いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

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衒學卵

 映画の『ロッキー』でロッキー・バルボアがトレーニングの時、ジョッキに入れた生卵を飲み干す場面があつて、亞米利加の観客は一驚を喫したといふ話を耳にしたことがある。
 後で知つたところだと、亞米利加人は卵を生で食べる習慣がないさうで、私なぞは寧ろそちらに一驚を喫した。
 更に後日、卵の生食は習慣になつてゐる國は世界的に少数だと知つて、もう一ぺん、驚いた。茹でたり蒸したり炒めたり、何かしらの調理…熱を通すのが、卵の食べ方で云へば本道、或は多数派なのであるらしい。茹で玉子も温泉卵も煎り玉子も韮卵も厚焼き玉子もオムレツもハムエッグズもベーコンエッグもポーチドエッグも好物だから、そこに文句はつけないけれど、そこから生卵だけが省かれるのは納得し難い。

 たとへば牛丼に落とす生卵。

 たとへば饂飩に落とす生卵。

 或はカレーライスへの生卵。

 また即席麺にくはへる生卵。

 更にお味噌汁に入れる生卵。

 えーと。このお味噌汁は、あはせ味噌で薄切りの玉葱。仕上るところに溶き卵を流し込むから、正確に云ふと、生卵にはならないんだけど、これがまつたく美味いのです。この場合、卵はざつくり程度の溶き方で。白身がふはつとなつた辺りはそのまま、ごはんの最良の友だと云つていい。若布や葱、油揚げ、馬鈴薯、キヤベツ、レタス、その他諸々挙げられるとして、薄切り玉葱と溶き卵の組合せ以上に美味いお味噌汁の種は考へにくいんである。…いや失礼、少々熱くなりました。お味噌汁を飲んで、落着かなくちやあ。

 話を戻しませう。

 我われが生卵を平然と(!)食べられるのは、鶏の飼育がきはめて衛生的…親鶏のサルモネラ菌が卵に感染するリスクが(少)ない…だから、といふ説がある。中々説得力があるのは認めるとして、だとしたら、ご先祖が生卵を食しだしたのは、そんなに以前の話ではなささうにも思へる。そこで思ひ浮ぶのが"卵百珍"で、これは天明五年に出版された『萬寳料理秘密箱』収められた"卵之部"の俗称。人文学オープンデータ共同利用センターといふウェブサイトに、全百七種の翻刻(現代語訳は一部)がある。その一覧をざつと見ると、生卵を用ゐるらしい料理は實に少なく、私の讀み方が誤つてゐる可能性は留保しつつ云ふと、卵素麺に加味丁子焼卵くらゐ。
 但し天保九年…"卵百珍"から半世紀ほど後…肥前鍋島藩の『御次日記』(調べが足らずはつきりしないが、用人の記録のやうな感じがする)に、"御丼、生玉子"と記されてゐるさうで、御の字を使つてゐるところから、客人や高位のひとへの献立なのかと推測出來る。といふことは、この時期以前に生卵とごはんの組合せは成り立つてゐた筈で、さうでなければ貴人客人に出せなかつたらう。当時の卵が貴重且つ高級品だつたことを差引きしつつ、我われのご先祖は"卵百珍"から『御次日記』の間に、卵を生で食べる方法に気がついたのではないかと考へたいが、ここで食べものの歴史に詳しいひとは、岸田吟香の名前を思ひ浮べ、をかしいぞと感じるかも知れない。

 岸田吟香は天保生れの明治人。新聞記者で藥の事業家…といふより、岸田劉生の父といふ方がいいだらうか。明治五年に初めて卵かけご飯を食べたと云はれてゐるが、怪しいよね、これは。但し『明治初期の記者 岸田吟香翁』(荻原又仙子)に、明治十年頃の話として

「毎朝、旅舎の朝飯に箸をつけず、兼ねて用意したのか、左回り無くば旅舎に云付け鶏卵三、四を取寄せ食すだけの温飯一度に盛らせて、鶏卵も皆打ち割り、カバンから塩焼と蕃椒を出し、適宜に振かけ、鶏卵和にして食されたものだ」

かう記されてゐるさうだ。つけ加へると、蕃椒は唐辛子の異称。荻原がどんな人物なのかはよく判らなかつたが、上の一文は昭和になつて書かれてゐるらしく、さうなると本人に気兼ねすることはなかつた筈だ(もしかして息子には気を遣つたかも知れないが、如何物喰ひの話でもないし、ありのままを書いたつて、文句は出ないだらうさ)詰り少なくとも岸田吟香が卵かけご飯を好んだのは事實と考へていいでせうね。併し"初めて"だつたかどうか。

 卵の生食自体は明治以前から、多少はあつたらしい。軍鶏鍋や牛鍋、鋤焼に添へられたのがそれで、吟香は備前岡山のひとだが、若い頃から江戸にゐたから、さういふ食べ方に馴染みがなかつたとは考へにくい。要するに生卵は吟香青年にとつて、奇異な食べものではなかつたらう。またかれが医學に関はりがあつたことも忘れてはいけないでせうね、この場合。経験的ではなく、科學的に卵の栄養を理解してゐたのではないか。
 もうひとつは吟香が新聞記者だつたこと。東京日日新聞の主筆で、部数の激増に大きく貢献したといふから、花形記者ですね。因みに云ふ。かれの後を継いで主筆になつたのが櫻癡福地源一郎。その櫻癡を烈しくきらつたのが宮武外骨で、この繋がりは明治の風景だなあ。今とちがひ明治の新聞が讀者に与へる影響は巨大だつたから、吟香が日日新聞で卵かけご飯が旨いなどと書いたら、東京市の洒落者は飛びついたんではないか知ら。書いてゐなくても、花形記者のさういふ噂話は伝はつたにちがひない。かれが"日本初の卵かけご飯試食者"の栄誉を得たのには、そんな背景が潜んでゐさうに思へる。

