを年表にするとして、どうなるのか。
 個人向けのホーム・ページがちからを失つた理由は、漠然と判らなくもない。要は面倒であつたのだ。多少なりとも冷笑的な素振りをすると、その面倒に足るだけの中身を持てるひとが、ごく限られてゐたのだと見立ててもよい。更に云へばTwitterなりFacebookなりがウェブログを押しのけつつあるのは、ウェブログと云ふ簡便な形式ですら、持余すひとが数多い事を暗示してゐる。丸谷才一は『文章読本』(中公文庫)の掉尾で、書くに価する事がなければ書いてはならぬと云ふ意味のことを記してゐて、それがまつたく疑ひの無い事実であるのは、ウェブログの凋落が逆説的に證明してゐると云へる。

 一体に文章が厄介なのは、量が質に転化する期待を持てないところで、余程自覚的に(書くに価することを)書かねば、その質を高めるのは困難と云つてよい。ウェブログに飛びついたひとが次つぎに脱落し、Twitterに逃げたのは、形式の簡便さと書く行為の簡便さを非常に無邪気に混同した結果ではないか。それを悲劇と見るか、笑劇と捉へるかには多少なりとも議論の余地が残るとして、ウェブログ―そしてそれを更に簡易にしたTwitterが日本語の文章に与へた影響は、善惡の有り様で見ると、惡影響の方が大きいのではないかと思はれる。

 ひとつの見方として、自分の考へ(それがたとへ、思慮に欠けた愚劣なものだつたとしても)を文字にし、簡便に公に出来る手段が広まつたのは、喜ぶべきである、との意見はあるだらう。その見方を一概に否定するわけには…残念ながら…ゆかない。残念ながらと云ふのは、わたくし自身がその恩恵を受けてゐるからで、恩義と云ふ言葉はかう云ふ時に使ふべきなのかとも思ふが、それはいい。
 ただその喜ぶべき事の反面を矢張り見逃すわけにはゆかない。ウェブログの大流行は(その気になれば)書けるひとへの間口を広げたが、それは間口が広くなつただけの話に過ぎず、文章の質的な向上にはまつたく寄与してゐない、と云ふ点だ。当り前の事であらう。書くべき事、その書き方は必ず書き手に帰する。間口が広がり、書き手の数が多くなつたところで、その数が文章の平均的な質を上げるのかと云へば、事実は寧ろ逆なのは、個人の事情と似てゐなくもない。

 ウェブログで文章を公にするのは実のところ、(わたくしも含めた)素人には非常に恐ろしい。云ふまでもなくそれは読み手の…さう、今をここに目を通してゐるあなたのことだ…存在であつて、恐ろしいとは云つても文章は読み手がゐなければ成り立たないのだから、読んでくれるなとは云へない。
 ところで読み手は必ずしも、書き手の意図するところを汲み取るわけではない。身も蓋もなく云へば、誤読曲解が許されてゐる。批評も批判も非難も、読み手のタナゴコロにある、と云ひ替へてもよい。面白い詰らないは読み手の過去の蓄積や好みの傾向で左右される。読み手は無作為にウェブログを読み、そして過去、自分が読んだ文章と、漠然とした比較をする。漠然と、と云つたのは読み手の記憶にある、と云ふ意味で、記憶に残つてゐる以上それは、読み手にとつて忘れ難い―即ち一種の名文と云つてよい。たとへわたくしが歴史的仮名遣ひを常用してゐるからと云つて、丸谷才一や内田百閒の随筆と並ぶ道理がなく、飲食の話題を好むからと云つて、檀一雄の隣に坐すわけもないのに、かれらと比較されて仕舞ふわけである。
 書き手のわたくしとしては、迷惑な比較であるし、それ以上に大先達にぶれいだとも云ひたいところだが、読み手にはさう云つた思惑を軽がる無視する(一種の)権利があり、さう云ふ位置付けや比較は最もひろい意味で、批評の基本を為してもゐるから、行ふべきではないと云ふ事も出来ない。勿論その一方で、そこまで批評家的な立場の読み手がどれ程ゐるのか、と居直る方法も無くは無からう。このウェブログの書き手、わたくしこと丸太花道は下手糞の素人なのだと。
 然しさう居直つて仕舞ふのはどうも、まづい気がする。書くべき事があつて、それを文字にするならば、そこには伝へると云ふ意志がなくてはならず、その意志がある以上、読み手の批評(乃至批判、非難)を無視する撰択肢は有り得ないとも思はれる。

