いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

肉体労働はしないのだ

 大体カメラバッグはあまり恰好のよいものではない。町なかで見掛けると多くの場合はずつしりと重たげで、プロフェッショナルかアマチュアかは知らないが、仕事…それも重労働を私に連想させる。寫眞家は肉体労働者なんだなあ。

 併しカメラバッグは非常に合理的な形状でもある。カメラとレンズを効率的に収め運ぶのが目的だから、これで非合理な形状になる方がをかしいと云へなくもない。目的が簡潔だとその結果も解り易くなるのはカメラバッグに限つた話ではないとしても。

 手元にはそのカメラバッグが3つある。エツミのE-3139、ロゥプロのノバ1、ドンケのF-6がそれらで順に小小中くらゐのサイズ。いづれも相応に使へて、いづれもどこか野暮つたい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ

『機能を追及して出來上つた形は美しい』

といふ考へは誤りだね。形に機能を追ひ求めることと、その結果を美しく纏めるのは別の話であつて、この辺りを掘り下げるとデザインといふ曖昧な言葉の輪郭が浮んできさうだ。

 デザイン論は手に余るから、掘り下げはしないとして。その野暮つたいカメラバッグを普段から持ち歩くのは些か抵抗を感じなくもないのだが、常に鞄の中身がごちやごちやしがちな私にとつて、あの細かな間仕切りと小さなポケットは可也り役に立つ。自分の不器用を輔佐さしてゐるわけだから、そんなに自慢出來た態度ではないか。

 どうしてこんな話を始めたかと云へば、霜月にニューナンブ恒例の小旅行が控へてゐる為で、ニューナンブのやることだから当然、寫眞が絡んでくる。寫眞が絡む以上はカメラやレンズの持運び持歩きがある。デイパックやトートバッグでも、ちよつとした工夫でカメラバッグ風に使へるし、寧ろその方が好もしいとも思へるのだが、出來るだけ手持ちをそのまま使ひたい気分がある。

 尤も気分だけでは仕方がない。さう思つて使ふ予定のカメラとレンズ、アクセサリをF-6に突つ込んでみた。流石に軽やかとは云へないが、半日くらゐなら気にしなくても大丈夫かと感じられる程度に収まつた。たださうすると、余計にカメラバッグ然とした姿が感心しない。
「おれは撮影といふ名の肉体労働をするんぢやあないぞ」
と云ひたくなつてくるが、口にすると職業寫眞家に叱られるかな。

 ただかういふ感覚は自分に対する見栄が色濃くあるのもまた事實で、ドンケでもテンバでも何でも、それを見た多くのひとには、単に四角くて頑丈さうな鞄くらゐにしか感じないだらうとは容易な想像である。こちらは偶々カメラバッグといふ物体を知つてゐるから、あれこれ云へるだけのことだ。なので暫くは手元のドンケを使はうかと考へてゐる。
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by vaxpops | 2016-10-16 07:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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