いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

例の前置き

 實家の最寄りになる驛が阪急電鉄の上新庄で、そのひとつ大坂梅田寄りに淡路といふ驛がある。伝承だと菅原道眞公が配流の折り、淡路島と誤解したのが地名の起りださうで、今は猥雑にごちやごちやした町だが、菅公の時代は茅渟の海がその辺りまできてゐたのだらうか。
 地形は兎も角、菅公流罪の道のりに淡路上新庄近辺があつただらうとは想像出來て、小さな證拠を挙げると、菅原といふ地名がある。それに實家の近くにある松山神社が祀るのは道眞で、濃淡は知らず、何かしらの縁がなければかういふ具合にはなりさうにない。
 さうなると(上)新庄といふ地名が気になつてくる。"新"の字から判るとほり、これは本庄(荘)…今も本庄市などがある…に対しての新庄(荘)で、詰りそれに照応する地名があらうと思はれるのだが、知る限り近所には見当らない。さう極端に離れた土地で本と新があるとは考へ辛いし、異なる事情があるのだらう。
 ここで少々訝しく思ふのは、淡路の周辺は川湊だつただらう点である。規模は兎も角、商業地の役割を果してゐた筈で、荘園といふ租を吸上げるだけの役割を負はされる場所にはどうも似合はないものが感じられる。道眞の頃…九世紀後半…には事實上崩壊してゐた制度だと考へても、流通で儲けられるほど経済が成熟してゐた筈はなく…さういふ考へが現實的に成り立つのは室町期以降ではないか…、どこかかう、しつくりしない。

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 とこの辺りまでが前置き。
 何故こんな前置きになつたかと云へば、古い…或は古からう…地名を見ると、その土地の上代が漠然とであつても想像が出來るからだ。案外と忘れられがちではないかとも思ふが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、それはあなたが住まはれる土地でも事情は変らない。少しの歴史的な知識と一枚の地図があれば、出無精になりがちな季節の恰好の娯樂になる。
by vaxpops | 2017-01-10 08:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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