いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

手抜きたぬき

まづ冷や奴におろし生姜。

そこに刻み葱をたつぷり。

さらに天かすをわさりと。

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 麺つゆを打ち掛けて、少しの味つけぽん酢を垂らせば、称して曰く、たぬき奴の出來上り。本格に準備する積りなら幾らでも手をかけられるが、まあ眞夏の手抜きのひと皿だよね。

 余裕があるなら、胡瓜や茗荷やセロリーを細く刻んで添へればいい。冷房で体が冷えるなあと思ふひとは、麺つゆや味つけぽん酢ではなく、熱いあんを用意すればよからう。この場合なら、生姜より、もみぢおろしの方が似合ふ。
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by vaxpops | 2017-08-10 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

安直豚

 私が"肉"と書く時、それは概ね牛肉を指す。
 "お酒"と書いた時、日本酒を指すのと同じ。
 併し最近、その牛肉には無沙汰をしてゐる。好物なのに。
 そのくせ、豚肉は縁がある。旨いから好もしいけれども。

 さて。このちがひは何だらう。
 単純に考へると、値段の差か。同じ100グラムを買ふとして、値段は(部位や産地にもよるだらうが)えらく異なる。明らかに豚肉が廉価だから、手に取るのはそちらになる。少なくともその可能性は高くなる。
 食肉の習慣の相違はどうだらうか。関西…近畿圏では、牛肉が割りと威張る傾向がある。松阪牛だけでなく三田、伊賀、近江と名産地にも事欠かないし、近江の牛は遡ると、御門に酪を奉り、江戸将軍家に味噌漬けを届けた(食肉を禁じてゐた幕府の、ほぼ唯一といつていい例外)伝統を持つてゐるくらゐだから、背景がちがふ。尤もひとが東西南北自在に動ける現代に、かういふ考へ方を当て嵌めていいのかどうか。
 それに東京となつた江戸でおそらく最初期に受け容れられたのは牛肉の筈である。四迷だつたか逍遙だつたか、はつきり覚えてゐないが、書生連中が喜んで喰つたのは牛鍋だし、カツレツもごく初期はビーフ・カットレットだつた。その後、岡山の造り酒屋のひとり息子が、滋養の為として食べさせられたのも牛肉だつた。内田百閒本人が書いてゐるから、間違ひはないでせう。

 詰り四ツ足…獸肉と云へば牛肉。文明開化直後の何年かは、そんな時代だつたのではないか。ではいつ頃から豚肉の台頭が始まつたのだらう、といふ疑問が浮んでくるが、正直なところさつぱり判らない。畜産と食肉の研究家はどう考へてゐるのか知ら。
 その辺の考察は専門家の手に委ねればよいとして、明治から大正にかけてのある時期から、急速かどうか、豚肉がぐつと勢力を拡げたわけで、それはとんかつの完成前夜だつたと思ふ。さうでなければ、とんかつは完成しなかつただらう。いやさういふ話をしたいのではなかつた。
 併し我われのご先祖は豚肉料理の伝統を丸きり持つてゐなかつたのか、といふと決してそんなことはなく、非常に狭い範囲だつたとしても、豚肉は旨いのだと知るひとは確實にゐたと考へたい。でなければ、生姜焼きにしてもポークソテーにしても煮豚茹で豚蒸し豚にしても、或は種々の臓物焼きにしても、我われが大きに愛好するまでの發展は見せなかつたらう、きつと。

 豚を料るのは安直でいい。いや何事にも本格はあるから、一概に云ふのは誤りだけれど、気分としてはさういふ安直がある。塩と胡椒で炒めるだけで、十分にうまい。牛肉だつてさうだらうと訊かれるたら、確かにと応じたい。ただあちらを用ゐる時には、何となく気合ひが必要な気分になるのもまた事實なんである。豚にはそれがない。
 凝つた本式の豚肉料理は専門のひとに任せるとして、ごく簡単にもやしと一緒に蒸してもいい。冷ましてから、胡瓜やトマトやセロリや茗荷と盛合せ、うで卵でも添へたら暑い季節向きのおかずになりさうだ。醤油でも味つけぽん酢でも、ご自慢のお手製ドレッシングでも旨からうな。寒くなつてからだと、菠薐草と豆腐で鍋に仕立てるのがうまい。常夜鍋と呼ばれるやつ。名前に違はず、確かに飽きない。