 些か批判的(?)なことを書きはしたが、岸田吟香を日本で最初の(少なくともごく初期の)卵かけご飯愛好家とするのに異存はない。尤も塩焼(焼塩を指すのだらうか)と蕃昌はどうかしら。矢張りそこは醤油でせうよとは思ふ。

 溶き卵に醤油。
 炊きたてのごはん。

 卵かけご飯の必要にして十分な要素はたつたこれだけで、何を隠さう、私の大好物なんである。

 醤油の代りにおびいこ(醤油だけで煮詰めた縮緬山椒)を使ふのもいい。

 山葵や辣油を忍ばせるのもいい。

 分葱や白胡麻を散らすのもいい。

 針生姜をあしらふのもいい。

 蕎麦つゆを加へてもいい。

 醤油だつて、地域で色々風味が異なるし、刺身醤油だつたり、専用と謳つたものまである。パックをひとつ買へば、毎日色々の卵かけご飯を味はへる筈で、丹念に溶いた卵にシナモンやらナッツやらで味を調へ、バターライスにあはせたら、伊太利亜の種馬も、苦しさうな顔で飲み干さなくてよかつたのにと思ふ。スタローンとしては、脚本に無理が出るよ、と云ひたいところか。スライの趣味にあはせる必要は併し、ないだらう。かれはきつと、卵かけご飯よりスパゲッティを好むにちがひないもの。
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by vaxpops | 2017-08-29 08:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

リクエスト

 惣菜パンといふのを私は好む。

 ハムカツ。
 コロッケ。
 タマゴ(ここはカタカナにしないと、しつくりこない)
 ソーセイジ。

 小腹は空いてゐるのに食事までは慾しくない。さういふ中途半端な時、實に具合がいい。

 併しどうも焼そばパンとは、相性が宜しくないのですね、私の場合。宜しくないと思へる理由ははつきりしてゐて、焼そばはコロッケやハムカツに比べて、パンにあひにくいんではないかと思はれる所為である。
 では何故あひにくいのかと考へるに、パンの甘みが要因ではないか。我が國のパンは輸入以來、独自の変化を遂げてきたが、云はば西洋の流れを保持してゐる。コロッケやハムカツも同様で、さういふ視点に立つと、相性の問題は(少)ないだらう。対する焼そばは日本独特の食べものだから、東西のずれが際立つて感ぜられるのではないだらうか、と私はすすどく睨んでゐる。
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 裏を返すと、日本式の甘さを少々控へめにしたパンを用意すれば、焼そばパンの地位は劇的に向上するだらうといふ期待が持てる。我らが惣菜パンのメーカーには、その辺りの研究を抜かりなく行つて頂きたい。
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by vaxpops | 2017-08-21 08:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

黄身

 ご覧のとほり、苦瓜と厚揚げ豚肉にもやしの炒めもの。味つけは塩と胡椒。まあ、ありきたりと云へばありきたりなんだが、寧ろそのありきたりが旨い。かういふのは凝ればいい、とは限らないんですよ。

 そのまま塩胡椒で食べるのがいいのは勿論、途中でほんのり醤油を垂らして、気分を変へるのも惡くない。ただこの場合、ひと口のごはんが慾しくなるけれども。
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 さうさう。

 このひと皿の厚揚げには、ちよいと感心した。豚肉の脂や苦瓜の風味をうまく受けとめる、意外な(と云ふと、厚揚げに失礼か知ら)有能ぶりを発揮してゐた。

 これをつまみながら(勿論麦酒を呑んでゐる)家でご馳走風に仕立てるなら、大蒜醤油で濃いめに味をつけ、半熟の目玉焼きか温泉卵を乗せ、分葱をたつぷり散らすのがよからうな、と考へた。苦瓜をも少し分厚めに切れば、濃い味つけにも負けはしないだらう。それに黄身で汚れたお皿を、ごはんで綺麗にする樂しみだつて出來る。
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by vaxpops | 2017-08-20 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

泥棒趣味

 山梨の県立美術館にはミレーが何点も収藏されてゐて、甲府に足を運んだ際には必ず立ち寄る。ことに『ポーリーヌ・Vの肖像』と『眠れるお針子』は気に入りで、何度見ても飽きない。どうも私はモデルに惚れてゐるのではないかと思ふのだが、ここはそれを絵画で留めおいたミレーの力と云つておきませうか。
 ポーリーンとお針子はどちらも小体な額縁で飾られてゐる。堂々とした『種を蒔く人』にくらべると、どことなくひつそりした感じが好もしく、實は何べんか
(隙を見て持つて帰れないものか知ら)
と考へたことがある。無理に決つた話だから、絵葉書で我慢してゐるけれども。ここで慌てて念を押すと、私に泥棒趣味はありませんよ。さういふ男を誘惑する画家が惡い。

