いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

記憶を探れば

 何にでも当て嵌ると思うのだが、ある分野が成り立つとその分類が出來るもので、文章で云えば詩や評論、小説がそれに当る。分類が成熟すると更に小さな分類が出來てきて、こっちは面倒だからいちいち挙げない。

 そう考えると、この[いんちいばさら]だってどこかに分けられるだろうとも連想が進むわけだがさて、一体どこに収まるものか知ら。詩ではなく評論でも小説でもないのは確かである。[いんちいばさら]にどれかに属するものがあると思ったひと(まさかね)は、鑑賞眼に大きな問題があるから、用心されるのが宜しい。

 雑文という呼び方が近年あるが、小分類として確立しているのだろうか。どちらにしても気に入らない。和歌集には雑があるよと指摘してくださる方もおられそうで、併しあれは小分類と扱いがちがう。近いところで云うとエセー(エッセイやエッセーの表記を私は好まない)や随筆が相当すると思われて、形式的にはここだろうか。

 いやあ、我ながら今、とんでもないことを書いた気がするぞ。

 この[いんちいばさら]が仮に随筆乃至エセーだとすると、『徒然草』や『阿房列車』や『ヨーロッパ退屈日記』と同じ範疇ということになる。莫迦げた妄想だなあと笑われるかも知れないが、形式的とはそういうことなので、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、形式的と實質的の価値は峻別をせねばならぬ。

 となると、"形式的随筆"と呼ぶ方法が見えてきて、併しそう称したとしても、内田百閒や吉田健一や伊丹十三や丸谷才一の蔭が色濃く感じられるのは改めるまでもなく、そこを推して進むほどの度胸の持合せはない。

 すると矢張り雑文になって仕舞うのか。

 他になければやむ事を得ないが、気に喰わない言葉を気に喰わないまま使うのはどうも性にあわない。乏しい語彙を探しに探して、もうちょっとましなのがないかと思ったら、ありました。ありましたね。

 名づけて"閑文字"である。

 どうでしょう、これ。閑の文字は書き手と讀み手の双方に掛かっている。互いの閑が噛み合った時に成り立つ文字…くらいの意味で、これなら文學の偉大な先達の顔を潰す心配もなさそうな気がされる。いやあ、記憶はさぐるものだなあと思ったが、それに連なつて何でこの"閑文字"を見たのかも浮んできた。丸谷才一の随筆がそれで、これを逃れられないと受けとるか、文學の伝統に忠實な態度と居直るか、検討の余地が残る。
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by vaxpops | 2016-11-06 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)
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Commented by jes22salud2 at 2016-11-19 18:42
エッセー(エッセイスト)と随筆(随筆家)の違いが
今もわからん私です。
ただざっくり理解できるとすれば書きたいこと書いてるのは一緒
やけど、年齢層の違いかしらん?
ってことは随筆家は消滅危惧職種になるんかしら。
Commented by vaxpops at 2016-11-22 11:02
乙女酒場さん。

 日本に限った印象ですが、エセーはコラムに近しい私事または時事的で一過性の文章。
 随筆は詩歌でなく小説でもない、併し非常に知的な藝で、再讀三讀に足る長寿の文章。
 ではないかと思うです。

 そう考えると確かに随筆(家)は我が邦だと絶滅危惧種ですねえ。
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