いんちきで、さらにマクガフィンだつた。

by 丸太花道@乳軟部

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前言撤回

 毎日毎晩食べたいわけぢやあないけれど、食べれば舌を悦ばせる一品の筆頭に、揚げ出し豆腐を挙げて、大きな反論は出ないにちがひない。
 深い器から湯気を立てる揚げ出し豆腐を見ると、何とはなしに幸せを感じるから、私もえらく単純である。但し池波正太郎に云はせると、一日の仕事を終へて食べる味噌汁に、幸せを感じるのが健全ださうだから、単純も惡い計りではない。

 出來たてが特にうまい。
 木匙で食べるのが旨い。

 揚げ出し豆腐はお箸を使ふと、途端に味はひが落ちる。大根おろし(或はもみぢおろし)、葱、それからたつぷりのつゆを一緒にしたのが、揚げ出し豆腐の味だからで、熱い皮と豆腐、冷たいおろし、油のしつつこさと葱のさつぱりとつゆのとろりが匙の上で纏り、口の中でぶつかるところが宜しいのだ。

 さうすると冷たい麦酒を求めたくなるところだが、それは感心しない撰択である。揚げ出し豆腐だと麦酒の苦みが却つて邪魔になるもので、この場合、香りの立たないお酒が好もしい。冷酒よりもぬるめのお燗が似合ふ。あの有名な唄には申し訳ないが、焙つた烏賊より適ふと思ふ。

 ぬるめにつけたお燗酒を一合誂へ、これをゆつくり含み、揚げ出し豆腐をひと匙。これを爺むさいと思ふのは若いものの浅はかさで、夜を愉しむのにこんな素敵な組合せはまたとない。同じ豆腐仲間で近しいのは何だらうと思ふと、温奴くらゐではあるまいか。ただ温奴は冷たいぽん酢に削り節、青葱、生姜(またはもみぢおろし)でやつつけるから、揚げ出し豆腐の適度な油つこさに欠ける難点がある。天かすを加へればいいのか知ら。

 併し手軽さは温奴に分を認めるとして、より旨いのは矢張り揚げ出し豆腐である。一体感が違ふものな、何しろ。気のきいた呑み屋だと、註文を受けてから作りにかかる。ちよいと待たなくてはならないが、そんならぬる燗を二合奢つて、お漬物や酒盗でも肴にして待ちませう。

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 そんな眞似をしなくたつて、揚げ出し豆腐くらゐ、自分で作ればいいぢやあないの。

 さう、呆れ顔で云はれるかも知れないけれど、こちらはどうにも不器用だし、ことにたつぷり使つた油を後でどうするのかも判らない。揚げものは全体、玄人に任すのが安心だし、にカウンターの中のひとが、手早く仕立ててゆく様を見るのは、柳葉魚や畳鰯と並ぶいい肴ではないか。
 尤もかういふ愉しみには、待つ時間も含まれるもので、空腹に身を蝕まれ、鶏の唐揚げを貪りたくなるやうな若い胃袋では、我慢がならないやも知れない。ある程度は枯れて縮んだ胃袋が求められることを考へると、前言を撤回すべきではなからうかとも思はなくもない。
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by vaxpops | 2017-06-30 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(4)

六月は野菜の季節

 根拠があるわけではないが、六月…初夏の聲を聞くと、野菜の季節だと連想が働く。尤も根拠とまでは云へないとして、影響を受けたなあと思ふところはある。辰巳浜子女史の『料理歳時記』にある"煮サラダ"と、檀一雄の『檀流クッキング』がそれで、實際の文章はご自身でお讀みあれ。