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 誘惑に乗らなかつたのは、勿論私が藝術への敬意を有してゐるからだが、敬意ゆゑ盗むのだといふ理窟だつて、多少は成り立つ余地を残してゐる筈である。なので、万全とは呼び難い。もつと単純に手法…どうやつて盗むのか…の点もある。ただこれを前面に押し出すと、解決すれば実施するかと云はれさうだから、具体的に考へるのは控へなくちやあならない。とここまでが、前振りで、もつと切實な問題がある。仮に藝術への敬意を失はず、完璧な計劃でミレーを手に入れたとして、さあ、どこに飾ればいいのだらうか。
 なんて書くと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は苦笑を浮べながら、盗品なんだから、無理に決つてゐるぢやあないかと云ふだらう。確かに。そこはその通り、御説御尤もとして、私が云ひたいのはそこではないんです。絵は飾られ、私や貴女に観られ、絵になるのは、今さら云ふ話でもないでせうが、優れた絵には、その絵の為の空間が不可欠だと。床の広さ(或は狭さ)、天井の高さ、灯りの色と強さ。さういつた條件が、生活を乱さない中で調へられなくてはならないと。

 掛軸や屏風を思ひ浮べてみませうか。ああいふのを美術館で眺めるのは興醒めする。何故かと云へば、掛軸も屏風も、明々とした空間で、顕微鏡的な熱心さをもつて、細部を視るものではないからです。日本間の隅にひつそり置かれ、お茶でも啜りながら、ぼんやり眺めるのが本來と云へばいいだらうか。それで時にかすれた讚に視線をやつて、うーむ讀みにくい、仕方がないから、一ぱい呑らうか知ら、なんて考へるのが正しい。すりやあ藝術への敬意を欠いた態度ではないか。と非難されるかも知れないが、我が邦の藝術は生活に混ざつたまま在るもので、美術館といふ隔絶された場所の掛軸乃至屏風が殺風景に感じられるのは、そこに理由がある。

 併しバルビゾン派は掛軸も屏風も描かなかつたぜ。といふ指摘は一応のところ尤もである。ではあるが、ああいふ絵なら矢張り、美術館ではない場所に、眺めるとも眺めないとも、そんな感じで在つてもらひたい。讀者諸嬢諸氏にはさう、お思ひになりませんか。その場合、日本間では落ちつかないよね。さりとて、王侯貴族の豪奢な屋敷でも困るし、ましてや近代的な邸宅なぞは論を俟たないわけで、さう思へるのは何故だらう。
 少し寄り道をすると、ミレーは1814年生れ。死去は1875年だから、19世紀のひとですね。我が愛しのポーリーヌとお針子は、1840年代の前半にパリで描かれた。この数年後、画家はパリを離れ、バルビゾンに移住する。唐突に思はれるかも知れないが、この時期…ミレーの生涯、或は19世紀の100年は、電燈が實用になる100年とほぼ、重なつてゐるんです。かれが存命の頃、既に電燈(少なくともその原型)はあつたけれど、その恩恵に浴することはなかつただらう。画家のアトリエを照らしたのは前時代のランプだつたにちがひなく、そろそろ寄り道が終りますよ。
 陽光とランプの灯りで描かれただらう、ポーリーヌとお針子を万全に味はふとしたら、さういふ場所こそが相応しいのではなからうか。たとへば質素な、併し狭苦しくはない農家の、暖炉やランプ、蝋燭に照らされた食堂がいい。栗を詰めた山鳥やジビエと馬鈴薯と玉葱の煮込み、チーズとパンで、野暮つたい赤葡萄酒をやつつけながら、いやあ美女が一緒だと、味はひがちがふなあ、なんて呟きながら視線を送るのが、一ばんしつくり収まりさうに思へてならない。

 かう考へると、山梨の美術館からポーリーヌとお針子を連れ出すとして、事前にフランスの片田舎に農家と暖炉とランプと蝋燭、それからジビエに葡萄酒を用意せねばならないことになつて、これは大変な物いりである。そんなら甲府に別宅をかまへ、勝沼や登美の丘…我が邦の葡萄酒が軽く見られるのを私は悲しむ者である。甲府が賣り出してゐる鶏のもつ煮に似合ふだらう。はうたうや煮貝はちとあやしいかな…を満喫しつつ、県立美術館に通ふ方が気樂でいい。併しパリやバルビゾンは彼女たちにとつて、懐かしき我が故郷の筈である。もしかして計劃を立てれば、喜んで協力してくれるか知ら。泥棒趣味の持合せはないのだけれど。

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by vaxpops | 2017-08-16 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

円環

 先づ引用から始めませう。

『一日の発端である朝食のおかずと、一日の末尾である酒の肴は、おごそかに円環を作るのだと考へてもいいし、どつちも味覚の純粋形態だから一致するのだと言つてもいい。つまりこの両者を兼ねることが絶対できないからこそ、たとへばライス・カレーなんてものは品格の低い食べものなのである。』

 丸谷才一の『好きな背広』(文春文庫)に収められた[小説作法]の一節であります。今なら同じ文庫の『腹を抱へる』で簡単に讀めるから、目を通してごらんなさい。小説に限らず、文章を書かうとする時の、ちよつとしたこつが判る。

