いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

1810 文庫本の話

 記憶にある"最初に讀んだ本"は多分、波書店刊の『くまのプーさん/プーさん横丁にたつた家』か、同じく岩波書店の『ドリトル先生アフリカゆき』だつた。どちらも函入りの立派な装丁で、400円とかそれくらゐの値段だつたと思ふ。随分と廉価にも感じるが、40年以上前の話だから、その辺の差し引きはしてもらふ必要がある。もつとこぶりな版型で、『ガリヴァ旅行記』(但しリリパット國とプロブディンナグ國のみ)も讀んだ。どの本も優れた翻訳者(石井桃子、井伏鱒二、中野好夫)を得て、幼かつた私を熱中させた。これらの本は自分で撰んだわけでなく、おそらくは母親の好みの筈で、倅が云ふのも何だが、うまいところを撰んだものだと思ふ。

 その頃の私は自分の本棚を持つてはゐなくて、だからプーさんとクリストファ・ロビンもドリトル先生もガリヴァ船長も母親の本棚の一角を占めてゐた。だからかれらに会ひたくなれば、そこから本を抜き出す事になり、さうなると自然と他の本も目に入る。文庫本と云ふものを、その言葉を知る前に知つたのは、詰りさういふいきさつであつた。

 創元文庫のクリスティにクィーン。
 文春文庫の司馬遼太郎や田辺聖子。

 岩波文庫や新潮文庫、中公文庫は記憶になく、ハヤカワ文庫は何冊かあつたと思ふがはつきりしない。いづれにしても創元文春の両文庫が、私の文庫本に対する印象の原型を作つたのは、ほぼまちがひのないところだと思はれる。
 その本棚から最初に抜き取つただらう文庫本は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』全8巻で、これは初めての長篇小説でもあつたらうか。いやその前に単行本で、『織田信長』(講談社/山岡荘八/全3巻)を讀んだが、今となつてはどんな中身だつたか、記憶に残つてゐない。ただ山岡のお蔭で、長篇小説への準備が出來た筈だから、感謝しなくてはならないだらう。尤もすつかり熱中したのは司馬の方で、それは今でも續いてゐるから、あの長篇小説家は私にとつて、一ばん付きあひの長い作家になつた。言葉を替へれば、讀書と云ふ惡癖を身につけるきつかけにもなつたわけで、些かのうらみを感じないわけでもない。

 自分で積極的に撰んだ最初の文庫本は、ところがハヤカワ文庫の"キャプテン・フューチャー"シリーズ(エドモンド・ハミルトン/訳者は野田昌宏)の、多分『太陽系七つの秘宝』だつた。その直前、石森章太郎の『サイボーグ009』(秋田書店)を讀む機会を得て、所謂SFの面白さを知つたのが理由だつた。但し何故カーティス・ニュートンで、スカイラーク號やキムボール・キニスンではなかつたのだらう。"ドク"スミスは創元文庫で訳出されてゐたから、気づかなかつたのか知ら。
 親の本棚から平行して讀んでゐたのはクリスティで、『オリエント急行の殺人』と『アクロイド殺害事件』のどちらか(おそらく前者)が最初だつた。併せてクィーンの"國名シリーズ"も讀んだが、こちらはクリスティに較べて熱心にはなれなかつたな。探偵のちがひだらうか。同じ作者の手になるドルリー・レーン氏は非常に魅力的な紳士だつたし、クリスティが生んだミス・マープルやトミーとタッペンスとは残念ながら、共に推理を進める気にはなれなかつたもの。

 探偵の魅力の話ではなかつたね。
 えーと、さう、文庫本に戻りませう。

 ここまでの流れは、創元文春ハヤカワに限られてゐる。本当なら岩波文庫で讀んだ文學の話をしたいところでもあるのだが、あれに手を出したのは随分後年の話。『坂の上の雲』(司馬遼太郎/文春文庫で全8巻)の影響を受け、正岡子規の『歌詠みに与ふる書』が最初だつた。えらく無理のある論旨を、然しえらい小気味良さで語つてゐたのが印象的で、續けて『病床六尺』も讀んだ。明治人の日記は面白いなあと感じて手を出したのが『断腸亭日乗』(永井荷風/抄録版全2巻)だつたが、ひどい爺さんだね、あのひとは。
 中公文庫を手に取りだしたのは、子規(明治人)荷風(ひねくれ爺さん)内田百閒の流れ。因みに前述の断腸亭によると、荷風は夏目漱石を尊敬してゐたらしく、墓参の上、埃を払ふ何て書いてあつて、百閒は漱石の弟子筋に当る。その百閒は『百鬼園随筆』で夢中になつて、今も夢中である。未讀の小説がまだあるのは嬉しい話。また中公文庫には"ビブリオ"といふちよつと贅沢な別ブランドが用意され、吉田健一が多く収められてゐる。こちらもゆるゆる讀む愉しみが残されてゐるのは喜ばしい。