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トマト。

セロリ。

アスパラガス。

胡瓜。

梅に茗荷。

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 悉くがこの季節に旨く、悉くが好物でもある。梅雨と蒸し暑さは大の苦手としてゐるのに、かういふのを目にし、口にすると、嬉しくてたまらなくなるから、自分でもいい加減なものだなあと呆れて仕舞ふ。そしてこの季節、野菜をつまみながら呑むなら、麦酒よりお酒より葡萄酒より、焼酎が望ましい。暑い季節の野菜には、暑い地域の酒精がよく似合ふ。
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by vaxpops | 2017-06-29 07:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

我發見セリ

 マーケットで刻んだ葱が賣られてゐるのを知つたのはごく最近で、不精者なのにこんな便利なものを見落してゐたのは我ながら恥づかしい。自分で刻みなさいよと云ふひとは、前行の不精者を見逃してゐる筈だから、反省してもらひたい。

 繰り返す。
 實に便利。

 チューブ入り大根おろしの發見以來ではなからうか、こんなに私を喜ばせたのは。あれもべんりなものだが、こちらは1パックで100円くらゐだから、どんどん買つてきて、何でもかでも、ばさばさ使つてゐる。

 冷や奴や素麺の藥味。
 鯵フライやコロッケ。
 刻んだキヤベツだのに混ぜもする。

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 ひよつとするとここで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から、鯵フライにコロッケを撰んだところに疑義が呈されるかも知れない。
 少し説明を加へると、無論揚げたてに用ゐるのではなく、お惣菜賣場で買ひ入れたやつ(温め直しはせず)に使ふんである。チューブ入りの生姜と大蒜があればしめたもの。生姜3に大蒜1くらゐで混ぜたのを先に乗せ、葱は全体を覆ふやうに。そこに味つけぽん酢をたつぷりかけ廻す。
 これが旨い。
 妙にうまい。
 潤びた衣に崩れた中身が葱と生姜と大蒜、それにぽん酢と一緒くたになるのは、首を傾げたくなる様に冩るのは確かだが、そこが妙なうまさに繋がつてもゐる。なのでまあ仕方がないんだよと居直る他になく、独りの晩酌で、こつそり愉しめればよしと致しませう。

 もう少しましな使ひ方はないものか。

 さう呆れられても困るので、もう少しましな使ひ方を書きつけておきませうね。
 庖丁の背か腹で葱を粗く叩いて、ひたひたに足りないくらゐの(出汁)醤油に浸す。
 梅干しを好きなだけ、こつちは丁寧に叩く。面倒だつたら練り梅を買へばいい。
 両方を混ぜる。ぺたつとした感じになれば使ひ勝手がいいのではないだらうか。
 ごはんに乗せ、そのまま掻き込めばいい。焼き海苔があればもつと嬉しくなる。

 いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、大きな溜め息はやめてもらへないだらうか。私は"もう少しまし"と云つてゐる。後はそれぞれに色々試して頂きたい。それで旨い食べ方があれば、是非にもご教示賜りたい。
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by vaxpops | 2017-06-28 07:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(6)

非クライマックス

 便利だなあと思ふ。えーと、これはスマートフォンのカメラ機能で使へる加工について。

 ご覧になつて直ぐに判るだらうけれど、上の画像が元のもの。下が色々に加工した結果。かういふ遊びをその場で出來るのは、大した發明だと思はれる。デジタルカメラでも不可能ではない筈だが、あちらで撮るのは冩眞。スマートフォンに収めるのは画像だから、扱ひがちがふ。

 なんと丸太はさういふ区別をするのか。

 と詰め寄られたら、ええその通りと応じたい。何かしら趣味的な行為をする時、そこで用ゐる器材…もつと恰好よく道具と云つてみたくもある…に格をつけるのは当然の態度ではありますまいか。
 有り体に云へば私はスマートフォンのカメラ機能をひくく、詰り格下に見てゐる。ゆゑにそれを使つた画像もひくく(格下に)見てゐて、加工…どこからがそれなのか、ここでは深く考へません…に躊躇ひを感じないのはその所為かと思ふ。但しそのひくく見るのと、惡いが結びつくわけでもなく、我ながらややこしい心理だなあ。