 併し本式風を気取るなら、煮込むのが一ばんではないかと思ふ。ほら、東坡肉とか角煮。きちんと作るなら、手間暇を惜しむわけにはゆかなくなるが、気取る程度で済ますなら、私に出來くらゐだもの、何と云ふこともない。
 豚肉を塊で買つてきて、表面だけざつと焼き、鍋にきつちり入れ、隙間に長葱玉葱を詰め、後はひたひた程度の水か煮切りかでゆつくり炊き込むだけの話。時節によつて椎茸でも大根でも馬鈴薯でも、入れればいいが、豚肉が主役になる程度に分量は調へたい。味つけ…はお好みで。煮切りを焼酎にして色濃く煮上げたり、味噌仕立てにしても旨い。かういふのは、どつしりした食感が嬉しいものだから、ざぶざぶより、些かどろりとしたくらゐの方がいいと思ふ。
 盛るなら大鉢か深皿だらうね。練り辛子、焼いた獅子唐、白髪葱、木ノ芽やひと剝ぎの柚子なぞがあればしめたものだが、なーに、なくたつて丼めしにそのまま打ち掛けてもうまいから、気に病むことはありません。

 ざつと書いたなあと思はれさうだが、實際に料る上で、こつらしいこつがあるわけでもない。無理やり挙げるなら、炊く際は肉が揺れない程度の火で、ゆるゆると時間をかけることくらゐ。半日を潰す積りで臨めば、ごくごく気樂に出來る筈である。これが牛肉だと、さあどうなるか。もつと細やかに世話を焼かなければならぬ、と気負ひが先立つて仕舞ひさうな予感がする。實際それで旨くなるのだから、この辺りも豚肉とのちがひと云へるかも知れない。
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by vaxpops | 2017-07-09 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

罐詰の 罐詰で 罐詰を

 食事を用意するのが面倒な時は罐詰を使ふ。ごはんを炊いておけば、それで一食を賄へるのは便利だし、まづいものでもない。お皿にがばつと乗せるだけだと少々寂しいのが難点だが、その辺は幾らでも工夫の余地がある。
 買ふのは主に安賣りになつてゐるやつで、大体は鯖や鰯の味噌煮やら水煮やら、そんな風な名目がつけられてゐる。焼き鳥のたれ味や柚子胡椒風味、赤貝の煮つけなんていふのもあつて、賣り場を眺めるのも樂しみのひとつ。

 三十年近く前、友人から送つてもらつた罐詰を思ひ出した。北海道旅行のお土産で、とど肉の大和煮とカレー煮。どちらも湯煎して喰つた記憶があるが、どんな風にお礼を伝へたかは丸で記憶にないから、こまつたのだらうな。
 十年余り前の一時期は、沖縄でポーク・ランチョンミートの罐詰に馴染んだ。ちやんぷるーには必ず入つてゐたし、玉子焼きとあはせたポーク玉子は未だに好物である。確か味噌汁(といふ名の汁もの)でも堂々としてゐた。

 お肉系列で云へばコンビーフもあつた。少年の頃はコーン&ビーフの略だと思つてゐたから、初めて本ものを見た時、コーンの姿がないのを訝しんだ。知人に云はせると丸かぶりが一等うまい食べ方ださうだが、本当か知ら。
 混ぜ肉で作つたのはニューコンとかそんな呼び名か。親戚の顔をしつつ、遠慮がちにビーフを外してゐるのが謙虚なのだか何なのだか。炒めたりサラドに加へたりすると、手抜きで豪華を装へるところが有り難い。
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 さてここ最近の気に入りは秋刀魚の蒲焼き(併し蒲の姿にはなつてゐない)で、生姜と青葱をたつぷり使ふ。この手の罐詰はどうしても微かな生臭さが残るもので、それを消すのも目的のひとつとして、かうする方が矢張りうまい。
 肴になる。
 おかずになる。
 大根おろしがあれば豪華な気分になれるし、漬け汁と呼へばいいのか、あれが残れば、好みで味を調へ、マヨネィーズ代りに生野菜へ添へたりも出來る。味噌煮罐でも同じと云へばそのとほりだが、この稿では秋刀魚罐が気に入りなので、こちらを推しておきたい。

 そんなら秋刀魚を焼き、またはお惣菜で買つてきて、葱でも生姜でも醤油でも何でも好きに散らし垂らせばいいではないかと、生眞面目な讀者諸嬢諸氏には呆られる不安がある。
 そのご指摘は正鵠を射てゐるのだが、ここでは面倒を避ける為の手段として、必要最小の手間で罐詰を使ふことを考へてゐる。ところで外ツ國でも罐詰で愉しむひとはゐるのだらうか。鰯の油漬け辺りは応用力が高さうに思はれる。
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by vaxpops | 2017-06-07 14:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