 併しその"ちよつとしたこつ"は兎も角、ライス・カレーが朝食のおかずと酒の肴を兼ねることが"絶対できない"といふ指摘には疑問が残る。説得力はあるけれど、本当か知ら。絶対と強調するのは、幾らなんでも云ひ過ぎな気がするなあ。

 何故こんな話を始めたのかといへば、私はライス・カレーが大好物なのです。毎日三食は流石に遠慮するとしても、毎日の中の一食だつたらかまはない程度には好もしく思つてゐる。子供めいた嗜好と笑はれるかも知れないね、反省はしないけれども。

 ただここで考へると、ライス・カレーで一ぱいやつつけた記憶が殆どない。氷水かカフェ・オレくらゐ。分が惡さうな気配になつてきたぞ。
 と書いて、田原町にあつた[松楽]といふ店を思ひ出した。むやみに巨大なもつ焼きが印象的だつたが、その[松楽]に"カレーのル"といふメニュがあつた。小鉢に入つた甘くちのカレーのルウ。これを匙で掬ひながら、電氣ブランを生で啜るのはハイカラなんだか、ひたすら駄目な醉つ払ひなんだか、自分でもよく解らないが、愉快であつたのはまちがひない。
 さういへば、中野の[navel]といふ店で、バーテンダーだつたKIさんが、"KI家のカレー"と称したライス・カレーを出したのも思ひ出した。当時の[navel]は葡萄酒を主体にしたバーだつたから、この夜はかるめの赤を呑んだのではなかつたか。バーテンダー曰く、實家の作り方で煮込んだのですよ、といふ話。中々に品のよい味はひだつたな。
 記憶が連なつてきた。東中野にある[まいど]では時に"沼カレー"といふのを出す。ウーロンハイだつたかを横に置いて、匙を操つたと思ふ。小体な呑み屋で、珍なメニュと云つていい。[まいど]は妙に凝つたつまみを用意する癖があつて、さういふのを探すのも、客の愉しみである。
 かう辿ると、決して分が惡いとは云へないといふ気分になる。裏を返せば、ささやかな記憶しか浮ばないのだから、ライス・カレーに適ふ酒精が少ないといふ事實の間接的な證明と云へなくもない。ここまで挙げた酒精は、電氣ブランに赤葡萄酒にウーロンハイ。いづれも惡くはなかつた。なかつたけれど、ではかういふ酒精をもつて、ライス・カレーを"一日の末尾である酒の肴"と位置づけられるだらうか。残念ながら、ウーロンハイはまあいいとして、葡萄酒や電氣ブランを日常の晩酌に使ふのは、六づかしさうに思へる。

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 それで英國を気にしなくてはなるまい。我が邦のカレーが、あの大植民地帝國からもたらされたのは今さら強調する必要もない話だが、では英國紳士がカレーをどう食べてゐたか、ゐるか、我われは知らないのではないか。
 正直なところ私が知つてゐるのは、上流のロースト・ビーフとスモークト・サモン(サーモンと書いたら、途端に廻転寿司めいて仕舞ふ)、労働者階級だつたらフィッシュ・アンド・チップスにジェリード・イールくらゐ。この認識がどの程度に正しいかは在英の讀者諸嬢諸氏に判定してもらふしかないとして、かういふ食べものに、果して英國人はカレーを用ゐるものか知ら。風変り好みはどこにでもゐる例外だから、その層を除くと、どうも用ゐないだらうなといふ気がしてくる。
 英國と聞いて私の頭に浮ぶのは、保守的といふごく類型的な印象と、これは本当かどうか
『ロンドンでうまい食事をしたければ、中華料理屋に行け』
といふ格言。簡単に説明すると、外國の料理屋はその國の料理人が厨房に入つてゐるから安心だ、といふ意味です。この辺りは植民地帝國の面目躍如だなあと手を拍きたくなる。自國の料理人への皮肉が、いい具合のスパイスにもなつてゐるのもよろしい。
 この理窟で云へば、英國の印度料理屋には印度の料理人がゐるのだなと想像出來て、もしかすると、我が邦に伝はつたカレーは、英國で印度料理屋に卸されたのかとも思つたが、それぢやあ商賣にならない。きつと胡椒のやうな扱ひだつたのだらうな。たとへばキヤベツや馬鈴薯と牛肉を煮込んで、カレー・パウダーでほのかな香りをつけ、異国風を気取つたにちがひない。これならライスには目を瞑れるし、呑みながらつまめもする。それを招いたお客にヰスキィと一緒に勧めながら、印度での奇妙な冒険譚を語つたのだらう。英國人は冒険好きで感傷的で法螺が巧いもの。それくらゐは平然とやらかせたさ。
 さういへば丸谷才一は英文學のひとだつた。ライス・カレーに批判的だつたのは、ロンドンで振る舞はれた、カレー風味の煮込み料理とギネス・ビールに義理を立ててゐたのかも知れない。
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by vaxpops | 2017-08-13 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

 婉曲な語法といふのがある。本意眞意を覆ひ隠しながら、寧ろ強調する、ちよいと高級な技術。この高級は用ゐる側だけでなく、受ける方にも求められます。ぼんやりさした語り口で、双方が理解しなくてはいけないもの。恋人同士の語り合ひを思ひ浮べれば、漠然と想像出來さうな気がするが、ちよつとちがふか知ら。婉曲の要諦は本音本心を隠すのではなく、察せしめる点で、これをもつと単純に、相手の想像(ここは妄想と呼びかへてもいい)を上手く掻き立てるやうな透かし方、と見立てるのは誤りではない。もつとエロチックな譬へも出來なくはないのだが、この[いんちきばさら]は品を重んじるから、残念ながら控へることにする。