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 手元にアグファ銘でsensor 505-Dといふ型番の玩具デジタルカメラがある。乾電池で動く500万画素の機種。手に入れたのは随分以前だから値段は覚えてゐないが、玩具だから相応だつたのだと思ふ。それにはハクバだつたかのグリップと携帯電話用のコンバージョンレンズを取りつける為のリングを貼り付けてある。だから元に戻せないのだが、さういふ扱ひで問題はない。本もののアグファなら敬意を持つて丁寧に扱ふけれど、こちらのアグファはおもちやだからといふのが理由。

 sensor 505-Dそのものの話は別の機会にするとして、この玩具だからといふ気分、スマートフォンを使つた画像にも反映されてゐると思ふ。も少し具体的にどんな気分なのかと云へばそれは。
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by vaxpops | 2017-06-27 07:15 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

路傍

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あぢさゐの

露を歓ぶ

とほりみち

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by vaxpops | 2017-06-26 07:30 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(0)

嗜好の相性

 もう随分とハンバーガーを食べてゐない。数年前、長野は松本に行つた時、朝の都合で何とかセットを口にしたのが最後で、その前はさて、いつだつたか知ら。古い手帖を捲れば分りさうだが、面倒なのでやめておく。

 少年だつた頃の丸太にとつて、ハンバーガーとマクドナルドは同じ意味だつた。ドムドムもモスバーガーもバーガーキングもファーストキッチンもなかつたのだから、仕方がない。その当時(ざつと40年近い昔)のハンバーガーは"珍しくて、おそろしく高価な"食べものだつたから、自分のお小遣ひではとても手が出るものではなかつた。そもそも店舗の数が少なく、最寄りの驛(阪急宝塚線の豊中)からふた驛、梅田寄りの曽根驛前にあつた(今もあるのだらうか)ダイエーに入つてゐたマクドナルドが一ばん近かつた。だから偶さかの週末、両親に連れられ、そこでハンバーガー(と多分フライドポテト)を食べたのが、丸太少年の事始めである。

 うまかつた。
 と書けば正直でなくなる。
 まづかつた。
 と書くのも本当ではない。

 要するに覚えてゐない。詰りあの(噂に名高い)マクドナルドに行つたのだ、といふ事實以上にはならなかつたらしい。それを友人に自慢した記憶もないから、大間違ひではないだらう。嬉しくなかつたのではないが、同じなら豊中驛前のビル地下にあつた(少なくとも10年と少し前までは)中華料理屋で、ラーメンと餃子を食べる方がよかつた。尤もその中華料理屋が旨かつたかどうかも實は曖昧。父さん母さんと外でごはんと云へばそこに決つてゐたから、さういふ刷り込みの所為なのだらうか。もしかすると私にとつて外食は、珍とするに足る行為ではあつても、嬉しさや歓びとは直結してゐなかつたとも考へられるが、今となつては確かめる術もない。

 さうなるとおれはいつ頃、ハンバーガーの味を覚えたのだらうと疑問が浮んでくるのだが、自分でもその辺りがよく解らない。特別な切つ掛けがあつたわけではないのだらうな。どこに入つてもチーズバーガーとコーク(または珈琲)で、それもこれなら大体外れないといふ理由だから、何かしらの思ひ入れがあつてではない。チーズバーガーなのは、景山民夫の"トラブルバスター"とグレアム・グリーンの『Cheeseburgers』の影響なのは疑ふ余地がない。尤もグリーンは未讀なのだけれど、そこは目を瞑つてもらひませう。"トラブルバスター"の主人公が仕事をさぼつて、愛車の整備をしながら、食事をダンキン・ドーナツとチーズバーガーと珈琲で済ます場面(記憶だけで書いてゐるから、正確さの保證はしない)は、青年の年齢になつた丸太にひどく刺戟的で、チーズバーガーは洒落た食べものの徴しに思はれたのだ。