葷酒危フキ

 葱韮大蒜の類が好物である。もつと広く香味野菜と云つてもいいけれど、詳しい話が出來ないから避けておく。君子危フキニ近寄ラズ。

 それで思ふのは葱の有り難さである。どつしり太い白葱の甘みの旨さといつたら堪らないし、しなやかな青葱の香り抜きで饂飩を啜るなぞ、とても考へられやしない。詰り肴でもおかずでも薬味でも融通無碍な活躍を見せるのが葱であつて、応用力の高さを魚に引き寄せると鮭に似てゐる。

 白葱なら豚肉と菠薐草で、所謂常夜鍋が完成する。牛肉の切れ端と一緒に濃い味つけで甘からく煮上げてもうまい。この場合、生姜を利かせてもいいだらうな。もつと単純にぶつぶつ切つたのを焼くのも旨いが、ここまで簡素な料り方だと却つて習熟が求められるか。串焼きを賣りにする呑み屋の葱焼きは、意外なほど出來不出來がはつきりするものだ。

 薬味風に使ふなら矢張り青葱でせうね。正直に云ふと、私はこの"小口に切つて、薬味風にあしらふ青葱"が大好きなんである。前述の饂飩は勿論、豆腐や素麺にも欠かせないし、もし鰹のたたき、鮟鱇の肝、白子、鰯のなめろうにその姿が見えないと寂しくて仕方がない。罐詰…鯖の水煮や秋刀魚の蒲焼き…にどつさりかけるのもいいし、もちつと変つたところなら、マーケットの鯵フライに散らすのも惡くない。試してはゐないが、烏賊フライや竜田揚げでもいけるだらうと思ふ。

 手間を掛けるのに苦痛を感じないひとなら、マヨネィーズにすりおろした大蒜と生姜を加へ、青葱を混ぜこむのもうまい。私は面倒くさがりなのでチューブ入りで済ませるけれど、マヨネィーズから全部、手作りにしたら、素敵なソースになるだらうな。或いは梅干しと一緒に丹念に叩くのも方法だと思ふ。海苔巻きにしたらきつとうまい。更に山葵醤油でのばして、鶏のささみに添へるのも洒落てゐる。

 逆にとことん手を抜きたければ、そのままか庖丁の腹で少し叩いてから、味つけぽん酢か醤油でひたひたくらゐに漬けるといい。冷蔵庫に半時間も入れればいいと思ふ。混ぜたままでもいいし、ぽん酢乃至醤油と葱を分けるのもよい。見た目は宜しくないが、葱だけをごはんに乗せたつて中々にうまい。白でも青でも、そもそも葱自体がうまいんだから、当り前の話ではあるけれど。

 そこで思ひ出されるのが、葷酒山門ニ入ルヲ許サズといふ戒律。山門は寺の意。入つてはいけない…詰り僧への禁令ですね。酒は云ふまでもないとして、問題は葷である。韮大蒜玉葱の類を指すらしく、勿論我らが葱も例外ではない。不思議である。匂ひをきらふとか、不必要な精力がつくからとか、そんな説を耳にした記憶はあるが、果して本当なのかどうか。僧侶の食卓がどんな変遷を経てゐるのか、不勉強な私は知らないが、かれらにしたつて旨いものを食べるのは悦びだから、工夫を凝らしたと思はれる。山門入りを禁じられたお酒だつて、平城の寺院が酒藏の原型といふ話もあるんだもの。山門に入れなかつたかも知れないが、最初から山内にある分は目こぼしになつてゐたのだらうか。敢て危フキニ近寄ツテ僧坊の葷酒を味はふ機会を得てみたい気もされるが、生眞面目なお坊さんに叱られるだらうなあ。
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by vaxpops | 2017-06-06 19:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

一家言

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも必ず一家言がある。きつとさうにちがひないと、私は確信してゐる。詰り炒飯の話。ね。一家言あるでせう。たとへば私は焼き飯をほぼ同じ意味で用ゐるが、こんなところでもすすどい反論が出てくるだらうとは容易に想像出來る。

 ごはんを強火で炒めた食べもの。
 主な具には卵と葱を使ふ。

 炒飯を大雑把に定義したいとすると、これくらゐが精一杯ではないか。ごはんは熱いままか冷ましてからか。もつと云へば長粒種か短粒種か。卵は先にざつと炒めて仕上げに戻すか、ごはんと共に炒めるのか。味つけは塩と胡椒か、醤油か、豆瓣醤や甜麺醤か。具を他に加へるとして、どこまでが認められるか。議論の種は尽きないもので、またかういふ議論は、結論を出さないのが正しくも望ましく、そして好もしい。

