いんちきでさらにマクガフィン

by 丸太花道@乳軟部

簡便で旨いアレ

 気温が高くなつてくると食慾が失せるのは例年のとほりで、そろそろ素麺や冷し中華の類が主食になる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に
「丸太だつたら麦酒もだらう」
と訊かれるかも知れないが、そつちは年中欠かさないし、麦酒をもつて食事にするのは流石に私でも六づかしい。

 ここで余談。尊敬する内田百閒曰く、麦酒は冬に呑む方が味が締つてうまいらしい。本当かどうか確かめたいと思ふ瞬間は年に何度かあつて、どうやれば比較出來るのか。丸太程度の舌なら、そこそこ丁寧に注がれてゐれば、夏も冬もなく旨く感じるから、気にしなくてもかまひやしないだらう。余談ここまで。

 併し冷たい麺を啜りたければ、その前に茹でねばならない。面倒である。水で締めもせねばならず、矢張り面倒である。そんなくらゐ、面倒でも何でもないと感じるの方が寧ろ当然で、詰り不精者なのです、私は。水と独り身は低きに流れる。それで最近はもつぱら、豆腐に登場を願ふ機会が増えてきてゐる。かういふ書き方は豆腐に不本意だらうと推察する。申し訳ない。

 申し訳なくは思ふけれど、あんなに簡便な(それで旨い)食べものも中々見当らない。青葱の小口切りと生姜と醤油で基本は大完成する。生姜の代りに茗荷もいい。削り節もいい。醤油でなくぽん酢や辣油でもまた宜しい。天かすをたつぷり乗せ、山葵を隠しためんつゆでやつつけるのも旨い(たぬき奴と呼ぶさうだね。最近知つた)し、大根おろしを奢るのもよい。この場合、他にも色みがないと些か寂しいか。或はセロリや大葉や胡瓜やキヤベツと一緒にサラド仕立て…ぽんで酢で十分うまいと思ふけれど、贅沢が許されるなら梅酢を使ひたい…にすれば、ちよつとしたおかずにもなる。火を使はずにこれだけ出來るんだから、こんなに嬉しい話はないやね。

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 火を我慢出來るくらゐの余裕があればささ身をうがいたのを加へるのも旨い。この場合、ささ身には棒々鶏のやうな濃いめの味噌を使ふのがよささうに思ふ。それだけだとしつこいと思はれる方は、柑橘の皮をひとへぎ、添へれば、口当りがさはやかになるのではないか知ら。
 温奴といふのもある。温奴は豆腐をゆるく温め、同じく温かいたれと紅葉おろしと刻み葱に針生姜を添へてやつつける。湯豆腐のやうに熱くしないのがどうもこつらしく、温かいのからひんやりしたところまで、微妙に変化するのがよい。冷たいもの計りでお腹が冷えさうな時に恰好の食べ方だと思はれる。豆腐を熱く仕立てるなら、紅葉おろしでなく、大根おろしをたつぷり用意するのが好もしからうな。
 も少し手間を掛けてよければ、種なしの味噌汁を用意して、冷しておかう。心もちうすめにしておけば、宿酔ひの朝にまつたく嬉しいお椀になるが、やや濃いめに仕立てて、豆腐に青葱と茗荷と胡麻をあしらへば今度は肴になる。凝れるひとは宮崎や宇和島に倣つて冷や汁風にしてもいいでせう。あんなに夏向きの汁ものはなくつて、暑い季節には暑い地域の食べものを、といふのは世界に散在する数少ない眞實のひとつなんです。

 ところで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ。それぞれのご家庭に旨い豆腐の食べ方がきつとあつて、貴女がきつとそれをにこにこしながら食べてゐるだらうと既に予測は出來てゐる。そこで私が何を申し上げたいかはご想像のとほりなので、ええ、その辺りをひとつ、宜しくお願ひしますよ。

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by vaxpops | 2017-05-22 08:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

明治めし

 日本人の文化的な意識の規範を遡ると室町の時代に辿り着くといふ説を目にした記憶があつて、確か司馬遼太郎だつたと思ふが、何しろ曖昧な記憶だからあてにはならない。そこは措くとして、ずいぶんと説得力に富んではゐる。今に残る建物や所作、或は藝能の根を探ると確かに室町人の姿が遠冩しに浮んできて、後を承けた織田豊臣徳川は300年余りをかけてそれを磨いてきたのかとも思へてくる。現代から見て最初のエポックだつたのではなからうか。わざわざ"最初の"と云ふくらゐだから、"次の"エポックがあるだらうとは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のすすどい推察を待つまでもない。