 さて。ここまで書いて、割りと大きな文庫の名前が出てこないのを不思議に思ふ讀者諸嬢諸氏もをられるのではなからうか。講談社や集英社、角川書店、徳間書店、筑摩書房に新潮社。
 手を出してゐないわけではない。『冒険者たち』(寧ろ『ガンバの冒険』の原作と云ふ方が通りやすいか)や『コルプス先生汽車へ乗る』は講談社文庫。新井素子は集英社文庫(集英社コバルトだつたかも知れない)だし、角川文庫の"図書館戦争"シリーズには熱中した。かんべむさしは主に徳間文庫。ちくま文庫は(当時としては)贅沢な日本文學全集全100巻を揃へたし、新潮文庫には『燃えよ剣』『国盗り物語』(どちらも司馬遼太郎)、『ローマ人の物語』をはじめとする塩野七生、高村薫が収められてゐて、見逃す理由がないでせう。にも関らず、これらの中で例外なのは新潮文庫だけで、後は一部の例外を除くと、少なくとも今は殆ど手を出してゐない。

 そろそろ本題に入るのだが、私は文庫本に好みがあつて、率直なところ、講談社(但し文芸文庫と学術文庫は除く)、集英社、徳間書店は気に入らないのだ。何がどう気に入らないのかと云へば、背表紙が好みに適はず、だから自分の本棚に並べたい気持ちになれないと申し上げよう。
 ちくま文庫やここまで挙げなかつた河出文庫も感心しない。最も好もしいのは岩波文庫だが、ふるいスタイル…ハトロン紙でくるんだやつ…の方が更に宜しい。ホメロスやプラトンをそちらの装丁で讀めれば、旧式の讀書好きな學生気分を追体験出來るだらうに、残念だなあ。惡くないのは新潮文庫。中公と文春、創元はフォーマットを変更してから、宜しくなくなつた。いづれにも共通するのは、作者と發行順にシリアルめいた番號を"分り易く"割り振るようになつてからで、あんなのが我われにどんな利便があるのか、想像出來かねる。仮に出版社の管理の都合なら、今すぐにやめた方がよい。序でながら、目を覆ひたくなるほど酷くなつたのはハヤカワ。版型の管理がどうなつたのか、高さが異なるのを頻繁に見掛けるようになつた時は驚いたね。背表紙以前に不恰好に成り下つてゐて、それまで"洒落た"早川書房だつた印象が一ぺんに惡くなつた。どんな事情があるのかは知らないが、本屋の棚で凸凹した様を見て、なほ慾しいと思へるものか知ら。

 ここで思ひ出すのが、ある編輯者の話。某出版社の入社試験で手酷く扱はれたかれは、こんな会社の出す本なんか、二度と讀むものかと決心したさうだ。ところが
「(別の出版社に就職して)半年ほどは決意を貫いたんですが、どうしても讀みたい本がそこから出ましてね。我慢出來ずに」
買つて仕舞つたのだと云ふ。この逸話をある随筆で目にした私は大笑を禁じ得なかつた。蛇足的に言葉を繋げれば、好みの問題はさて措いて、讀みたくて堪らない本を出してきたら、それは出版社の勝ちなのである。特にフォーマットの決つてゐる文庫本の場合は。
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by vaxpops | 2016-03-10 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(9)
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Commented by クロスロード at 2016-03-10 07:37 x
新潮文庫の背表紙の美しさには同感。読む気、買う気、探す気を落とさないですね。本ではないですがCBS、EPICソニー時代のLPやCDの背もフォーマットが統一されていて、検索性に優れていたと思います。が、いつからかCDシングルやデジパックが増えて崩れてしまいました。紙ジャケCDに食いついたはいいものの、いざ整理しようとすると、うんざりするという罠(苦笑) 思わず文庫の背表紙の話と重ね合わせてしまいました。
Commented by vaxpops at 2016-03-10 19:20
クロスロード・G君。