 控へてから、さて婉曲語法から話を始めたのは何故だらうと考へてみると、そこに壜詰が転がつてゐたからで、ええ、壜ニ詰メルの、あの壜詰です。流れにすると

壜詰>パッケージ>隙間から覗ける中身>ちやんと見えない>味の想像が掻き立てられる>けれども何だか曖昧>婉曲語法

となつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、無理やりだなと思はれるだらうか。ここで思ひ出すのは、かんべむさしの本で讀んだ"連想しりとり"といふ遊び。単語ではなく連想で進めるしりとりで、関西在のS.F.作家が集つた時に、リクエストに応へた堀晃(だつたと思ふ)が自宅發火星経由地球着を決め、やんやの喝采を浴びたさうだ。小松左京や筒井康隆がゐる中で、大したものだなあ。私がそれを意識してゐたかどうかは別として、併し閑文字を玩ぶのなら、かういふ連想の技術は必須まではゆかないとしても、大事だと思ふのだがまた話が逸れた。

 ええと、何だつたか知ら。
 壜詰でした、さう、壜詰。
 [19世紀罐詰]の項でも少し触れたが、これは19世紀早々のナポレオン時代に、軍用食として發明されてゐる。正確を期せば、軍用食の保存と輸送の為の發明で、硝子壜に食べものを容れ、コルクで栓をし、蝋で封をする方法。容器の重さと破損のし易さに難があつて、後發の罐詰に敗北したのだが、食べものを清潔な容器に封じ込める手法自体は壜詰で出來てゐた。軍隊で使ふといふ殺風景な目的から見ると、より軽く、少々手荒に扱つても平気な罐が優位に思へたのだらう。
 併しまつたく優位だつたかと云へば、さうとも云へなくて、まづ食べもの自体の問題があつた。簡単に云ふと罐の中で醗酵…腐敗が進んで、破裂することがあつたさうだから、何を入れてゐたのだらう。また罐の封も問題で、蓋のはんだには鉛がたつぷり含まれてゐたといふ。兵隊、ではなかつた、人体に有害なのは改めるまでもなく、初期の罐詰は糧食に加へ、(殺傷力のひくい)時限爆弾と毒藥まで兼ねてゐたことになる。兵站の担当は兵隊からの苦情を捌くのまで仕事だつた筈だ。厭気がさしたにちがひない。

 重さと脆さは確かに壜詰の大問題であつた。そこは認めるとして、果してそれは、致命的な欠陥だつたのか知ら。壜詰なら封緘はコルクと蝋だから、当時の衛生的な観点からすれば、こちらの方が安心の度合ひは高さうに思はれる。
 それに硝子壜なら中身の様子を窺へるわけで、食べものそれ自体の醗酵(この問題は壜罐に関はらない)を察知し易くなるだらう。もつと云へば壜は再利用が可能でもある。布切れなり綿の切れ端なりを緩衝材にすれば、破損の心配を(ある程度にしても)減少出來る。詰り重さ以外の條件で壜詰が罐詰に劣るとは考へにくくなつてくる。…のではないかと思へるのだが、軍隊が優先する重さは剣楯銃弾なのだな。あの連中は野蛮だねえ。[いんちきばさら]では、平和的にいきますよ。

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 その平和的な記憶を辿つてみると、桃屋の"ごはんですよ!"が浮んでくる。さうさうと膝を打つひとがゐたら、私と世代が近い。壜入りの海苔の佃煮には、"磯自慢"もあつた筈だが(今もあるのか知ら)、そちらは記憶に薄い。コマーシャルの唄は耳の底に残つてはゐて、披露出來ないのが残念。
 妙にうまいものだね。あれがひと壜にパックのごはんと即席味噌汁があれぱ、食事が成り立つて仕舞ふ。一汁一菜が極端に化学化された結果と云ふと、叱られるだらうか。
 他を挙げてゆくと、"食べる辣油"といふのがあるし、搾菜にメンマ(漢字がないかと調べてみたら、あれは"麺に乗せる麻筍"の略。太平洋戰争の後、松村秋水といふひとが考へた、支那竹の代用語と知つた。字を無理に宛てれば、麺麻だらうか)、ジャムやママレイド、蜂蜜、ピックルス。壜の大きさを考へなければ、マヨネィーズ、塩、胡椒、醤油にぽん酢も壜詰。危ふく忘れるところだつたが、葡萄酒、麦酒、泡盛に焼酎、ヰスキィ、勿論お酒も壜詰であつて、液体は罐も紙パックもペットボトルもあるだらうと云つてはいけない。かういふのは壜詰だから説得力があるんである。