 ここで用心する必要があるのは、どの様な読み手を想定するのか、と云ふ点であらう。我われ書き手は縷々そこに
 「極めて緻密、厳密、精緻な(云はば)神の如き読者」
を想定する。その想定上の彼女(乃至かれ)は誤字脱字と云つた瑣事には拘らない。が、論理立てや全体の構造、或は比喩、引用に恐ろしい図りの綿密な態度で臨み、見落しなどと云つた無様な真似は決してしない。その指摘は詳細で誤りが無く、広汎且つ公正な、詰りどう考へても実在しないひとである。かう云ふ云はば有得ない読者を想定するのは、どうやらそれは書き手の本能…と云ふか條件反射的なものであるらしい。條件反射なので当然、それを明瞭に意識する事は滅多に無いとしても、條件反射である以上、その想定は無意識の底を流れてゐる事になる。
 さらりと書いたが、実在し得ないひとが自分の無意識の底を流れる様を思ふのは気味のよい想像とは云ひ難いが、敬しつつ遠ざけつつ、然し"さう云つた(架空の)ひと"を持たないまま、公の場に文章を書き続けるのは不可能であらうし、となるとその"架空のひと"を持たないまま書かれる事がおそらく多いのだらうウェブログが"架空の人"を持たずとも(何とか)成り立つTwitterに喰ひ荒される現状は当然の光景と云つてよい。
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# by vaxpops | 2011-05-21 22:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11087-0097 大坂酒席 5月6日

 30年来の友人と梅田はビアブルグにて。

 ホルステン・プレミアム。

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 キルケニー。

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 ヴァルシュタイナー。

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 肴はオニオンブルーミン(上)とワルドロフ村サラド(下)

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 いや、鱈腹呑んで、美味かつた。
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# by vaxpops | 2011-05-14 22:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

11086-0096 大坂ご飯 5月5日

 お午。
 出来合ひのお鮨とお好み焼。

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 この混沌具合が、何と云ふか、大坂ではありますまいか。

 晩めしはしやんと。

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 左上。菠薐草のおひたし。
 右上。トマト(湯煎して皮を剥いてゐる)
 左下。茄子の味噌和へ。お味噌はやや、甘みがきつかつた。
 右下。長葱をさつと炊いたの。
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# by vaxpops | 2011-05-13 21:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
 5月2日、実家の昼めし。
 左上。人参と鶏肉。
 右上。さらし玉葱と鰹節(ぽん酢で喰ひました)
 左下。白いご飯(ごく柔らかい)
 右下。玉子の甘酢あん。冷凍食品。

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 5月2日、実家の晩めし。
 左上。冷素麺(2束余り)
 右上。胡瓜とかに蒲鉾の酢の物(ちよと、甘め)
 左下。厚揚げと隠元豆を炊いたン。
 右下。牛肉の甘辛煮(これが旨い)

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 5月3日、実家の晩めし。
 左。レタスとトマト。
 中央上。蝦の天麩羅。抹茶塩で。
 右。胡瓜と刻んだ昆布の酢の物。
 中央下。南瓜と林檎のサラド。
 右奥。縮緬雑魚。

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 5月4日、石橋さとにて、手こね鰹叩き寿司膳。
 冷し饂飩、天麩羅、小鉢のセット。

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 5月4日、実家の晩めし。
 左上。南瓜と林檎のサラド。
 右上。レタスとトマト。
 左下。さらし玉葱に鰹節。
 右下。大根、人参と豚肉の炊きもの。

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# by vaxpops | 2011-05-12 17:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
 モノクロームで四角形。

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 トーキヨーにはまだ、こんな光景が残つてゐる。

 場所が何処か判る人がゐたら…ゐるだらうか知ら。
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# by vaxpops | 2011-04-30 21:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
 自分から進んでスパゲッティを食べに行く事は殆ど無い。
 麺類が大好物なのに。
 どうもスパゲッティに(安くない)対価を払ふのにわたくしは、理由のはつきりしない抵抗を感じてゐるらしい。

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 だからこれは、ある友人に連れて行つてもらつて食べた。
 生ハムと青梗菜を使つたクリーム・ソース仕立て。
 たいへん美味しかつた事を強調しつつ、自分ひとりでは再訪出来ぬ無念もまた、同じくらゐの熱意をもつて、強調しておかう。
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# by vaxpops | 2011-04-29 23:00 | 企画万巻 | Trackback | Comments(0)

11082-0092 縛り

 無制限の自由、と云ふのをわたくしは信じないのだが、さう云ふものがあつたとしてそれは、酷く窮屈なのではないかと思はれる。信じない事を想像するのだから、当てにならぬと考へてもらつてかまはない。

