いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

底辺派

 尊敬する檀一雄が指摘するところによると、我われ日本人は獸肉を清潔に喰ふ技術には長けてゐても、内臓を味はふのはまつたく下手糞なのださうだ。他のたれかが同じことを云つても、余りに気ならないが、あの小説家兼放浪家は欧州だけでなく、蒙古も露西亞も中國も散々に彷徨いてゐるし、何しろ文章が巧いもの。説得力がちがふよ。

 確かに檀が嘆くのには正しい面があつて、實際私が清潔でない(と思はれてゐる)部位を食べるのは呑み屋が精々で、詰りもつ焼もつ煮の類。かういふのがお品書きに並ぶ呑み屋は廉価底辺なのが常と云つてよく、どうもその手のお店が落ち着く性分だから仕方がない。とは云ふものの、もつを使つた料理にお小遣ひを投じるのは裏返しの贅沢で、詰りそんなにややこしいことをしなくても、それなりに旨いものを作れる。嘘ではない。

 洗つて、下煮。

 準備はこれだけでいいんだから、面倒でも何でもない。後は醤油でも味噌でも、好みの味で煮込めば勝手に出來上る。時間は少々掛かるけれど、それを面倒とは呼べないよね。
 もつだけだと寂しいと思ふなら、ざくざく切つた葱でも薄切りの大根でも焼豆腐でも蒟蒻でも、或は茹で玉子をはふり込めばよい。今はもうないお店だから名前を挙げると、中野に[山ちゃん]といふ安直な呑み屋のもつ煮込(可也り濃い味つけ)には鶉玉子が入つてゐた。
 煮込みあがつたら、鉢でもお皿でも好みに盛つて、針生姜や大蒜のすりおろしや白髪葱や韮をあしらへば、文句のない酒精の友が完成する。

 半日を潰せば幾らでも応用がきく旨い肴の準備が出來ることを思ふと、わざわざお店に足を運んで、貴重なお小遣ひを費やすのは勿体無いと云へなくもない。
 併し愉快なのだな。
 廉で底辺の呑み屋にもぐり込んで、ホッピーでも焼酎でもサワーでも啜りながら、ハラミだのガツだのタンだのを焼いてもらつたり、辛い味噌をなすりつけたり、煮込みにたつぷりの七味唐辛子を振つたりするのは。

 この場合、朝に捌いた新鮮で清潔なもつである必要はなく、大鍋で十年も煮しめてゐるやうな方が好もしく感じられもするから、私の嗜好はどうにも低劣でいけない。但し些か居直つた態度を取るなら、かういふ食べものが当り前でない…底辺式か気取つてゐるかの両極端なのは、奇妙な光景と云ふべきで、そんならこちらは底辺を撰ぶ。歓んで喰ふものではあつても、有難がるものではないでせう。

 そこで中國でも蒙古でも露西亞でも欧州でも、臓物をどう扱つてゐるのかといふことが気になつてくる。
 佛國は栗や葱とあはせて非常に繊細に仕上げてきさうだし、中國だと煮てから蒸しあげ、更に揚げてから熱いあんをかけさうだし、キエフやウクライナ辺りになると、大量のトマトと一緒にドラム罐で鷹揚に炊き込みさうだし、蒙古では剣に突き刺して焙つて、香草だか何だかをまぶしさうな印象がある。
 印象といふより想像だから、實際がどうだか…大外れではなささうにも思はれるが…は知りませんよ。

 確實に云へるのは、煮ても蒸しても揚げても焙つても、臓物は旨いにちがひないことと、どれもこれもお酒には適はなささうなことか。焼酎やウォトカの類か葡萄酒を呷りながら貪るのが一ばん旨さうで、お酒が惡いのではない。さういふ肴で呑む風になつてゐないだけの話で、大きく云ふと文化の相違の顕れだらう。
 それで解つた。
 私の周辺はお酒至上主義者計りだから、臓物が歓ばれないのも尤もな事情なのだな。納得は出來た。出來はしたが、底辺派としては些か面白みに欠ける。その辺の廉呑み屋に出掛けてよく、材料と壜を持ち寄つて、大騒ぎしながらでもよい、一ぺん、臓物尽し蒸留酒尽しの大宴会を張つてみたいのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の賛意を得られるか、自信が持てない。忘れがたい夜になると思ふんだがなあ。
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by vaxpops | 2017-06-01 11:45 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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