 何故だらう。
 思ふに壜の後ろにある壷…酒壷ではないか。

 土をこねて焼き固めた容器は、調理と同時に保存の意味でも偉大な發明であつた。ひよつとして人類第一の發明かも知れない。それはおそらく、呪術的な役割から始つて、實用へと変遷したにちがひなく…縄文人の祈祷(でなければ烈しい情念)を思はせる土器の姿と、彌生人の穏やかな合理性を思はせるそれを比較せよ…、"収穫と豊穣への感謝"の器は、"生存の為の保存"の器へと目的を変じた。何千年か、必要だつたらうな。気の長い話である。壜、それも硝子壜がその子孫なのは云ふまでもない。詰り海苔の佃煮や辣韮や搾菜、或は泡盛の古酒、お酒の壜を目にして、何とはなしに感じる説得力乃至安心または安定した感じは、上代に遡れるご先祖の記憶に負ふところが少なからずありさうに思はれる。
 といつたことを"豊かな風味"といふ惹句のついた壜詰から、つらつら考へてみたのだが、要はただの思ひつきで、はつきりした根拠があるわけではない。もう少し婉曲な書き方をするべきだつたかも知れない。
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by vaxpops | 2017-08-12 08:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

戯れ歌鰻

 萬葉集には戯れ歌とでも呼べる歌が幾つもあつて、たとへば柿本人麻呂は宴席を中座するにあたつて、"子供が泣いてゐるにちがひないし、妻も私と添ひ寝をしたがつてゐるだらうから"と詠んだ。かういふ社交性を求められたのが上代中世の宮廷文化で、實際はその宴席に、人麻呂がきらひな貴族がゐて、さつさと帰りたかつただけなのかも知れないが、これなら角が立たない。尤もかういふ社交の道具としての和歌は、滅んでゐる。藝術に進んだからで、いいことなのかどうか。
 随分以前に聞いたゴシップをひとつ。冷泉家…和歌をもつて鳴るあの冷泉家です…に婿入りした若ものの話。義家に入つた日、夕食の後、家長が不意に、けふこの家に男子を迎へたのは嬉しいことだといふ意味の歌を詠んだ。そのあと若ものに
「君、返歌を」
と續けなければ、いい話だつたのになあ。ただこれは宮廷文化をうんと縮小した形と見立てられなくもないから、閑雅な慣はしと感心すべきところか。家族の間で戯れ歌が飛び交ふなんて、中々想像出來る光景ではないよ。

 ところでこの時期に思ひ浮ぶ戯れ歌といへば、大伴家持が詠んだ

 石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻捕りめせ

であらう。石麻呂さんよ、夏ばてかね。鰻でも食べて、精力をつけなさいな、くらゐの意味か。穿つた見方をするなら、夏痩せの裏の恋窶れを揶揄つてゐるのかと思へなくもないが、どうも萬葉風の大味な諧謔が薄れて仕舞ふ。眞夏の殿上で、げつそりした様の石麻呂を見掛けた家持が、すれちがひざま、笑ひながら詠んだと考へたい。

 この一首で我われが気づくのは、萬葉集の時代に鰻を食べる習慣があり、また鰻は暑い季節の滋養強壮に効果があると云はれてゐたこと。さうでなければ、この歌は成り立たない。
 鰻といへば、"あなうなぎ"の狂歌だつたり"土用ニハ鰻喰フベシ"を思ひ出すひとが多からうが、蜀山人や平賀源内の頭にこの歌はあつただらうか。あの時代は不肖の子孫とちがつて、古典に通じた人びとが少なからずゐたから、あつたとも考へられるし、古今や新古今ぶりが主流だつた筈だと思ふと、案外さうでなささうな気もされる。
 さて我らのご先祖は、鰻をどんな風に料つたのだらう。割いて焼いて蒸してたれを塗つて山椒を振つて、ではなかつただらう。切つて焼いて、味噌か醤でつまんだのではなからうか。まさか英國風の煮凝り寄せには、してゐないと思ふ。ジェリード・イールは労働者が、午後のお茶に食べるものだと伊丹十三が書いてゐた記憶があるが、本当か知ら。タフな仕事向けの精力剤のやうな扱ひといふことか。檀一雄によると、西班牙だか葡萄牙だかでは小さな土鍋にオリーヴ油を煮立たせ、鰻の稚魚をはふりこむ料理(味つけは大蒜と唐辛子)があるらしい。旨さうだが、殿上人は想像も出來なかつたらうな。

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 一体に我われは鰻といへば蒲焼きをぢかに連想するが、あれが成り立つたのは、室町の末期から江戸の初期にかけての東國らしい。元々はぶつ切りを串に刺して焼き上げたもので、その様が蒲の穂を連想させたのが、蒲焼きと呼ばれるいはれなんだとか。如何にも東夷風の簡便な調理で、これではジェリード・イールを笑へない。尤もその簡便調理を数百年かけて、洗練させた点は煮凝り鰻に勝るかも知れないが。
 ここで私は関西…少なくとも近畿圏で、鰻(の蒲焼き)の名店が浮ばないことを思ひ出す。とんかつも同じですね。豚肉と鰻は東國人が喜んだ味はひなのだらう。家持の時代、朝廷から見た東國と云へば、蕃族が跳梁跋扈する未開の地だつたし、野性の精力へ信仰もあつた(同時期に佐伯今毛人といふ貴族がゐた。毛人は蝦夷とほぼ同じ意味。また今毛人の同族から出た空海の俗名は佐伯眞魚である)野蛮人が喰らふ鰻に、特別のちからが宿つてゐると考へたとしても寧ろ当然で、家持の詠んだ一首に篭つた説得力は、現代と比較にならないほど強かつただらう。
 ここまで書いたのだから、丸太は自慢気に旨さうな鰻の画像を見せつけるのだらう、と意地惡な讀者諸嬢諸氏は考へるかも知れないが、近畿人である私は、鰻と聞いても比較的冷静でゐられる。ここだけの話、穴子の方が旨いんではないかと思ふし、それ以上にこの季節と云へば鱧の湯引きが恋しくなる。瀬戸内のどん詰りの夏ほど疎ましいものもないが、あの湿つぽい土地には、鰻の豪壮より鱧の繊細が適ふ。ところで鱧をあしらつた戯れ歌つて、何かあつたか知ら。
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by vaxpops | 2017-08-03 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

