いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

安直豚

 私が"肉"と書く時、それは概ね牛肉を指す。
 "お酒"と書いた時、日本酒を指すのと同じ。
 併し最近、その牛肉には無沙汰をしてゐる。好物なのに。
 そのくせ、豚肉は縁がある。旨いから好もしいけれども。

 さて。このちがひは何だらう。
 単純に考へると、値段の差か。同じ100グラムを買ふとして、値段は(部位や産地にもよるだらうが)えらく異なる。明らかに豚肉が廉価だから、手に取るのはそちらになる。少なくともその可能性は高くなる。
 食肉の習慣の相違はどうだらうか。関西…近畿圏では、牛肉が割りと威張る傾向がある。松阪牛だけでなく三田、伊賀、近江と名産地にも事欠かないし、近江の牛は遡ると、御門に酪を奉り、江戸将軍家に味噌漬けを届けた(食肉を禁じてゐた幕府の、ほぼ唯一といつていい例外)伝統を持つてゐるくらゐだから、背景がちがふ。尤もひとが東西南北自在に動ける現代に、かういふ考へ方を当て嵌めていいのかどうか。
 それに東京となつた江戸でおそらく最初期に受け容れられたのは牛肉の筈である。四迷だつたか逍遙だつたか、はつきり覚えてゐないが、書生連中が喜んで喰つたのは牛鍋だし、カツレツもごく初期はビーフ・カットレットだつた。その後、岡山の造り酒屋のひとり息子が、滋養の為として食べさせられたのも牛肉だつた。内田百閒本人が書いてゐるから、間違ひはないでせう。

 詰り四ツ足…獸肉と云へば牛肉。文明開化直後の何年かは、そんな時代だつたのではないか。ではいつ頃から豚肉の台頭が始まつたのだらう、といふ疑問が浮んでくるが、正直なところさつぱり判らない。畜産と食肉の研究家はどう考へてゐるのか知ら。
 その辺の考察は専門家の手に委ねればよいとして、明治から大正にかけてのある時期から、急速かどうか、豚肉がぐつと勢力を拡げたわけで、それはとんかつの完成前夜だつたと思ふ。さうでなければ、とんかつは完成しなかつただらう。いやさういふ話をしたいのではなかつた。
 併し我われのご先祖は豚肉料理の伝統を丸きり持つてゐなかつたのか、といふと決してそんなことはなく、非常に狭い範囲だつたとしても、豚肉は旨いのだと知るひとは確實にゐたと考へたい。でなければ、生姜焼きにしてもポークソテーにしても煮豚茹で豚蒸し豚にしても、或は種々の臓物焼きにしても、我われが大きに愛好するまでの發展は見せなかつたらう、きつと。

 豚を料るのは安直でいい。いや何事にも本格はあるから、一概に云ふのは誤りだけれど、気分としてはさういふ安直がある。塩と胡椒で炒めるだけで、十分にうまい。牛肉だつてさうだらうと訊かれるたら、確かにと応じたい。ただあちらを用ゐる時には、何となく気合ひが必要な気分になるのもまた事實なんである。豚にはそれがない。
 凝つた本式の豚肉料理は専門のひとに任せるとして、ごく簡単にもやしと一緒に蒸してもいい。冷ましてから、胡瓜やトマトやセロリや茗荷と盛合せ、うで卵でも添へたら暑い季節向きのおかずになりさうだ。醤油でも味つけぽん酢でも、ご自慢のお手製ドレッシングでも旨からうな。寒くなつてからだと、菠薐草と豆腐で鍋に仕立てるのがうまい。常夜鍋と呼ばれるやつ。名前に違はず、確かに飽きない。

 併し本式風を気取るなら、煮込むのが一ばんではないかと思ふ。ほら、東坡肉とか角煮。きちんと作るなら、手間暇を惜しむわけにはゆかなくなるが、気取る程度で済ますなら、私に出來くらゐだもの、何と云ふこともない。
 豚肉を塊で買つてきて、表面だけざつと焼き、鍋にきつちり入れ、隙間に長葱玉葱を詰め、後はひたひた程度の水か煮切りかでゆつくり炊き込むだけの話。時節によつて椎茸でも大根でも馬鈴薯でも、入れればいいが、豚肉が主役になる程度に分量は調へたい。味つけ…はお好みで。煮切りを焼酎にして色濃く煮上げたり、味噌仕立てにしても旨い。かういふのは、どつしりした食感が嬉しいものだから、ざぶざぶより、些かどろりとしたくらゐの方がいいと思ふ。
 盛るなら大鉢か深皿だらうね。練り辛子、焼いた獅子唐、白髪葱、木ノ芽やひと剝ぎの柚子なぞがあればしめたものだが、なーに、なくたつて丼めしにそのまま打ち掛けてもうまいから、気に病むことはありません。

 ざつと書いたなあと思はれさうだが、實際に料る上で、こつらしいこつがあるわけでもない。無理やり挙げるなら、炊く際は肉が揺れない程度の火で、ゆるゆると時間をかけることくらゐ。半日を潰す積りで臨めば、ごくごく気樂に出來る筈である。これが牛肉だと、さあどうなるか。もつと細やかに世話を焼かなければならぬ、と気負ひが先立つて仕舞ひさうな予感がする。實際それで旨くなるのだから、この辺りも豚肉とのちがひと云へるかも知れない。
by vaxpops | 2017-07-09 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)
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