 米を食べる習慣がある地域では、似た調理法がある。土耳古のピラフ、西班牙のパエリヤを挙げればお判り頂けるでせう。
 但しピラフやパエリヤは、調理の最初にごはんを炊かない。生もしくは研いだお米を炒めて具とあはせ、それから炊きまたは蒸しあげる。さういふ料り方が土耳古や西班牙の風土や、そこに棲む人びとの口に適つたからさうなつたので、私たちは、ははあと思つておけばよい。ヴァレンシアで野暮つたい赤葡萄酒をがぶがぶ呑みながらパエリヤを喰ふなんて、愉快な話ではありませんか。

 話がそれた。
 気にせずもう少しそれたままにしませうか。

 尊敬する檀一雄によると、イベリヤ人は烏賊や蛸の類を愛好するさうで、ごく小さな烏賊を墨も何も一緒くたに炒め上げたのや、蛸にオリーヴ油をあしらひ、唐辛子を用ゐた一種の酢の物があるらしく、實にうまさうでこまる。私は檀の文章を愛する者だが、何度その旨さうな一筆書きに迷惑を蒙つたか(どれだけ迷惑かは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ご自身で一讀なさい)葡萄酒でもサングリヤでも引つかける夜、かういふのをつまめたら、何の文句があるだらうか。

 そろそろ本題(詰りいつもの閑文字)に戻ると、炒飯に魚介類が加はるのを私は好まない。蟹炒飯や海老炒飯、もつと大きく海鮮炒飯の類。ああいつたのは温かいごはんとの相性が宜しくないと思はれる。海鮮丼よりばら寿司を好むのもさういふ事情があるのだが、もう一ぺん話をそらすと本題が失せて仕舞ふ。
 さういへばあんかけで仕立てるのも余り好きではないね。炒飯には先づぱらぱらしてもらひたく思ふのがその理由。ただ添へもののソップで少し湿らすのは許せる気がするから、この辺はいい加減としか云へないか。もうひとつ加へると、大きな具…たとへば鶏の唐揚げを使ふのは好ましくないと思ふ。炒飯の具は全体に混ざりがよくあつてもらひたいし、それらは中華鍋で炒めあげられる時、一体となるのが本道だらうと考へる。さういふ素早さ或は簡便さこそが炒飯本來の魅力ではあるまいか。

 さてそこでだ。私が望ましいと思ふ炒飯の姿は果してどうなのか、といふ疑問がここで浮んでくる。異論も疑念も無視して書くと

・ごはんは冷たいのを使ふ方がよささう。

・細かめに刻んだ玉葱を事前に、且つ念入りに炒めあげておく。

・濃いめの味つけの煮豚を刻んでおいて、炒めた玉葱と混ぜる。

・青葱は小口切りにしたのをたつぷり用意する。

・ごはんを炒める寸前のところで、卵を火が通りすぎない程度に炒めておく、

中華鍋を強火で熱くしてごはんを一気に炒める。味つけは塩胡椒。煮豚と玉葱を混ぜたのをはふり込み、火を止めてから卵を入れ、青葱を加へながらお皿に盛る。
 煮豚がなければ焼竹輪でも蒲鉾でもよく、色々混ぜたつて面白いでせう。金華ハムなぞを奢つてもいいけれど、さうなるとお米も水も卵も葱も塩も胡椒も吟味の必要が出てきて、気樂に食べにくくなつて仕舞ふ。
 盛る時にお椀の型にするのが炒飯の流儀といふか礼儀といふか、そんな感じがされるが、折角ぱらぱらになつたのだから、あんまり堅く詰めるのは宜しくなからう。お皿に投げ出すやうにならなければよしとしませうか。

 さ。話はここからが、が親愛なる讀者諸嬢諸氏に叱られさうな方向になる。私が未だ丸太少年だつた頃、炒飯…いや我が家では焼き飯と呼んでゐたな…は週末のお昼ごはんで出されることが多かつた。家の焼き飯なのだから特別でも贅沢でもない。卵と葱と安もののハムの切れ端が精々の具のそれに、ウスターソースをかけるのが"当り前の食べ方"だつた。

 いやそこの貴女、呆れた顔をしないで下さい。

 ウスターソースをかけるといつても、コロッケ相手のやうなざぶざぶでなく、匙に垂らしてからである。炒飯の一部にウスターソースの味を加へてゐる具合で、先刻から繰り返してゐる"折角のぱらぱら"は無駄にしてゐない。その筈である。家の焼き飯が薄味だつたから、かういふ習慣になつたのか、そもそも"焼き飯はウスターソースで食べるのだ"といふ考へだつたのか、その点はもう判然としないけれども。

 ここで思ひ出すのは、私が汁かけごはんを好む事實で、お茶漬けも味噌汁かけも水飯もうまい。炒飯…ではなかつた、焼き飯にウスターソースを当り前とするのも、その応用もしくは変形ではないかと疑念がたつた今、浮んできた。先にも書いた添へもののソップで湿らすのも、そのひとつの顕れだらうか。最近では匙で酢醤油(あれば大蒜のすりおろしも)をこさへて、ウスターソースよろしく垂らしもするから、身についたといふより、身に染み込んだ食べ方なのかも知れない。