 随分と以前に数人と小さな写真展をした事があつた。
 なに、素人の集まりだから、飛び抜けて優れた写真が一堂に会し、等と云ふ事はなかつた。尤もひとつ、面白かつたのはその時、使ひ捨てカメラ…えーと、レンズ付フヰルムと呼ぶのが好もしいのかな、まあどちらでもいいが兎に角、それで撮影し、六つ切りに引き伸ばす、と云ふ條件を付けた点だつた。そんな事が出来るのかと云へば、結果的に出来たのであつて、多少の誇張も含めると、その制限が結果的を寧ろ拡げたのやうな気もされる。

 写真を撮るにせよ、文章を書くにせよ、絵を描くにせよ、ある種の制限…縛りはある方が望ましい。さうわたくしが思ふやうになつたのは、さう云ふささやかな経験が理由で、この考へは今も変らない。
 妙な事を云ふと、日本のエロが極めて刺激的なのは、エロに対する規制が曖昧且つ恣意的だからだ。その曖昧と恣意的を潜り抜け、かれらは日本のエロを特異な方向へすすどく尖らせた。結果的な良し惡しは兎も角、その在り方を導いたのは、あの諸々奇怪な規制、縛りであつたと見立てるのは間違ひではないでせう。

 と云ふ事を考へたわたくしは、待てよと腕を組み、首を傾げた。であれば、自分(あなたやわたくし)の(もしかしたら)表現(になるかも知れない)活動に当つて感じる、何だかよく解らない行き詰りや疑問や不満足に、この手で対応が出来るんではないか知ら。

 要するに、狭める。

 枠を狭くすると、馴れた手順が不意に止まる。止まつたで(無い)知恵を絞る。絞り方が巧ければ、案外な工夫が見付るかも知れない―エロと同じく、その結果の良し惡しは別として―のではないか。
 …と云ふのは勿論、仮説、ただの思ひつきだから、それが事実(に近しい)か、検証の必要がある。そこで小さな枠付けとして、五月一日から末日までの撮影は全て、水平の横位置に限つてみる事に決めた。縦及び斜め(傾き)が主な撮り方のわたくしが、この縛りでどんな写真をものに出来るのか、或は如何ともし難い残念な結果に終るのか、我ながら愉しみな思ひつきである。
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# by vaxpops | 2011-04-28 22:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11081-0091 野蛮な快楽

 串に刺さつた肉を、顎に力を入れて噛み、喰ひ千切る。

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 骨付き肉を貪つてゐた(であらう)野蛮人の快感。
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# by vaxpops | 2011-04-27 21:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11080-0090 遡つて

 季節を遡つて、枝垂れの櫻。

 画像データを確認すると、SONY Cyber-Shot T5で、2006年04月15日に撮影してゐる。

 確か青梅を散歩した時だつたと思ふ。

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 一点の画像でわたくしは、時間もまた、遡つた。
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# by vaxpops | 2011-04-26 22:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

11079-0089 やツすいお蕎麦

 "やツすいお蕎麦"と云ふのはあれです、マーケットで売られてゐる袋詰めのやつ。

 ひと玉60円とか、それくらゐの。

 率直に云つて美味しくない…と云ふより、まづい。保存の都合だと思ふが、茹でると妙な匂ひが鼻について、あんまり食慾は湧かないけれど、少しは食べておいた方がいいから、お蕎麦でも手繰らうか、と思ふ週中の夜、寧ろ残りの食慾を刈り取られて仕舞ふ感じがする。さう云ふ時の工夫。

 蕎麦つゆは濃い目。なにこの程度のお蕎麦なんだから、濃縮のでき合ひで宜しい。それを茹で汁…所謂"蕎麦湯"で延ばす。
 この時、蕎麦つゆを入れる器の底に、予め山葵(その辺のチューブ入りで十分だ)を、普段より少し多いかなと思ふ程度に塗りつけ、先に混ぜておくわけです。
 わたくしはお蕎麦もつゆも熱いまま、笊蕎麦と云ふかつけ麺と云ふか、そんな要領で啜り込むが、湯切りをした蕎麦をお皿に盛り、つゆをかけ廻すのでもいいかも知れず、もみ海苔なんぞがあれば、その方が好ましいかも知れない。

 はつきり云ふと、これは邪道…蕎麦のまづさを、おつゆと山葵で誤魔化してゐるだけだから、正統の蕎麦ツ喰ひには唾棄すべき食べ方だと云つていい。
 貧と廉価の厳しい拘束を潜り抜けるひとつの工夫に過ぎないから、真似はしない方が安全だとは思ふが、応用次第では普段、料理に無縁なひとだと感心してもらへる可能性は多少、残されてゐる。
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# by vaxpops | 2011-04-25 21:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)