いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

1947 奇跡の15分間

 ラヴェルといへば『ボレロ』である。断定するのはラヴェルへの礼を失するかも知れず、ただ私にとつてのラヴェルは『ボレロ』である。

 ところでこれは私だけの失態ではないと信じたいのだが、屡々忘れられさうになるけれど『ボレロ』はバレエ音樂だから、本來は踊り手があつて成り立つ。前回の[踊る韃靼人]とこの辺りは似てゐて、音樂が十分以上にドラマチックな時に起る弊害ではないか知ら。

 かういふ書き方をしてゐるのだから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はきつと

「ははあ、丸太はやつと、"バレエとしてのボレロ"に触れたのだな」

と推測されるだらう。ほぼ正解である。
 ほぼと勿体振るのは私を驚倒させた『ボレロ』は2015年年末のそれだからで、時間は遡ることになる。まあ、どちらにしても遅すぎるのに変りはないけれど。

 ひとつ、つけ加えへるのを忘れてゐた。私はバレエやバレエの踊り手や技術について、まつたく知らない。まつたく知らない私を驚倒させたのだから、大したものと云ふのもをかしいだらうか。

 シルヴィ・ギエムが2015年末の東急ジルベスターのカウントダウン・コンサートで踊つた『ボレロ』は凄いものだつた。

 何を今さらとあきれられるか知ら。

 私は女性を尊崇する男ではあるが、彼女ほど完璧に近い肉体を持つ女性は見たことがない。彼女に近い肉体を持つ女性がゐるとすれば、体操の撰手だらうが(さういへばシルヴィは体操の出身だつた)、それでも無駄が多いと思へて仕舞ふ。

 踊るといふ一点に集約された躰の美しさは、そのまま動作の美しさに直結してゐて、いやそれは区別出來るものではない。緩やかでなめらかでごく自然な風に。それが長い修練の賜物だと解つたのは五へんめくらゐからで、その美しさを示す大きな要素に、1秒に満たない静止があると気づいたのは十へんめくらゐからだらうか。

 これもまた随分遅い話だが、予備知識を持たない身にとつて、彼女は些か濃密すぎる美酒だつたと考へてもらひたい。

 その躰その動きはメロディでありまたリズムでもある。
 硬質であり柔軟であり、煽るやうにすすどくありまた媚びるやうに円くもある。
 時に拒み時にいざなひ、少女と聖女と賣笑婦が入れ替り立ち替る。
 無邪気と計算尽くが入り混ざる。
 我われを恍惚とさせ、戸惑はせ、酔はせ。

 跳ね上つた掌が舞台に伏せられたを目にした瞬間、シルヴィ・ギエムは完成し、『ボレロ』は完結する。そして我われは15分間の長い奇跡がそこにあつたと、その時になつて気づくのだ。

 シルヴィ・ギエムは『ボレロ』と万雷の拍手と共に引退した。
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by vaxpops | 2016-07-16 07:45 | 本映聴観 | Trackback | Comments(0)
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