 いやいや、そんなに恰好のいい食べものか。

 といふ疑問は当然だし、青年の年齢を遥かに過ぎた身から云ふと、ただの勘違ひだつたと断定して差支へない。まづくはなくても、積極的に食べたいわけでなく、洒落てゐると勘違ひしつつも、わざわざ足を運びたいとまでは思はなかつた。詰り相性が惡かつたのだらうか…さう考へて気がついた。相性の問題は私の舌…嗜好とのそれではなく、ハンバーガーと麦酒の間にあるのではなからうか。コークには適ふ。珈琲にも適ふ。紅茶やジュース、ソーダでも宜しい。だが麦酒はいけない。一部のファーストキッチンでは麦酒を呑めるので、試した経験があるのだが、どうにも感心しなかつた記憶がある。似た系統のホットドッグなら、麦酒のコップが恋しくなるのに、このちがひは何だらう。マスタードを使つてゐるかどうかのちがひとも思へるし、バドワイザーのやうに軽くてうすい麦酒なら似合ふかとも想像するが、バドワイザーならコークの方がいい。

 併しこの辺…果してハンバーガーと麦酒は本当に相性が惡いのかといふ疑念…を詰めるには、各社各種のハンバーガー(要するにチーズバーガーだ)と、各社各種の麦酒の組合せで検証をせねばならない。ならないのだが、随分と時間が掛かるにちがひないし、麦酒は兎も角、ハンバーガーはすぐに飽きて仕舞ふだらう。A&Wとオリオンビールだけは直ぐに試してみたいが、何しろ沖縄だからおそろしく高額なハンバーガーになる。
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by vaxpops | 2017-06-25 08:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

寂しい夜には気をつけろ

 外で呑みたくて懐が些か寂しかつたり、何となく呑みたいけれど、何となく曖昧な気分の夕刻には、立ち呑み屋にもぐりこむ。
 精々二はいか三杯引つ掛け、二皿ほどをつまんでお仕舞ひ。
 さつさと帰つてよく、別のお店で本格的に始めるのもよい。だから立ち呑みはどうも落ち着かなくつて、と呟くのは心得ちがひなんである。

 麦酒に酎ハイ。
 呑むのはまあ、そんなところ。
 つまむとしたらポテトサラドか冷奴に、もつ煮か鯵フライかハムカツ辺りから。

 そこで冷や酒もお刺身もないなんて寂しいなあと思ふなら、行かなければいい。私はさういふお店も好もしく感じるから、時々足を運ぶ。英國の労働者階級がパブ通ひを我慢出來ない心情に似てゐると思はれるが、残念なことに英國労働者の知り合ひを持つてゐないから、正しいかどうかまでは判らない。

 併し立ち呑み屋が必ずしも、先づ酔ふ為の場所とは限らない。お酒が揃つてゐたり、葡萄酒が並んでゐたりする場所もある。その手のお店は大体つまみも少し洒落てゐて、従來式より少し割高になつてゐる。

 惡くないけれども、かういふお店は、〆の一ぱいを引つ掛けるのが似合ひで、目的とするところがちよつとちがふ気がされる。辛くちの白葡萄酒に柿とチーズとクリームを巧妙にあはせた小鉢なんて、旨いのは認めるとして、その積りでもない限り、最初からやつつけたい組合せではないよ。

 洒落てゐない、古めかしい、近所の小父さん小母さんが噂話や政談に花を咲かせるやうな場所に肩を潜らせると、さういふ下らない話題もまた、恰好のつまみになるもので、麦酒が旨くなる。

 併し何かのはづみで、こちらも話に加はることだつてある。さうなると予定がちと変つてくる。更にお代りを重ねることも考へられて、つまみが足りなくなるおそれが出てくる。併し凝つた一品(が仮にあるとして)を頼むのはどうも躊躇はれる。少しづつつまんで怪しくないのが望ましく、げその天麩羅辺りが丁度宜しい。