 かう書くと、一家言ある我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、傍から見れば独自に冩る作り方食べ方があるのではないかと思ひ当つた。いやきつとあるにちがひない。魚醤は欠かせないとか、チリーソースを隠すのがこつだとか、具にトマトやレタスを使ふのがいいとか、卵は混ぜずに後からあはせるとかありさうで、様々の炒飯が一堂に会せばさぞ壮観だらうな。さういふ博覧会があれば参加せざるを得ないと確信出來るが、もしかすると炒飯の融通無碍で満腹になつて仕舞ふかも知れない。
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by vaxpops | 2017-05-30 06:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

簡便で旨いアレ

 気温が高くなつてくると食慾が失せるのは例年のとほりで、そろそろ素麺や冷し中華の類が主食になる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に
「丸太だつたら麦酒もだらう」
と訊かれるかも知れないが、そつちは年中欠かさないし、麦酒をもつて食事にするのは流石に私でも六づかしい。

 ここで余談。尊敬する内田百閒曰く、麦酒は冬に呑む方が味が締つてうまいらしい。本当かどうか確かめたいと思ふ瞬間は年に何度かあつて、どうやれば比較出來るのか。丸太程度の舌なら、そこそこ丁寧に注がれてゐれば、夏も冬もなく旨く感じるから、気にしなくてもかまひやしないだらう。余談ここまで。

 併し冷たい麺を啜りたければ、その前に茹でねばならない。面倒である。水で締めもせねばならず、矢張り面倒である。そんなくらゐ、面倒でも何でもないと感じるの方が寧ろ当然で、詰り不精者なのです、私は。水と独り身は低きに流れる。それで最近はもつぱら、豆腐に登場を願ふ機会が増えてきてゐる。かういふ書き方は豆腐に不本意だらうと推察する。申し訳ない。

 申し訳なくは思ふけれど、あんなに簡便な(それで旨い)食べものも中々見当らない。青葱の小口切りと生姜と醤油で基本は大完成する。生姜の代りに茗荷もいい。削り節もいい。醤油でなくぽん酢や辣油でもまた宜しい。天かすをたつぷり乗せ、山葵を隠しためんつゆでやつつけるのも旨い(たぬき奴と呼ぶさうだね。最近知つた)し、大根おろしを奢るのもよい。この場合、他にも色みがないと些か寂しいか。或はセロリや大葉や胡瓜やキヤベツと一緒にサラド仕立て…ぽんで酢で十分うまいと思ふけれど、贅沢が許されるなら梅酢を使ひたい…にすれば、ちよつとしたおかずにもなる。火を使はずにこれだけ出來るんだから、こんなに嬉しい話はないやね。

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 火を我慢出來るくらゐの余裕があればささ身をうがいたのを加へるのも旨い。この場合、ささ身には棒々鶏のやうな濃いめの味噌を使ふのがよささうに思ふ。それだけだとしつこいと思はれる方は、柑橘の皮をひとへぎ、添へれば、口当りがさはやかになるのではないか知ら。
 温奴といふのもある。温奴は豆腐をゆるく温め、同じく温かいたれと紅葉おろしと刻み葱に針生姜を添へてやつつける。湯豆腐のやうに熱くしないのがどうもこつらしく、温かいのからひんやりしたところまで、微妙に変化するのがよい。冷たいもの計りでお腹が冷えさうな時に恰好の食べ方だと思はれる。豆腐を熱く仕立てるなら、紅葉おろしでなく、大根おろしをたつぷり用意するのが好もしからうな。
 も少し手間を掛けてよければ、種なしの味噌汁を用意して、冷しておかう。心もちうすめにしておけば、宿酔ひの朝にまつたく嬉しいお椀になるが、やや濃いめに仕立てて、豆腐に青葱と茗荷と胡麻をあしらへば今度は肴になる。凝れるひとは宮崎や宇和島に倣つて冷や汁風にしてもいいでせう。あんなに夏向きの汁ものはなくつて、暑い季節には暑い地域の食べものを、といふのは世界に散在する数少ない眞實のひとつなんです。

 ところで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。それぞれのご家庭に旨い豆腐の食べ方がきつとあつて、貴女がきつとそれをにこにこしながら食べてゐるだらうと既に予測は出來てゐる。そこで私が何を申し上げたいかはご想像のとほりなので、ええ、その辺りをひとつ、宜しくお願ひしますよ。

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by vaxpops | 2017-05-22 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

