いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

1828 日光の話

 どこのたれだつたか忘れたが、明治頃に來日した外國の女性旅行家が、日光を激賞した文章を讀んだ記憶がある。何となく誇らしいね。

 尤もその行間には、文明未開の野蛮な國と思つたのに中々やるわね、といつた匂ひも感じられた記憶もある。何だか釈然としないなあ。

 その日光に行かうと云ひ出したのは頴娃君で、かれが何故そんな事を思ひついたのかは解らない。然し日光には行つた事がないし、日光を観るまでは結構といふなとの格言もある。そんなら行きませうと話が纏まつた。
 調べてみたら日光は案外遠い。いや遠いと云ひ切るのは問題があるかも知れず、新宿驛から東武線直通の特急列車だと2時間くらゐで到着する。同じ新宿から中央本線の特急列車に乗れば小淵沢まで行ける程度だから、極端に遠いわけではない。ただ如何せん、その直通特急列車の本数が非常に少なくて、その少なさが心理的な距離を作つてゐる。東武鐵道の立場になれば、浅草から乗つて下さいよと云ふところだらうが、新宿を経由して浅草まで行くのはどうも面倒な気がする。

 それで我われは新宿驛發午前7時30分の日光1號の乗客になつた。これだと東武日光驛に到着するのは午前9時28分。宿泊は宇都宮で、電車のダイヤグラムを考へると、半日余りを愉しめる事になる。上々と云つていい。
 日光1號の座席は足元が多少広めに取つてあつて、その多少がちよいと嬉しい。腰を据ゑた我われが最初にするのが、朝の一ぱいの準備なのは云ふまでもなく、私は麒麟のクラシック・ラガー(500ml)、頴娃君はヤッホーのTokyoBlack(350ml)が先陣を切る。
「さて」と云ひながら頴娃君はプルタブを動かす手つきで「どこからにしませう」
「折角の日光旅です。23区を出てからで」
合意をしたのはいいが、うつかり池袋を過ぎた時点で、開けて仕舞つた。十条赤羽には申し訳ないと思ふが、開けた以上は呑まねばならぬ。乾盃。

 窓外の空はくらい。どうも感心しないなあと思つてゐたら、窓に雨粒が流れ出して、これはまづい。ニューナンブの旅行(我われは"スーパーどんたく"と呼んでゐる)で空模様に振り廻されたのは下田の大雨と熱海の大雪の2へんで、伊豆半島方面だけだつたのだが、日光が第3の例になるのかと不安になつたが、東武日光驛は雨に濡れてをらず、やれやれとひと安心した。

 荷物の一部をコインロッカーにはふり込んで、バスのフリーパスを購入する。小判型の然し安つぽい紙製で500円。一緒に東照宮の拝観券(1,300円)も購入。それを片手にバスに乗込んで、西参道停留所で降りる。
 俗つぽい。
 日光カステラの看板やテレヴィジョン紹介されたとか云ふ湯葉ラーメンの幟、古ぼけたお土産屋。最期まで農民土豪の親分だつた徳川家康には、理解し難い光景なんぢやあないか知らと思ひながら歩くと、道がいきなり砂利になつて、その先に東照宮の門が見えてきた。
「お。これはこれは」
「大した人出だねえ」
我われの他に、暇を持余す人びとがこんなに大勢だとは思はなかつた。それも案外なほど、外國人の姿が多い。某女性旅行家の影響なのだらうか。
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 だから当然、中も混雑してゐる。
 団体とおぼしき集団を案内する巫女さん(可愛らしいひとだつた)が、三猿の彫り物の説明をしてゐる。
 こつそりその隅つこで、説明を盗み聞きするひともゐる(私の事だ)
 所在無げな子どもたちがゐれば、何が刺激的なのか妙に機嫌の好ささうな外國の旅行者もゐる。
 詰りへんに賑やかで、浄域に特有の清々しさは丸で感じられない。
 老杉があり、苔生した石燈籠があり、何百年かを過しただらう建物があるのに、どうにも俗に落ちてゐる。これぢやあ東照神君も落ち着いて西の護りが出來なささうで、薩摩人には絶好の機会と思はれる。

 かう云ふ書き方をすると、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には
「矢つ張り丸太は、家康がきらひなのだな」
「あれだよ、大坂人だもの」
「太閤が好きなんだなきつと」
と云はれさうで、まあ半ば、誤りではない。晩年の發狂した(としか思へない)秀吉にはある種の憐れみを感じる以外にないが、人間の照り映へ具合を大きく見ると、家康には"何だか分らないけれど、好もしい"と感じさせるところがうすいもの。
 それに時代が下れば兎も角、江戸の初期は幕府が開かれたと云つても、所詮は草深い田舎である。厭な云ひ方をすると、上方の爛熟を極めた文化に比較して、どこか野暮臭さがのこる。秀吉の豪奢に成上りの惡趣味が濃くないのは、その洗練が背景にあつた所為で、何の話をしたいのかと云へば、さう、彫刻だつた。

 東照宮の建物には到るところに彫刻が施されてゐる。先に述べた猿もさうだし、伝左甚五郎で高名な眠り猫とその裏の雀。唐門にはおそらく儒者の姿も見られる。いづれも美事なもので、私だつていつも捻ねてゐるわけではない。
 美事で、或は美事だけれど、過剰。
 捻ねてゐるわけではないと云ひつつ、率直な印象はさういふ事になる。ひとつひとつの繊細には感心させられても、全体としては些か纏まりに欠け、要するにごたついた印象がある。確証があつて云ふのではないが、個々の技術の匠はゐても、それを一体とする才覚の持ち主…今風に云へばプロデューサーがゐなかつたか、その必要性を感じるところが少なかつたのではなからうか。不思議と云へば何とも不思議な情景で、江戸初期のこのみだつたのか知ら。家康が上方の熟した文化に傾倒した気配は感じないが、もしかするとかう云ふのを喜んだのかも知れず、だとすればその粗放乃至稚気は微笑に価すると思はれる。

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by vaxpops | 2016-03-23 11:00 | 宿酔紀行 | Trackback | Comments(0)
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