 仮に場所が倫敦のパブでも、似た破目に陥るのだらうなと想像する…宰相の立場やフットボールの噂話で…のは惡い気分ではないが、そこで愉しむのは、ギネスかバスのパイントにフィッシュ・アンド・チップスくらゐしか浮ばない。私が愛國的な男なら、ここで本邦立ち呑み屋における酒精とつまみの豊かさを誇るのだらうが、實際はこちらの想像力が貧弱なだけなのだらうな。

 倫敦でも東京でも、立ち呑み屋に(わざわざ)足を運ぶ連中は、好意的に見ると人懐こく、身も蓋もなく云へば図々しいのが通り相場。それに引つ掛つて、勘定がえらく嵩んだり、酔つ払ふ度合ひがひどくなつたりした経験が、何度かある。ああいふ好意は迷惑の裏返し、或はカクテルで、困つたものですな、あれは。懐が寂しい夜の立ち呑み屋には、用心しなくてはならない。
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by vaxpops | 2017-06-24 15:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(4)

心の棚

 ウェブログをぶらぶら眺めると目につきやすいのが花の冩眞で、花の冩眞を目にする度にどうもうんざりすることが少なからず、ある。さうでない冩眞があるのも当然だが、うんざりする率は低くない。綺麗なのに何故だかさう思へるのは、私にとつて不思議のひとつである。併し不思議不思議と云ふ計りでは藝がない。ひとつ、その事情を考へてみませう。

 最初に考へられるのは、こちらに花の知識が丸でないこと。ぱつと見て、これは何々だと解らないのだから、ははあと呟くのに留まつてゐるのではなからうか。これは有り得るね。花の冩眞に劣らず、食べものの冩眞も目にする機会が多いけれど、ははあと呟くに留まることは殆どない。興味の方向が適つてゐるとも云へて、このちがひがうんざりの率に関はる可能性は高いとも思はれる。

 併し知らない花の冩眞でもうんざりしない場合は確かにあるし、食べものの冩眞でがつくりくることもあるのを思ふと、事情はどうも私の側だけとは云ひにくさうでもある。

 当り前の話?
 その点は認めるのに吝かではないが、当り前の話を一ぺん底まで降りて、その当り前を納得するのと、当り前は当り前だとはふり出すのとを較べれば、私は前者を好む。

 そこで当り前の話を續けると、花の冩眞でうんざりするのは、その花の冩眞が詰らないからである。詰らない花の冩眞がずらずら並んでゐたら、すりやあうんざりもするよ。

 ならばどんな花の冩眞が詰らないのさと詰め寄るひとが出てくる筈だから云ふと、花の姿…美しさと云ひ替へてもいいが、撮影したひとがそれに酔ひ、酔つたままに撮つた冩眞が詰らないのだ。被冩体に何もかも任せつきりになつてゐる冩眞と云へば、より解り易いか知ら。

 美事に手入れされた庭園があるとする。
 手間をかけた薔薇が咲いてゐるとする。
 撮りたくなつてくるのは当然の気持ち。
 何十枚を撮る気持ちも察して然るべし。

 問題はその後で、手ぶれやピント外れがなければそれでいいわけでもないのに、どうもこちらの目には、兎にも角にも見てくださいといふ気持ちが先走つてゐる風に感じられる。

 撮つた冩眞はゆゑに寝かさねばならぬ。

 かういふこと。ここで思ひ出したのは、うんざりすると云つても、冩眞が見られない拙劣だからでなかつた。さういふ気分になるのは周章狼狽気味に、大量の冩眞があつた時で、然もその中には必ずや一枚、もしかすると二枚も、手を打ちたくなる出來のものがある。どうしてそれ以外のを外さなかつたのか、首を傾げたくもなる。