 ところで開國した我が邦が案外なほどスムースに西洋文明を受け容れ得たのは、その室町から江戸期いつぱいにかけて、流通を基盤にした経済圏が整へられたところに要因のひとつを挙げられないだらうか。ごく大雑把に云ふと、当時の日本は半獨立國の集まりと見立てられる。今で云へば欧州連合(あくまでも大把みの話ですよ)が近いと思はれる。詰り貿易があり、為替や相場があつた。米の代金が相場を作り、蝦夷地の密貿易で得た大陸の布切れが京大坂でいい商品になり、西のお酒や醤油が下り物として江戸で珍重されたやうな例は幾らでもあつて、これは非常に西洋的な(が大袈裟なら近代寸前の)光景である。殖産工業だの富国強兵だのといつた惹句は莫迦げてゐなければ痛切可憐なのだけれど、その惹句を掲げた我が邦が列強式の経済圏に(曲りなりにも)潜り込めたのは、室町江戸の長い準備期間があつたからだと考へても強ち無理とは云へないでせう。

 では(前近代的な)経済圏が出來てゐたといふのは何を意味、または暗示するのか。と疑問を抱くのは当然の人情で、私はそれを"生活圏の中では見られない品々"に馴れる契機になつた点ではないかと思つてゐる。どうやら世の中、隣近所では賣られてゐない(珍しい或はうまい)物があるらしいぞ。とは経済圏…流通網の確立と充實があつて感じられる筈で、その充實を地域で受け容れることで、緩やかな変化をもたらしただらう。詰り鎖國的と云ひながらも均質ではなく、更に異質が…質や量の多寡は問題ではない…流入し得た状態が300年續いたのが次のエポックに繋つたのかと思はれて、やつと話が今回の題名にも繋がる。

 "明治めし"といふのはこの稿だけの仮の造語だから、他で用ゐると恥をかく。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には注意して頂きたい。今の日本の食卓は遡れば明治の中ごろ以降に根があると思ふ。

明治27年 ウスターソース販賣(越後屋)
 ※日清戰争
明治32年 とんかつの原型誕生(煉瓦亭)
 ※東京大坂間に電話開通/現在の森永創業
明治36年 ケチャップの製造販賣(清水屋)
 ※藤村操自死/平民新聞創刊
明治38年 國産カレー粉の製造販賣(大和屋)
 ※旅順要塞陥落/日本海海戰

 コロッケは大正6年頃の大流行、マヨネィーズは大正14年發賣(キユーピー/当時は食品工業社)だから稍遅れてゐるが、ひと續きの流れと見て差支へはなからう。序でながら『西洋料理指南』『西洋料理通』と題された本が明治5年に刊行されてゐたから、その当時から(限られた階層ではあつたらうが)どうも西洋料理とかいふ食べものがあるらしいといふ噂…風聞はあつたのだらう。念の為に明治5年から27年にかけてを俯瞰すると、廃刀令があり、西南戰争があり、大久保利通が暗殺され、鹿鳴館の莫迦騒ぎ、大日本帝國憲法發布とまことに慌ただしい。前途多難といふか先行き不透明といふか。

 併し國事多難とは云へ、多難だつたのは未だ政府の豪いひとだけだつたとも推察出來て、日本人全体が惨烈な状況に巻き込まれるのは日露戰争からだらう。庶民が近代的な意味での國民になつた切つ掛けとも呼べるわけだが、かういふ話は私の手に余る。詳らかなところは近代史の研究家に任せるとして、その間、庶民乃至國民はしぶとく新しい食事を受け容れ續けた。前段で触れた経済圏と流通網による変化が予習になつたのだらう。更に単に受け容れただけでなく、それを自分たちの舌に適はす工夫も怠らなかつたことは特筆してよいと思ふ。
 コロッケやとんかつ、カレーライスにハヤシライス、オムレツに種々のフライ、煮込みの応用でもあつたらうシチュー(ごく初期の紹介は大正13年頃らしい)は無名の人びとの工夫…或は喰ひ意地の發露であつた。前時代には無かつた食べものを半世紀掛けて、現代のごく当り前に変化…昇華させた原点が"明治めし"で、これをエポックと呼ばない理由は見当らないでせう。我われはこの"明治めし"を生み出した先人にふかく謝意を示さねばならないだらう。そこで気になるのは具体的にどんなものだつたのだらうといふ点で、たとへばかういふ記述がある。