 EPIC/CBSソニーのCDの背中は確かに統一感があつて、好もしかつたですな。ああいふ"全体としての統一"を見捨てて仕舞つたのは、大きすぎる失敗だつたと思ふです。
Commented by stonefree_01 at 2016-03-10 19:53
あの白地の端にに赤とか青とかの四角のワンポイントのやつか知ら?あれァ、統一とれてンのは確かに並べンとキレイに見えるンやけど、敢えて統一しない一派もいて、そこに味はいや美を求めているのかも知れないわ!あたしは今、試されているンだわと、統一しない一派に肩入れしていた15の頃。あれはデマゴギィだつたのね。
Commented by クロスロード at 2016-03-10 22:43 x
ええ、白地じゃないのが混じると気持ち悪いの(苦笑) 話を本題に戻すけど、ブックオフ行くと新潮文庫の機能美が判るってば!新刊だと帯付いてっから!(笑)
Commented by vaxpops at 2016-03-11 15:26
頴娃君&クロスロード・G君。

 いづれにも理があり好みがあり、結論の出る見込みのない話は愉快なものですな。

 然し新潮文庫に限つた事ではないのですが、背表紙の下段に、"ほ 4 53"などと記されてゐるのは興醒めとしか云へません。
 本屋での探しやすさを考慮したと出版社が云ふなら、すりやあ勘ちがひも甚だしい話で、あれは帯と並んでどうにも許しがたく思へます。
Commented by 輪音 at 2016-03-12 01:22 x
月世界の無法者!
わたし自身がお話を書く際に人工生命体が気になるのは、グラッグやオットーの所為かも知れません。
近年表紙を新しくしたフューチャーメンの作品群は、手に取られことがありましたでしょうか?
人気絵師の鶴田謙二氏が描かれた表紙は好き嫌いがあるかも知れませんが、古典が再評価されたことはよいことだと考えます。
特にサイモン博士の造型がいいです。
アニメーション版は、作画は兎も角音楽が素晴らしいです。
大野雄二氏の脂の乗った音楽は傑作といっていいと思います。
コメート万歳!
Commented by vaxpops at 2016-03-12 08:29
輪音さん。

 『月世界の無法者』は知る限り唯一の續篇仕立て(前作は『輝く星々の彼方へ!』)で、導入部が異色でした。

 仰るのは創元文庫に纏められた"キャプテン・フューチャー全集"の表紙でせうか。えらくスマートな感じで、ハヤカワ文庫版の古めかしい…半世紀前のパルプ誌のやうな表紙に馴染んだ目には些か眩しいですね。

 アニメイション版はカーティス・ニュートンに広川太一郎を配したのが流石でした。あれでコメット號がちやんと"涙滴型"だつたらなあ。
Commented by 輪音 at 2016-03-16 02:39 x
彗星王!

新潮文庫でもクリスティが出ていましたが、訳者によって随分雰囲気が変わります。

図書館戦争を喜んでいただけたようで嬉しいです。
お勧めした甲斐がありました。
個人的には彦江副司令が特に好きです。

フューチャーメンもいつの間にかチコ・クレーターから……じゃなくて、水野良太郎氏描く表紙のハヤカワ文庫から創元文庫に移籍してしまいました。
生き残っていられるだけましなのかもしれません。
あのグラッグの造型が大好きなのですが。

広川太一郎氏!
モンティ・パイソン万歳!
そういえば、ロジャー・ムーアなジェームス・ボンドの声も担当されていましたね。
広川版ルパンが活躍する話も見たかったりなんかしちゃったりして。
ボンドの原作は味があって好きです。


Commented by vaxpops at 2016-03-16 15:05
輪音さん。

 翻訳ものはクリスティに限らず、訳者でがらりと変る面が色濃いですね。同じタイトルを異なる翻訳で讀みくらべをするのも、愉しみになりさうです。

 どうも私はだらだら續くシリーズものが苦手らしく、さう云ふ意味でも"図書館戦争"は、全体の構成を巧く纏めたなと思ひます。

 さう云へばイアン・フレミングは未讀でした。これは機会を作らなくちやあ。
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