 たつぷりの冩眞を出したい気持ちは解る。
 満身の好意なのだらうといふことも解る。

 ただどうにもその気持ちや好意は、空回る確率の方がたかい。文章だつて、長文の最初から最後まで、同じことの繰返しだつたら、半分も讀む前に打ち捨てるでせう。だから讀んでもらへる工夫をしなくちやあならない。話題を逸らし、意に反することを書き、譬喩を用ゐもする。当り前の話なのだが、さて冩眞を扱ふ際に、これを通用させない理由があるだらうか。

 かう書くと、冩眞は結局、冩眞自体がすべて、或はそこに帰結するのであつて、詰るところは撮つた冩眞を如何に撰ぶのかに尽きるのだよと反論が出るだらう。後半部は同意する。併し冩眞はそれ自体で完結するといふのは断じて誤りだとも、私は考へてゐる。
 冩眞を撰ぶ上で無視出來ないのは、その冩眞をどこで、たれに、どんな風に見せるか、見せたいかといふ点である。

 ウェブログに上げるのか。
 メールで知らせるのか。
 冩眞立てに入れて贈り物にするのか。
 額装してギャラリーに展示するのか。
 絵葉書に仕立てて投函するのか。
 大きさはどれくらゐか。
 何か題をつけるのか。
 短い或は長い文章を添へるのか。

 他にも色々あらうが、冩眞の撰択の背後にはかういふ幾つかの(幾つもの)條件がある。そのすべてを蹴散らせる冩眞はこれまでなかつたし、これからも出てこないだらう。
 嘘だと思ふなら、たれのどんな冩眞でもいい。一枚を撰び、大きさや見せ方、或はトリミングを変へてみればよい。木村伊兵衛も土門拳もブレッソンも、また私が愛してやまない植田正治でもきつと全滅する。間違ひない。

 それなら…ここで話を、ウェブログでうんざりする花の冩眞に戻すと、数を減らしなさいとは云はない。一枚きりでも、堂々百枚一挙公開でもかまはない。かまはないが、それはウェブログの讀者或は閲覧者を強く意識した結果でなくてはなりません。讀者或は閲覧者に見られる前提で撰ばなくてはなりません。自分が気に入つただけの理由では、ざつと流されて終りなのだと理解しておかなくてはなりません。先刻は意図的に省いたが、冩眞は賞讃であれ批判であれ、それを見るひとがゐないと、まつたく成り立たないのだから。

 贅言をひとつ。
 何だか丸太は偉さうだなあと思つた、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、題名をよくご覧頂きたい。
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by vaxpops | 2017-06-23 18:00 | 徒然諸々 | Trackback | Comments(2)

ファラオとオリオン

 厳密に云へば、麦酒は麒麟の一番搾りやヱビスのやうに、麦芽とホップと水で醸るものである。何故と訊かれても、さうやつて醸られた液体が麦酒と呼ばれた経緯があるからで、我われは順序を誤るわけにはゆかない。

 原型は地中海の呑みものだつたらしい。埃及の労働者はピラミッドの建築に携りながら、一日の終りに麦酒を呑んださうで、麦汁にうすいアルコールが入つた程度だつたと思ふが、烈しい仕事の後の一ぱいは旨かつたらうな。
 かういふ人たちへの労ひは欠かすべからざるものらしく、九州のお寺だつたかに残された木片に、"コノ施主ハ吝嗇ニテ焼酎ヲ呑マサズ"とか惡くちが記されてゐるとやら。大きく見ればファラオも施主だけれど、かれの気前はどうだつたか。

 教師の家に飼はれた名無しの猫が、麦酒の呑み過ぎで溺死したのが明治三十九年だから、我が邦でもそのくらゐの時期には(ある程度にせよ)、麦酒が出回つてゐたのだらう。但し描き方から察するに、珍しさが伴ふものだつた気配はある。
 その小説家の弟子は、知人に"カツレツを七枚八枚、一時に喰ひ、麦酒を半打呑む"と呆れられてゐて、当人はその間、厠に立たないのを自慢してゐた。やるものだなあ。詰り麦酒はその程度には馴染んできたのだと考へられる。