明治めし

 日本人の文化的な意識の規範を遡ると室町の時代に辿り着くといふ説を目にした記憶があつて、確か司馬遼太郎だつたと思ふが、何しろ曖昧な記憶だからあてにはならない。そこは措くとして、ずいぶんと説得力に富んではゐる。今に残る建物や所作、或は藝能の根を探ると確かに室町人の姿が遠冩しに浮んできて、後を承けた織田豊臣徳川は300年余りをかけてそれを磨いてきたのかとも思へてくる。現代から見て最初のエポックだつたのではなからうか。わざわざ"最初の"と云ふくらゐだから、"次の"エポックがあるだらうとは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のすすどい推察を待つまでもない。

 ところで開國した我が邦が案外なほどスムースに西洋文明を受け容れ得たのは、その室町から江戸期いつぱいにかけて、流通を基盤にした経済圏が整へられたところに要因のひとつを挙げられないだらうか。ごく大雑把に云ふと、当時の日本は半獨立國の集まりと見立てられる。今で云へば欧州連合(あくまでも大把みの話ですよ)が近いと思はれる。詰り貿易があり、為替や相場があつた。米の代金が相場を作り、蝦夷地の密貿易で得た大陸の布切れが京大坂でいい商品になり、西のお酒や醤油が下り物として江戸で珍重されたやうな例は幾らでもあつて、これは非常に西洋的な(が大袈裟なら近代寸前の)光景である。殖産工業だの富国強兵だのといつた惹句は莫迦げてゐなければ痛切可憐なのだけれど、その惹句を掲げた我が邦が列強式の経済圏に(曲りなりにも)潜り込めたのは、室町江戸の長い準備期間があつたからだと考へても強ち無理とは云へないでせう。

 では(前近代的な)経済圏が出來てゐたといふのは何を意味、または暗示するのか。と疑問を抱くのは当然の人情で、私はそれを"生活圏の中では見られない品々"に馴れる契機になつた点ではないかと思つてゐる。どうやら世の中、隣近所では賣られてゐない(珍しい或はうまい)物があるらしいぞ。とは経済圏…流通網の確立と充實があつて感じられる筈で、その充實を地域で受け容れることで、緩やかな変化をもたらしただらう。詰り鎖國的と云ひながらも均質ではなく、更に異質が…質や量の多寡は問題ではない…流入し得た状態が300年續いたのが次のエポックに繋つたのかと思はれて、やつと話が今回の題名にも繋がる。

 "明治めし"といふのはこの稿だけの仮の造語だから、他で用ゐると恥をかく。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には注意して頂きたい。今の日本の食卓は遡れば明治の中ごろ以降に根があると思ふ。

明治27年 ウスターソース販賣(越後屋)
 ※日清戰争
明治32年 とんかつの原型誕生(煉瓦亭)
 ※東京大坂間に電話開通/現在の森永創業
明治36年 ケチャップの製造販賣(清水屋)
 ※藤村操自死/平民新聞創刊
明治38年 國産カレー粉の製造販賣(大和屋)
 ※旅順要塞陥落/日本海海戰

 コロッケは大正6年頃の大流行、マヨネィーズは大正14年發賣(キユーピー/当時は食品工業社)だから稍遅れてゐるが、ひと續きの流れと見て差支へはなからう。序でながら『西洋料理指南』『西洋料理通』と題された本が明治5年に刊行されてゐたから、その当時から(限られた階層ではあつたらうが)どうも西洋料理とかいふ食べものがあるらしいといふ噂…風聞はあつたのだらう。念の為に明治5年から27年にかけてを俯瞰すると、廃刀令があり、西南戰争があり、大久保利通が暗殺され、鹿鳴館の莫迦騒ぎ、大日本帝國憲法發布とまことに慌ただしい。前途多難といふか先行き不透明といふか。

 併し國事多難とは云へ、多難だつたのは未だ政府の豪いひとだけだつたとも推察出來て、日本人全体が惨烈な状況に巻き込まれるのは日露戰争からだらう。庶民が近代的な意味での國民になつた切つ掛けとも呼べるわけだが、かういふ話は私の手に余る。詳らかなところは近代史の研究家に任せるとして、その間、庶民乃至國民はしぶとく新しい食事を受け容れ續けた。前段で触れた経済圏と流通網による変化が予習になつたのだらう。更に単に受け容れただけでなく、それを自分たちの舌に適はす工夫も怠らなかつたことは特筆してよいと思ふ。
 コロッケやとんかつ、カレーライスにハヤシライス、オムレツに種々のフライ、煮込みの応用でもあつたらうシチュー(ごく初期の紹介は大正13年頃らしい)は無名の人びとの工夫…或は喰ひ意地の發露であつた。前時代には無かつた食べものを半世紀掛けて、現代のごく当り前に変化…昇華させた原点が"明治めし"で、これをエポックと呼ばない理由は見当らないでせう。我われはこの"明治めし"を生み出した先人にふかく謝意を示さねばならないだらう。そこで気になるのは具体的にどんなものだつたのだらうといふ点で、たとへばかういふ記述がある。