19世紀罐詰

 20世紀は戰争の世紀だつたといふ説がある。成る程毒ガスと爆撃と原子爆弾は、20世紀の發明だつたかと思ふと、首肯せざるを得ない。陰惨だなあ。併し陰惨の一方で、20世紀はモーツァルトを發見し直した世紀だといふ意見もあつて、こちらは何となく嬉しくなる。私はモーツァルトを何も知らないが、花やかでいい。
 さう云へばかれ即ちモーツァルトに初めて触れたのは、カラヤンが振つた棒でもシェイファーの舞台でもなく、ミロシュ・フォアマンの『アマデウス』だつた。字幕版のレーザーディスク。實に面白くて美しかつたな。映像の豪奢を教はつたのは、ブライアン・デ・パルマの『アンタッチャブル』とこの映画である。

 映画ではなくて、何を話題にしたかつたのだつたか…えーと、さうでした。20世紀は何の世紀だつたのか。ミサイルとモーツァルト以外に、100年の代表に似つかはしいものはないだらうか。

 そこでこれこそ20世紀に似合ひの大發明ではないか、と思つたのが罐詰であつた。鯖や秋刀魚やツナ、コーンドビーフには日ごろお世話になつてゐるもの。我ながらよく、気がついたなあと自讚しながら、念の為に確かめると、これがまつたくの間違ひなのだから、苦笑どころの話ではない。
 ナポレオン時代にまで遡るから、19世紀初頭の發明ですね。日本の年号で云へば享和から文化文政にかけての頃に原型が出來た。佛國皇帝に即位したボナパルトは、あちこちに遠征するのだが、そこで困つたのが糧食の確保。佛蘭西帝國の軍隊が突出してゐたのは、西欧で一ばん初めに國民皆兵を採用した所為で、何を云つてゐるか、解りにくいか知ら。それまでの戰争には、貴族の特権の代償といふ側面があつた。極端な話、金持ちが手弁当でやらかしてゐたを、コルシカ人の皇帝は國民を兵隊にする仕掛けを作つた。
 もの凄い方針の転換である。
 手持ちの兵隊が少なくなつたら、否も応もなく終らせなくてはならなかつた戰争が、國元から幾らでも補給すれば、継續出來るようになつた。國を民の血を吸ひ上るポンプにして、おつとりした戰争の時代を終らせた…或は近代の戰争を生んだのは間違ひなくこの佛國皇帝である。もしかすると口ひげが共通する獨逸と露西亞の獨裁者は、コルシカ人の蒔いた種から生つた異形の花かとも思へてくるが…血腥い話は性に合はない、ここらで止めにして、暢気な方向に戻りませう。

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 これまでにない規模の軍隊を得た皇帝を悩ませたのが、糧食の確保だと先に書いたが、そこでたれか天才が閃いて
「陛下、かういふ工夫は如何でせう」
と罐詰を差し出したのではないらしい。また研究を命じたのでもなく、懸賞を出して、知恵を募つたといふ。それに応じたニコラ・アベール(佛人)は壜詰を考案(湯煎した壜に食べ物を詰め、コルクと蝋で密閉する)したが、硝子容器は重い上に搬送中、割れる難点があつた。そこでこれを受けたピーター・デュランド(英人)が、金属容器を用ゐる方法を發明した。罐詰の誕生である。最初の罐詰(及び壜詰)に何が詰められたのかは判らないが、軍隊の糧食である、開けてそのまま食べられるものだつたらう。
 詰り調理済みだつたわけで、生産方法が確立しない内は酷かつたらうな。腐敗…醗酵が進んで破裂した例があつたり、はんだに使はれた鉛の所為で、中毒を起すこともあつたさうだ。ここで思ひ出すのはマレンゴ。鶏肉をトマトで煮て、卵(目玉焼き?)と揚げザリガニを添へた料理ですね。かれが伊太利に乗り込んだ時、大慌てで…材料が届かなかつたから、近隣の農家から盗んだらしい…用意されたといふ。ナポレオンは食べものに無頓着で、ひどくせつかちでもあつたから、苦肉の策だつたといふことになる。料理人にしてみれば、まつたく厄介な相手だなあ、同情するよ。

 このマレンゴの誕生が1800年。アベールの壜詰は1804年(ナポレオンの登極の年でもある)、デュランドの罐詰は1810年に發明されてゐる。かれは縁起のよいマレンゴ(地名でもある。そこで佛軍は墺軍に勝つた)を大きに好んださうだが、同時に空腹を直ぐに満たせないのは困りものだと考へたのではないか。長期の保存に耐へ、大量に準備出來る糧食を望んだのは、マランゴで慌てふためく料理人の背中を目にした所為ではなからうか。
 尤もボナパルトとかれの兵隊が、罐詰の恩恵を受けたかどうかは疑はしい。1810年といへば、英國は佛帝國によつて封鎖されてゐた(所謂大陸封鎖令)時期と重なるから、デュランドの發明が入つてきたとは考へにくい。翌々年(封鎖令は不完全ではあるが續いてゐる)にかれは露國に遠征を仕掛け、半ば自滅するのだが、冬将軍だけでなく、糧食の不自由…何しろ罐詰がない!…も敗因に数へられさうな気がされる。まあ仮に大量の罐詰があつたとしても、かちんこちんに凍つて、とても食べられなかつたらうな。戰場ではない場所で糧食にほど遠い蜜柑の罐詰を掬ひながら、ボナパルトの兵隊でなくて、おれは本当に幸運だつたよと考へたのであつた。
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by vaxpops | 2017-08-02 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

