いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

無心の快樂

 中國大陸に端を發する旨い食べものを挙げ出すと切りがないのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のよくご存知のところで、その原大陸料理の多くが我が邦で独自の変化を遂げたこともまた同じだと思はれる。本当かなあと首を傾げられる方には、東坡肉の日本的な変化である豚の角煮を頭に浮べてもらふのがいいか知ら。或は崎陽の卓袱でもいいでせう。非難すべきことではない。太巻きが米國にカリフォルニアロールになつたところで、問題でも何でもないのと同んなし。まあ北京や上海や四川や広東や香港や台湾のひとから見ると、奇妙に冩るかも知れないが、さういふ文化論的美食論はこの稿の目的ではありません。
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 大陸に生れ、日本で変化した料理は他にも色々あるけれど、中でも私何を好むかと訊かれたら、躊躇せず焼き餃子を挙げる。
 さういふ話。
 確か大陸本來のは水餃子で、焼くのは余りが出た次の日と聞いた記憶がある。スパゲッティを炒めるのと同じだね。

 ささやかな相違に拘泥せず、焼き餃子を眺めると、酢醤油に辣油。韮葱大蒜。いやもう私が酷愛乃至偏愛するすべてが揃つてゐて、こんなに嬉しい食べものも他に見当らない。一人前は五つか六つが平均か。私は二人前(出來ればひとり前づつ)を註文する。ご飯ものは余程空腹であれば。それから麦酒をジョッキで。一人前当り一ぱい。

 貪るやうに喰ふ。
 麦酒を大きく呷る。
 うまいなあと思ふ。
 それでまた貪る。

 黙々と食べ、黙々と呑む。まつたく簡潔単純な愉快で、これを突き詰れば無我に到れるのではないかと、勘違ひまでしたくなつてくる。かういふ無心の快樂は和食に足りないところで、大陸の食慾は矢張り偉大なのだなあと感心させされる。なので一ぺん、敬意を表する意味でお腹を調へ、大皿一杯の焼き餃子を貪つてみたいと思ふのだが、さて何人前まで、無心の快樂に浸れるか知ら。
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by vaxpops | 2017-06-18 18:30 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
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