「葱1茎、生姜半箇、蒜少計を細末にして牛酪大1匙を以て煎り水1合5勺を加へ、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙等のものを入て能く煮、後カレーの粉1匙を入煮る。熟したるとき塩に加へ又小粉大匙2水にて解きて入るべし」

 前述の『西洋料理指南』に書かれてゐるカレーの作り方(表記はこの稿にあはせて変更してゐる)で、鯛や牡蠣は兎も角、赤蛙を用ゐるのには少々驚いた。まさか全部を一ぺんに入れるわけではなからうな。中國料理では蛙を田鶏と称するから、鶏肉が手に入らない時の代用だつたのか知ら。牛酪は今で云ふバタ。上の手順を現代文風に訳すと

①細かく刻んだ葱と生姜と大蒜をバタ(大匙1)で炒める。
②そこに水270ミリリットルを加へ、鶏や海老、鯛、牡蠣、赤蛙なぞを入れてよく煮る。
③カレー粉1匙を加へる。
④煮えたら塩、それから小麦粉(大匙2)を水で溶いて入れる。

となつて、中々旨さうである。文明開化のごく浅い時期にこれだけの指南書が書けたのだから(實際葱を玉葱にすれば現在のカレーと殆ど同じくらゐに思はれる)、大したものではないか。当時の手順に忠實な"明治めし"…カリーだけでなくクロッケットやカットレットも…を用意するお店があれば、是非にも通つてみたいものだ。平らげるだけ平らげて、我われは室町人や明治人のやうなエポックを作れるのだらうかと、がつくりする心配があるのだけれど。
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by vaxpops | 2017-05-16 17:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

御説御尤も

 買つたはいいが、どう扱へばいいかよく判らなかつたもののひとつに、鯖の水煮鑵がある。
 よく判らなかつた理由は味の想像が出來なかつたからで、そんならいつちよ、食べてみればいいぢやあないかと指摘されれば、御説御尤もと頭を下げる他にない。併し買つた以上、鯖なのだからまづい道理はないし、そもそ手元に鑵詰があるのだから食べなくてはならない。

 それでざつと調べてみると、簡便で旨さうな食べ方があるもので、中でも

『お皿にあけ、大根おろしを添へて、青葱を散らして醤油を垂らす』

には微苦笑を浮べざるを得なかつた。確かにうまいだらうけれど、胸を張つて書くことでもなささうな気がする。もうひとつ微苦笑の例を挙げると

『小鍋に移し、味噌仕立てで煮く』

といふのがあつて、鯖の味噌煮鑵とどこがちがふのか知ら。梅干しのひとつもはふり込んで、演出をするのだらうか。

 うーむ、役に立つのか立たないのか、判断が六づかしいなあと思ひながら鑵をじつくり眺めると
『おいしい召し上り方』
とか称して、鯖の水煮をトマトでソップ仕立てにすると書いてあつた。

 ほほう。

 ここで思ひ出したのは、鶏肉の麦酒煮で、骨付きの股肉だつたかを塩胡椒で焼いた後、トマトのピューレと麦酒で煮た(水は使はない)だけのものだが、あれは旨かつた。鯖の水煮でも応用出來るのではないかと思つた。

 併しうまく仕上るかどうか自信が持てないのにトマト・ピューレを買ふのは勿体無いと、せせこましく考へて、取敢ず冷蔵庫にある濃縮出汁で何とかしようと方向を決めた。

 近くのマーケットで玉葱2個が60円(見切品)だつたのでそれを買つて、ひとつを大ぶりに切つて小鍋に敷き、そこに鯖の水煮鑵をあけた。
 更にもうひとつの玉葱を小さめに切つて上から被せた。鑵詰の汁だけでは足りなささうだつたから水を加へ、抑へ気味の火を入れながら、塩胡椒を振り、濃縮出汁は少なめ。鯖の匂ひが立ちさうに思へたので、チューブ入りの生姜を念の為。

 煮きあがりは實に無愛想。だが味は惡くない。鑵詰なのだから調味がまづい筈はなく、加へた分も同じ程度に効果的だつたか。尤も欣喜雀躍の美味にはほど遠い。まつたくのところ適当に煮ただけなのだから、当り前である。

