いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

恋しがる

 暑さと湿気が肌にまとひつく季節になると苦瓜が恋しくなる。苦瓜を私の好きな表記にすると、ごーやー。苦瓜とごーやーが同じ植物かどうかは知らないが、この稿では同じだとする。
 ごーやーと云へば直に連想されるのが沖縄で、十余年前のある時期、私は沖縄にゐた。本島のほぼ中央に位置する沖縄市で、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には寧ろコザの近辺と云ふ方が判り易いだらうか。 ごーやーの味を覚え馴染んだのはその時で、だからあの町には恩義がある。

 ありふれた野菜といつていい。大概の料理に入つてゐたもの。あすこでは炒めものを総称してちやんぷるーと呼ぶのはよく知られてゐる筈だが、車麩や島豆腐、素麺、糸瓜と主役が代つても、必ずごーやーは顔を出してゐた。ごーやーにも堂々たる主演舞台があるのに、肥後で芝居を打つ時に
『さしたる用はなけれども』
と見栄を切り、顔を見せたる加藤清正みたいだ。
 ここで考へる方向を少しずらすと、ごーやーは無いのが(おそらく)不思議に思へるくらゐ、食卓に馴染んでゐると捉へることも出來る。かういふ例をこちらの食事で見つけるのは困難に属すると思はれる。それが不幸か幸福かは別の問題だが、ごーやーは我われ…に無理があるなら丸太個人でもいいが…の舌を悦ばせる野菜なのは、強調しておいても宜しからう。

 苦瓜と呼ぶくらゐだから、にがい。
 どう料つても、にがい。
 甘辛酸苦を纏めて四味(旨味の概念が加はつたのはごく最近のこと)ともいふが、我われのご先祖が"食べもの"として認識した味は元々、甘だけの筈である。"甘い"の讀みに"ウマイ"が含まれてゐるのはそのささやかな證。辛酸苦は云はば"食べるには些か危ふいとする信号"だつた、と考へるのが妥当かと思はれる。
 にも関はらず、にがい苦瓜はうまい。
 どう料つても、うまい。

 "苦い"がどんな変化を経て"旨い"になるのか、想像が六づかしい。不思議だなあ。

 ごーやーが旨いのは、ちやんぷるーだけではないと思ひ出した。定食屋の献立に"味噌汁"と"おかず"といふのがあつて、丼に入れた前者は味噌仕立て、後者は沖縄そばの出汁のやうな熱い汁で、大量の野菜炒めを食べるのだ。こーれーぐすを少し垂らすと、宿酔ひの晝にはまつたく具合がよかつたな。この"味噌汁"乃至"おかず"にもごーやーは入つてゐて、分厚い苦みが丼全体を引き締めてゐた風に思ふ。
 東都に戻つてから食べた中で云ふと、おひたし(かるく塩揉みした苦瓜に削節、それにおそらく出汁醤油)がある。これも中々惡くなかつたが、ピックルス仕立てにはもつと感心した。確かパプリカやピーマンが一緒になつてゐて、これが硝子の器に盛られた様はまことに涼やか。泡盛の水割りによく似合ふのだが、これまた不思議なことに、沖縄ではお目に掛からなかつた。一体にあの土地の料理には冷すとか〆るといふ概念は薄いから、その辺りが理由なのか知ら。

 もうひとつ不思議を挙げると、東都で食べるごーやーはどこかしら、物足りない。おひたしやピックルスは旨いけれど、その旨いのは物足りなさがあつて成り立つ部分がありさうな気がする。かう云ふと、そんならどこが物足りないんだと訊かれるだらう。
 苦みがそれである。
 もう少しつけ加へれば、苦みの分厚さがちがふ気がされてならない。東都で口にするごーやーの苦みはすすどくてかるく、研ぎあげた刃物を連想させる。沖縄で食べたごーやーには線の太い重さがあつて、鉈や斧の豪放を思はせた。記憶を辿つてゐるのだから、本当かどうかの保證はしないけれど、さういふ印象が今に續くくらゐだから、まつたくの出鱈目でもないでせう、きつと。

 暑さと湿気が肌にまとひつく季節になると、ごーやーが恋しくなる。あの土地の風と、オリオンビールと泡盛の四合壜。それから些かルーズで、併し人懐つこさうな人びとをそれは、恋しがつてゐるのかも知れないが、今さら我が身に問ひかけるのは、気恥づかしい。
by vaxpops | 2017-06-11 15:45 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)
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