 この当時…明治末期から大正にかけての麦酒がどんなものだつたか、私は知らない。麦酒の受け容れと醸造がどう發展し、また変化(或は進化)したかも同様で、気になる方はご自身で調べるのが宜しからう。序でに詳しいことを教へてもらへると助かる。

 折角なんだから丸太が調べて書きなさいよと叱られるやも知れないけれど、こちらは麦酒を呑むのに忙しい。

 どうにも私は麦酒が好きであるらしい。お酒も葡萄酒も泡盛も焼酎もヰスキィも好きだが、何を欠かせないかと訊かれたら、一ばんに麦酒を挙げるのに躊躇ひはないもの。ラガーもピルスナーもエイルもヴァイツェンも好ましい。尤も半打呑める自信はないし、まして厠に立たないなんて無理だけれど、それとこれは話が別である。
 そこで呑むなら正統の麦酒。といふのが矢張り望まれる態度なのだらうが、例外がないわけではない。たとへば画像のオリオンビールがそのひとつで、醸り方はトラッドではなく近代的。有り体に云へば麦芽とホップと水に混ぜものが加はつてゐる。オリオンビールに限つたことではないけれど、正統派の麦酒好きは避けるのか知ら。

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 併し組合せには注意を要するとしても、オリオンビールは實にうまい。
 ことに南國風のつまみ…苦瓜のちやんぷるー、豚肉の味噌炊き、油素麺…があるなら、撰ぶべき麦酒はオリオンで、ヱビスや一番搾りは勿論、スーパードライもモルツも黒ラベル赤ラベルも出る幕はない。
 もしも剛腹なファラオが毎日の終りに、ひと皿のちやんぷるーとポーク玉子、そして一本のオリオンビールを振る舞つてくれるなら、私は喜んでピラミッドの建設に携ることだらうな。
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by vaxpops | 2017-06-22 06:45 | 飲食百景 | Trackback | Comments(2)

晝めしと云へば

 サラリーマンの晝めしと云へば、蕎麦と牛丼ではあるまいか。手早くて廉価、大外れを引く心配が少ないといふ以外にはつきりした根拠があるわけではないけれど、何だかそんな気がされる。

 或はラーメンや炒飯か。
 或は鶏の唐揚げ定食か。
 あとはカレーライスか。

 矢張り時間が掛からない、そこそこ廉価でまづい心配が少ないのは同じか。それにここまで挙げた六つで、晝めしはどうにかなりさうでもある。サラリーマンの経験は参考になるなあ。

 ただこちらの胃袋はそんなに大きくないから、唐揚げや脂だらけのラーメンは遠慮したい。まあ蕎麦や牛丼が似合ひの分量と思はれる。

 さて出された丼をがつしり握る。
 顔をうづめるやうな姿勢を取る。
 それから無言で素早く平らげる。

 何と云ふか、旨さうな食べ方ではないが、忙しいサラリーマンの晝めしは大体こんな感じではあるまいか。見習ひたくはないけれど。
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 蕎麦ならたぬきにする。七味唐辛子はぱらぱら程度。天かすと葱を絡めながら啜るのがうまい。巷間、蕎麦は喉で味はふと云はれるが、たぬきだけは例外で、がつしり噛み締めるのが望ましい。
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 牛丼はごくありきたりのやつ。肉を少しよけ、そこに紅生姜を。七味唐辛子は用ゐない。生卵を奢るなら、ごはんの中に流し入れる。混ぜないのが大切で、かうすると味が一色にならずに済む。

 尤も画像のはどちらも、晝めし時を過ぎた時間帯に食べてゐる。手早くて廉価で、そこそこに旨かつたけれど、これが連日續くのは、勘弁してもらひたくもある。
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by vaxpops | 2017-06-20 13:15 | 飲食百景 | Trackback | Comments(0)