 先づ玉葱のソップを用意した方がよかつた。味つけは塩と胡椒。薄味のたつぷり目。
 色みを考へると矢張り、トマトや青葱は欲しかつたし、味を広げるのを含めば茸を加へるのも方法だつたか。
 鯖鑵を入れるのはその後で、味の全体は醤油でも生姜でも大蒜でも使つて、控へ目に調へる。

 これならお皿に盛るだけで、それなりに見える(期待がある)し、柑橘の皮をへいで散らすか、梅肉を叩いたのを添へれば、半人前よりは多少ましなひと皿になりさうな気がする。ただかういふ手間は、たれかに食べてもらはうとする時に掛けたくなるものだからなあ。

 かう書くと、いやいやと訂正が求められるだらうか。たれかに食べてもらはうとするなら、そもそも鯖の水煮鑵は使はないでせう、と。云はれてみればその通りで、御説御尤もと再び頭を下げなくてはならない。
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by vaxpops | 2017-05-03 13:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(3)

何しろ自分で食べるだけ

 最近になつてやつと気がついた。廉な即席味噌汁(粉末ではない方のやつ)は煮物にも使へる。いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、笑はれてはこまるので、ああいふのは出汁も入つてゐるから、独居老人(近似値)には實に便利なんである。
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 小鍋でちよいとどろつとしてゐるかな、と思へるくらゐに溶く。味つけは醤油と生姜で辛さがきつく感じられる程度に調へて緩い火で温める。

 長葱を細かく、または粗く切つたのを入れ、鶏肉(ぶつ切りのやうなのがいい。唐揚げに用ゐるみたいなやつ)をはふり込んで…煮物鍋物に使ふ袋詰めの野菜があればもつといい…塩胡椒を振り、ざくざく切つた白菜で蓋をする。後はそのままゆつくり火を通せばよい。

 辛いのが好みなら鷹の爪を追加してよく、鶏肉に脂が足りなければ油揚げを入れるのもよい。面倒を顧みず、豚肉の塊を大きくぶつ切つて、大根や牛蒡や人参、里芋に蒟蒻を加へて焼酎を横に置けば、薩摩風だと強弁出來なくもない。

 まあ即席味噌汁を使ふのだから、そこまで手を掛けるなら、ちやんとお出汁をひいて、吟味したお味噌を用ゐるのが本道であらう。さういふきちんとした煮物を作るのに否やはないのだが、何しろ自分で食べるだけだもの。手を抜きたくなつて仕舞ふ。

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by vaxpops | 2017-02-17 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

とろ火

 最近のマーケットは便利なもので、独り暮しの小父さんでも簡単な自炊なら不可能ではない。いやそれならちゃんと自炊する方が安上りですよと我が親切な讀者諸嬢諸氏は云ってくれる気がされるけれど、その"ちゃんとした自炊"がそもそもの難問で、そこに無理があるならお惣菜やお弁当に任す方が寧ろ廉になる。
 丸太の場合だと風が冷たくなってくると、ちゃんとはしないまでもそれなりの自炊をする習慣になっていて、要するにお鍋で何やかやを煮るまたは炊くんである。何やかやに少し注意を払い、火入れを怠らなければ日保ちはするもので、これでは自炊というより一種の保存食ではないかとも思われる。

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 野菜の切れっ端やら茸の欠片やらが袋詰めで賣られているのを利用する。勿論"ちゃんとした自炊"を心がけるひとはそうすれば宜しい。序でに豚肉の小間切れなんぞも買っておく。
 袋詰めの半分くらいを鍋に入れて、そこに豚こまを広げて乗せる。乗せたら塩胡椒を振る。それから野菜の残りを乗せる。そしたら火を点けるのだが、ごく弱い火にする。こつだと思えるのは水を出來るだけ使わないことと、火を強めないことだけで、これなら庖丁を持った経験のないひとだつて出來るだろう。ゆっくり火を入れるとじわじわ水が上ってきて、そこに麺つゆを入れる。分量は適当で構わないが、不安なら少なめにすればよい。麺つゆだけは頼りないなあと思うなら、生姜でも大蒜でも好きに入れて、好みに近づければ宜しかろう。後は火が通れば出來上りで、薄めだったら味つけぽん酢でも醤油でも足せばよいし、濃すぎると思ったら、お皿に乗せてから溶き卵や温泉卵を入れればよい。

 念を押すとこれはあくまでも最低限のつくり方で、白菜に葱、人参、大根、椎茸、舞茸、しらたきを用意し、豚肉は熱湯を通してから下味をつけ、お出汁は昆布や削り節で取って、塩と醤油で味を調えたのを使うのが正統なのは云うまでもない。最後に生姜の絞り汁を入れて香りをつけ、それで出來上りには刻んだ青葱を散らせば、一人前のおかずの顔にはなるだろうと思われる。
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by vaxpops | 2016-11-03 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)