好もしいあひびき

『星のあひびき』
丸谷才一・集英社文庫

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 文庫本に対する好き嫌ひが私にはあつて、たとへばハトロン紙の頃の岩波文庫は好き。講談社文庫はきらひだが、同文芸文庫は好もしい。さういふ視点で云ふと、集英社文庫はきらひな部類に入る。ことに背表紙の惡派手具合は講談社文庫と双璧をなす(これ正しい用法か知ら)酷さで、本棚に並んだ姿は目を背けたくなる。
 そんなのは中身に関係ないから、気にする方がをかしいといふ批判は一応、うなづくとして、手に持ち、目に入るものなのだから、見た目だつて大事なんではないかなあと疑問は呈しておかう。一体に文庫本の体裁は、出版社の勝手都合が前に出すぎで、いやそれ自体は惡くないとしても、趣味が惡いからどうにも困る。デザイナーの手腕が試されるのは、かういふ時の筈なんだが、私の思ひ込みなのだらうか。

 併し見た目の惡さがあつて、中身が優れてゐれば、何となく得をしたといふか、おれはちやんと評価してゐるのだといふか、妙な満足を感じるのも事實で、勿論これは勘違ひ。それくらゐは許してください。この本が一讀再讀三讀に値する面白さなのは、きつと請け合ふから。
 長短織りまぜた随筆…評論風の長文があり、書評があり、眞面目な顔つきと冗談があり、際どい話題がある。どこから讀んでもかまはない。気樂に讀むなら"書評35本"からが宜しからう。巻末の初出一覧(この本には併せて索引も用意されてゐる。この点は大きに評価したい)を見ると、毎日新聞に掲載されたもの。ひとつひとつが比較的短いから、讀み易い。
 この讀み易さを併し安直と捉へると間違ひを犯すことになる。「春画のからくり」(田中優子・ちくま文庫)を評した一文では、著者の論考を受けながら、さらりと"浮世絵師は呉服屋の宣伝係でもあつた"と書きつけ、布がつくる襞のフレーム性に賛意を示しながら、その背景にある"物語における布といふ伝統"を指摘し、源氏物語や泉鏡花から證立てる。美事な藝と手を拍ちたくなつてくる。
 丸谷才一は非常にレトリカルな作家なのに、長文になるとそれが解りにくくなる傾向がある。その解りにくさは勿論、丸谷が意図的に隠してゐる所為(この辺りの機微は同書所収の"わたしと小説"にうつすらと透けてゐる)なのだが、短い文章だとその骨組みがくつきり冩るのだ。これは勉強になるなあと云ふのは、どうも好みに適はないのだが、凡百の文章指南に目を通すより、この一冊を丹念に讀み返す方が余程有益なのは疑念の余地がない。
 ただそんな風に…云はば教条的な姿勢で目を通すと損をする。のんびり、第一級の藝を愉しめばよいので、たとへば湯木貞一(丸谷いはく"吉兆のおとうさん")が、日本料理を食べる際は、ともかく最初の一杯は清酒を召し上がつていただきたいものです、と語つた時の表情と聲があまりに寂しさうなので、食前酒は清酒(またはシェリー)にしてゐると書いた後
「しかし食後酒の件になると、湯木さんは何も論じなかつた。そこで、わたしは平然として、いろいろさまざまな酒を飲む。自由を行使する」
と續ける。威張つてゐるのか、冗談なのか、好意を含んだ揶揄ひなのか。ここは分析的な態度で臨むより、おれならどうするかなあと考えを巡らすのがあらまほしい。そこには作家と讀者の好もしいあひびきがある。
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by vaxpops | 2017-07-31 07:15 | 本映聴観 | Trackback | Comments(0)

困惑の組合せ

 ある午后、不意に思ひついたので、ナポリタン・スパゲッティを食べた。"ランチ・セット"とか称したやつ。冷珈琲をつけて、合計から200円の割引きだつた。
 200円引きなのは、まあいい。
 予想が外れたのは、ナポリタン・スパゲッティに冷珈琲が似合はなかつた点で、これには少し計り、困惑を覚えた。ケチャップの甘さゆゑか、他のスパゲッティでも同じなのか。

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 何かの本で、紡錘形に盛りつけたスパゲッティ(味つけは胡椒と豚の脂)を指でつまみ上げ、檸檬を搾つた冷たい水を飲む伊太利下層民、といふ描冩を目にしたのを思ひ出した。
 あれは旨さう(な描冩)だつたな。
 尤もその記憶のスパゲッティはあまりに雑駁な感じがされなくもない。おれなら野暮つたい赤葡萄酒でも奢るよ。そんな風に考へながら、似合はない組合せを平らげた。
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by vaxpops | 2017-07-30 08:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)