「葱1茎、生姜半箇、蒜少計を細末にして牛酪大1匙を以て煎り水1合5勺を加へ、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙等のものを入て能く煮、後カレーの粉1匙を入煮る。熟したるとき塩に加へ又小粉大匙2水にて解きて入るべし」

 前述の『西洋料理指南』に書かれてゐるカレーの作り方(表記はこの稿にあはせて変更してゐる)で、鯛や牡蠣は兎も角、赤蛙を用ゐるのには少々驚いた。まさか全部を一ぺんに入れるわけではなからうな。中國料理では蛙を田鶏と称するから、鶏肉が手に入らない時の代用だつたのか知ら。牛酪は今で云ふバタ。上の手順を現代文風に訳すと

①細かく刻んだ葱と生姜と大蒜をバタ(大匙1)で炒める。
②そこに水270ミリリットルを加へ、鶏や海老、鯛、牡蠣、赤蛙なぞを入れてよく煮る。
③カレー粉1匙を加へる。
④煮えたら塩、それから小麦粉(大匙2)を水で溶いて入れる。

となつて、中々旨さうである。文明開化のごく浅い時期にこれだけの指南書が書けたのだから(實際葱を玉葱にすれば現在のカレーと殆ど同じくらゐに思はれる)、大したものではないか。当時の手順に忠實な"明治めし"…カリーだけでなくクロッケットやカットレットも…を用意するお店があれば、是非にも通つてみたいものだ。平らげるだけ平らげて、我われは室町人や明治人のやうなエポックを作れるのだらうかと、がつくりする心配があるのだけれど。
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by vaxpops | 2017-05-16 17:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

御説御尤も

 買つたはいいが、どう扱へばいいかよく判らなかつたもののひとつに、鯖の水煮鑵がある。
 よく判らなかつた理由は味の想像が出來なかつたからで、そんならいつちよ、食べてみればいいぢやあないかと指摘されれば、御説御尤もと頭を下げる他にない。併し買つた以上、鯖なのだからまづい道理はないし、そもそ手元に鑵詰があるのだから食べなくてはならない。

 それでざつと調べてみると、簡便で旨さうな食べ方があるもので、中でも

『お皿にあけ、大根おろしを添へて、青葱を散らして醤油を垂らす』

には微苦笑を浮べざるを得なかつた。確かにうまいだらうけれど、胸を張つて書くことでもなささうな気がする。もうひとつ微苦笑の例を挙げると

『小鍋に移し、味噌仕立てで煮く』

といふのがあつて、鯖の味噌煮鑵とどこがちがふのか知ら。梅干しのひとつもはふり込んで、演出をするのだらうか。

 うーむ、役に立つのか立たないのか、判断が六づかしいなあと思ひながら鑵をじつくり眺めると
『おいしい召し上り方』
とか称して、鯖の水煮をトマトでソップ仕立てにすると書いてあつた。

 ほほう。

 ここで思ひ出したのは、鶏肉の麦酒煮で、骨付きの股肉だつたかを塩胡椒で焼いた後、トマトのピューレと麦酒で煮た(水は使はない)だけのものだが、あれは旨かつた。鯖の水煮でも応用出來るのではないかと思つた。

 併しうまく仕上るかどうか自信が持てないのにトマト・ピューレを買ふのは勿体無いと、せせこましく考へて、取敢ず冷蔵庫にある濃縮出汁で何とかしようと方向を決めた。

 近くのマーケットで玉葱2個が60円(見切品)だつたのでそれを買つて、ひとつを大ぶりに切つて小鍋に敷き、そこに鯖の水煮鑵をあけた。
 更にもうひとつの玉葱を小さめに切つて上から被せた。鑵詰の汁だけでは足りなささうだつたから水を加へ、抑へ気味の火を入れながら、塩胡椒を振り、濃縮出汁は少なめ。鯖の匂ひが立ちさうに思へたので、チューブ入りの生姜を念の為。

 煮きあがりは實に無愛想。だが味は惡くない。鑵詰なのだから調味がまづい筈はなく、加へた分も同じ程度に効果的だつたか。尤も欣喜雀躍の美味にはほど遠い。まつたくのところ適当に煮ただけなのだから、当り前である。

 先づ玉葱のソップを用意した方がよかつた。味つけは塩と胡椒。薄味のたつぷり目。
 色みを考へると矢張り、トマトや青葱は欲しかつたし、味を広げるのを含めば茸を加へるのも方法だつたか。
 鯖鑵を入れるのはその後で、味の全体は醤油でも生姜でも大蒜でも使つて、控へ目に調へる。

 これならお皿に盛るだけで、それなりに見える(期待がある)し、柑橘の皮をへいで散らすか、梅肉を叩いたのを添へれば、半人前よりは多少ましなひと皿になりさうな気がする。ただかういふ手間は、たれかに食べてもらはうとする時に掛けたくなるものだからなあ。

 かう書くと、いやいやと訂正が求められるだらうか。たれかに食べてもらはうとするなら、そもそも鯖の水煮鑵は使はないでせう、と。云はれてみればその通りで、御説御尤もと再び頭を下げなくてはならない。
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by vaxpops | 2017-05-03 13:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(3)

何しろ自分で食べるだけ

 最近になつてやつと気がついた。廉な即席味噌汁(粉末ではない方のやつ)は煮物にも使へる。いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、笑はれてはこまるので、ああいふのは出汁も入つてゐるから、独居老人(近似値)には實に便利なんである。
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 小鍋でちよいとどろつとしてゐるかな、と思へるくらゐに溶く。味つけは醤油と生姜で辛さがきつく感じられる程度に調へて緩い火で温める。

 長葱を細かく、または粗く切つたのを入れ、鶏肉(ぶつ切りのやうなのがいい。唐揚げに用ゐるみたいなやつ)をはふり込んで…煮物鍋物に使ふ袋詰めの野菜があればもつといい…塩胡椒を振り、ざくざく切つた白菜で蓋をする。後はそのままゆつくり火を通せばよい。

 辛いのが好みなら鷹の爪を追加してよく、鶏肉に脂が足りなければ油揚げを入れるのもよい。面倒を顧みず、豚肉の塊を大きくぶつ切つて、大根や牛蒡や人参、里芋に蒟蒻を加へて焼酎を横に置けば、薩摩風だと強弁出來なくもない。

 まあ即席味噌汁を使ふのだから、そこまで手を掛けるなら、ちやんとお出汁をひいて、吟味したお味噌を用ゐるのが本道であらう。さういふきちんとした煮物を作るのに否やはないのだが、何しろ自分で食べるだけだもの。手を抜きたくなつて仕舞ふ。

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by vaxpops | 2017-02-17 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

とろ火

 最近のマーケットは便利なもので、独り暮しの小父さんでも簡単な自炊なら不可能ではない。いやそれならちゃんと自炊する方が安上りですよと我が親切な讀者諸嬢諸氏は云ってくれる気がされるけれど、その"ちゃんとした自炊"がそもそもの難問で、そこに無理があるならお惣菜やお弁当に任す方が寧ろ廉になる。
 丸太の場合だと風が冷たくなってくると、ちゃんとはしないまでもそれなりの自炊をする習慣になっていて、要するにお鍋で何やかやを煮るまたは炊くんである。何やかやに少し注意を払い、火入れを怠らなければ日保ちはするもので、これでは自炊というより一種の保存食ではないかとも思われる。

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 野菜の切れっ端やら茸の欠片やらが袋詰めで賣られているのを利用する。勿論"ちゃんとした自炊"を心がけるひとはそうすれば宜しい。序でに豚肉の小間切れなんぞも買っておく。
 袋詰めの半分くらいを鍋に入れて、そこに豚こまを広げて乗せる。乗せたら塩胡椒を振る。それから野菜の残りを乗せる。そしたら火を点けるのだが、ごく弱い火にする。こつだと思えるのは水を出來るだけ使わないことと、火を強めないことだけで、これなら庖丁を持った経験のないひとだつて出來るだろう。ゆっくり火を入れるとじわじわ水が上ってきて、そこに麺つゆを入れる。分量は適当で構わないが、不安なら少なめにすればよい。麺つゆだけは頼りないなあと思うなら、生姜でも大蒜でも好きに入れて、好みに近づければ宜しかろう。後は火が通れば出來上りで、薄めだったら味つけぽん酢でも醤油でも足せばよいし、濃すぎると思ったら、お皿に乗せてから溶き卵や温泉卵を入れればよい。

 念を押すとこれはあくまでも最低限のつくり方で、白菜に葱、人参、大根、椎茸、舞茸、しらたきを用意し、豚肉は熱湯を通してから下味をつけ、お出汁は昆布や削り節で取って、塩と醤油で味を調えたのを使うのが正統なのは云うまでもない。最後に生姜の絞り汁を入れて香りをつけ、それで出來上りには刻んだ青葱を散らせば、一人前のおかずの顔にはなるだろうと思われる。
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by vaxpops | 2016-11-03 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

1984 たぬき

 何しろ暑い季節は食慾が丸で無いものだから素麺や豆腐が主食になる。併し食慾を感じなくても多少は食べなくちやあ躰が保たないので、ごく小さな工夫を考へざるを得ない。

 一ばん簡単なのは"たぬきやつこ"といふやつでただこれは工夫も何もない。要するに冷奴に天かすを振りかけるだけの話だから、阿房でも直ぐに用意出來る。敢て云へば醤油でなくぽん酢か濃縮の麺つゆを使ふくらゐだらうか。

 尤もこれだけだと藝も何もないので天かす以外に何かを乗せるのが宜しからう。たぬきではない冷奴に用ゐる浅葱や生姜、茗荷は似合ふが、削り節は例外のやうに思はれる。
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 豆腐自体を匙で粗く崩して温泉卵を加へるのも中々によい。手間を惜しまないひとなら梅干しを叩いたのを用意するのも方法だらう。削り節を欠かせないと思はれる向きにはこの時に混ぜればよい。これならおにぎりにも適ふ。

 野菜…面倒ならカット野菜でいい。たれからも文句は出ない筈だ…がここにあればしめたもので一食分には十分な量になる。
 そこにうがいた豚肉や鶏のささ身を蒸したのだつたり茄子や茗荷や大葉の素揚げだつたりを添へればこの時期のご馳走になるかも知れず、ここまで手を掛けるなら麺つゆよりサラド用のドレッシングの方がうまいだらうが、豆腐は簡便に食べるのを最良とする立場から見ると、本末転倒も甚だしいとも云へるか。

 "たぬきやつこ"の要諦はどうやら天かすの油くささを上手に抑へるところにあるらしく、そこに加へるもの次第で肴になればおかずにもなるのが面白い。さういへば"温奴"といふ冷奴を温め(湯豆腐のやうな熱さにはしない)、温めたぽん酢と削り節、生姜に浅葱でやつつける食べ方があつたのを思ひ出した。あれを"たぬきやつこ"仕立て…削り節の代りに大根おろしはどうか知ら…にすれば、ひやおろしに似合ひの肴になりさうな気がする。風が冷たくなつたら、試してみるとしようか。

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by vaxpops | 2016-08-22 07:00 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)

1940 面倒

 随分と以前にこの時期向きの献立を教はつたのを思ひ出した。
 思ひ出したから忘れないうちに書きつけておくとする。別にややこしい眞似はしないから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、安心して頂きたい。

 まづトマトをざくざく切る。凝りたければ皮を湯剥きすればいいが、面倒だつたら鑵詰でもいいと思ふ。但しピューレは感心しない。

 そのトマトをお鍋にたつぷり入れる。
 火はごく弱め。

 その隙に鶏肉をさつと湯がく。
 湯がいた鶏肉をお鍋に入れる。
 塩と胡椒で味を調へれば完成。

 莫迦ばかしいでせう。併しこれだけでうまいのたから、世の中は不思議に出來てゐる。
 これではだけど、人さまに出せないなあと思はれるなら、茄子だの胡瓜だのセロリだの、夏野菜をどんどん追加したり、大蒜の香りを加へるなり酢を用ゐるなり、盛りつける際にパセリでも散らせばよい。長葱と醤油を目立たない程度にあしらへば、妙な具合の和洋折衷にもなる。

 熱いままでもいいが、冷してもうまい。
 案外と葡萄酒…ミディアムかライトだらうね、この場合…に似合ふ。

 こつらしいこつがあるわけでもないが、敢て贅言を弄すれば、水は使はない事と味つけは最後に調へる程度に抑へる事だらうか。

 画像がない?

 ふむ。久しぶりに作るのも惡くはないのだが、振る舞へる相手がゐないと、どうにかうにも、面倒くさくてねえ。
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by vaxpops | 2016-07-09 11:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)